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柄谷行人批判/東洋遠近画法の忘却 [アート論]

以下の文章は、「建築と美術のあいだ」というシンポジウムの記録集(未刊行)からの抜粋です。

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彦坂: さっき南さんがフッサールの『幾何学の起源』という本に触れられていましたけれども、フッサールの手稿「幾何学の起源」は、1936年に書かれているのですが、それへの序説をジャック・デリダが1962年に書いていて、そういう意味で、フッサールの現象学が、ポスト構造主義に橋わたしして行く重要な本です。

 今日のシンポジウムの主題でありキューブとか、スクエアというのも幾何学ですが、人類史の中での幾何学の起源は、ナイル川の定期的な氾濫をめぐる土地の測量技術です。「幾何」という言葉の語源は、ギリシャ語で土地という意味の「"γη"(ゲー)」と、測定と言う意味の「"μετρεω"(メトレオ):」)から来ていて、つまり《土地測量》ということです。幾何学は、ギリシアに伝わって、発達します。

 ピタゴラスやタレスらによる幾何学の発展で、彼らは深く図形を研究して、定理をいくつも発見し、そして証明という手法を編み出します。少数の原理から、厳密に演繹を積み重ねていって、当たり前とは思えない事柄を示していくやり方が、証明です。これはユークリッドの『元論』で完成します。そしてこれがヨーロッパ精神の手本になるのです。ですからフッサールが『幾何学の起源』として意味している《幾何学精神》というものは、原理からの演繹的な証明によて到達する真理の発見を意味するのです。

 実は私は、フサールから大きな影響を受けています。学生時代に現象学研究会ってのをやっていて、一生懸命フッサールの『現象学の理念』から始まって、最後のいわゆる『危機書』と言われる『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』まで読んでいったんです。

 

 フッサールの現象学と言うのもむずかしくて、特に最初に読んだ『現象学の理念』には、もう悪戦苦闘でした。とにかく、なにを語っているのかもわからない。むずかしい。ものすごく難解で、何を意図しているのかが、なかなかわからない。あれは学生に向かってしゃべった講義録の本なんで、聞かされた学生がわかるはずがなかったはずです。ヨーロッパの哲学者っていうのは、必ずしも文章を書いているのではなくて、パロールというか、しゃべって、記録を残していく人が多いのです。たとえば言語学のソシュールは、存命中一冊の著書も出版していないのですね。ソシュールの著書の『一般言語学講義』も、ジュネーヴ大学で行われた講義を、弟子がまとめたものですね。

 私がいま読書会しているラカンも、『エクリ』っていう著作本はありますけど、基本的には書く人ではなくて語る人でした。20年以上に渡って『セミネール』って呼ばれるセミナーを開いて語り続けたのですね。これが次々書き起こされて本になって出てくるんですけれども、まあ、むずかしくて、大変です。みんなお経を読んでいるようなもので、根気よく読まないとなりません。

 ラカンを解説書で読むのと、本物の本で読むのとは全然違うのです。つまり、何を言おうとしているのかというと、『幾何学の起源』を書いたフッサールは、『厳密な学問としての哲学』という本も出版していて、厳密に、学問として哲学をしようとするわけですね。こういう姿勢に、若い時に私は感動して影響を受けたのです。しかもフッサールがすばらしいのは、フッサールが信じたこと、つまりデカルトの「我思う故に我有り」という、いわゆるコギトを原理として、他者の存在を演繹的に導きだそうとする試みが、この厳密な学問の展開の中で次々に崩れていくわけですね。厳密にやるから、信じていた自分の原理と思っていた基盤が突き崩されて行く。こういう意味で、フッサールというのは本当に誠実にヨーロッパの哲学を壊していった人です。それに、私は若かかったせいもありますが、非常に感動したのですね。

 きちっと学問を探究すると、原理と信じていた先入観は壊れる(笑)。厳密な学問というのは、人間の思い込みを壊す破壊活動なのです。壊して、原理そのものを再定義して、枠組みを組み替えて、古い原理の世界をを越えていける。だから、私はロマンティックにそういう幾何学精神に憧れて、厳密な学問としての芸術っていうのをめざしたんです。ですから私は、できるだけ厳密に思考しようと努力をします。拙著もそうですが、できるかぎり事実関係を調べています。

 実例の一つは、日本が太平洋戦争にやぶれたという1945年8月15日の天気です。美術評論家の椹木野衣さんは、彼の著書『日本・現代・美術』の中で「日本列島の上には雲ひとつなかった」と書いています。つまり日本敗戦の日、日本列島に雲一つないと言う事実が、その後の解釈のための原理として、屹立しているのです。

 そして多くの日本人が、この晴天の事実を信じている。そのイメージは、ハルマゲドンで、つまり日本は、ハルマゲドンになった。日本はそこでリセットされたんだと。そうして、彼はリセット論を展開するんですね。それは、イメージで読むと綺麗なのです。日本の敗戦の日には、日本列島の上に雲ひとつなかった。

 しかし私は本能的に嘘を感じたのです。きれい過ぎるからです。私は、それは事実なのかどうかを確認するために、気象庁まで行って、調べたわけです。気象庁には、朝の六時と夕方の六時の二枚の天気図が残っていたのです。それだけ私が見てもわからないので、事情を説明して気象官を呼んもらって、こうこうこういうふうに椹木野衣が書いているので、ですから玉音放送があったときに日本列島の上に雲ひとつなかったのかどうか教えて下さいって言ったのです。そしたら北海道は、朝雨が降っていて、雲があるのです。彼の書いていることとは、事実は違うのですよ、だから、私はそういうふうに、できるだけ厳密に調べていくのです。

 こういうことが重要なのは、単に天気の事だけではないからです。日本の敗戦は、ハルマゲドンではなかったし、そしてリセットではなかったのです。日本の官僚機構で解体されたのは内務省だけで、戦争を遂行していた大蔵省も外務省も、そして鬼畜米英を子供たちに教えていた文部省もリセットはされず、解雇もされず、給料は払い続けられて、戦中の体制は継続して行ったのです。敗戦リセット論というのは、幻想であり、ファンタジーであり、嘘なのです。事実とは違うのです。

 もうひとつ実例を上げるます。椹木野衣さんの『日本・現代・美術』を読んでいると、最後の方ですが、手帖という文字の入った『美術手帖』と『暮らしの手帖』が出て来て、『暮らしの手帖』をまねして『美術手帖』という題名ができたのだっていう風に読めるような書きかたをしてるんです。が、年号を調べると逆なのです。『美術手帖』のほうが先です。そういう風に、椹木野衣さんは、いかさまをやるわけです。しかも意図して、悪意を込めて、いかさまをやる。彼はそれをはっきり方法として考えていたのです。自覚をしてやる確信犯の売文家なのです。

 自分は関係のないものを強引にむすびつけて、とにかく読者にショックを与える風に書くと、対談の中で言っています。。事実や真実の追求はやらない。文章がおもしろければ良いのですね。事実こうした椹木野衣さんの文章が商業的に受けて、時代を制圧したのです。

 椹木野衣さんは、自分のこういう方法を、美術界では言わないのです。福田和也さんっていう右翼の文芸評論家ですけれども、彼と文芸誌でそういう自分の本音と方法を語っていました。私の椹木野衣さん批判は、今度出版した『彦坂尚嘉のエクリチュール』というの本で、主要な論文として収録していますけど、これを執筆するために大宅壮一の作った雑誌専門図書館である大宅壮一文庫に行って、検索かけて、とにかく椹木野衣が美術界以外でしゃべったり書いていることを収集して来たのです。

 「でたらめに反対!」「調査重視!」という方針を出して、教条主義を批判し、「調査なくして発言権なし」というテーゼを確立したのは毛沢東でしたが、日本の美術界というのは「でたらめに大賛成!」の世界で、事実の調査をきちんとやらないで、先入観や迷信にたよる判断が、はびこっているのです。椹木野衣さんというのは、こういう人間の知的怠惰につけ込んで、すごくうまく立ち回る商業主義のライターなのです。普通に文章書くんだったら調べてくるって当たり前のことですけれども、私の属している美術界っていうのは、そういうことをしない人が多いのです。だから私の本ってのはひとりのアーティストがどうやって反抗してったかっていう、そういう知的な抵抗の物語なのです。いくら反抗しても、日本の土壌というのは、グズグズで、しっかりする可能性はありません。それは知っているのですが、それでも私は抵抗をする。

 たとえばデタラメは美術界だけではないのです。大きな影響を与えたのに柄谷行人さんの『日本近代文学の起源』っていうのがあります。これはフッサールの『幾何学の起源』と、題名で意識して重ねている面はありかも知れませんが、しかし少数の原理の発見が、東洋への視点を欠くことで、単なる先入観からの誤謬への到達になっています。『日本近代文学の起源』の第一章は、「風景の発見」という文章です。この文章の世評は大変に高いものですが、しかし彦坂から見ると、日本美術や東洋美術を知らない無知から来る誤謬以外の何ものでもないのです。何が間違いか?

 「日本は明治になるまで遠近画法はなかった」っと平気で書いています。その根拠は宇佐見圭司という画家の書いた文章です。しかしこのテキストに対する批判検証抜きで使う事で、根本的に間違えている。そもそも宇佐見圭司氏は、美術大学を出ていない高校卒の学歴の人で、基本的な東洋美術史の教育を受けていないのです。一方の私の先生は吉沢忠氏で、水墨画の権威です。彼に2年間学んでいる。この教育の差がある。

 日本には、明治以前に遠近画法は中国から輸入されていたのです。つまり東洋遠近画法が成立していたことが重要です。東洋遠近画法ってのはヨーロッパに比べて十世紀も早くに成立していたのです。ところが、江戸末期に西洋遠近画法が入ってくると、その深いイリュージョンの見た目の派手さで、東洋遠近画法が成立して、オプティカル・イリュージョンが成立していたことを、みんな忘れてしまったのです。

 東洋美術の教養のある人は誰でも知っているこのことを、誰もいわない。柄谷行人が怖いのでしょうか、誰も柄谷行人が間違っているっていうことを、美術界の人は言わないのです。腰抜けなのだか、無知なのかわかりませんが、言わない。

 五世紀の宋炳「画山水序」は、人類史に惨然と残る画論です。ここに明確に透視画法は記載されているし、さらに空気遠近画法も記述されているのです。つまり東洋には遠近画法が、西洋よりも早くに成立していた事を柄谷と宇佐見は、無知無教養で知らない。

 さらに西洋遠近画法も、遅くても江戸時代後期には輸入されていて、、いわゆる眼鏡絵ですが、葛飾北斎でいえばクールベの波の銅板画を見て、このコピー作品から出発しているのであって、西洋遠近画法は使われているのですね。北斎の場合は、眼鏡絵の西洋遠近画法から出発して、その後東洋遠近画法に回帰して、この東洋と西洋の遠近画法を折り重ねて、非常に複雑な遠近空間を作り出して行きます。

 

暮沢:ヨーロッパで開発されたカメラ・オブスキュラのモデルだけじゃないってことですね。それはまあもちろん応挙とか北斎とかそれは知らなかったでしょうから。

 

彦坂:カメラ・オブスキュラ自体は、西欧で開発したものではありません。アラブ世界です。エジプトの数学者ハイサムがカメラ・オブスキュラの研究をしています。十字軍の時に、イスラム世界の光学の知識がヨーロッパに渡って、はじまったのであって、ヨーロッパの発明ではないのです。

 応挙とか北斎は、カメラオブスキュラも、西洋遠近画法も、直接か間接かはいろいろあるにしても知っていたと私は思います。事実として丸山応挙は眼鏡絵を描いています。北斎は、クールベの絵画の複製版画を見ています。

 カメラ・オブスキュラでも、透視画面っていう構造の基本は同一ですから、そういう意味で、先ほど申しあげたように中国での木枠に絹を張って遠くを見て、これをトレースして絵を描くという手法は、レンズの無い手描きカメラの手法なのです。これが五世紀以前に成立していて。日本にもそれは入ってきているのです。

 源氏物語絵巻に見られる逆遠近画法というものも、これも原始的ではありますが遠近画法です。

 もっと原始的な遠近画法は、上下法です。遠くのものを上に描き、立派な遠近画法なのです。

 さらに、二つのものを重ねて描く重積法があります。後ろになる方が遠くにあって、前にくるものが、近くのものです。

 俯瞰法して描くと、遠近が描きやすくなるので、俯瞰法も重要な手法です。これらが原始遠近画法です。

 それに対して宋炳の「画山水序」に記述されている木枠に絹を張って。透視してトレースする手法は、原始遠近画法ではなくて、文明的な遠近画法なのです。東洋には、イタリアで十五世紀に発見する窓枠の理論よりも十世紀も早くに、こうした透視画面が発明されて、絵画がトレースして量産されていたのです。柄谷行人の書いているのとは違って、明治以前に遠近画法があって絵を描いてる。そういう基本が抜け落ちて語られていく、それに対する反抗があるわけです。

 だから先ほどのフッサールの『幾何学の起源』に見られる《幾何学精神》の重要性ですね。絵画における遠近画法の基本を、原始遠近画法と文明遠近画法とで行われた歴史的事実を、きちんと原理として把握する必要があるのです。


タグ:柄谷行人
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中野輝也

今回の記事を読んで、「彦坂尚嘉さんの哲学談義を、もっとブログで読んでみたい」と思ったのですが、私が「彦坂尚嘉さんの哲学談義」を理解できるようになるまで、そのリクエストは延期します。

私が「彦坂尚嘉さんの理論」を理解できない主な原因の一つに、「哲学系の知識が圧倒的に不足」している、という事実があります。


「彦坂尚嘉さんの思考パターン」を、中野輝也が追体験するための課題


《言語判定法》の体験が不足しているので、追体験を目指す


アートの製作体験が不足しているので、追体験を目指す


アートの鑑賞体験が不足しているので、追体験を目指す


読書体験が不足しているので、追体験を目指す

京都の大きな本屋まで出向き、岩波文庫で翻訳されているカントの著作を、きのう10冊まとめ買いしました。「未読者に向けてカント論を解説できる水準」を、3ヶ月間で達成することを目標としています。そのため、きのうはネットに接続する事もなく、ひたすら、全10冊をそれぞれ5回読みました。

私の読書法は、「速読」ですが、「速読して、しかも十分に理解する」「速読して、しかも十分に暗記する」という類の「卓越した速読法」ではありません。「ただ速く読む」のです。そして、軽く、薄く、くり返し読むことで、まず「感覚的に全体像を把握」します。それから「論理的な構造を把握」するための、ゆっくりとした読書法にシフトしていきます。仕上げの段階になると、「頻出する重要キーワード」をノートに書き取り、「自分が理解した範囲における解説文」を「それぞれのキーワード」に補足していくのです。

「寝る直前」に読書した本を、「起きた直後」に読むテクニックもよく使います。睡眠をはさむことで、「睡眠中に脳内で起こっている情報整理」を利用した「サインドウィッチ勉強法」です。受験生時代には、この勉強法がとても役立ちました。

「カント」から出発して、他の哲学者の著作を読んでいき、最終的には「ラカン」を理解したいのです。それで、彦坂尚嘉さんにお聞きしたいのですが、やはり「ラカン」を理解するためには「ジジェク」も読んでおいたほうが、「効率的な学習」につながるのでしょうか?「ラカン」を理解するための「ジジェクの著作」の重要性について、もしよろしければ、教えてください。


話すべき優先順位から考えると、「前後」が逆になりましたが、芸術ライセンスの件で「約束」した「協力関係」を裏切ってしまい、申し訳ありません。私は、やはり「平気でうそをつく人間」です。そもそもの、このブログに興味を持った出発点が、彦坂尚嘉さんが指摘する「自己愛性人格障害」に自分がピッタリと一致しているという「自覚」です。だから「彦坂尚嘉さんから非難される、あるいは無視されて当然の人間」という「自覚」から入って、それでも「成長」していきたいという「決意」を込めて、このブログを読み続けています。「芸術ライセンス」の件で裏切ったことの「埋め合わせ」にはまったく不十分ですが、彦坂尚嘉さんが「京都」の大学で講師をすることがあれば、全面的に協力する予定です。私の行動は「約束の重さ」ではなくて、「物理的な距離」の方に大きく左右される傾向があります。

「物理的な距離」によって「自分の限界」を規定してしまっている私は、彦坂尚嘉さんに指摘されなくとも、十分に「弱い」人格だと承知しています。そして、そのため、ネットや本などの文字情報を、「家で読むこと」が大好きなのです。私に才能が一つだけあるとすれば、「文字を読み続ける“根気”」だと思っているので、「未読者に向けてカント論を解説できる水準」に3ヶ月間で到達して見せます。勉強計画を公表すると、モチベーションが高まる、というテクニックを意識した上で、「2010年2月8日」には「未読者に向けてカント論を解説できる水準」に到達することを宣言します。
by 中野輝也 (2009-11-08 10:26) 

中野輝也

今朝の10時30分に『彦坂尚嘉のエクリチュール』が配達されました。ありがとうございます。さっそく読みました。

軽く読んだばかりですが、礼儀として、感想を述べさせてもらいます。

「椹木野衣」「柄谷行人」を批判する根底に、「調査なくして発言権なし」の姿勢を感じました。「日本の古典芸術を十分に“調査”していない彼らの発言は、“日本芸術批評”として不十分・不完全」というのが、私が理解した範囲を“あくまでも意訳”したものです。しかしながら、「椹木野衣」「柄谷行人」の両氏の著作も、「日本の古典芸術」も調査していない私ですから、彦坂尚嘉さんの「椹木野衣批判」「柄谷行人批判」が“妥当”であるのかどうか、現時点では判断できません。今後の「調査課題」とします。

私の能力では、『彦坂尚嘉のエクリチュール』で展開されている多数の論点に対して、根本的な判断を「保留」せざるを得ませんが、それでも、日本の「卓越した古典芸術」を愛する彦坂尚嘉さんの気持ちと、それを「調査する熱意」がひしひしと伝わってきます。


“私は、芸術というのは、建築のようにその内部に人が入れるような空間を有するものであると考えている。いや空間そのものであると言ってもよい。つまり、建築とは、ぎゅうぎゅうに詰まって〈充実〉していては、家の中に入ることができなくなるから、内部は〈欠如〉した、非実体的な広がりがないと、建築たりえないのである。同様に、芸術もまた、このような非実体的な広がりそのものであると考える”

『彦坂尚嘉のエクリチュール』では、芸術における「非-実体性」の重要性がくり返し説かれていますが、上記の引用文を「中心」に含む、“芸術とは神のようなものではないだろうか”から始まって“デザイン類、コマーシャルや宣伝物、そして工芸も、実体化して埋め尽くされている”で終わる一連の文章が、「非-実体性」を最もわかりやすく表現した文章だと思います。素人の私が一読して、すっと論点を理解できる水準の、入門者向けの解説文になってるのです。
とても勉強になりました。

また392ページの「写真でないもの」という文章も、私にとって、わかりやすいものでした。「写真でないもの」を全文引用したいのですが、コメントが長くなりすぎるので、一部引用に留めておきます。

“つまり大宇宙に至る自然すべてが美術であるのなら、この宇宙の外にこそ、芸術の根拠がある。つまり芸術の基礎付けを宇宙外に求めるのである。それは[宇宙内であって、宇宙内でないもの][美術であって、美術でないもの]という形で成立する。つまり〈ないもの〉という非実体性でしか指し示せないものなのである”

3日続けて「カントの著作」を集中的に読んでいるのですが、どうやら「カント」は「神」の存在を「非実体性でしか指し示せないもの」として理解していたようなので、私の中の「カント論」と呼応しつつ、この文章を読ませてもらいました。
複数の本を読んでいると、たまに脳内で「奇妙な連鎖」が起こるので、「やはり読書はある種の“体験”なのだな」と感激します。



「奇人・西田半峰の敗北」は芸術論を抜きにしても、エンターテイメントの視点で十分に楽しめるものでした。彦坂尚嘉さんは決して喜ばないでしょうが、「福田和也が“興奮した”と賞賛しそうな文章だ」と率直に思います。私は、高校生の年頃に(と言っても高校には入学していませんが)「福田和也著 『日本人の目玉』」を読んでいるほど福田和也ファンだった過去があり、福田和也が「例の本」で高得点をつけた文学を、順番に読んでいった思い出があります。「奇人・西田半峰の敗北」で示された「芸術」と「商売」が交差する地点での「葛藤」と「力への意思」は、いかにも福田和也が好みそうな文章だし、また「福田和也の模倣」を経験してきた私の好む文章でもあります。とても刺激的な読書体験となりました。

『彦坂尚嘉のエクリチュール』には、他にも様々な論点がありますが、とりあえずの「感想」ですから、ここまで、とさせてください。値段分の価値がある有意義な読書体験を得られて、嬉しく思います。

最後になりましたが、私が電話で告げた「27歳」は誤りでした。なんとなく違和感があって、後から確認してみたところ、私は「26歳」でした。私は自分の年齢さえも性格に把握していないのです。先日の電話において、事実と異なる「年齢」を告げてしまいました。申し訳ありません。
by 中野輝也 (2009-11-10 15:11) 

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