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トマトの歌 [詩]

『さんげ』という詩集がある。

広島で被爆した正田篠枝という歌人の歌集です。

正田篠枝は、「ヒロシマの童女」と呼ばれた有名な方です。

彼女の私家版歌集『さんげ』は、
昭和21年3月、
米軍のCIC(占領軍民間情報局)監視を逃れて、非合法出版されました。

印刷した場所は、広島刑務所印刷部。
印刷部数は100部

収録された和歌は100首。

その中にトマトの歌があります。


焼死せし

(こ)が写真の前に

トマト置き

食べよ食べよと

母泣きくどく

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


目玉飛び

出て盲目(めしい)となりし

学童は

重さなり死にぬ

橋のたもとに

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


石炭に

あらず黒焦げの

人間なり

うずとつみあげ

トラック過ぎぬ

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ズロースも

着けず黒焦げの

人は女(をみな)

乳房たらして

泣きわめき行く

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

以上は
水田九八二郎著『原爆文献を読む』(中公文庫) からの引用です。
引用にあたって、分かち書きをしたこと、
一部を漢字にして読みやすくしています。
ブログサイトでの可読性を高める処置ですのでご了解ください。

こうした和歌の芸術性の高さと、
非合法出版という、果敢な表現意欲に、感動するものです。
こうした受苦の中には、芸術の一つの根拠があります。

『さんげ』の芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の詩歌
【A級詩歌】




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symplexus

どこまでもはてしなく続くとしか思えない
 人間という種族が編みなす残虐の歴史,
その系譜の中で生きる僕等に与えられた一片の希望とは何か.
 エチカは内なる声で絶えず行動することをささやき続けますが,
その行動の底流として僕自身が積みあげたロゴスのがらくたは
 周囲の希望や救いとはならない!
「宗教は疾走し,科学は愚鈍だ」というのはランボーの言葉です.
 解決でも救済でもない詩的表現がイルミナシオンであり
地獄の季節でした.
 もはや虚偽を許さない言葉,
  それは何故か生きて地獄を見たひとから搾り出される.

地上に落とされた灼熱の太陽,
 それは総てを焼き尽くす悪意そのものと言えましょう.
 焼き尽くすことがついに出来なかった最後の一片
 それが言葉となって生まれる,
  つまり新しい生命を持つ,
 そこに希望があるとはいえないでしょうか.
いささか状況は異なりますが
  旧ソ連時代の極限的抑圧を生きた詩人達;
例えばアフマートワとかツヴェターエワとかは  
 帝政ロシア時代の手法を守りながら
  それを越える永遠を手にしたように思えます.
”・・・・
だれのためにか さわやかな風は吹き,
だれのためにか 心うばう夕映えは燃えても,
知るよしもないわれら,
いずこにても 呪わしい鍵音と
衛兵の重い靴音をのみ 耳にするさだめ.
・・・
判決・・・すればたちまち 目には涙あふれ,
すがるべき一切のよすがを絶たれた身は,
生きながら心臓の一片をもがれた痛みにも,
仰のけに地べたに倒された辱しめにもたとえようか.
けれどもおまえは行く・・よろめきつつ・・女ひとり・・”
アンナ・アフマートワ;「献詞」より,江川 卓訳;
 現代詩集,集英社,1968
   
by symplexus (2009-06-18 23:07) 

上岡誠二

小学生のときに原爆について書かれた絵本を読んだ記憶があります。

学校から帰ったときにおやつとして井戸水をためたブリキのバケツで冷やれたトマトを楽しみに登校して、楽しみにしていたトマトを食べることのできなかった少女の話しです。

「トマト・原爆・絵本」で検索すると、松谷 みよ子文 司 修絵「まちんと」が並びますが、そのとき読んだのがこの絵本だったかどうか確信はもてません、、、。

その絵本を読んだ前後だったと記憶していますが、突然父親に広島に連れて行かれ、原爆ドームや原爆記念館を見学しました。その時に寄った父親の知人の畑ではじめてイチゴ畑を見て、その甘酸っぱいイチゴをほおばりました。

※トマトに白砂糖をかけるとイチゴの味に似ていたりします。

原爆とトマトがその絵本の作家のなかでもボクの中でも直結しているそのもとのイメージは、正田篠枝さんの「トマトの歌」なんだと、彦坂さんのアトリエにお邪魔したとき、この本を紹介されて強く感じました。

とにかく本を読んではじめて涙があふれてきたのはそのトマトにまつわる原爆の話しの絵本だったことを今しみじみ思い出しています。ボクが初めて恋したのもこの絵本の少女だったのだと。

本当かどうかは分かりませんが、瀬戸内海の対岸の松山から広島のキノコ雲が見えたと亡き父は言っていました。
by 上岡誠二 (2009-06-19 00:06) 

moo

ヒコさんがトマトを片手にとまと色…
ここでまた一つ解せました:)
by moo (2009-06-21 00:09) 

土井賢太郎

はじめまして彦坂さん。 どいけんと申します。

ロンドンのゴールドスミス大学のFine Art科に在学中に彦坂さんのブログを知りました。 
卒業制作の時も、彦坂さんの理論を応用させて頂きました。僕自身まだまだ若造なので、美術に関してはこのブログをよく拝見させていただいております。

 トマトと言えば、今日mixiにておもしろいコミュニティーがあり、彦坂さんのトマト作品にも通ずるものがあるので紹介します。

ご存知かもしれませんが、『ホームハイポニカ』という水耕栽培キットが売られてあり、そのデザインにトマトが使われていたので、よろしければ見てください。

ホームハイポニカ: http://www.kyowajpn.co.jp/hyponica/hhp/about/index.html

これからもよろしくお願いいたします。

けん
by 土井賢太郎 (2009-07-04 20:25) 

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