モラルをめぐって(加筆3追伸1) [アート論]
コメント 2
今回の「盗作」騒ぎは、極めて、愚かなものです。どういう場合が、失礼に当たるのか当たらないのか基準がわかりませんが。
斉藤さんのためにも、是非いつものようにお書きいただきたいと切に思いますが。情報社会の怖いところは、このような議論が後世残り続けることと、中途半端に終わると簡単に誤解できると言うことです。
まずいことは簡単に消してハイお終いと行かないのが、今の除法社会です。
コメント 7
前向きなお返事いただけて良かったです。
新たな方向性を楽しみにしていますが、ブログ以外もお忙しいでしょうからじっくりと構築していってください。
想像界の人たちは皆それまで待ってくれるでしょう。
私は最初に「自己破産」という表現を使いましたが、今回で言えば混沌の後に構築されるものがあるようです。
がんばってください。
楽しみにしています。
小比満さんへ
「“水の泡の写真”騒動」における私が抱いていた疑問の決着は、tsunoさんの情報提供によって、ほぼ解消されました。そのやり取りを再掲します。
斉藤ちさとさんの気泡作品は、2005年秋には府中美術館の公開制作が行われています。
小山泰介さんの写真は2007年の展示を写真集にまとめたものです。
斉藤さんの作品はストレートな写真ではなくて、炭酸水をいれる特性の薄い水槽を前に設置しての作為ある撮影。
小山さんは基本的には対象に手を加えない撮影です。しかも画像は一点だけ。作品のメインの傾向は違うものです。
普通に考えても両者には関連はないんじゃないでしょうか。「悪意がある」と言われてもしかたのないカキコミだと思います。
空しい人騒がせしないようにお願いします。両方の作家に極めて失礼。
by tsuno (2009-10-31 11:11)
tsuno さん
その件の騒動では、私が「主犯格」です。情報提供に感謝します。
①
斉藤ちさとさんの作品のほうが、発表が早い。
「2005年秋には府中美術館の公開制作」
「2007年の展示を写真集にまとめた」
②
手法において相違点がある
「炭酸水をいれる特性の薄い水槽を前に設置しての作為ある撮影」
「基本的には対象に手を加えない撮影」
③
①②を総合すると、「普通に考えても両者には関連はない」と考えられる。
情報を整理してみると、斉藤ちさとさんへの疑惑が晴れて、結果的に私の「悪意」が浮かび上がりました。私が「調査する労力」を回避して、「質問・批判」という低コストな行動を選択したために、「斉藤ちさとさん」「彦坂尚嘉さん」に多大な迷惑をかけてしまいました。申し訳ございません。
小比満さん、私は「水の泡の写真」に関する議論から手を引きます。小比満さんを「みこし」にして巻き込んだうえ、置き去りにする形になりました。申し訳ございません。
by 中野輝也 (2009-10-31 23:54)
このように、私のなかでは、ほぼ決着がついているのです。
小比満さんがおっしゃっていた「来年の展覧会が始まる前に決着をつけた方が良いと思うのですが。」という指摘における「決着」とは「具体的」にどのようなものしょうか?「具体的なゴール地点」が、小比満さん自身の自覚において「想定」されていないと、小比満さんのなかで「決着」が永遠におとずれない危険性があります。「具体的なゴール地点・決着の形」を「想定」しているのであれば、ぜひお聞かせください。
小比満さんが「“水の泡の写真”騒動」において、どのような「論点」で語ろうとしているのか、私にはよく見えてきません。小比満さんにとって、一番語りたい一貫した「論点」があるのであれば、それも合わせて論理展開していただけると、これから先の議論がスムーズになると思います。
「アートの模倣をめぐる素人の議論」という記事のコメント欄から「中野輝也」の発言を、下の方に一部抜粋しました。
彦坂尚嘉さんに対する返事として書いた文章なので、小比満さんの疑問を解消できる論になってないことは、十分に承知していますが、小比満さんの感想をぜひお聞かせください
彦坂尚嘉さんに「盗作」という言葉の「重み」を指摘されて、わたしは自分の「ウカツさ」を知りました。「盗作」という「重大な論点」で質問するのなら、「最低限の調査」をしてから、という心構えがすっぽりと欠落していたのです。調査をせずに、そのような質問をすれば、「悪意の質問」とみなされても、今の私は反論できません。
せめて
「“盗作”を批判された時、アーティストはどのように考えるべきか」
ではなくて
「“類似性”を指摘された時、アーティストはどのように考えるべきか」
と、「おだやかな論点」を立てて質問するべきでした。「最低限の調査もしていない」のに、無用な波風を立てる「盗作問題という“過激な論点”」を立てるべきではなかったと、反省しています。
“まず、六法全書を読む事です”
書棚から取り出し、ホコリをはたいてから、有斐閣の『平成18年度版 小六法』を20分ほど再読しました。それから「盗作」や「著作権法」をキーワードに検索して、1時間だけ勉強しました。「ネットで1時間だけ勉強」すると、実に多くのことがわかります。この件に関して「調査なくして発言権なし」というのはその通りで、1時間の勉強をサボる正当な理由を見つけるのは難しいでしょう。つくづく反省しました。どれだけ多くの論点を見過ごしながら、「盗作」という言葉を使用していたか、その「ウカツさ」が次第に明らかになっていくのです。
特に「舞台用造形美術品事件の判例」は勉強になりました。「アートにおける盗作」を議論する人間であれば、サッとでもいいので、全文を一読すべき文章です。
http://www.u-pat.com/d-33.html
【判例】舞台用造形美術品事件
東京高裁平成11年(ネ)2937号・4828号.平成12年9月19日判決(6民)〔変更・棄却〕、最高裁三小平成14年9月24日決定(上告棄却)
http://www.u-pat.com/d-33.html
“(一〇) 仮に、前記表現手法やアイデアについて、著作権法上の保護を与えるならば、以後極めて長い期間にわたって、著作権者以外の何人も、頂部が偏平、等辺又は不等辺の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに、「内側に∩状先端を有する円柱様形態」の円柱様の造形物を描き、その彩色を濃い藍色と金色とするという表現手法やアイデアと同一あるいはこれと類似の表現手法やアイデアを含む創作活動を行うことができないこととなる。これが著作権という権利としてふさわしい範囲の保護といえないことは自明であり、著作権法1条にいう文化的所産の公正な利用に反し、文化の発展に寄与することを目指す著作権法の目的にも反するものというべきである”
「盗作」という言葉を使うのであれば、「著作権も論点に含まれる」と考えるのが自然です。そして、「著作権」を問題にするとき、「類似性」だけが「論点」ではないのですね。「公益性」も「論点」として考えるべきだと、今回の勉強でわかりました。
「水の泡の写真」の「著作権問題」を議論するのであれば、「小山泰介さんの泡の写真」「斉藤ちさとさんの泡の写真」のような「水の泡に関する一連の形式」を、「著作権として保護」したとき、そのような保護が「文化の発展という公益性」に寄与するのか、という問題提起が必要です。
「水の泡に関する一連の形式」のように一般性のある形式を、「著作権として保護」してしまえば、「文化の発展という公益性」を激しく害すると思います。
おそらく裁判になっても、「公益性」の観点から考えて、「盗作」とは認定されないでしょう。上に引用した判例でも述べられている通り、著作権法は「類似作を糾弾」することが目的ではなく、“文化の発展に寄与することを目指”しています。
「最低限の調査」もしないで「盗作」という言葉を主軸にして論じる、その「論点の立て方」そのものが軽率と批判される要素を含んでいる、これが私の結論です。著作権の問題にからめて、今回の騒動を議論するよりも、「類似性と作品論」という「おだやかな論点」で議論するべきだと思いました。そういう「おだやかな論点」であれば、このブログで議論する「必然性自体も薄まります」から、あくまでも「趣味の範囲」で、それぞれの「自発性」によって議論すればよいのです。「絶対議論すべきだ。“彦坂尚嘉さんの説明責任”に関わる問題だ」という意見には賛同できません。「彦坂尚嘉さんの説明責任」について議論するのであれば、もっとふさわしい「論点」を選択したほうが、建設的な議論になるでしょう。「ふさわしい論点の選択」、議論を建設的なものにするためには不可欠な要素です。
「舞台用造形美術品事件 」の判例文を一読して、「難しい」と感じた方には、ウィキペディアの「盗作」に関する記事をおすすすめします。
「盗作」
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%97%E4%BD%9C
“盗作と「盗作疑惑」
大抵、盗作行為の有無は、作者側または裁判所などの第三者機関が認めるなど、何らかの経緯を経て確定されることとなる。そのため、ある作品に盗作の疑惑がもたれても、すぐにそれを盗作とみなすことができず、結果的に、いわゆる「盗作疑惑」の段階で終わってしまう事例も多い。
欧米の法律・判例では、既存の作品の盗作が発覚した場合、その原作品の著作権者にそれなりの対価を払うことが一般的である。日本国の著作権法では、公衆に提示された作品が盗作であっても、具体的な表現でないアイディア・設定などの盗用である場合は、こうした法的制裁を設けていない。ただし、著作権法で保護されるものが表現であってアイディアではない点は、世界共通の認識である。
偶然他者の著作物と類似した作品が完成したときに、他者の著作物を盗用せずにそれを作っていたのであれば作品は盗作とならず、その作者のオリジナルであるとして認められる。また時折誤解されることがあるが、盗作とは他者の表現や独創性のあるアイディアを盗用して類似した作品を作ることであり、類似した作品を作ること全てが盗作となるわけではない。「~に影響を受けた作品」「~風の作品」と称されるものは作風の模倣であって、盗作には該当しない場合が多い。
インターネット普及後は、個人が「盗作疑惑」を議論し、公表することが容易になった。しかし、このようなインターネットにおける検証は、原作品の著作権者の意思に基づかないなど、本来の当事者が不在のまま行われる場合が多い。また、ありふれた類似点(物語の類型など)を羅列して根拠としていることや、従来その業界では「引用」程度と認識されている範疇(例えば音楽の場合、他の原作曲から全く同じメロディを1小節程度の長さだけ引用する程度)のものでさえ、素人判断で「これは盗作ではないか」と憶測し議論に発展させてしまうなど、問題点も少なくない。
盗作を摘発するには、民事訴訟を提起するほかに、マスコミなどのアクセス権を利用して世間に広く知らしめる方法がある。しかし、事実が確定していないものを盗作と断じ世に広めることは、事実の提示をした場合においても名誉毀損とみなされることがあり、その場合民事・刑事双方の案件となりえる。また、事実の提示をしない場合であっても侮辱罪となりえる。
なお、著作権侵害、名誉毀損及び侮辱罪は、いずれも親告罪である”
中野輝也さん
ほかのコメントにも書きましたが、特別望んでいる決着点なんてありません。また、以下のコメントも
>斉藤ちさとさんの気泡作品は、2005年秋には府中美術館の公開制
>作が行われています。
>小山泰介さんの写真は2007年の展示を写真集にまとめたもので
>す。
>斉藤さんの作品はストレートな写真ではなくて、炭酸水をいれる
>特性の薄い水槽を前に設置しての作為ある撮影。
>小山さんは基本的には対象に手を加えない撮影です。しかも画像
>は一点だけ。作品のメインの傾向は違うものです。
基本的には意味がないと思います。
方や2005年で方や2007年だから斉藤さんの作品が「盗作」(あえて話の流れからこの言葉を使いますが)ではないという理屈であれば、1980年代に同じような内容の作品を作った人(荒井由美のソーダ水の中を貨物船が通るってフレーズを写真にした人)の方が早いってことになりますよね。
また、その作品の成り立ちを根拠とする場合も大して役には立ちません。彦坂さんがいつも行っているような格付け方法のロジックで2つの作品を比べ評価してもらいたいだけです。その時の両作品の違いが、前述されている根拠なら全く意味がないと思っているのです。
私自身、彦坂さんが考える格付けに何らかの可能性があると思っているのですが、ここへ来てそれ自身が崩れてしまうようなことがあれば、残念だなと思っているだけなのです。
小比満さんへ
彦坂尚嘉さんの『アートの格付け』に対して、「小比満さん」はある程度の信頼を持っていて、今回の件でも『アートの格付け』を行えば、「アートの類似性におけるモラル的な懸念」を、吹き飛ばすことが可能である。「気体分子ギャラリー」で「斉藤ちさとさん」の作品を購入したお客さんに対しても「安心感」を与える事ができる。
という「論点」ですね。わかりやすい説明をありがとうございます。これまでに比べて、小比満さんの「論点」がわかってきました。
“特別望んでいる決着点なんてありません”
それは理解しましたが、「ある程度の決着点」を「想定」していないと、「いつ議論が終わるのか」という「不安感」を、このブログの読者達に与えてしまうのです。コメント欄に「早く議論を終わらせるべきだ」という意見が殺到して、彦坂尚嘉さんの「意図」と関係なく、「不完全燃焼の決着」になってしまう「危険性」があります。
“『アートの格付け』さえ行われれば、それを「仮の決着点」とする”
と理解しておいてもよろしいでしょうか?
誤読がありましたら、訂正をお願いします。
中野輝也さん
すいません、全体的なニュアンスが違うようです。
今回、2作品を並べて彦坂さんが格付けしてくれたものを見て私としてはこの一連の論争に終止符を打ちたいと思います。おそらくこれを見た人はこの論争の意味がよくわかったと思います。これ以降の論争は、ほかの場所でやった方が、迷惑が掛からないと思いますので。
誤読でした。申し訳ありません。
“すいません、全体的なニュアンスが違うようです”
“おそらくこれを見た人はこの論争の意味がよくわかったと思います”
読者それぞれの判断にゆだねるために、判断基準となる重要な記事でしたね。また議論する機会がありましたら、いっしょに論点を深めていきましょう。
作為的にされているのかもしれませんが、是非、私たち素人にも
>そしてもっと問題なのは、どちらがすぐれている絵であるのかの、
>判断なのです。
小山泰介さんと斉藤ちさとさんの作品を並べて判断していただけますか。
ほかの泡の画ならあまり意味がありません。また、どちらが先に作ったかと
いうような、特許のような話もしていません。あくまでも作品としての話です。
by 小比満 (2009-11-01 10:07)
小比満 様
こうゆう中で、小山さんの写真を問題にする事自体が、小山氏にたいして失礼です。
小山氏をこれ以上、巻き込みたくありません。
あなたがたの騒ぎは、美術のプロから見ると、極めて馬鹿馬鹿しいものです。
本当に病気としか言いようがありません。
斉藤ちさとさんの写真のクオリティは、凄まじい高さであって、
それは実物をご覧なさい。
by ヒコ (2009-11-01 10:27)