《無芸術》(加筆1) [アート論]
《無芸術》というのは、人間の官能への欲望を、
抑圧しないで成立させた表現の世界です。
つまり大脳皮質の抑圧が機能していない表現なのですが、
作品そのものに、官能性があるので、
この《無芸術》を、多くの人々は芸術作品として評価しています。
ティツアーノ、ゴヤ、マチス、アンリールソー、宗達など、
そうそうたるアーティストが《無芸術》の作家です。
しかしラファエロは、《無芸術》ではなくて、
《芸術》です。
《芸術》作品としてラファエロを見ると、
その美しさを、改めて見直すものとなります。
つまり大脳皮質による抑圧を持った作品が《芸術》です。
この《芸術》は、ある意味で《近代》において特化されたのです。
ポスト・モダンとなって、《芸術》の時代が終わった時に、
この《無芸術》の大量登場が起きました。
《無芸術》こそが、今日では芸術と信じられるようになったのです。
しかし1980年代、その百花撩乱の《無芸術》の多くは、
あっという間に、淘汰されたのです。
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