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アートの模倣をめぐる素人の議論 [アート論]

アートの模倣をめぐって、
素人が議論するのは、
実は、かなり難しいのです。

たとえば、次の作品を2枚見て下さい。

img10402008814.jpg

pic12.jpg

この2枚の富士山は、良く似た絵ですが、
これを、模倣関係として、指摘できると思いますか?

img10402008814のコピー.jpg

素人の眼と、玄人の眼では、まったく違うのです。
この良く似た絵を見て、
素人は、誰が描いたのかが、分からないでしょう。
玄人は、すぐに分かるのです。

そしてもっと問題なのは、どちらがすぐれている絵であるのかの、
判断なのです。

玄人と、素人では、眼が違うというのは、
例えば碁の世界でも、素人の人は分からない人がいるのです。

素人の人というのは、自分が素人で、眼が無いという事が
分からない。
ここが、まず、素人の特徴なのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、次の2枚の写真は、
模倣関係があるでしょうか?

1089092.jpg

「藍の泡」という作品です。
インテリア・アート系のギャラリーで、
定価が24,800円、販売価格9,980円(税込)で売られているものです。
これに、類似した作品があります。
これを模倣と言うのでしょうか?

Water_Tank2.jpg

両方共に泡の作品で、下から見上げている所も似ています。


Water_Tank2のコピー.jpg

この2枚の作品は、確かに似ているのですが、
これを模倣関係と言いえるのでしょうか?
黒い水の方は、今、このブログのコメントで、
中野輝也さんが「盗作」という危険な言葉まで使って、
話題にしている小山泰介さん写真『Water Tank 』です。

小山泰介さんの写真は、
中野輝也さんが言う様な「盗作」ではありません。
この様な類似性は、むしろ自然性であって、
たくさんの写真を見て行けば、自ずと分かるものなのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

中野輝也さんは、「盗作」という言葉を使っていますが、
こういう言葉を使うと、まず、名誉毀損で告訴されると、
この言葉だけで、敗訴する危険性が、非常に高いのです。

批評というのは、
名誉毀損の法律と、表現の自由の法律の矛盾領域にあるので、
批評作品として、きちんとした論文で書き、
その文章の責任が明示され、
公共の利益にプラスになるものでないと、
法廷で負けますよ。

批評とか評論というのは、
常に、敗訴する危険性の中で、
書かれているのです。

まず、六法全書を読む事です。

この敗訴の危険性の事は、実は、素人の人は理解していないのです。
ですから、私から見ると中野さんのコメントに、
対応したく無いのは、
中野輝也さんの犯罪に、私は連座したく無いからです。

中野輝也さんは、犯罪として敗訴する危険を犯しているのです。

素人と一緒に、「戦争」はできません。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

素人と玄人の差は、
まず、たくさんのものを見ていない事です。

それと眼差しが、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を
持っていないのです。

中野輝也さん
もっと世界をたくさん見て下さい。
たくさんを見なくては、
物事の判断は出来ないのです。

さて、私は玄人ですので、
泡の写真というのも、実はたくさん見ているのです。
以下は、私の泡の写真のささやかなコレクションです。
お楽しみください。

6254b430-0aea-49aa-8b1f-aedede0c687d.jpeg

bubble-1.jpg

green+bubbles-1600x1200.jpg

2006-06-24_Bubbles-725855.jpg

bubbles-2.jpg

bubbles-3.jpg

bubbles-water-transparent-design.jpg

Bubbles13r.jpg

bubbles480.jpg

bubble.jpg

big_bubbles_blossom.jpg

old_bubbles_big.jpg

cédric-porchez-bubbles.jpg

ist2_3828186-water-bubbles.jpg

bubbles.jpg

594_amazing-bubbles-3d-screensaver-640-1.jpg

Soap_bubbles_RGB.png

Soap_bubbles-jurvetson.jpg

In-the-bubbles-1.jpg

bubbles_1.jpg

bubbles-wallpaper.jpg

bubbles1.jpg

bubbles-1.jpg

cosmic-bubbles-f.jpg

中野さんに限りませんが、
多くの方々の視野が狭い事と、
芸術であると言う事が、理解されていない事です。

アーティストは、現実の写真を撮っているのではなくて、
もうひとつ別の事をしているのです。

そのアーティストの仕事が、
見えないのだろうと思います。

しかし、それは中野さんだけではないのです。
多くの人は、芸術がわかりません。

それは芸術が難しいからではありません。

芸術を正面から見ようとしないのですが、
それ以上に、現実を見ようとしないからです。

現実は多様で、実に複雑なのです。

このことと格闘する距離の中に、
芸術が存在します。

見る事の距離がアートなのです。

それは文字通り、技術です。

現実を、距離をもって、見る技術です。

泡の写真なんか、たくさんあるのですよ。
私は、当然のように、たくさんの泡の写真を見て来ているのです。

【続きは下記をクリックして下さい】
img10402008814.jpg

この富士山は、奥村土牛です。

《想像界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
《芸術》であって、《無芸術》《非芸術》《反芸術》ではない。



pic12.jpg

こちらは横山大観です。

《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》

《想像界》の表現
液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
《芸術》であって、《無芸術》《非芸術》《反芸術》ではない。

芸術的には、奥村土牛の作品が、圧倒的にすぐれています。
しかし、一般的には、それは理解されないでしょう。

なぜなら、多くの人は《想像界》の眼で見ているからです。

img10402008814のコピー.jpg
横山大観の富士      奥村土牛の富士

《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》    《想像界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》    《象徴界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》    《現実界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》


《想像界》の表現                  《想像界》《象徴界》《現実界》の重層的な表現
液体美術                       気体/液体/固体/絶対零度の多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》         《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術            シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』    《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
【A級美術】                    【A級美術】
《芸術》であって、                 《芸術》であって、
《無芸術》《非芸術》《反芸術》ではない。      《無芸術》《非芸術》《反芸術》ではない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

奥村土牛の方が、芸術的には、圧倒的な高さがあります。
しかし富士山の絵画としては、
横山大観の影響を受けていると言えます。
しかし、この時に、というのは芸術的にすぐれている場合、
奥村土牛が、横山大観を模倣しているとは言わないのです。

つまり、すぐれた芸術というのは、
その高さには、すぐには達し得なくて、
かならず、下敷きがあるからです。

すぐれた芸術をつくるためには、下敷きになるものがいります。

単独では、高みに達し得ないからです。

奥村土牛の日本画は、明治に出来た日本画というものの、
真に芸術としての最高に達し得た、大画家なのです。

しかし、この最高の日本画家が、
分からない日本人もいるのです。

チャンスがあれば
奥村土牛の本物の芸術的日本画を見て下さい。

タグ:奥村土牛
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小比満

作為的にされているのかもしれませんが、是非、私たち素人にも

>そしてもっと問題なのは、どちらがすぐれている絵であるのかの、
>判断なのです。

小山泰介さんと斉藤ちさとさんの作品を並べて判断していただけますか。ほかの泡の画ならあまり意味がありません。また、どちらが先に作ったかというような、特許のような話もしていません。あくまでも作品としての話です。
by 小比満 (2009-11-01 10:07) 

ヒコ

小比満 様
こうゆう中で、小山さんの写真を問題にする事自体が、小山氏にたいして失礼です。
小山氏をこれ以上、巻き込みたくありません。

あなたがたの騒ぎは、美術のプロから見ると、極めて馬鹿馬鹿しいものです。本当に病気としか言いようがありません。

斉藤ちさとさんの写真のクオリティは、凄まじい高さであって、それは実物をご覧なさい。
by ヒコ (2009-11-01 10:27) 

小比満

「こうゆう中」っておっしゃり方は、おそらく「盗作問題」ということを意味されているのかもしれませんが、誤解なさっているようですが、あなたの評価をお聞きしたいだけですよ。いつもされているように。

どういう場合が、失礼に当たるのか当たらないのか基準がわかりませんが。

斉藤さんのためにも、是非いつものようにお書きいただきたいと切に思いますが。情報社会の怖いところは、このような議論が後世残り続けることと、中途半端に終わると簡単に誤解できると言うことです。

まずいことは簡単に消してハイお終いと行かないのが、今の除法社会です。
by 小比満 (2009-11-01 10:52) 

moo

泡の写真、楽しませて頂きました^^
ありがとうございます。
by moo (2009-11-01 20:54) 

中野輝也

私の議論を発展させる形で「アートの模倣をめぐる素人の議論」という記事を書いてくださり、ありがとうございます。

「水の泡の写真に関する騒動」は、私が「主犯格」です。「小山泰介さん」「斉藤ちさとさん」「彦坂尚嘉さん」に多大な迷惑をおかけしています。申し訳ございません。「議論から手を引く」と宣言したばかりですが、この騒動が続くかぎり「主犯格の説明責任」は継続するので、私に対する「質問・批判」はできるだけ調査・返答させてもらいます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中野輝也さんは、「盗作」という言葉を使っていますが、
こういう言葉を使うと、まず、名誉毀損で告訴されると、
この言葉だけで、敗訴する危険性が、非常に高いのです。


批評というのは、
名誉毀損の法律と、表現の自由の法律の矛盾領域にあるので、
批評作品として、きちんとした論文で書き、
その文章の責任が明示され、
公共の利益にプラスになるものでないと、
法廷で負けますよ。


批評とか評論というのは、
常に、敗訴する危険性の中で、
書かれているのです。


まず、六法全書を読む事です。


この敗訴の危険性の事は、実は、素人の人は理解していないのです。
ですから、私から見ると中野さんのコメントに、
対応したく無いのは、
中野輝也さんの犯罪に、私は連座したく無いからです。


中野輝也さんは、犯罪として敗訴する危険を犯しているのです。


素人と一緒に、「戦争」はできません。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


彦坂尚嘉さんに「盗作」という言葉の「重み」を指摘されて、わたしは自分の「ウカツさ」を知りました。「盗作」という「重大な論点」で質問するのなら、「最低限の調査」をしてから、という心構えがすっぽりと欠落していたのです。調査をせずに、そのような質問をすれば、「悪意の質問」とみなされても、今の私は反論できません。

せめて
「“盗作”を批判された時、アーティストはどのように考えるべきか」
ではなくて
「“類似性”を指摘された時、アーティストはどのように考えるべきか」
と、「おだやかな論点」を立てて質問するべきでした。「最低限の調査もしていない」のに、無用な波風を立てる「盗作問題という“過激な論点”」を立てるべきではなかったと、反省しています。


“まず、六法全書を読む事です”

書棚から取り出し、ホコリをはたいてから、有斐閣の『平成18年度版 小六法』を20分ほど再読しました。それから「盗作」や「著作権法」をキーワードに検索して、1時間だけ勉強しました。「ネットで1時間だけ勉強」すると、実に多くのことがわかります。この件に関して「調査なくして発言権なし」というのはその通りで、1時間の勉強をサボる正当な理由を見つけるのは難しいでしょう。つくづく反省しました。どれだけ多くの論点を見過ごしながら、「盗作」という言葉を使用していたか、その「ウカツさ」が次第に明らかになっていくのです。

特に「舞台用造形美術品事件の判例」は勉強になりました。「アートにおける盗作」を議論する人間であれば、サッとでもいいので、全文を一読すべき文章です。

http://www.u-pat.com/d-33.html
【判例】舞台用造形美術品事件
東京高裁平成11年(ネ)2937号・4828号.平成12年9月19日判決(6民)〔変更・棄却〕、最高裁三小平成14年9月24日決定(上告棄却)
http://www.u-pat.com/d-33.html

“(一〇) 仮に、前記表現手法やアイデアについて、著作権法上の保護を与えるならば、以後極めて長い期間にわたって、著作権者以外の何人も、頂部が偏平、等辺又は不等辺の山形とされた縦長の四角形あるいは五角形のパネルに、「内側に∩状先端を有する円柱様形態」の円柱様の造形物を描き、その彩色を濃い藍色と金色とするという表現手法やアイデアと同一あるいはこれと類似の表現手法やアイデアを含む創作活動を行うことができないこととなる。これが著作権という権利としてふさわしい範囲の保護といえないことは自明であり、著作権法1条にいう文化的所産の公正な利用に反し、文化の発展に寄与することを目指す著作権法の目的にも反するものというべきである”


「盗作」という言葉を使うのであれば、「著作権も論点に含まれる」と考えるのが自然です。そして、「著作権」を問題にするとき、「類似性」だけが「論点」ではないのですね。「公益性」も「論点」として考えるべきだと、今回の勉強でわかりました。

「水の泡の写真」の「著作権問題」を議論するのであれば、「小山泰介さんの泡の写真」「斉藤ちさとさんの泡の写真」のような「水の泡に関する一連の形式」を、「著作権として保護」したとき、そのような保護が「文化の発展という公益性」に寄与するのか、という問題提起が必要です。

「水の泡に関する一連の形式」のように一般性のある形式を、「著作権として保護」してしまえば、「文化の発展という公益性」を激しく害すると思います。

おそらく裁判になっても、「公益性」の観点から考えて、「盗作」とは認定されないでしょう。上に引用した判例でも述べられている通り、著作権法は「類似作を糾弾」することが目的ではなく、“文化の発展に寄与することを目指”しています。



「最低限の調査」もしないで「盗作」という言葉を主軸にして論じる、その「論点の立て方」そのものが軽率と批判される要素を含んでいる、これが私の結論です。著作権の問題にからめて、今回の騒動を議論するよりも、「類似性と作品論」という「おだやかな論点」で議論するべきだと思いました。そういう「おだやかな論点」であれば、このブログで議論する「必然性自体も薄まります」から、あくまでも「趣味の範囲」で、それぞれの「自発性」によって議論すればよいのです。「絶対議論すべきだ。“彦坂尚嘉さんの説明責任”に関わる問題だ」という意見には賛同できません。「彦坂尚嘉さんの説明責任」について議論するのであれば、もっとふさわしい「論点」を選択したほうが、建設的な議論になるでしょう。「ふさわしい論点の選択」、議論を建設的なものにするためには不可欠な要素です。




「舞台用造形美術品事件 」の判例文を一読して、「難しい」と感じた方には、ウィキペディアの「盗作」に関する記事をおすすすめします。

「盗作」
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%97%E4%BD%9C


“盗作と「盗作疑惑」
大抵、盗作行為の有無は、作者側または裁判所などの第三者機関が認めるなど、何らかの経緯を経て確定されることとなる。そのため、ある作品に盗作の疑惑がもたれても、すぐにそれを盗作とみなすことができず、結果的に、いわゆる「盗作疑惑」の段階で終わってしまう事例も多い。

欧米の法律・判例では、既存の作品の盗作が発覚した場合、その原作品の著作権者にそれなりの対価を払うことが一般的である。日本国の著作権法では、公衆に提示された作品が盗作であっても、具体的な表現でないアイディア・設定などの盗用である場合は、こうした法的制裁を設けていない。ただし、著作権法で保護されるものが表現であってアイディアではない点は、世界共通の認識である。

偶然他者の著作物と類似した作品が完成したときに、他者の著作物を盗用せずにそれを作っていたのであれば作品は盗作とならず、その作者のオリジナルであるとして認められる。また時折誤解されることがあるが、盗作とは他者の表現や独創性のあるアイディアを盗用して類似した作品を作ることであり、類似した作品を作ること全てが盗作となるわけではない。「~に影響を受けた作品」「~風の作品」と称されるものは作風の模倣であって、盗作には該当しない場合が多い。

インターネット普及後は、個人が「盗作疑惑」を議論し、公表することが容易になった。しかし、このようなインターネットにおける検証は、原作品の著作権者の意思に基づかないなど、本来の当事者が不在のまま行われる場合が多い。また、ありふれた類似点(物語の類型など)を羅列して根拠としていることや、従来その業界では「引用」程度と認識されている範疇(例えば音楽の場合、他の原作曲から全く同じメロディを1小節程度の長さだけ引用する程度)のものでさえ、素人判断で「これは盗作ではないか」と憶測し議論に発展させてしまうなど、問題点も少なくない。

盗作を摘発するには、民事訴訟を提起するほかに、マスコミなどのアクセス権を利用して世間に広く知らしめる方法がある。しかし、事実が確定していないものを盗作と断じ世に広めることは、事実の提示をした場合においても名誉毀損とみなされることがあり、その場合民事・刑事双方の案件となりえる。また、事実の提示をしない場合であっても侮辱罪となりえる。

なお、著作権侵害、名誉毀損及び侮辱罪は、いずれも親告罪である”






この騒動は私が「主犯格」です。その「犯行記録」となる全発言をまとめました。この騒動が続くかぎり、私の説明責任は継続しているので、遠慮なく「質問・批判」をぶつけてきてください。調査・返答させてもらいます。

「“水の泡の写真”騒動における中野輝也の全発言」


すいません、盗作くさいって根拠は、スタジオボイスの2007年4月号、29ページに出ていた「小山泰介」さんの「気配を見る写真」です。
by こひ (2009-10-30 16:12)


さっそく調べてみました。
『Water Tank』
http://www.tiskkym.com/gallery/darkmatter/content/Water_Tank_large.html

「こひさんから指摘があった写真」は上記のURLにある写真だと思います。「気配を見る写真」が作品のタイトルかと勘違いしましたが、そうではないんですね。小山泰介さんの写真集『Dark Matter』に関する評論記事(小濱亮介)のタイトルでした。

『小濱亮介「気配を見る写真」STUDIO VOICE 2007年4月号』



小山泰介さんの写真集『Dark Matter』に収録されている作品群
http://www.tiskkym.com/gallery/darkmatter/index.html


小山泰介さんのサイトにあった出版物一覧
http://www.tiskkym.com/blog/02book/


小山泰介さんの写真集『Dark Matter』の内容説明

“庭のコード、白い球体、オレンジの光、水の泡、航空写真のような、26.5、グラフィティーテスト、ビニールヒモ、オイル、カモフラージュ、捕まった蠅、タオル、剥製、流れるインク、クマバチ。2006年にいくつかのエキシビジョンで発
表した作品を中心とした作品集です”

議論しやすい状況をつくるために、情報を取り急ぎ整理してみました。
そこから先の判断・評論は、それぞれが推し進めていけば良いと思います。
by 中野輝也 (2009-10-30 21:38)


もしよろしければ、小山泰介さんの写真作品『Water Tank 』に対する《言語判定法》による『アートの格付け』、斉藤ちさとさんの写真作品との相違点・共通点に対する評論、「“盗作”と批判された時、アーティストはどのように考えるべきか」、この3点をテーマにした記事を作成していただけないでしょうか?もちろん、1点だけでも十分です。

お忙しいでしょうから、一ヵ月後でも二ヵ月後でも、さらに後でも、喜んで待たせてもらいます。


小山泰介さんへのインタビュー

インタビュー:近藤ヒデノリ(TS編集長)
日時:2008年12月27日
場所:渋谷、宇田川カフェ

前半
http://www.tokyo-source.com/interview.php?ts=45
後半(『Water Tank』の写真掲載)
http://www.tokyo-source.com/interview.php?ts=45&p=2
by 中野輝也 (2009-10-30 21:40)


何かの役に立つかもしれないと考え、小山泰介さんに関する記事も集めてみました。私は「調査なくして発言権なし」の姿勢には一部共感しています。そのため、空回りに終わってしまう無意味な労力かもしれませんが、自分の発言に対してコストを払っていきたいと思います。


小山泰介さんへのインタビュー(public/image)
『Water Tank』の写真掲載
http://www.public-image.org/interview/2007/11/16/taisuke-koyama.html



小山泰介さんへのインタビュー(デジカメWatch Web写真界隈)

http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto/2007/09/27/7105.html



小山泰介さんへのインタビュー(withD)
http://withd.jp/news/interview/4269.html

小山泰介さんに関する記事(withD)
http://withd.jp/news/topics/000105/4250.html

小山泰介さんへのインタビュー(moonlinx)
http://magazine.moonlinx.jp/+art/000149.html


小山泰介さんのプロフィール記事(CBCNET)
http://www.cbc-net.com/article/2007/06/koyama_taisuke.php

小山泰介さんに関する記事(artscape)
http://artscape.jp/report/review/1205677_1735.html
by 中野輝也 (2009-10-30 21:48)


驚きました。
明らかにパクリですね。ヒコさんも知らなかったことでしょうから作家ご自身のコメントをうかがいたいと思います。
by 通りすがりです (2009-10-31 02:59)


「明らかにパクリ」というのは単純かつ早急な結論です。

盗作、パクリ、模倣、オマージュ、これらすべてニュアンスが異なりますが、どの言葉が最適なのか、どの言葉もあてはまらないのか、厳密に調査していません。

時期的にどちらが早かったのか厳密に調査していません。

偶然に一致した可能性を、厳密に調査していません。

「芸銃的に格上の作品は、たとえ後発でも模倣と呼ばれる事は少ない。あるいは、模倣である事が、評価の減少につながりにくい」。そういう芸術界の習慣が一部にあるので、まず芸術的な格の違いを調べる必要があります。まだ厳密に調査していません。

これら「水の泡の写真」は意外と、他の写真家もやっている可能性があります。一般化した方法であれば、誰が使用しても「パクリ」と呼ばれる事はありません。「水の泡の写真」の一般性・特殊性について、まだ厳密に調査していません。

調査をするまえに、早急な結論を出すのはどうかと思います。
by 中野輝也 (2009-10-31 04:10)




「彦坂尚嘉さん独自の言語」は共有可能なのか?

「いいえ」という「仮説」を持ったオオクラさんが質問を始め、「いいえ」という「結論」を持った桑島さんが便乗して「例の批判方法」を展開することになりました。


“注意点:中野輝也の犯行記録・全発言のということで、「オオクラさん」「桑島さん」の名前を出してしまう結果になりましたが、「オオクラさん」「桑島さん」は「水の泡の写真の論争」には不参加です”



「彦坂尚嘉さん独自の言語」は共有可能なのか?

中野輝也は「はい」と答えます。これは私の責任による「はい」です。


彦坂尚嘉さんの真似をして、《言語判定法》による『アートの格付け』に挑戦しました。彦坂尚嘉さん独自の言語を、果たして中野輝也は共有する事ができているのか?そういう実験です。


ひたすら読んで、彦坂尚嘉さんの思考パターンを機械的に分類してきた日々は、英語の文法を理論から学ぶことをあきらめて、英語の例文500パターンをひたすら丸暗記する勉強法と似ているかもしれません。


上手くいけば、「彦坂尚嘉さん独自の言語」は共有不可能な言語にあらず、ということになります。失敗した場合は、中野輝也の恥が広く公開されるだけのことです。


小山泰介さんの『Water Tank』
http://www.tiskkym.com/gallery/darkmatter/content/Water_Tank_large.html

《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》


《現実界》の美術
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアスアート》
《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術、シニフィエ(記号内容)性が無い
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】


《現実界》の美術であること、シニフィエ(記号内容)性が無いシニフィアン(記号表現)の美術であること、この2点において、斉藤ちさとさんの作品と相違しています。斉藤ちさとさんの作品より「ほんの少し狭い」領域にあるようです。

分かりやすい違いで言うと、水の泡が小さい事ですね。この水の泡がもっと大きくなれば、《象徴界》とシニフィエ(記号内容)性が増強されるでしょう。

さらに斉藤ちさとさんのような方法で、背景に花を入れれば、

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示

という具合に評価があがります。



私が実践した『アートの格付け』は感性だけでなく、知識による格付けです。知識とは、彦坂尚嘉さんの思考パターンです。良し悪しはともかく、彦坂尚嘉さんの思考を機械的にトレースするぐらいなら、いつかは可能でしょう。単純に、特訓の問題だと思います。「彦坂尚嘉さん独自の言語は共有できる」、これが私の仮説です。仮説を立証するためには、勉強あるのみです。
by 中野輝也 (2009-10-31 04:46)




斉藤ちさとさんの気泡作品は、2005年秋には府中美術館の公開制作が行われています。

小山泰介さんの写真は2007年の展示を写真集にまとめたものです。

斉藤さんの作品はストレートな写真ではなくて、炭酸水をいれる特性の薄い水槽を前に設置しての作為ある撮影。

小山さんは基本的には対象に手を加えない撮影です。しかも画像は一点だけ。作品のメインの傾向は違うものです。

普通に考えても両者には関連はないんじゃないでしょうか。「悪意がある」と言われてもしかたのないカキコミだと思います。

空しい人騒がせしないようにお願いします。両方の作家に極めて失礼。

by tsuno (2009-10-31 11:11)



tsuno さん

その件の騒動では、私が「主犯格」です。情報提供に感謝します。


斉藤ちさとさんの作品のほうが、発表が早い。
「2005年秋には府中美術館の公開制作」
「2007年の展示を写真集にまとめた」


手法において相違点がある

 「炭酸水をいれる特性の薄い水槽を前に設置しての作為ある撮影」
「基本的には対象に手を加えない撮影」

③ 
①②を総合すると、「普通に考えても両者には関連はない」と考えられる。


情報を整理してみると、斉藤ちさとさんへの疑惑が晴れて、結果的に私の「悪意」が浮かび上がりました。私が「調査する労力」を回避して、「質問・批判」という低コストな行動を選択したために、「斉藤ちさとさん」「彦坂尚嘉さん」に多大な迷惑をかけてしまいました。申し訳ございません。



小比満さん、私は「水の泡の写真」に関する議論から手を引きます。小比満さんを「みこし」にして巻き込んだうえ、置き去りにする形になりました。申し訳ございません。
by 中野輝也 (2009-10-31 23:54)
by 中野輝也 (2009-11-02 01:08) 

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