村八分に耐える事は、日本的な処世術ではない(削除書き換え) [生きる方法]
私自身は、中学生から、村八分にされて、生きて来ているのです。
私はそれに耐えて来ているのです。
いまでも、私の悪口は沢山あるのであって、
それを平然と耐えて生きて来ているのです。
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建築家の南さんに誘われてmixiに入りましたが、
書かなくなったのは、村的で、読者の顔が見える様になるからです。
顔が見える関係になると、その人に遠慮して、批評とか言論は成立しなくなるのです。
多くの人は言論が、血によって書かれて来ている事を知りません。
言論人は、殺されるのです。
殺される覚悟で、書いているのです。
美術というのは命のかかっている職業なのであって、
当事者にとっては遊びではありません。
ギャラリー山口さんはお亡くなりになりましたが、
美術家でもゴッホをはじめとして、多くのアーティストが自殺しています。
美術家というのは、命がけなのです。
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私は日本の村の外に出続ける人間です。
ラカンの読書会に来ている人は分かっていると思いますが、
私の人間関係は、移動や、循環は早いのです。
激しく入れ替わって行きます。
固定的な村や島をつくることは、目指していません。
美術史家の富井玲子さんは「彦坂は、移動する標的だ」と書きましたが、
私自身は、脱-領土化をしつづける人間ですから、
みなさんが考えるような固定的なグループを形成してはいません。
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私はこのブログを無償の行為で書いているのです。
ブログの記事で壊れる人間関係は、沢山あります。
それに絶えて書いているのであって、
無料のブログですから、
読者に読む事をしいているものではありません。
嫌なら、読まないで下さい。
これは日本的な処世術ではありません。
この場合、私のイメージしているテキストは、安岡 正篤の本です。
陽明学者として尊敬はしますが、
私のやっていることは、彼の考え方の外部なのです。
私の方法は日本処世術の外部を生きるところにあります。
嘘をつかず、妥協せず、芸術を極めるというのはとても苦しい作業だと理解しておりますので、私は早々に芸術を諦めました。
経済的に安定し家族を大切にし愛情に溢れた幸せな家庭を築くことと両立が難しいのです。
もはや血の涙を流し続ける気力も勇気もありません。
応援しております。
by らん (2010-01-31 09:44)
らん様
家族を大切にすることは、人間の基本であって、大切だと思います。
芸術に限らず、学問でも、哲学でも、プロのスポーツでも、かなり異常なのですね。異常なことをして行く事に意味があるのかどうかは、各人の生きる欲望や、状況で違うので、一般論では決めがたいものです。
実際、ほとんどの美術家は、実はそんなには美術が好きではないし、自分の美術作品を売って行こうとも思っていないのです。犠牲が大きすぎるのですね。
犠牲を支払っても、どうしても実現したいという欲望を持つ人というのは、おかしいのだとは思います。
by ヒコ (2010-02-01 12:00)