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蛸壷について/リテラシーという暴力(改題、最終章大幅加筆1) [生きる方法]

ここは2です。

彦坂尚嘉の《第41次元》アート1の記事を読みたい方は、
下記をクリックして下さい。
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/


蛸壷について/リテラシーという暴力

◆◆1◆蛸◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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タコは、軟体動物門 頭足綱 八腕形上目 タコ目に分類される動物です。

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海洋性の軟体動物で、主に岩礁や砂地で活動しています。
海にしか、いないのですね。

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複数の吸盤がついた8本の触手を特徴としています。
一般にはと呼んでいますが、
学術書などではと表現されるものです。

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無脊椎動物の中で最も高い知能を持っていて、色を見分けます。
形を認識する事や、問題を学習し解決する事ができるのです。 
身を守るためには、保護色に変色し、地形に合わせて体型を変えます。
その色や形を2年ほど記憶できることが知られているのです。

つまり知能が高いと言う意味では、人間に似ているのです。 

◆◆2◆蛸壺◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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タコは体を保護する固い殻などを持っておらず、
身を守るため普通、海底の岩場の中に潜んでいます。

体を保護する固い殻を持っていないと言う事では、
人間とタコは、良く似ていると言えます。

タコは、潮がゆるくなる時間帯を見計らい岩場から出てきては、
砂地などでイシガニや小魚、などを短時間で捕獲します。

潮が変わると慌てて住処に戻ろうとします。
隠れる場所の少ない砂地はタコにとって危険地帯であります。
そこに絶好の隠れ場所として蛸壺があれば、
タコはこれ幸いと入っていくのです。
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人間もまた、隠れ場所としての蛸壺を必要としていて、
多くの人は、蛸壺にこもる事が好きなのです。

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蛸壺(たこつぼ)は、タコを捕獲する目的で漁師が使う壺で、
明石がその発祥の地といわれます。
人間の蛸壺は、建築なのでしょうが、建築だけでなくて、
精神的にも、自分の内側にこもろうとする構造があって、
こうした心理的な自閉の構造が、蛸壺と言えるものなのです。

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タコのための蛸壺は主に横にして使うため、
多くは胴に平らな部分があって、
カマボコ型になっています。
これはの流れなどの影響を受けないようにするためなのです。
古くは首の部分のくびれた単純な素焼きの壺が用いられました。

海底から蛸壺を引き上げる際も、
壺から逃げるタコは滅多におらず、
蛸壺の中でじっとしています。
これが蛸壺漁の原理なのです。

◆◆3◆◆子宮回帰衝動◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

人間と言うのも、実は、蛸壺の中で、命を始めます。
つまり子宮ですが、お母さんの子宮と言う蛸壺の中で、
成長するのです。

ですから、臨月になって、この蛸壺から出産されると言う事が、
重要なことになります。

つまり子宮から出なければ、人生は始まらないのです。

この出産されること、つまり自分の生息し、安全である場所から
でることを、ネグリ/ハートの用語を借りて、
《脱領土化》と、ここでは呼んでおきます。

正確には、ドルーズ/ガタリの使った用語で、
どこかに根を張って動けないという蛸壺の心理状態が領土化ですが、
それを脱して、蛸壺の外に出て行くという出産化の運動が、
《脱領土化》です。

つまりアイディンティにこだわり、自分探しを追い求めて、
自己同一性を強引に形成しようとすると、
《自己愛》性人格障害になるのです。

その逆に、子宮回帰願望を抑圧して、
不安に打ち勝って、
外部に出て行く事によって、
人間は未来を獲得します。

しかし、外部に出る事は《恐怖》があるのです。
人生の秘密は、この外部へでる《恐怖》との格闘という
心理問題にあります。

多くの人は《恐怖》に負けて、安心できる蛸壺の中で、
人生を終えるのです。

ミューズは1993年結成のイギリスのバンド。
デビューアルバムは1999年。
2001年のセカンドアルバムで、独自性を確立した。

《想像界》の耳で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》。
《象徴界》の耳で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》。
《現実界》の耳で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アートの音楽》《ハイアートの音楽》

シニフィアン、シニフィエの同時表示の音楽。
【A級音楽】

彦坂尚嘉が芸術分析する限り、人類が作り出しえる最高の域に
達しているロックバンド。

◆◆4◆◆リテラシーという暴力◆◆◆◆◆◆◆

さて、蛸壺からの脱出というテーマの最終章だが、
なかなか書けるものではありません。

この蛸壺というのは、実際の蛸のための壷という事実から類推すれば、
あくまでも建築に比するべきものなのです。

つまり建築というシェルターから始めて、どれほどそのシェルターを
拡張しても、それはあくまでも外部の制度性であると言う事です。

現実の画廊の人たちと接すると、画廊という箱に閉じこもっている
面があって、それは画廊が文字通り蛸壺であることを示して
います。

気体分子ギャラリーが、ネット上に展開して、
直接には箱としての固定したギャラリーの存在である事を嫌うのは、
こうした蛸壺としての画廊のありようを、
私が選ぶ事を避けているからです。

しかしだからと言って、彦坂尚嘉の場合はアトリエを
持っている作家であって、アトリエもまた蛸壺である事には
変わりありません。

アトリエを持たないアーティストという存在のありようを、
イメージできなかったというのが、正直な所ですが、
今、私が若ければ、アトリエを持たないアーティストを
選ぶでしょう。

つまり時代の制約と言うのは、
どうしてもついて来ます。
自分が生まれた時代というのは、自分では選び得ないものですが、
その制約の内側に閉じ込められるのです。

その事自体は、
確実にあるにしろ、
実は、単純化して語れば1975/1991年というのは、
江戸時代から明治時代に代わった様な、
大きな時代変化でありました。

チョンマゲを切って、刀を捨てて、しかもを失うという、
そういう大きな変化であったのです。

具体的には情報革命が急速に進展して、
インターネットとコンピューターが重要な
リテラシーになったと言う事です。

リテラシー(literacy)というのは、
読み書きの出来ること(識字)です。

読み書きできること=文字を自由に扱えることから、
転じて教養、という意味になります。

今日では、コンピューターを使えて、
情報を操作できる、そういう新しい知識と、
それを操ることの出来る能力ということです。


コンピューター・リテラシーや、情報リテラシーが
要求される時代に変貌して、
それに伴って、社会変動と、芸術変動が、起きているのです。

つまり自分の生まれた時代や社会秩序という蛸壺が崩壊して、
新しい枠組みというものに、移行せざるを得なくなった。

新しい秩序もまた、新しい蛸壺であるという事実もまた生じている
のですが、
この情報リテラシーの必須化が、
この現在の変動の根底に存在しているのです。

古い蛸壺への回帰衝動は、
理解は出来ますし、何度もこうした回帰現象は起きるにしても、
根本は、古いリテラシーでは、
この現在を生き残り得ないと言う事です。

そしてこうした情報リテラシーの必要性への移行は、
実は暴力であると言う事です。

人類の歴史の中で、リテラシー、つまり識字の問題は、
実は暴力として出現して来ているのです。

文字を読み書きできるか出来ないかというのは、
差別を含む暴力なのです。

同様にコンピューターを使い、情報を操作出来るか否かの
あたらしいリテラシー=識字の習得の可否は、
暴力として出現しています。

つまり人類の歴史の中で、リテラシー=識字として出現してくる
文化の人工性は、暴力なのです。
この人工文化の暴力性が、今日ほど赤裸々に出現しているのも、
瞠目すべき現象です。

繰り返します。
識字=リテラシーは、暴力です。

この暴力が、古い蛸壺を壊したのです。

蛸が、蛸壺を壊されて、移動をしているのです。
新しい蛸壺を求めて・・・


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コメント 7

NY GAL

第2部への移行、おめでとうございます。
by NY GAL (2009-05-31 09:02) 

ヒコ

NY GAL様
ありがとうございます。
by ヒコ (2009-06-01 05:00) 

丈

移動する無数の蛸の群れと蛸壺に留まる多くの蛸の群れを幻視して、震撼いたしました。
by (2009-06-02 00:14) 

ヒコ

丈様
コメントありがとうございます。
すごい幻視ですね(笑)。
笑い事ではないのですが・・・・。
by ヒコ (2009-06-02 01:13) 

moo

昨夜
蛸壷の壷に嵌って寝ていません。
罪な方ですね~
これから寝ます^^)
by moo (2009-06-08 00:04) 

ヒコ

moo様
コメントありがとうございます。
お休みください。
by ヒコ (2009-06-09 11:00) 

symplexus

ちょっとコメントが遅くなってしまったのですが,
 この蛸壺の蛸のメタファーは個人だけでなく
    組織にもある程度当てはまりそうですね.
   大学の研究者は活発な交流を好む”遊牧民”と誤解されていますが,
  実は狭い枠を守るために汲々とする蛸壺の蛸だと思う時があります.
 かっては硬直的な組織として講座制がターゲットになっていたのですが,
それが教授の支配関係の桎梏から解放されても
 一向に自由な交流が活発化する気配が見られません.
 組織が硬直化して活力を失い,
  緩慢な死に向かう崩壊プロセスは
   歴史の研究対象としては面白いのですが,
  もっと頑強な背景を感じて憂鬱になります.
 これは医学部だと医局の崩壊と重なるのですが,
 ”白い巨塔”などとっくに無くなっているのに
  狭い不満は濁った沼地で悪臭を放って消えないのです.

 昨日(6月9日)の朝日の一面に興味ある記事が載っていました.
海外の研究機関で一ヶ月以上研究活動をした日本からの研究者は
 00年度の7674人がピークで年々減り続け,
  06年にはついに4163人になったというのです.
   政府の白書もついに若手研究者の”内向き志向”を指摘,
  上からの改革に乗り出すそうですが,
   アート分野のマイクロ・ポップとかの動きも有って
    蛸文化は急速に深化(進化?)してきているのではないでしょうか.
by symplexus (2009-06-10 14:40) 

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