小山 泰介氏と斉藤ちさと氏の写真作品 [アート論]
小山 泰介氏は、写真家です。
1978年、東京生まれ。東京在住。
刻々と変化していく都市を生物や自然と同じような有機体として
とらえ、都市の新陳代謝のような人工物の表面や状態、現象の細部を
撮影し、有機的で抽象度の高い写真作品を制作しているとのことです。
たいへんに広範なものを撮影しておられます。
下に掲載するものは、その展示風景の1つです。
小山泰介さんの写真は2007年の展示を写真集にまとめたものです。
斉藤さんの作品はストレートな写真ではなくて、炭酸水をいれる特性
小山さんは基本的には対象に手を加えない撮影です。しかも画像は
普通に考えても両者には関連はないんじゃないでしょうか。
空しい人騒がせしないようにお願いします。
球体が崩れているだけでアイデアはほとんど
斉藤さんのものですよね。
ご存知でしたか?
何しろ、真夜中に携帯にご丁寧に電話して来て、
メールを送りつけて来たので、
そのAさんの興奮の高さが分かります。
その後、この「名誉毀損事件」が起きて、
また、このAさんはメールを書いて来てくれましたが、
これはブログへの転載を嫌っている事が書かれていますので、
引用だけにします。
「水や気泡を媒介にして光の屈折を利
用する写真というのは誰でも考えそうなこと」で「結局、芸術
というのは、同じような技法を使って作られたとしても、個人
の卓越性に依拠する」ということです。
しかしこの引用の内容も間違いだらけで、
この《想像界》だけの人格と言うものが、
現実をきちんと捉えない様が見えて、愕然とします。
「水や気泡を媒介にして光の屈折を利用する写真というのは誰でも
考えそうなこと」という認識自体が、間違っています。
斉藤ちさと氏の作品というのは、初期のフォトグラムの米から始まって、
気泡に至り付いていて、特にビニールを使った作品ですが、
異常に手間のかかった関連作品の連鎖があるのです。
今回も、わざわざ水槽をつくり、写真器材の投資をし、
高額のラムダプリントを焼き、高額の額装をしているのです。
このひとつひとつの手間やお金だけでもたいへんなもので、
だれもが、このような徒労な、バカな写真にエネルギーを
注ぎ込めるものではないのです。
議論のしようがありません。
世界の捉え方が、根本的にちがうのです。
何故に、このように、Aさんは、くだらなく世界を見るのか?
事実に反することの連鎖で思考ができている。
ひとつひとつの事実の物質的時間的金銭的な負担と、
表現のリスクを見ないのです。
思考する機能が、不全です。
私の文章がひどい書き方で恐縮ですが、
馬鹿の壁が、現実に存在しているのです。
しかしAさんが、馬鹿なのか?
そんなことはありません。
彼自身は教師をしていて、青山学院を卒業の優秀な人です。
しかし、この優秀な人にとっても、
実は世界の構造は複雑すぎて、解釈や判断が間に合わないのです。
世界は類似に満ちているのです。
私にとっては、こういう類似作品というのは、
現実の中にはたくさんあるのは当然な事で、
まったく問題にならないのですが、Aさんには、
そうではないのです。
その類似を切り出して、妄想的な物語を作り出すのです。
このような物語の生産も、《想像界》の特徴です。
何よりも、ロイターの写真は芸術ではないのです。
芸術作品と、芸術ではない報道写真の類似性が、
何故に問題になるのか?
何故に、このような興奮が起きるのか?
彦坂尚嘉的に理論化すれば、
《想像界》だけの精神の中で起きる
《シニフィエ連鎖》という現象なのだろうと思います。
情報化社会では、環境全体がバーチャル化しているので、
《シニフィエ連鎖》が起きやすいのだろうと思います。
《シニフィエ連鎖》というのは、言語の非物質性の部分、
つまり脳内リアリティの領域だけで、連鎖反応を起こすのです。
つまり斉藤ちさと氏の写真を、「泡」とか、「泡の中に写る画像」と
いった、事象の説明的な情報だけでとらえているのです。
パロディ的にいうと、「富士山」を撮った写真があると、
この「富士」というシニフィエの部分だけ見て、
富士の絵画を「盗作」という風に、思い込んで興奮するのです。
ジャック・ラカンは《シニフィアン連鎖》を論じたのですが、
それは《近代》という、《現実界》への還元の強い時代の固有性で
あったと、私は思います。
情報化社会は、《サントーム》への還元の強い時代なのですが、
しかし表面的には《想像界》への還元性が行われているので、
《シニフィエ連鎖》がおきるのだろうと思われます。
情報化社会は、《シニフィエ連鎖》の時代なのです。
さて、ご希望が強いので、斉藤ちさと氏の作品と、類似写真の画像を
『アートの格付け』で芸術分析をしてみます。
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《シリアス・アート》
《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
《無芸術》であって、《芸術》《反芸術》《非芸術》ではない。
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》 《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》 《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》 《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現 《想像界》の作品
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現 気体美術
《シリアス・アート》 《気晴らしアート》
《ハイアート》 《ローアート》
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示 シニフィエの美術。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】 《原始写真》『ペンキ絵』【B級美術】
《無芸術》であって、《芸術》《反芸術》《非芸術》ではない。 《非芸術》であって、《芸術》《無芸術》《反芸術》ではない。
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》 《想像界》の眼で《第6次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》 《象徴界》の眼で《第6次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》 《現実界》の眼で《第6次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現 《想像界》の作品
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現 気体美術
《シリアス・アート》 《気晴らしアート》
《ハイアート》 《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示 シニフィエの美術。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】 《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
《無芸術》であって、《芸術》《反芸術》《非芸術》ではない。 《芸術》であって、《非芸術》《無芸術》《反芸術》ではない。
ありがとうございました。
彦坂さんはすでにお読みかもしれないけど。
http://www.kk.org/thetechnium/archives/2008/03/1000_true_fans.php
日本語訳もあります。
by 小比満 (2009-11-02 12:46)
感想です。
今回の件は私は盗作だとは思いません。見た目が全然(この度合いなのでしょうけど)違うからという理由です。
が、
両者の作品を比べる際、それぞれの作家の遍歴を述べたところで意味のないように思います。作品は作者と切り離されてそこにあるからです。ほんとはがんばったんだけどテストで0点とってしまった子どもを誉めている親の感情ように感じました。がんばったけど0点は0点ですからね。作品以外のことを述べられて比べられても。格付けに納得していないのは前と変わりありません。小山泰介さんの作品のメインの傾向など、気泡の作品から判断できませんから。
個人の感想でした。
by オオクラ (2009-11-02 12:56)
オオクラ様
興味深い反応と、ご意見です。
ですから、人格的な差によって、見え方が違うと言う指摘はしておいたのです。
まったく違う視覚世界を生きているのだと思います。
それはそれで仕方がないのではないでしょうか。
だから棲み分けを主張するのです。
お互いに、別の世界を棲んでいるのですよ。
分かれましょう。
このブログは、あなたは読まないで下さい。
私自身も、オオクラさんを説得する事は、あきらめましょう。
世界は多様でであるし、人間も多様であって、均質ではないのです。
馬鹿の壁は、お互いの間に、平等に存在していて、乗り越える事は出来ないのです。出来ない事は出来ないのですから、それは受け入れる事にしましょう。
オオクラさんの方が多数はなのですから、お幸せにお暮らしください。
by ヒコ (2009-11-02 13:15)
小比満様
ロングテールの問題は知ってはいましたが、これほど直裁に市場の問題として論じているのは、初めて読みました。
ブログにコピーして掲載させていただきました。
ありがとうございました。
by ヒコ (2009-11-02 13:39)
私のリクエストに答えて記事を書いてくださり、ありがとうございます。また、しつこいぐらいに宣言しておきますが、今回の騒動は私が「主犯格」です。私が「最低限の調査」をする「労力を回避」して、「質問・批判」という低コストな行動を選択し、しかもそれが「盗作問題」という「無用の波風」を立てる、客観的に見て「悪意」を感じさせる、「過激な論点」の立て方であったことが、私が理解している範囲の「罪・犯行」です。この騒動によって、「斉藤ちさとさん」「彦坂尚嘉さん」「小山泰介さん」に多大な迷惑をかけてしまいました。申し訳ございません。「主犯格としての説明責任」は継続させていきますので、私に対する「質問・批判」があれば、できるだけ「返答・調査」させてもらいます。
そして、私がコメント欄のなかで公開した、私の責任による『アートの格付け』は「偽物」です。「次元」に関する見きわめは「選択肢が多いので、難しそうだ」と覚悟していたので、不正解にはショックを受けていません。しかし比較的に自信のあった、
《現実界》の美術(3択問題、同時表示も考慮にいれると7択問題)
《シリアスアート》(2択問題、同時表示も考慮にいれると3択問題)
シニフィアン(記号表現)の美術(2択問題、同時表示も考慮にいれて3択問題)
のすべてにおいて、彦坂尚嘉さんの『アートの格付け』と相違、「ペケ」がついてしまいました。彦坂尚嘉さんの思考パターンをトレースできる能力を、現時点において、私が保有していない事をここに宣言します。「特訓」すれば身に付く性質の、「共有可能な言語」という「仮説」は、今でも捨てていませんが、すぐにでも証明しようとした、「あくまでも私個人の挑戦」は失敗です。引き続き、「仮説」を検証するために勉強していく予定です。
とりあえず3択問題から挑戦して、次は7択問題に挑戦、というように、少しずつ、受験英語の例文をパターン暗記をするつもりで、勉強計画を立てています。
今回の挑戦は、失敗してしまいましたが、勉強と言うのは「失敗」から学ぶものです。「勉強してから模試を受ける」という態度の受験生は「挫折」することが多く、「まず模試を受けて、自分の実力を理解したうえで、勉強を始める」という態度の受験生は「成功」することが多いと、個人的には感じています。彦坂尚嘉さんは、『アートの格付け』に関する講義を大学でなさっていると思うのですが、「試験問題」というのはあるのでしょうか。あるとすれば、「その試験」をいつか私も受けてみたいと思います。
by 中野輝也 (2009-11-02 15:21)
彦坂さま
コメントありがとうございます。コメントすら納得できないものであることは変わりませんが、とにかく、分かり合えないことは承知しました。
興味深い記事もあるのでこちらのブログはたまに見ていきます。嫌ならやらないでください。
世界は拡張しますし拡張させていくのがアーティストの成熟だと思っていますよ。他者をみることが芸術の本質です。
棲み分けをはっきり宣言してしまったあなたはアーティストとして怠惰と言わざるを得ません。
ぬるま湯につかった状態に気付いていないのですね。
ま、でもとにかくコメントはこれからは控えたいと思います。どうしても発言したいことがあれば言うので、「控えたい」です。
興味深い意見といっていただけるのはうれしいものです。
さてここで今ある場所で議論になっている問題を紹介しますのでぜひとも
こちらでも取り上げてもらえたらと思います。気に入らなかったら削除でいいですが、壁の向こうの「そちらの」考えが気になります。
先月末から始まった「ヨコハマ国際映像祭2009」、この参加アーティストである「藤幡正樹氏が出品を辞退」しました。理由は以下のブログに掲載されています。
http://www.art-it.asia/u/ab_fujihatam/
藤幡氏の作品は明日まで展示をしているようなので明日見に行くつもりですが、この問題を彦坂さんはどうとらえるか気になります。
それと映画作品についての彦坂さんの印象(或いは論理的な判断)を伺いたいところです。とりあげてもらいたい作家としてジャンリュックゴダールとセルゲイパラジャーノフの名前を挙げておきます。
お時間があればよろしくお願いsます。
by オオクラ (2009-11-03 01:29)
コヒミツさんの御意見が最も理論的だと感じてあえて質問しますが、両方比べての意見をお聞かせいただけますかね。
by Tamura (2009-11-03 17:23)
Tamuraさん
比べてみてご自分で判断されたことが正しいと思います。
私の意見はここには書きませんが、彦坂さんに送ったロングテールの問題が
答えになっていると思います。
by 小比満 (2009-11-06 10:01)