北村バンビ [アート論]
1976年横浜市生まれ
北村バンビの作品には《原芸術》と《世間体アート》の統合性があります。
彦坂尚嘉責任による北村バンビの芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
【A級美術】
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《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》《非芸術》《世間体アート》のすべてがある。
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【一般的なお断り】
《超1流》の才能というのは、自然性としてあって、
成人になるイニシエーションの前の段階では、多くの天才がいます。
しかし社会に入っていく段階で、子供からの連続性を持っている自我を殺して、
周辺の大人の自我をコピーして、凡庸になるのです。
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社会的に評価されると、社会化してしまって、才能は死にます。
賞をもらうとつぶれるというのは、普通のありふれた現象です。
私がこうして書く、私的な評価でも、それが原因で才能が終わるという事がおきます。
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ですので、才能を維持するのは難しいのです。
基本としては若い才能の賞味期限は短くて、実質3年だと言えます。
才能を、継続していくことは、極めて難しいのです。
あの天才ピカソですらが、後半は《第6次元》に落ちます。
さらに晩年にはピカソは《第8次元》まで落ちぶれて死ぬのです。
才能を維持し、目標を追い続ける事は難しいのです。
過去の偉大な先人と向き合い、偉大な芸術の困難さと偉大さを追い続ける精神が無いと、
すぐに社会的成功の中で、《世間体アート》の泥沼に沈んでしまうのです。
したがって、このブログで評価したからといって、
それは、今という時点での評価でしかありません。
それと作品の出来不出来というのはあって、
優れた作家のすべてが優れているわけではありません。
北村バンビでも、この2本のアニメーションを彦坂尚嘉は評価しますが、
それ以外の作品を、同じように評価しているのではありません。
出来不出来はあるのです。
最終的にはコレクターが、自分自身の決断で決定しなければなりません。
リスクはあるのです。
下手な鉄砲も数撃てば当たるということは真理であって、
コレクションにも努力が必要なのです。
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