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建築教育現場/個人美術館の模型 [建築]

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五十嵐太郎さんの東北大学の学生たちが、
課題制作で取り組んでいる「彦坂尚嘉美術館」の構想の、
途中経過を、画像で送って来てくれました。

個人美術館というのは、
私の夢としてであれ、あっても良いと他の方は思うでしょうが、
現実には、経営が難しくて、
すでにある個人美術館の苦境を知っていると、
夢でも自分の美術館というのは考えた事がありませんでした。

それだけに、今回の学生たちの構想は、
自分の限界を壊してくれる、
非常に新鮮な刺激になります。

しかも建設の敷地は、青山というのですから、
夢としても理想的です。

何しろ日本や韓国の現代美術館というのは、
駅から遠い僻地にあります。
それに対して欧米の重要な美術館は都市の中心に位置します。
その社会の中での芸術の位置が、美術館の建設の敷地の位置に
反映しているのです。
ですから、青山に彦坂尚嘉の個人美術館を建設するという事は、
まさに、欧米並みの理想の建設なのです。

「求めよ、さらば与えられん」と言いますから、
夢を持てないよりは、
夢を見る力を振り絞る事が重要だと思います。


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* 断面的に斜めの壁により、展示室を構成。

*こうきょびじゅつかこの他、巨大な皇居美術館を帝国美術館(?) が段階的に成長し、

覆い隠していく棟も計画中。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

川崎さんのプラン、大きそうですね。

壁が斜めですから、壁掛けの作品の掛け方を考えなければなりませんね。


作品を壁に付けるように、伝統的に考えて来た私の作品観というのは、

組み替えなければならないのかもしれません。


模型の精度が荒いので、良く分かりませんが、

作品展示を組み込んで、考えて下さるとありがたいです。


つまり伝統的な垂直の壁というのも、

美術館には必要なので、両方を考えて下さい。



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* 地階を「象徴界」、1 階を「想像界」、浮いたヴォリュームの2 階を「想像界」と

捉え、各「界」に合わせた作品を展示。 

*青山のショーウィンドウからヒントを得て、ガラスの壁面を平面的に何層にも重ね、

視覚効果を狙う。

*地階と浮いたヴォリュームが主要な作品展示空間。地階は3層吹き抜けで、

GL から見下ろせるような展示。

 

 

北本さんの《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ

重層的な建築というのは、コンセプトとして新鮮です。

私は、作品を《想像界》《象徴界》《現実界》に分離しては作ってこなくて、

むしろ統合を目指し、多様なものの重層的な表現を追求して来ました。

それが出来るようになると、

逆に、北本さんのプランのように、3界に分離する必要が見えて来ます。

なぜなら、人間は必ずしもラカンの言うようには3界を

合わせ持った人格者というのは、少ないからです。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界に美術館の階層があれば、

各自、好きな所に行って鑑賞することができます。

そういう意味では、統合されたサントームの階も作って下さると

良いと思います。

つまり4層の美術館です。


 

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* 最厚1mの厚いかべに溝のような開口を開けることより、薄い壁ではできない展示室

内の関係性を生み出す。

*壁は平面的に斜めに構成。

*壁面をしっかり閉じないことで、青山の人々にとっての散歩道になるような空間を

めざす。


青島さんのコンセプトは、今ひとつ私には理解できませんが、

1メートルの厚い壁というものが、どのような空間をつくるのか?

興味深いです。


美術館に限らないですが、情報化社会の建築というのは、

管理社会特有のセキュリティの問題があります。

五十嵐太郎さんが書いている『過防備都市』という問題です。

つまり現実に、セキュリティを放棄できない事情が美術館や

ギャラリーにはあるのです。

越後妻有トリエンナーレの蔡國強のドラゴン美術館のような、

無防備美術館を構想することも可能ではありますが、

そうであるなら、過防備地区と、無防備地区との2重性の

ある建築は、あり得るかもしれません。

金沢21世紀美術館には、こうした2重構造性の萌芽があって、

それが開放感を生んでいましたから、

その更なる展開は、ありえるでしょうね。

それこそ無防備地区は、作品を好きに持って行けるということも

あって良いかもしれません。



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*美術館の一部を爆破することにより、エントランスを生成。爆破が開館の合図。

*いくつものエレベータ内に作品を展示、エレベータに乗り込むと大きな展示空間や

マンションの一室など、様々な空間に移行。

*屋根は曲面ガラスによる大屋根で構成。


三浦さんのプランは、爆破とか、曲面ガラスの大屋根とか、

派手ですね。

エレベーターに作品を展示というのも、面白いアイディアですね。

展示というよりもインスタレーション作品にするのでしょうね。




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*浮島がいくつも浮かんでいる一室の展示空間。

*作品を見渡せるように( ? )、巨大な半円の壁面に平面作品を一同に並べる。


三木さんの、浮き島の様な展示スペースというのも、

私の考えつかない事です。

台座部分が過剰化した美術館建築というのは、あり得るでしょうね。


しかし、同時に、まったく普通のニュートラルな展示スペースも

合わせて持っている事が必要です。


巨大な半円の壁面というのも、

実は伝統的な作品というのは、円形の壁面に対しては制作時に

考えていないので、

旧作を展示する普通のフラットな平面の壁面も、合わせて持っている

そういう2重性が必要です。





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*皇居美術館のヴォリュームを巨大化→反転させ、それ自体を美術館とする、

中央のヴォイドに皇居美術館を抱えるという美術館。

*直方体の外壁は帝国美術館をイメージ。



皇居美術館を中心に据えるというのは、

良いですね。

それは新鮮です。

彦坂尚嘉の皇居美術館は、あくまでも建築模型彫刻ですので、

それが、ある意味での中心と考えて、彦坂尚嘉の作品全体を

とらえるというのは、考えてみる値打ちがあります。


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*みずからの尾を加える「ウロボロス」から着想をえて、分棟配置された展示室を

チューブでつなぎ、来館者を一周させる。

*曲面で掘り込まれた部分は新人アーティストや彦坂さんの制作場所や展示場所。

来館者はそこへは行けない。


来館者はそこに行けないというのは、

透明な壁面で区切った場合には、2重性があって、

行けないと言う面と、解放されて見えると言う面とありますね。

せんだいメディアテイクの透明な壁面の開放性と過剰性は、

新鮮でしたので、そういう構成はあり得るでしょうね。




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*青山のショーウィンドウ性に着目。都市区画の延長として展示室のヴォリュームを

構成。

*24 時間楽しめる美術館。例えば右の画像の展示室では、黄色の線で書かれた部分に

ガラスが入るが、営業後でもガラスの外から

展示が楽しめるウィンドウショッピング的美術鑑賞体験ができる。


チェホンジュンさんのショーウインドウ型の美術館というのは、

新鮮だと思います。24時間見られるというのも、

この現代の不眠都市現状を体現していて面白いと思います。


展示替えは、重要になるので、

その辺を、何か考える必要がありますね。


ガラス面も曲面や波形というのもあり得ますね。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


彦坂尚嘉は11月24日に仙台に行きますが、

その前の17日には、建築家の新堀学さんが、行って下さって、

途中の講評をしてくださいます。

それもあって、先日、新堀さんはわざわざ藤沢まで来て下さって、

私と打ち合わせをして下さいました。


美術館建築というものの伝統性を知らない学生の斬新さを評価する面と

《近代》の集約としての美術館システムを学習する問題の

2重せいがあるという、その辺の案配の問題でした。


美術館というのは、単なる展示スペースではなくて、

実は収集と保管を基本に、学術的な研究の場所であったのです。


彦坂的には、パリのピカソ美術館が楽しかったという、

思いがあります。

あれは古いお城のリノベーションでした。

新築美術館が、斬新さと、学問の場としての伝統性とを

合わせ持つものであって欲しいと思います。


採光と、耐光性、空調、収納庫、学芸員室、図書館、

情報検索システム、そして他の美術館やアーティスト、

そして観客、さらには市場とつながった情報有機体として美術館を

構想するアーキテクチャーが必要なのです。

今日の複雑さは、人類史上ないものです。

それを少しでも考えて下さればと思います。



 

 




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新しい美術館 [建築]

さて、五十嵐太郎さんの学生の方々の、今回の課題演習の最初の発表に立ち会いました。11月には、仙台に行って、最終の発表を見る予定になっています。その途中には建築家の新堀学さんが見て講評をする中間提示もあるそうです。

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学生の設計という事で期待しないで見たせいもありますが、まずは、その予想を超えた新しさに驚きました。普通にというか、私の世代が考える美術館というものと、若い学生たちが考えるものは、まったく違っていて、金沢の21世紀美術館が、より開かれたものになっていっているというイメージのものでした。

 



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観客との開かれた接点を多くするために、例えばショーウインドーのような展示で、街を歩いている感覚で、美術館が作られていて、ウインドウ・ショッピングのように観客が作品を見るという調子です。個人美術館でありながら、多様な作品と、皇居美術館や新人アーティストを展示するスペースが連動しているなど、広がりがあります。もっとも五十嵐さんが指摘していましたが、収蔵庫や館長室、学芸員室などの基本的なバックヤードがありませんでした。

 

空間的な変貌でいうと、作品が空中に浮いているとか、壁が曲面で、その曲面に作品をつけるなど、従来の常識としての展示壁面を超えるプランがありました。これも考えていなかっただけに驚きがありました。実はウッドペインティングは、当初から作品の裏に描くか? という課題があったのです。現在の様な情報化社会になると、美術作品を空中に浮かして、両面から見るというか、つまり3ディメンション・ペインティングというのも、リアルにあり得る状態になって来ているのです。

 

五十嵐さんによると、普通の課題制作は、抽象的なもので、今回のように彦坂尚嘉という具体的な作家が施主としているという課題演習は初めてだそうです。しかも敷地は青山で、まあ、あくまでも演習であり空想なのですが、それでも、考えても見なかったそういう想定というのは、極めて刺激的で、自分自身がいかに固定観念の中にいるものかが良く分かります。

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自分の中では、フロアイベントのパーマネント展示のスペースを作りたいと考えるようになりました。パーマネントものは、四国のソフトマシーン美術館の馬小屋に、FRPを使ってひとつ作っています。今回は16畳間くらいで、廊下もあって、畳の部屋。そこにコタツや、家具があるのですが、床面がガラス板で、空中に浮いていて、浮いている下に畳のスペースがあって、ガラスの上に家具が置かれている。家具と畳の間にガラスの床と、その下の空間があるというようなものを考えています。ガラスの床は、壁のへりだけで支えられていて、人が歩くとしなうようなものを考えます。






タグ:五十嵐太郎
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人工芝 [建築]

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家庭用のジョイント式人工芝を10枚買いました。
想像以上に高性能で、ジョイントの簡単さと強さに感心しました。

犬を飼っているのですが、犬の部屋の下に敷いたのです。
コンクリートなので、いろいろなものを使って来たのですが、
うまく行かなかったのが、今回は今の所順調で、
犬も喜んでいます。
犬はラブラドール・レトリーバーのイエローです。
年齢は10歳で、高齢化しています。

名前はルーカス。

山本陽子さんの犬と同じ名前です。
嫌だなと思ったのですが、気がつくのが遅くて、
後の祭りでした。

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批評とジャーナリズムと笑い [建築]

第4回カルチベートトーク(2)「批評とジャーナリズムと笑いとモラルをめぐって」

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通称「こたつ問題」を決着させるための討議(その2)。いよいよ討議開始。「欠席裁判」収録時を振り返りながら、五十嵐、山田、松田からそれぞれコメント。他の越後妻有参加アーティストからの現地情報を説明するコメントや、建築系ラジオおなじみコメンテーター武智仁志さんからの愛あるコメントも。会場内と会場外をTwitterと映像が結びながら、議論が進みます。いったい「建築系ラジオ」とは何なのか?批評なのか?ジャーナリズムなのか?笑いはよいのか?モラルはあるのか?公的なものか私的なものか?アートと建築の違いとは?「欠席裁判」は「裁判劇」か?電波ラジオとポッドキャストの違いとは?メディアとしての自覚は?などなど。二重化された「『こたつ問題』問題」をめぐる様々な疑問に対し、それぞれの考え方と意見が議論されていく。会場外からのヤジも飛ぶ(2008年9月28日、 建築会館会議室にて)。

第4回カルチベートトーク
聴く: 第4回カルチベートトーク(2)「批評とジャーナリズムと笑いとモラルをめぐって」
(MP3形式、31.0MB、45分09秒)

出演者:彦坂尚嘉+五十嵐太郎+山田幸司+松田達
会場の発言者:暮沢剛巳

関連URL:
第4回カルチベートトーク用公開ページ
#kotatsu発言簡易まとめサイト

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一の橋公園の噴水/マドンナと菊池凛子 [建築]

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《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
芸術と反芸術の同時表示

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視立体》【A級美術】




写真:一の橋公園外観

首都高速一の橋インターチェンジの下にある公園です。

湧水を利用した噴水がこの公園の特徴で、
有名なものです。

マドンナのプロモーションビデオの撮影に使われ、
短いシーンですが出てくる所です。
これを見て来ました。

噴水が驚くべきもので、《超1流》です。

毎正時、古川の両岸から噴出する水のアーチは必見ですということでしたが、
しかし平成21年5月中ごろから東京都の古川地下調節池工事のため、
公園の一部が利用できなくなっていて、全貌はみられませんでした。

それでも、なかなかのもので、創造性の高さは評価できます。

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こう見ると、ただの汚い円筒ですが、
水が円筒の上から流れ落ちていて、
人々はこの円筒をくぐって歩いて来ます。

実物は芸術的に美しいものです
菊池凛子の映画『バベル』には、
この噴水がちゃんと写っていて、美しさが分かります。

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同じ様な円筒の構造が二つあって、これがもうひとつです。

さて、マドンナのプロモーションビデオですが、
2006年9月、「Confessions Tour」のため、東京に滞在中に
マドンナ自身初での撮影を敢行しています。

ダンサーは歌舞伎町や渋谷、横浜等で撮影。
マドンナは、新宿のネオン街をイメージしたセットで激しく踊ています。

東京を舞台に撮影されもで、
カタカナの「マドンナ」の字がたくさん出て来ます。

その中に、瞬間的ですが一の橋の噴水公園が出て来ます。

曲は、「Jump(ジャンプ)」です。
アルバム「Confessions On A Dance Floor」からの4枚目のシングルで、
歌詞からして、ポップなダンスソングです。



《想像界》の眼で《第1次元〜第31次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第2次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第1次元〜第31次元》の《真性の芸術》

《想像界》の音楽
気体音楽

《気晴らし音楽》《ローアート》

シニフィエ(記号内容)の音楽
《原始音楽》【B級音楽】

マドンナの音楽は、1980年代のシュミレーショニズムの構造を、
非常に良く体現している音楽です。
1980年代の美術を考える時に、マドンナの成果は、
ひとつの基準になるものになっています。

1980年代のポップスは、時代的にはプリンスの時代で、
その前衛主義は、素晴らしいものでした。

そして、少し遅れて追撃したマドンナは、
音楽的にも少し落ちていたのです。
しかし両者とも《第2次元 技術領域》のポップミュージックでした。

ですが、マドンナの歌詞の傑出性と、インタビューの良さは
眼を見張るものがありました。

そして写真集「セックス」と、アルバム『エロチカ』において、
マドンナは、《第1次元 社会的理性領域》 にジャンプしたのです。
普通エロというのは、《第21次元 愛欲領域》であって、
このエロ領域は、社会的理性は厳しく禁止し抑圧しているのです。

しかしマドンナの『エロチカ』と『セックス』は、
エロを主題にしながら、見事に《第1次元》の社会的理性領域性を
獲得すると言う、サーカスの様な逆立を成立させたのです。

マドンナに見られる、下層構造への直視の視線と、
それと同時に、それを抑圧して「フリ」としてなぞる構造を乗せる
という自覚が、
写真集『セックス』の高度な表現に結実します。

そこにあるのは、従来の猥褻性ではなくて、
リアルな猥褻世界の危険な病的性を直視しつつ、
エイズに対する安全性の確保を主張しつつ示される
ファンタジーの疑似猥褻なのです。

ヘリコプターにぶら下がったり、ストリートでの全裸でタクシーを拾ったりなど、
果敢なマドンナのヌード写真の美しさは、高く評価できるものでありました。


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『エロチカ』の成功で、マドンナはプリンスを打倒します。
上に載せたマドンナの筋肉を見ても分かりますが、
マドンナは男性化して行くのであり、
その知性の輝きは、従来の女性歌手のものではありません。


プリンスは停滞し、挫折し、
新興宗教「ものみの塔」に入信してしまいます。

《第2次元 技術領域》から、《第1次元 社会的理性領域》 に
ジャンプしたマドンナの展開は、
極めてまれな展開であって、高く評価できます。

人間は普通、同じ次元で生きて、
違う次元にジャンプする事は、なかなか出来ないからです。

マドンナの知性の傑出性は、
1980年代のシュミレーショニズムの基本構造を良く体現していて、
このプロモーションビデオにも良く現れていて、
私は高く評価できます。

マドンナは、ポップミュージックの歴史の推進力を、
クラブやストリートのダンスとその音楽の
《第6次元 自然領域》に見い出しています。

その《第6次元 自然領域》の上に、
この下層芸術をシュミレーションした《第1次元 社会的理性領域》 を
乗せているのです。
この二重構造性を極めて自覚的に展開する所に、
マドンナの聡明な知性が光ります。

逆に言えば、日本の1980年代の工作少女たちは、
このマドンナ的なシュミレーショニズムの手法に見られる
2重構造性を自覚し、手法化することを獲得できない事で、
失墜して行きます。


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情報漏洩/こたつ問題の往復メール(改題) [建築]

リークというのは、日本語で言えば情報漏洩(じょうほうろうえい)
ということです。
内部の機密情報などが外部に漏れてしまうことを言います。

2000年以降、特に個人情報漏洩が社会的な問題となっています。

さて、ここで、私はリークをしするかどうか考えていています。
それは建築系ラジオの内部情報です。

建築系ラジオの人々との人間関係と、信用問題で言えば、
リークをしない方が、私の立場の保身としては良いと思います。

私自身は、ブログで、マズい事を暴露的に書いているように思われて
いますが、実は多くの事について沈黙しているのであって、
書いていない事実は、多いのです。

多弁な人間は、実は重要な事は沈黙する事で成立しています。

美術業界の醜悪さや矮小な事実は、実は知っていても、
それほど書いていないのです。

その意味で私のブログは『噂の真相』を目指していません。
実際『噂の真相』という雑誌も1度しか買った事がありません。

私自身は、美しい事が好きで、汚いものを、出来れば見たいとは、
思わない保守的な人間なのです。

しかし、にもかかわらず事実は事実として直視して行かないと、
アーティストとしては成立しません。
芸術の根幹にはリアリズムの精神があるのです。

さて、長い前置きと、言い訳の後でリークするのは、
明日の建築会館で催される会に関係する内部情報です。

リークする事が、モラルに反する事を知ってはいますが、
情報公開する事が、今回のこたつ問題に関して公共的利益に合致する
と、考えるからです。

こたつ問題の当事者の社会的責任と、その主体の闇の部分を、
生な情報で見る事が、今回の問題と正面から見る上で重要だと
考えます。
闇といっても、それは《優しさ》の問題です。

モラルに反するにしても、
当事者たちの、柔らかな《優しさ》の部分を、
出来るだけ直接に知っておかないと、
枝葉だけが増殖してしまいます。

結果ではなくて、原因そのものの根っこを、
直に見る努力が、
物事には必要なのです。

さて、以下は、その非公開の私信メールです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

From:    ta2@tke.att.ne.jp

Subject:  [Fwd: Re: 御無沙汰しております。]

Date:  2009913 16:13:12:JST

To:    core-member@radio., 彦坂尚嘉



 

金曜日の夕方に、

こういうメールをこたつ問題の二人に

出しています。


最初に東大での彼らの先生だった鵜飼さんから

メールを出してもらい、その後に、

僕からメールを出しているのですが、

今のところ返事はありません。


何か動きがあった段階で、

またご連絡します。


松田

 

 

-------- Original Message --------

Subject:  Re: 御無沙汰しております。

Date:  Fri, 11 Sep 2009 16:18:43 +0900

From:  Tatsu Matsuda

To: pop-up-tokyo

CC:  Tetsuya UKAI 


 

 


Tatsu Matsuda さんは書きました:

大杉哲也 様、伊藤友隆 様

cc: 鵜飼哲矢 様


はじめまして。

松田達と申します。

鵜飼さんからお二人の連絡先を教えて頂き、

メールいたします。


もしかしたらご存知かもしれませんが、

東大では、生研の方にいました。

99年に修士を出ているので、

学年はかなり離れているかと思います。


現在、鵜飼さんや五十嵐太郎さんとともに、

建築文化事業委員会の委員をしているのですが、

そちらでカルチベートトークというイベントがあり、

9月28日に、アーティストの彦坂尚嘉さんという人をお招きして、

建築会館にて下記のようなトーク&ディスカッションイベントを

行います。

http://news-sv.aij.or.jp/jnetwork/scripts/view30.asp?sc_id=2372


お二人の作品を様々な媒体や

越後妻有トリエンナーレにて拝見しまして、

おそらく、若い世代の建築家を代表しているところもあると思い、

お話を伺ってみたいと思いました。

お忙しいかと思いますが、特に後半のディスカッションにおいて、

お二人にゲストとして、議論に加わって頂ければと思っていますが、

いかがでしょうか。


彦坂さんは、現代美術でこたつを用いた作品を

最初につくったアーティストとして、

「こたつ」を通した40年について語るという意味でも、

お二人に来てほしいと思っています。


また、五十嵐太郎さんとは、建築系ラジオという

ネットラジオの試みを昨年から行っており、

聞き苦しい点もあるかもしれませんが、お二人の作品を

取り上げさせて頂きました。

おふたりの作品の制作過程の大変だったところなど、

語って頂ければと思います。

http://radio.tatsumatsuda.com/


僕個人としては、こたつの作品に投影された

現代建築の状況そのものを、語るという展開に

できればと思っています。


いろいろと思われることはあるかもしれませんが、

お二人とお話しできることを楽しみにしておりますので、

ご検討頂ければ幸いです。御返事お待ちしています。


松田達・建築文化事業委員会委員



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こたつ問題・再考 [建築]

上岡誠二さんから、次の様なコメントをいただいた。


ボクは最初の計画のこたつの方がつまらなく感じます。
あくまでもそれはこたつなのです。

こたつの脚は決まって一本壊れていて、
「あぁっ、その角に肘のせたらだめっ」とか、
親戚が集まったとき、こたつやらちゃぶ台やら並べて、
その段差で鍋の汁とかこぼしたり
そんなところからコミュニケーションが深まったりするもので、
「こたつ問題」というコミュニケーションも生まれたわけですから、
その辺のみんなが認める建築物より
よほど面白いものになっています。

『「みんなのこたつ」の制作プロセス』ブログを削除したのは、
批判されたからでは無いとボクは読み取っています。

かえって言い訳のように感じたからではないでしょうか?

あるがままで良いという潔ささえ感じます。

問題点があるとすれば、「この若い」無しの、
『建築家たち』の弱さではないでしょうか?

もちろん、削除しない方が良かったということについては
同意見なのですが、、、
とにかく、彦坂さんの追求心にはいつも感服しています。

by 上岡誠二 (2009-09-25 05:18)  

 

上岡誠二様
良いコメントをありがとうございます。

 


本来は、最初のアイディアでしかない、

つまりシニフィエであるものが、現実の制約や、

いろいろな事情の中で具体化して行って、

物質性をもったシニフィアンになって行く形で、

作品は成立するのです。


おっしゃるように、こたつ作品も、4つに割ったもの、

つまり普通のこたつのイメージを超えたものになって、

それを面白いと評価する上岡さんの視点は、

正統であると思います。


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2人の若い建築家が、そのように積極的に考えて、

 

図面にあるように、

4つのパネルを開けて会場に展示していれば、

今回のような批判は起きなかったでしょうね。

 


また、最初の普通のこたつのイメージに戻すかの様な展示を

 

してしまったために、

あまりにも稚拙な破綻に見えてしまったのです。



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この2人の弱さが問題になっていますが、

それだけではありませんでした。


建築系ラジオに対する批判も出て来たので、

ラジオ側が、シンポジウムに招待をして発言を求めたのですが、

逃げたり、書き込みを消したりした人が出てしまったのです。


今の若い人々に、本質的な弱さが生まれているように見えます。


この弱さについては、ボドリヤールが、

自己免疫性の衰弱化という予言をしていました。


つまり環境や文明の中から、醜悪さや、汚濁、悪徳の部分が

隠されたり、排除されて清潔になった現代文明の中に育つと、

自己免疫性が弱くなってしまうと言うのです。



by ヒコ (2009-09-25 08:24)  

 


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こたつ作品最終画像(改題1) [建築]

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こたつ問題は、建築会館での今月28日のシンポジウムに向って
動いています。
このシンポジウムに、こたつ問題の2人の出席を促すメールが2通、
出されているのです。

越後妻有トリエンナーレの、
正式な会期は終わりましたが、展示が続いている作品もありますが、
彦坂尚嘉は、搬出をしながら、
こたつ作品の最後の鑑賞と、写真撮影をして参りました。
撮影は武田友孝氏です。
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アップリケの数は、4面に、以前よりもかなり増えているので、
努力の後を見ることの出来るものでした。




ゴザが2カ所敷かれていました。

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ゴザにしても、もっと数を増やす事は出来るのに、
2つしかない。

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一カ所だけ、上の写真のような急須などが置かれていて、
この内容が、以前よりは充実していました。

しかし急須類にしても、もっと量を増やすとか、こたつの上に花瓶を置くとか
もっと派手にする事は出来るのですが、それがされていない。
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4枚のパネルの合わせ方は、前よりはましになっていて、
少し改善していました。
それでも隙間は、ありましたが。
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隙間に、草が1本顔を出していました。

以上写真で見ても分かるように、
若干の改善はされていたのですが、
その改良のささやかさには、正直驚かされます。


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こたつ問題2/五十嵐太郎氏のコメントあります(加筆2) [建築]

 以前のこたつ問題のラジオに対して、不快という反応が起きていたのですが、以下にご紹介するラジオは、大変に長いものですが、25分くらいからこたつ問題が語られています。


これへの反発が起きていて、さらに強い批判をなげかける反応が来ています。その反応のメールを引用できると良いのですが、個人メールということもあるので、控えます。

  彦坂尚嘉の私見を申しあげれば、こたつ作品そのものは、非常に素朴な破綻性を持つ作品で、東京大学工学部建築学科の大学院生で、
しかも数百万の高額な懸賞金を稼いできたという風聞を聞いているカリスマ建築家である人たちのものとしては、非難されても仕方がないものであります。
 
 これに対する建築系ラジオの批評性に対する批判や、非難が起きる事自体は良いと思いますが、その中に批評の自由や、言論の自由に対する配慮が無い事が気になります。

 批評や言論と言うものは、不愉快なものなのです。
 リスナーが自分にとって不愉快なものを非難し、排除しようとする、素朴なまでのフロイトの言った快楽原則的な反応は、その素朴さそのものが、こたつ問題の本質を指し示しています。
 素朴なまでの建築性の欠如と、
 素朴なまでの批評や言論への視点の欠如であります。

 こうした素朴性への居直りは、子供であって、それは悪なのです。
 大人が子供のように振る舞うのは悪なのです。


37B: オープンデスク学生との本音トーク「夏のオープンデスクを終えて」

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夏のオープンデスクで事務所に来ていた学生の最終日のお別れ会にて、二週間の研修を終えた感想や、最近の建築界で感じることなどについて、自由に語ってもらいました。オリジナルとコピーの問題から、プライベートとオフィシャルの問題まで、3人の学生とのぶっちゃけトークです。1時間を大幅に越えるこれまでで最長のコンテンツですが、議論の内容はしっかりしているので、そのまま配信します。ここまで学生が主役になったコンテンツは初めてかもしれません。25分頃から、ある問題に焦点を絞って話をしています(2009年8月30日、松田達建築設計事務所にて)。

松田事務所の日常
聴く: オープンデスク学生との本音トーク「夏のオープンデスクを終えて」
(MP3形式、38.4MB、1時間23分57秒)


出演者:松田達+角田博由起(呉工業専門学校)+亀田浩平(新潟大学)+多田啓太郎(千葉大学)

タグ:こたつ問題
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聴く: 越後妻有トリエンナーレ建築系総括「美術と建築の境界をめぐって」(加筆) [建築]


こたつ問題につづいて、建築系ラジオが、
越後妻有報告をしています。

私はあいかわらず、居眠りをしていて発言をさぼっているのと、
ちょっと違う事を建築家の作品については考えているので、
発言をしないでいます。

アーティストと建築家は、確かに違うのですが、
歴史かとしての彦坂尚嘉の視点では、
現在の差異を、強調する立場を取らない視点で考えています。

何か言うよりも、建築家の活動の仕方とか,考え方を、
判断はしないで、ただひたすら見ている事に、私の興味があるのです。

他者認識を、ただひたすらやりたいのですね。

ラジオというメディアで、
果敢にジャーナリスティックな活動をする
五十嵐、山田、松田さんに、深い尊敬の念を持っています。

彼らの発言を透して見えてくる建築家像というのは、
たいへんに勉強になります。



越後妻有トリエンナーレへの合同ツアー三日目の夜、今回のツアーで見た作品について、主に建築系の作品についての総括討議をしました。美術と建築との境界をめぐって、越後妻有トリエンナーレが示しているものは何か?建築側の人間は美術展において何を考えるべきなのか?R&Sie建築事務所《アスファルト・スポット》、山本想太郎《建具ノニワ》、東京都市大学手塚貴晴研究室+彦坂尚嘉《黎の家》、名古屋工業大学伊藤孝紀研究室《ツマリ楽園》、大杉哲也+伊藤友隆/pop-up-tokyo《みんなのこたつ》、月影の郷(4学共同プロジェクト)《やねキノコ地域の魅力、再発見。》などに触れながら話しました(2008年8月11日、越後妻有津南エリアかたくりの宿にて)。

越後妻有アートトリエンナーレ
聴く: 越後妻有トリエンナーレ建築系総括「美術と建築の境界をめぐって」
(MP3形式、14.4MB、20分59秒)

出演者:五十嵐太郎+山田幸司+田嶋奈保子+中川晋介+木村静+松田達

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