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事実誤認と誤植の訂正/北斎とクールベ [空想皇居美術館]

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葛飾北斎の「おしおくりはとうつうせんのづ」   集英社版『北斎美術館/全5巻』よりのスキャン画像

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ギュスターヴ・クールベ The Wave

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葛飾北斎の「おしおくりはとうつうせんのづ」 東京国立博物館のサイトよりのコピー画像

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『空想 皇居美術館』の美術史の問題で、重大な事実誤認をしていました。ご指摘をいただいたのは橋本麻里さんからです。

 一番大きなミスは、葛飾北斎とクールベの歴史的順番を間違えている事でした。葛飾北斎が、1760年年まれで、1849年に亡くなっていて、クールベは1819年生まれで1877年に亡くなっています。葛飾北斎の作品の正確な制作年は不明ですが、初期作品ですので大雑把に言っても18世紀後半ですから、クールベの生まれる前に作られた西洋版画を見ていることになります。つまりクールベの波ではなくて、別の西洋版画を見て、影響を受けていたのです。

橋本麻里さんのご指摘は、ごもっともなものなのです。

私の誤りを生んだのは、『北斎美術館全5巻』の中にある初期北斎の作品シリーズが、西洋銅画を見て、それを木版画で試みたという記述と、さらにその影響でつくった浪の初期木版画「おしおくりはとうつうせんのづ」が掲載されている記事です。

たぶん、それを非常に雑に私が読んで,クールベの波の複製銅版画が日本に入って来て、それを北斎が見たと、潜入観で早とちりして誤読したのだろうと思います。

これはヨーロッパでのジャポニズムが、彦坂が好きではなくて、基本学習が不十分であったので穴があいていたことが、そもそもの原因です。特に福本和夫氏の研究『福本和夫著作集 第五巻 葛飾北斎論』は傑出したもので、これを読んでいなかったのです。

しかも彦坂はジャポニズムにかぎらず正規の美術史に対してはかなりの無知無能で、多くの穴があります。彦坂は美術家として全人類の美術史を問題にしていて、日本美術だけでなく海外の美術に対しても非常に広範な領域を目配りして、《超1流》の作品を選択しているので、不正確な記述や思い違いや思い込みによる間違いの多いことは、自分自身でも予想していて、その責任をとる覚悟はしておりました。したがって今回のミスは、美術の専門家からみれば「彦坂は信頼のおけない」という証拠となるものでした。本人も日本美術史の個別専門家であるとは自称もしておりませんので、そのご批判は甘受せざるをえません。

 橋本麻里さんはブルータスの美術特集号『国宝』を一人で執筆なさった方です。

 実は橋本麻里さんには、この『空想 皇居美術館』の《超1流》の美術品を、日本美術史の中で論じる座談会の司会をお願いしていたのです。

私の初心としては、橋本麻里様にご参加を頂いて、美術史の専門家からのご批判も交えながらの記事を作りたかったのですが、それができずに出版せざるを得なかったのは、誠に残念でありました。

当初、日本美術史の専門家に入っていただいて鼎談を企画していたのです。

しかし、彦坂尚嘉が現代美術家でありながら、中学生の時から東京国立博物館に通っていて、眼で国宝/重要文化財を眼で暗記することをしていて、刀剣から陶磁器、仏像、建築、書まで広範な領域について《超1流》の美術品を探してく姿勢は狂気に満ちていて、大学時代は奈良、京都に新幹線でたびたび行って古美術を見て歩いていたので、こういう私に日本美術史の専門家の方は引いてしまったのです。

「対談しても話がもうまく噛み合わない、いい議論になりそうにもない」と相手にして下さらなかったのです。たしかに全領域の日本美術を見ていて、しかも欧米美術から現代美術/現代アートまでに目配りしている美術史の専門家は、いないのです。彦坂尚嘉は、美術オタクであって、オタクの狂気とゆがみがあるのです。しかし私自身は、学問を尊敬し、専門家の見解を謙虚に学ぶ態度であって、ゆがみに立て篭る様な姿勢は無いつもりです。

 こうして美術史の専門家の参加が実現できず、編集の高橋伸児さんからは「日程のこともありますから、鼎談は無しにしましょう」というメールが来たのです。それに対して彦坂尚嘉は、「日本美術史の専門家の不参加は残念ですが、ある程度は予想をしていました。”無し”というのは、明らかにマズいので、皇居美術館に収蔵するリストと一緒に、ある程度の文章が必要です。

橋本麻理さんとするということもありますが、橋本麻里さんもかなり引いておられるので、時間が押し詰まっていることもあって、親しくしている坂上しのぶ氏(ヤマザキマザック美術館学芸員)との対談ということでどうでしょうか? 原稿枚数20~30でまとめます」とお願いして、坂上氏の協力を得て『《超1流》の日本美術を集めた皇居美術館』という文章になりました。この文章では、今の所ミスは指摘されていません。

 ミスが出たのは、『皇居美術館所蔵作品 空想画集』の29枚の画像につけた解説文です。

 実はこの画像も当初、本物の日本古美術の写真を使う予定だったのですが、本の定価を下げるために彦坂尚嘉に制作依頼があって、急遽制作したものです。手描きのトレースと、コンピューターを使ってレイヤーに分けてのCG制作で、しかも2色刷りにする作業は、かなり加重な労働であったのです。ようやく画像29枚を制作した後に、190字ほどの解説文をつけることを編集部より要求されて、この対応でミスの問題が起きたのです。

もともと彦坂尚嘉の特徴は、広範な美術を見て歩いて来ている事であって、個別研究の専門家ではないので、ひとつひとつの解説は百科事典に頼らざるをえません。それをカバーするために、自分の記憶や思い込みを書くとミスが出ることになったのです。と言っても大きなミスは29件のうちの2つで、パーセント計算で言えば7%弱です。2つのうちのひとつは「聴秋閣」でした。橋本麻里さんからは、次のようなご指摘を受けています。

 

85ページ

また三渓園にある「聴秋閣」について、「原富太郎に与えられて」とありますが、これは原三溪が購入、移築したものです。前後の記述を見る限り、wikipedia「聴秋閣」の項のコピー&ペーストではないかと推測されます。

 

それに対して、私は次の様なメールを返しています。

 上記のご指摘は、その通りです。

私自身は、宮川淳から大きな影響を受けた世代で、特に宮川淳の『引用の織物』という文章から大きな影響を受けています。フーコーの『知の考古学』からも大きな影響を受けていて、一人の著者が文章を書いた時に他者の書いたものとの連続性を有ることの事実性がかならずあって、その事実の認識は重要だと考えます。

今回の2色刷りの作品図版もそうですが、引用で成立しています。いわゆるシミュレーショニズムです。

 私の基本は、すべてを他人の文章の引用で織物のように書く事を理想としています。ですがコピー&ペーストについての社会的批判も理解するもので、ご批判は甘受し、ご指摘のことは、再度勉強して適切な形で修正させていただきます。

 

そういうわけで、まずは、次の誤植と事実誤認を訂正致します。

下記のご指摘は、藤原えりみさんからいただいたものです。藤原えりみさんには、『空想皇居美術館』を全部読んでいただいての校正をいただき、まことに感謝いたしております。

 

p39上段

「デンドゥール神殿」の記述:紀元前15世紀→紀元前15年?

 

p105 北斎「神奈川沖波裏」の記述:

北斎とクールベの生没年および活動時期、ヨーロッパにおけるジャポニスムを

考えると、影響関係は逆。

 

p192上段

彦坂の発言:

ハイコンテスト→ハイコンテキスト/ローコンテスト→ローコンテキスト

 

●後書き:橋本麻里さんのお名前が誤植。


以上訂正して、お詫び申しあげます。

彦坂尚嘉/hiko@ja2.so-net.ne.jp

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橋本麻里さんからのご指摘を早くに受けながら、この訂正記事が遅れてしまった事も、深くお詫び申しあげます。ひとつは『空想皇居美術館』という独立したブログを立ち上げようとして、それが出来ずに、時間を費やしてしまった事です。もうひとつは、ミスにこそ深い問題が露呈しているので、自らのミスを掘り下げた『北斎の作品は《科学美術》であった』という小論を執筆していて、結局時間が流れ過ぎたので、その並記を諦めて、本日遅ればせながらアップした次第です。
数日後にこの小論もアップできればと思っています。
 


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2010-06-11

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さて、ここでのミスの最大である葛飾北斎とクールベの問題を、考察し直しておきます。人間にとって、ミスこそが重要な思索のきっかけである事は、確かな事だからです。ただ単なる表面的な訂正で住むものではありません。ミスにはより深い構造上の問題が潜んでいいるのです。

 

葛飾北斎の作品は、

     《科学美術》であった

 世界の起源.jpg

クールベの「世界の起源/The Origin of the World



 この絵は、クールベの「世界の起源/The Origin of the World」という作品です。
 この絵画は精神分析医のジャック・ラカンが所有していた事のあるもので、現在はパリのオルセー美術館にあります。私は日本ラカン協会という学会に入っているので、実物を見に行っています。絵のある部屋には椅子があって、私は座って、長々とこの絵を見ていましたが、不思議な絵画です。エロティックではありますが、猥褻な絵画ではありません。たとえばティツィアーノのような官能性のある裸婦でもありません。

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クールベの『世界の起源』これは何なのだろうか?
見る人に不快感を与える面がある作品ですが、事実を事実として、直視している作品であって、エロティシズムはありますが、猥褻ではありません。次の絵画もクールベです。


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クールベというと、自然主義リアリズムの画家として教えられていますが、しかしこのようなエロティックな絵画にある眼差しというものが、猥褻ではないということにおいて、改めて問われるものを持っているのです。猥褻とエロティシズムの差とは何なのか?

「猥褻」という言葉の定義は難しいし、人によって考えが違うでしょうが、彦坂尚嘉が「猥褻」という言葉を、この絵に投げかけると、木霊(こだま)が「猥褻ではない」と返ってくるのです。言葉を投げかけて判断するのが、《言語判定法》なのです。言語というのは、コミュニケーションの道具だけであるのではなくて、認識の道具なのです。

つまり言葉を介して私たちは自分の回りの環境を認識しています。ですから雨の多い日本では、雨に関する語彙が多く、エスキモーの言葉では雪に関する言葉が多くて、両者とも英語に比較しても雨や雪に関する言葉の認識力に差があるのです。つまり雨の多い地域の人は、雨に関する微細な変化に敏感で、雨にかんする言葉をたくさん作って、雨に関する認識を深めているのです。つまり言葉で認識をしているのです。この機能を自覚的に使用しているのが彦坂尚嘉の《現実判定法》です。

つまり画像をイメージだけで見るのではなくて、言語との関係で測定するのが《現実判定法》です。言葉との関係に置き換える事で、現実に合う言葉を探していくこともします。クールベの絵画に「猥褻」という言葉を投げかけると、「猥褻ではない」という反応が返ってくるのです。これを拾って、私は、「クールベの絵画は猥褻ではない」と判定するのです。

748px-Courbet,_Gustave_-_Woman_with_White_Stockings_-_c._1861.jpg


彦坂尚嘉責任による白いストッキングの少女の芸術分析
 
《想像界》の眼で《第41次元〜50次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜50次元》の《真性の芸術》
 
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。
ただし《サントーム》は無い。

液体/固体/絶対零度の3様態をもつ多層的な表現。
ただし気体/プラズマの2様態は無い。
 
 
《シリアス・アート》であって、《気晴らしアート》性は無い。
《ハイアート》であって、《ローアート》性は無い。
シニフィアン(記号表現)の表現で、シニフィエ(記号内容)表現ではない。
理性脳の表現であって、原始脳的な表現性は無い。

《原芸術》《芸術》《反芸術》は有るが、
しかし《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》性が無い。

貴族の芸術

作品空間の意識の大きさが《国家》である。

鑑賞構造が《対話》である。

呪術美術や宗教美術ではなくで、科学美術である。
ただし情報美術ではない。

クールベのエロティシズムの絵画は《シリアス・アート》であって、《気晴らしアート》ではないのです。それ以上に重要なことは、液体美術という《近代》の美術であって、しかも科学美術である事です。

「液体美術」というのは彦坂尚嘉がつくった概念で、H2Oという水の様態変化の比喩で人類の歴史をとらえているのです。つまり産業革命以前は、氷の時代で、歴史は氷河の様にゆっくりと流れていたのですが、それが産業革命で汽車や汽船が走って交通網が変わると、温度が上がって、氷は融けて水になり、歴史は川になって速く流れるようになったと、時代の変化をH2Oの様態変化で説明するのです。つまりクールベのエロティシズムの絵画は、時代が氷河の時代から、液体時代になる中で出現したのです。

このことは、同じ様な少女の股を描いたバルテュスの作品と比較すると明らかになります。


Balthus1938.jpg
バルテュス「夢みるテレーズ」(1938年)

彦坂尚嘉責任によるバルテュス「夢みるテレーズ」の芸術分析
 
《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
 
 
《想像界》だけの表現で、《象徴界》《現実界》は無い。

固体美術だけの表現で、液体美術という近代性は無い。
 
 
《気晴らしアート》であって、《シリアス・アート》性は無い。
《ローアート》であって、《ハイアート》性は無い。
シニフィエ(記号内容)表現であって、シニフィアン(記号表現)の表現ではない。
原始脳的な表現性であって、理性脳の表現は無い。

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》は無いが、
しかし《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》性がある。

大衆の芸術

作品空間の意識の大きさが《群》である。

鑑賞構造が無い。
《イラスト/ペンキ絵》である。

呪術美術であって、宗教美術ではなく、科学美術でもない。

《猥褻》である。





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