2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(1) [アート論]
2000年代日本アート論
越後妻有トリエンナーレを巡って
G8市民メディアセンター札幌実行委員会に参加。
1.『越後妻有トリエンナーレの中の名品を求めて巡るツアー』
今回、参加者20人で3泊4日の『越後妻有トリエンナーレ『大地の芸術祭』の中の名品を求めて巡るツアー』を組織して、コディネートして来たので、そのツアーと、その前の下見の中で見た作品を、ご報告したいと思います。
今回の企画者の彦坂尚嘉自身が、2つの場所での作品を越後妻有トリエンナーレに出品しているので、自分自身の作品を見せるという我田引水の意図は、明確にあるのです。中立的な記事を読む事を求める読者には不快なことかもしれませんが、現実でありますので、事前にお断りをしておきます。
なおこのツアーは、アートスタディーズという勉強会と、建築系ラジオの共同主催のものです。建築史/建築評論家の五十嵐太郎、建築家の山田幸司、松田達などの建築系の人々と、彦坂尚嘉、飯田啓子、秋元珠江、田嶋奈保子などのアーティスト、そしてギャラリストの玉田俊雄(タマダプロジェクト主宰)、さらに美術研究者やコレクター、学生、さらに田邊寛子や、木村静のような街起こしなのど地域市民運動をやっている人々も参加しています。
『名品を求めて巡るツアー』と名付けているのは、今こそ、感覚を研ぎ澄まし、自分の身体や脳や、自らの人格と教養の蓄積をかけた全身で感じることが重要だからです。
世間一般やマスコミを通じて空気や風聞として押し出されてくるお仕着せのアートではなく、自らの判断基準をもったアートを体感する意味で、ここで紹介する作品と向かい合いました。
とは言っても、彦坂尚嘉が彦坂尚嘉の作品を紹介し、説明する記事の部分では、当然のように中立性を求める読者の不審や疑念を呼ぶ記事となりますので、批判的に読んでいただくことをお願い致します。私自身に対する正統な批判には、正面から誠実に向き合いたいと思います。
今回の越後妻有トリエンナーレ名品ツアーで見た作品の中で、秀作をあげるとすると、先ずに山本想太郎の建具を使ったフロアーイベントとも言うべき作品だろうと思います。
次に紹介する彦坂尚嘉の間伐材をつかったフロアイベントと、床にものを敷くということで良く似た作品構造なのです。
山本想太郎は、1966年生まれの建築家です。早稲田大学理工学研究科(建築専攻)修士課程修了して坂倉建築研究所を経て、独立して山本想太郎設計アトリエを主宰しています。
今村創平、南泰裕らとともに建築家ネットワーック・プロスペクターをつくって活動して、前回の2006年には、このプロスペクターの作品として「コンタクト/足湯プロジェ」を
今回は、グループではなくて、一人で制作した作品です。
タバコの葉を乾燥させる倉庫として使われていた建物の内部に、庭のように歩く空間を作っています。
《第1次元〜第31次元》の多次元的な《真性の芸術》
ただし《超次元》と《第41次元》が無い。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術、ただしシニフィエ(記号内容)性が無い。
《透視立体》【A級美術】
山本想太郎の越後妻有トリエンナーレへの取り組みは、
これだけではなくて「妻有田中文男文庫」(作品番号10 2009年作品)
さらに、「安堀雄文記念館」(作品番号10 2006年作品)
「再構築」(作品番号31 2006年作品)、
「名ヶ山写真館」(作品番号36 2006年作品)と、
全部で5つもあるのです。
この精力的な活動の熱意が背景になって、今回の傑作が生まれたと思います。
さて、この山本想太郎の作品に呼応するかのように、建築の床面を、
あたかも外部の庭であるかのように反転させて、廃屋を芸術作品に
変貌させたのが彦坂尚嘉のフロアイベント2009(作品番号22)でした。
彦坂尚嘉は1946年うまれの美術家で、1970年多摩美術大学油彩科中退。
1969年に多摩美術大学の学園紛争のバリケードの中の造型作家同盟展という美術展でデビューしたアーティストです。そのときに出品したフロアイベントとウッドペインティングを、40年後の現在も展開し続けて継続制作しているという作家です。
今回の越後妻有トリエンナーレでは、田麦(作品番号22)という山村の廃屋ではフロアイベントの作品を展示し、もう一つ手塚貴晴のリノベーションしたイタリア・レストラン「黎の家」(作品番号229)の方には、ウッドペインティングの小品を5点展示しています。
コメント 0