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ツイッター小説 [告知]

ツイッター小説を、北美紀さんという女性と始めています。
ラカンの読書会に来て下さっている方で、
イメージフォーラムで映画を勉強なさった方です。

Author:北美紀(きたみのり)
またの名をロシーヌ
(これは、ハイアーセルフの名前)
戸籍の名前は北美紀 
どっちが本名なのだろう?

東京都下在住 
1972年生まれ
既婚 子供なし
山羊座 A型 

http://rosinu.blog63.fc2.com/

各自、交互にを前提に、140字以内の短いミニマリズムの小説を
書いて行くという、試みです。

《近代》という大きな物語が終わった現在、
小さな物語を集積して行く形での文学の可能性を模索する、
実験小説です。

2人でやるというのは、
私自身は、《近代》個人主義を解体して行く試みを、
1974年から始めていて、デュエット・シリーズを、
今までも、いろいろな形で展開していますが、
今回はツイッター小説という形になったのです。

つまり2つの面から、《近代》の小説表現を解体する試みです。

ある程度たまったら、このブログにアップするつもりです。

ニューヨーク在住の富井玲子さんが面白がってくれています。

ツイッターをやっている方で、興味を持って下さる方は、
下記を見て下さい。



写真212.jpg



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コメント 9

北美紀

 告知してくださりありがとうございます。
 がんばります〜〜。
 

by 北美紀 (2009-11-07 17:11) 

ヒコ

北美紀様
書いていると、文章が、お互いに変わって行きますね。良い勉強になると思います。
by ヒコ (2009-11-07 20:36) 

moo

面白そう、と言ってはいけないのかもしませまれが、、、興味あります^^
by moo (2009-11-07 21:54) 

moo

140文字いないですね。
ツイッターしていなくても登録できます?

by moo (2009-11-07 22:32) 

ヒコ

moo様
登録、簡単にできるはずです。
by ヒコ (2009-11-08 03:47) 

メメヒ

彦坂さんは、北さんのお顔はどうみておられますか?

スピリチャルうんぬん、占星術などは
彦坂さんのおっしゃるところの8次元では、と感じていました。

by メメヒ (2009-11-08 09:49) 

ヒコ

メメヒ様
ご質問ありがとうございます。
鋭いご指摘ですね。
北美紀さんは、ラカンの読書会に来てくれている方ですが、若い時期だけですがチャネリングをなさっていた方です。チャネリング というのは、何か高次の存在である神・死者・宇宙人等々などから、特別な能力によって情報を交信する霊媒のことです。シャーマニズムの一種と分類されるものです。
若い女性は、感覚が繊細です。《想像界》だけにいて、そこでの超越性が、こうした現象を生むのだろうと、素人考えですが推察しています。私自身も、実は似た様な経験は持っていて、自己史的には《想像界》の人であった事はあるのです。

北美紀さんのお顔ですが、ご指摘のように《第8次元》の《真性の人格》の方です。今も《想像界》の方です。
by ヒコ (2009-11-09 10:37) 

ファン太

美術手帖85年11月号での横尾忠則さんとの対談で、彦坂さんのご自身の制作について
「神々に対する畏怖心を感じるまで精神を集中して、ふっと目を開けて、それで作品がちょっとおかしければ考えて直す」
というような内容を話されていたと思います。読み方によってはある種チャネリング的と取れなくも無いですが、ご本で書かれていた「自作鑑賞性」みたいなことなのかな?とも思ったりしました。
この時期の彦坂さんは想像界的な要素が強かったのでしょうか?
随分古い対談ですが、私はこの記事を最近知って、お考えや語彙の変化を興味深く読みました。

by ファン太 (2009-11-13 01:44) 

ヒコ

ファンタ太様
 神々という場合には、呪術性があって、《想像界》を意味しますが、神という場合には、《象徴界》性をあらわすと考えられますが、私の中には、両面があります。
 私自身の世代は、魔術も学んでいます。エリファス・レヴィの『
高等魔術の教理と祭儀 』というのは重要なテキストで、ただこれを《想像界》の書であるとするのは、無理があります。
 カルロス・カスタネダの『ドン・ファンの教え』というシリーズも、何冊か読んでいます。
 人間の精神史というのは、呪術→世界宗教→科学→マネージメント学というふうに、重層的に進んで来ているので、最初にある呪術をキチンとマスターする事は重要なのです。つまり科学=現実界が、宗教=《象徴界》や、呪術=《想像界》を否定する時に、その「否定」という意味が問題なのです。
 
 人間は《想像界》で思考し、判断するのことが、一般的には最初にあります。
 それは運動領域では、決定的です。
 スポーツ選手には、イメージトレーニングが重要なのです。私の体験では、自転車の教育を、オリンピック選手から個人教授で受けていた事がありますが、イメージトレーニングが重要な訓練でした。
 空手もやっていますが、空手の型の訓練も、イメージトレーニング的な要素を強く持っています。
 つまり私たちの肉体を動かしているのは《想像界》なのです。
 ピアニストのはやびき練習にも、紙の鍵盤でのイメージトレーニングが欠かせません。
 絵画の基本も、イメージの部分が80%を占めるのです。
 
 旧約聖書を読むと、たくさんの見者(ボアイアン)が出て来ますが、こういうボアイアンの視覚というのは、ある種のチャンネリングの祖先のようなものです。
 北美紀さんの場合、台湾旅行で、満天の星空を見て、この大宇宙と一体化を体験なさっています。
 ラカン理論で言えば、大宇宙と鏡像関係を結んでいるのですね。

 禅宗の場合、基本は《現実界》への精神の超出ですが、その方法として教典という言語を介する事を否定して、先生との鏡像関係を作る事をしています。それは先生の肖像画である頂相(ちんそう)をも使うもので、ここでも《想像界》での対応を使っているのです。
 
 つまり《想像界》というものは、人間存在の基盤というか、下半身の部分であって、削除してしまう事は、得策ではないのです。
 
 《想像界》が、普通は子供の時に最初にあって、書き言葉を憶える過程で、想像界を否定する中で《象徴界》を確立する。さらにこの《象徴界》的な言語世界を否定する中で、《現実界》への超出をはたして、人間は精神の自立化をはたします。人間精神の重層的な領域の中で、《想像界》というのは、人間精神の大地なのです。
 
 《想像界》の否定は重要なのですが、それは《想像界》の削除を意味するものではないのです。否定という意味を、《近代》的に削除への希求としてとらえるのは、まずいのです。人間精神は、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的なものなのです。

by ヒコ (2009-11-30 11:13) 

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