第34回「ラカンと美術読書会」のご案内 [告知]
山本藍子展も終わりになりますので、よろしければ見に来て下さい。
27日の日曜日には、ラカンの読書会もあります。
ただ音読している気楽な会ですので、良く続いています。
お気軽に、冷やかしでのぞいてください。
歓迎します。
第34回「ラカンと美術読書会」のご案内
日時6月27日(日)18時30分 〜 2時間程度
場所 彦坂尚嘉アトリエ 藤沢(小田急線六会日大前)から徒歩12分
通常読書会は立教大学で行われておりますが、今回の読書会は
現代開催中の山本藍子展/気体分子ギャラリー(彦坂尚嘉アトリエ内)
の展覧会に合わせ、藤沢(六会)の彦坂尚嘉アトリエで行うこととなりました。
ご注意下さい。
第4回気体分子ギャラリー/「日本が出身の豚絵画/山本藍子展」
http://www.kitaibunshi.com/exhibition/last/index.html
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「ラカンと美術読書会」とは下記の2人が共催する読書会です。
彦坂尚嘉(日本ラカン協会幹事、立教大学大学院特任教授、日本建築学会会員、
美術家)
武田友孝(元・東京スタデオ、インデペンデント・キュレーター)
ラカン『無意識の形成物〈下〉』と、
月代わりで選出される美術本の読書会です。
2007年8月より月一回のペースで開かれています。
ごくごく初歩的な読書会で何方でも参加できます。
どうぞお気軽にご参加下さい。
テキスト
◎ラカンは『無意識の形成物〈下〉』 (岩波書店)
●美術は 五十嵐太郎 彦坂尚嘉 新堀学 『空想皇居美術館』(朝日新
聞出版)
参加費 無料(コピー代のみ実費で頂きたくお願いいたします)
テキストは特に準備なさらなくても、こちらでコピーを用意いたします。
※ 研究会終了後、懇親会を予定しております。
お時間に余裕のある方は、こちらの方にもご参加ください。
なお、懇親会は、持ち寄りのパーティー形式で行いたいと思いますので、
希望者の方は、あらかじめアルコールとつまみを
適当に用意して来て頂ければ幸いです。
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六会日大前に着いたら、電話を携帯に下さい。
車で迎えに行きます。
徒歩で行かれる場合は、
小田急藤沢江ノ島線 六会日大前下車。
東口に出てバスターミナルを突っ切り 大通りを300メートル進み
六会日大前駅入口交差点と言う大きな交差点を右折。
300メートル進むと左手にローソンがあります。
ローソン手前の細い道を左折。T字路にぶつかるまで300メートル直進。
T字路左手が彦坂アトリエです。
徒歩12分
彦坂尚嘉アトリエ
〒252-0813藤沢市亀井野3−23−11
電話:0466-21-8898
携帯090-1040-1445
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申込・問合せ先:加藤 力(美術家、臨床美術士)
E-mail:sp5g7d99@axel.ocn.ne.jp
FAX:0467-48-5667
伊東豊雄 講演会 「呼吸する建築」(校正5) [建築]
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伊東豊雄 講演会 「呼吸する建築」
国士舘大学 理工学部建築学系主催で建築家・伊東豊雄氏の講演会が開催。
テーマは「呼吸する建築」。 是非ご来場ください。
日時
2010年6月12日(土)
16:30~18:00 (開場 15:30~)
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会場
国士舘大学 世田谷キャンパス 中央図書館B1F 多目的ホール
(東京都世田谷区世田谷4-28-1)
定員
528名 (要申込み、先着順)
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上記の講演会に一昨日行って来ました。
伊東豊雄さんの人柄の良さがあふれる講演会で、特に最後の会場からの質問へを受けての答弁は、正直で率直で印象深いものでした。ほんとうに良い方だなと思いました。
しかし同時に伊東豊雄の建築が、実は建造物に過ぎなくて、厳密な意味での建築になっていないという事が、良く実感できました。講演の題目にある『呼吸する建築』というのは、文字道理の建築機能のことでした。
伊東豊雄の作品が建造物でしかなくて「建築ではない」と彦坂尚嘉が言う場合、《建築》という言葉は、古い意味での大文字の《芸術》とか、蓮實重彦が批判した《大文字の文学》という《近代》の概念に重なるところはありますが、しかし彦坂尚嘉が語る場合には《原建築》とか《原芸術》性の方に比重をかけて、従来の《近代》的な芸術概念の外に出ようとしているものです。
つまり《原建築》性のある建築を《建築》としてとらえ、《原建築》性の無いものを《建造物》として整理しようとする極端さを秘めつつ、しかし実際にはその間にグラデーション的に分類概念を増やして、より細かい分析データーにもとづいて建築を見ようとする態度です。
さて話を伊東豊雄の建築に戻すと、伊東豊雄の建築を、社会的有用性の高い建造物に過ぎないとする見方は、「せんだいメディアテーク」を見て、さらに「まつもと市民芸術館」を見て、建築家としての成長飛躍の大きさに驚いた体験を持つ私が言える事では無いように思うのです。が、しかし伊東豊雄の建築への疑問もまた、私の中には根強くあって、オペラシティの回顧個展を見た時の疑問が続いていて、私の中で攻め合っていたのです。伊東豊雄の特徴である有機的なフォルムや窓の形等々が、実体的で甘く、ムーアやアルプといった美術家の仕事と比較しても芸術的不満を持たざるを得ないことも、私には重大な疑念でした。
会場では、建築系美術ラジオを一緒にやっている美学の天内大樹さんと会えました。天内さんが、建築の大きな賞であるプリツカー賞を西沢立衛とともに妹島和世が受賞した話をしてくれて、それが実は妹島和世の先生であった伊東豊雄を飛び越してしまった受賞である事に、「なぜか?」という疑問を呈したのです。
私には刺激的な話で、私は妹島和世さんの建築とも私的に格闘していて、このブログでも何回か取り上げています。妹島和世の建築を理解する事は、私には難しい事で、妹島和世と伊東豊雄という2人の建築家を理解し評価することは、美術家としての彦坂尚嘉にとって重要な事であったのです。それは現代という時代を把握する大きな指標の問題であるからです。
プリツカー賞というは、アメリカのハイアット財団(The Hyatt Foundation)から建築家に授与される賞で、建築界のノーベル賞と言われるほどの権威の高いものです。この権威の高さのある賞を介してしか、私自身は先に行けなかったのですが、この賞を媒介にしてみると、妹島和世の建築の中に潜む《原建築》性の精神の高みが改めて良く見えてくることと、伊東豊雄の建築の精神性の低さもまた見えてきたのです。
さてここで妹島和世の建築と伊東豊雄の建築を比較して見ようとする時、《言語判定法》によって私の開発したさまざまな概念装置の中で、下記の概念梯子を使ってみようと思います。
ここで言う《原建築》というのは、代表的なのストーンヘンジなどの巨石記念物からエジプトのピラミッド、ギリシアの神殿建築、アンコールワットなどの巨大構築物です。ここに建築というものの、有用性を超えた深い意味が存在すると、彦坂尚嘉は考えています。全人類史を遡行して行った時の、躓きの地点がここにあります。この地点は、岡本太郎のように原始時代のストレートに回帰してしまうと、見損なってしまうポイントなのです。つまり原始から文明に移行する時の原点が、この《原建築》であり、《原芸術》なのです。
伊東豊雄 講演会 「呼吸する建築」 [建築]
昨晩寝る前にアップしたはずが、下書き保存になっていました。失礼致しました。加筆して、改めてアップします。
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伊東豊雄 講演会 「呼吸する建築」
テーマは「呼吸する建築」。 是非ご来場ください。
16:30~18:00 (開場 15:30~)
(東京都世田谷区世田谷4-28-1)
プリツカー賞というは、アメリカのハイアット財団(The Hyatt Foundation)から建築家に授与される賞で、建築界のノーベル賞と言われるほどの権威の高いものです。
改めて妹島和世の建築と伊東豊雄の建築を比較して見ようとする時、《現実判定法》のよって私の開発したさまざまな概念装置の中で、下記の概念梯子を使ってみようと思います。
《原建築》
《建築》
《反建築》
《非建築》
《無建築》
《世間体建築》
《形骸建築》
《炎上建築》
《崩壊建築》
その問題をいま、ここでは問題にしないで先に行くとすると、結論は、妹島和世の建築は、上部構造である《原建築》《建築》《反建築》性を持っているのに対して、伊東豊雄の建築にはこの《原建築》《建築》《反建築》性が無いのです。
正確に書くと妹島和世の建築には、《原建築》《建築》《反建築》《非建《無建築》性までがあって、《世間体建築》以下がありません。
伊東豊雄の建築には、《非建築》《無建築》《世間体建築》はありますが、上部構造の《原建築》《建築》《反建築》性はないのです。《形骸建築》《炎上建築》《崩壊建築》といったひどい領域もありません。つまり中部しかない建築なのです。
伊東豊雄の建築には、この上部構造が無いということは、昨日の講演会を聴いていても明確に分かる内容でありました。社会的に有用で、生理的に気持ちの良いな建造物を作る事しか考えておられない。建築の下部構造しかない建築家なのです。
伊東豊雄の建築は、気持ちが良いし、驚きがあったし、美しさもありました。十全に素晴らしい建築に見えるにもかかわらず、それでは不十分であると事に、建築=芸術の秘密が有るのです。
妹島和世と伊東豊雄の間にある亀裂を対象化できたことは、私には大きな体験になりました。それはある意味で私の苦しみを解消してくれるものです。伊東豊雄の建築が、プリツカー賞を受賞できない所に、建築=芸術の秘密が有るのです。
糸崎公朗と山本藍子をめぐって(校正1加筆1) [気体分子ギャラリー]
難解な絵の解り方 2010年5月28日 (金)
ありていに言えば、この絵の良さが解らない人は「芸術がわからない人」「センスがない人」として、彦坂さんから批判されている。
そして、その非難を「無視する」のも「受け入れる」のも、どちらも「方法」なのである。
で、最近のぼくはデュシャンの「趣味的判断の否定」を受けて、自分の感性を方法論的に信頼しないことにしているので、彦坂さんの批判を受け入れる(真に受ける)ことにしたのだ。
まず、絵を上下逆にしてみたのだが、これは彦坂さんが
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
と評していたのが良くわからなくて、つまりこの絵はぼくにはごちゃごちゃしていて「空間」や「立体」がよくわからないのだ。
しかし絵を180度回転すると、明らかに上下逆に見えて、つまりはこの絵にはもともと明確な「上下」の区別のもとに描かれていたことがわかる。
次はもっと大胆に画像を加工して、画面を左右二分割し、片面を鏡像にして合成してみた。
なぜこのような加工を施したかと言えば、彦坂さんのブログに
何人かの私の友人は、山本藍子の作品は、分かりにくい作品だと言います。つまり良さが分からないと言うのですが、それは豚とレースの組み合わせに意味を見いだせない人には、分からないのは仕方がない事です。
と書かれているからだ。
つまり、このような加工を施すことで「レース」はそのままに「豚」の存在を消すことができる。
これによって絵の見え方がどう変化するのか、検証してみたのだ。
理由は単純で、左右対称になることで「恐ろしい生物」を描いた絵に変貌したわけで、ぼくはそういう絵が好みなのだ。
ただ、それを突き詰めて言うと、ぼくは「生物が描かれた絵」よりも「本物の生物」のほうが好きなのだ。
それは結局のところ、ぼくの「反芸術」としての好みの現われでしかない。
ぼくとしてはそのような自分の「趣味的判断」を超越して「芸術」を理解してみたいのだが、なかなかに難しいのである。
19日のシンポジウム [空想皇居美術館]
10/06/07 | カテゴリー:レクチャー/講義 | | No コメント
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『空想 皇居美術館』(彦坂 尚嘉、五十嵐 太郎、新堀 学/朝日新聞出版刊)の
刊行記念シンポジウム「皇居美術館の可能性を考える」で少し話をさせていただく。
テーマ「皇居美術館の可能性を考える
──アートであり、アートでしかなく、アートでしかなしえない提言をめぐって」
日 時:2010年6月19日(土)
19:00~21:00(18:30開場)
入場料:1,000円(当日精算)
予約制:電話または店頭にて受付
Tel.03-3408-9482
※60名様になり次第締切り
電話予約受付:火~土曜 12:00~20:00(祝日除く)
会 場:Bibliothéque(ビブリオテック)
協 力:朝日新聞出版
「日本にも大英博物館やルーブル美術館のような巨大美術館がほしい!
だったら、いっそ広大な敷地をもつ皇居に作れないか?
展示する美術品は日本中の超一流作品を集めよう!
法隆寺も鎌倉の大仏もみんな持ってきて展示しよう!
こんな奇想天外な「空想」をもとに、美術や建築の専門家、
政治学者から右翼までが集まって、どんな美術館を作るか、
“大真面目に”議論する前代未聞の美術書。」
以上、朝日新聞出版のサイトからの引用。
最後に「美術書」とあるが、それはまあ、どうかはわからないけど、
ユニークな提言書ではあります。
『空想 皇居美術館』朝日新聞出版刊 定価:2940円(税込)
シンポジウム出演者の略歴(朝日新聞出版のサイトより)
倉方俊輔(くらかた・しゅんすけ)1971年生まれ。建築史家。西日本工業大学デザイン学部建築学科准教授。著書に『吉阪隆正とル・コル ビュジエ』(王国社)、『伊東忠太を知っていますか』(共著、王国社)など。
辛酸なめ子(しんさん・なめこ)1974年生まれ。漫画家・コラムニスト。黒田清子(旧名・紀宮清子内親王)のファンで、皇室ウォッチャー でもある。著書に、『Celeb Mania』(ぶんか社)、『皇室へのソボクなギモン』(共著、扶桑社)など多数。
鈴木邦男(すずき・くにお)1943年生まれ。政治活動家、新右翼「一水会」顧問。著書に『鈴木邦男の読書術──言論派「右」翼の原点』(彩流社)、『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)など。
鈴木芳雄(すずき・よしお)1958年生まれ。「ブルータス」編集部エディトリアルコーディネーター。これまで「ブルータス」(マガジンハウス)では、「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」、「若冲を見たか?」「国宝って何?」など多くの美術特集を担当。
彦坂尚嘉(ひこさか・なおよし)1946年生まれ。現代美術家・美術史評論家。立教大学大学院文学研究科・比較文明学専攻特任教授。著書に 『彦坂尚嘉のエクリチュール──日本現代美術家の思考』(三和書籍)など。
五十嵐太郎(いがらし・たろう)1967年生まれ。建築史家・建築評論家。東北大学大学院工学研究科・都市・建築学専攻教授。著書に『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』(彩流社)、『映画的建築/建築的映画』(春秋社)など。
新堀 学(しんぼり・まなぶ)1964年生まれ。建築家。新堀アトリエ一級建築士事務所主宰、NPO地域再創生プログラム副理事長。作品に 明月院桂橋、小金井の家、金沢の家ほか。共著に『リノベーション・スタディーズ』(INAX出版)、『建築再生の進め方』(市ヶ谷出版)など。
大変ユニークで大規模な構想、しかもトークのパネラーの方々はそれぞれの
専門ジャンルの第一線で活躍している、しかもかなり個性的な人たち。
僕はどれだけお役に立てるかわからないが、自分の領域でがんばりたい。
事実誤認と誤植の訂正/北斎とクールベ [空想皇居美術館]
『空想 皇居美術館』の美術史の問題で、重大な事実誤認をしていました。ご指摘をいただいたのは橋本麻里さんからです。
一番大きなミスは、葛飾北斎とクールベの歴史的順番を間違えている事でした。葛飾北斎が、1760年年まれで、1849年に亡くなっていて、クールベは1819年生まれで1877年に亡くなっています。葛飾北斎の作品の正確な制作年は不明ですが、初期作品ですので大雑把に言っても18世紀後半ですから、クールベの生まれる前に作られた西洋版画を見ていることになります。つまりクールベの波ではなくて、別の西洋版画を見て、影響を受けていたのです。
橋本麻里さんのご指摘は、ごもっともなものなのです。
私の誤りを生んだのは、『北斎美術館全5巻』の中にある初期北斎の作品シリーズが、西洋銅画を見て、それを木版画で試みたという記述と、さらにその影響でつくった浪の初期木版画「おしおくりはとうつうせんのづ」が掲載されている記事です。
たぶん、それを非常に雑に私が読んで,クールベの波の複製銅版画が日本に入って来て、それを北斎が見たと、潜入観で早とちりして誤読したのだろうと思います。
これはヨーロッパでのジャポニズムが、彦坂が好きではなくて、基本学習が不十分であったので穴があいていたことが、そもそもの原因です。特に福本和夫氏の研究『福本和夫著作集 第五巻 葛飾北斎論』は傑出したもので、これを読んでいなかったのです。
しかも彦坂はジャポニズムにかぎらず正規の美術史に対してはかなりの無知無能で、多くの穴があります。彦坂は美術家として全人類の美術史を問題にしていて、日本美術だけでなく海外の美術に対しても非常に広範な領域を目配りして、《超1流》の作品を選択しているので、不正確な記述や思い違いや思い込みによる間違いの多いことは、自分自身でも予想していて、その責任をとる覚悟はしておりました。したがって今回のミスは、美術の専門家からみれば「彦坂は信頼のおけない」という証拠となるものでした。本人も日本美術史の個別専門家であるとは自称もしておりませんので、そのご批判は甘受せざるをえません。
橋本麻里さんはブルータスの美術特集号『国宝』を一人で執筆なさった方です。
実は橋本麻里さんには、この『空想 皇居美術館』の《超1流》の美術品を、日本美術史の中で論じる座談会の司会をお願いしていたのです。
私の初心としては、橋本麻里様にご参加を頂いて、美術史の専門家からのご批判も交えながらの記事を作りたかったのですが、それができずに出版せざるを得なかったのは、誠に残念でありました。
当初、日本美術史の専門家に入っていただいて鼎談を企画していたのです。
しかし、彦坂尚嘉が現代美術家でありながら、中学生の時から東京国立博物館に通っていて、眼で国宝/重要文化財を眼で暗記することをしていて、刀剣から陶磁器、仏像、建築、書まで広範な領域について《超1流》の美術品を探してく姿勢は狂気に満ちていて、大学時代は奈良、京都に新幹線でたびたび行って古美術を見て歩いていたので、こういう私に日本美術史の専門家の方は引いてしまったのです。
「対談しても話がもうまく噛み合わない、いい議論になりそうにもない」と相手にして下さらなかったのです。たしかに全領域の日本美術を見ていて、しかも欧米美術から現代美術/現代アートまでに目配りしている美術史の専門家は、いないのです。彦坂尚嘉は、美術オタクであって、オタクの狂気と”ゆがみ”があるのです。しかし私自身は、学問を尊敬し、専門家の見解を謙虚に学ぶ態度であって、”ゆがみ”に立て篭る様な姿勢は無いつもりです。
こうして美術史の専門家の参加が実現できず、編集の高橋伸児さんからは「日程のこともありますから、鼎談は無しにしましょう」というメールが来たのです。それに対して彦坂尚嘉は、「日本美術史の専門家の不参加は残念ですが、ある程度は予想をしていました。”無し”というのは、明らかにマズいので、皇居美術館に収蔵するリストと一緒に、ある程度の文章が必要です。
橋本麻理さんとするということもありますが、橋本麻里さんもかなり引いておられるので、時間が押し詰まっていることもあって、親しくしている坂上しのぶ氏(ヤマザキマザック美術館学芸員)との対談ということでどうでしょうか? 原稿枚数20~30でまとめます」とお願いして、坂上氏の協力を得て『《超1流》の日本美術を集めた皇居美術館』という文章になりました。この文章では、今の所ミスは指摘されていません。
ミスが出たのは、『皇居美術館所蔵作品 空想画集』の29枚の画像につけた解説文です。
実はこの画像も当初、本物の日本古美術の写真を使う予定だったのですが、本の定価を下げるために彦坂尚嘉に制作依頼があって、急遽制作したものです。手描きのトレースと、コンピューターを使ってレイヤーに分けてのCG制作で、しかも2色刷りにする作業は、かなり加重な労働であったのです。ようやく画像29枚を制作した後に、190字ほどの解説文をつけることを編集部より要求されて、この対応でミスの問題が起きたのです。
もともと彦坂尚嘉の特徴は、広範な美術を見て歩いて来ている事であって、個別研究の専門家ではないので、ひとつひとつの解説は百科事典に頼らざるをえません。それをカバーするために、自分の記憶や思い込みを書くとミスが出ることになったのです。と言っても大きなミスは29件のうちの2つで、パーセント計算で言えば7%弱です。2つのうちのひとつは「聴秋閣」でした。橋本麻里さんからは、次のようなご指摘を受けています。
85ページ
また三渓園にある「聴秋閣」について、「原富太郎に与えられて」とありますが、これは原三溪が購入、移築したものです。前後の記述を見る限り、wikipedia「聴秋閣」の項のコピー&ペーストではないかと推測されます。
それに対して、私は次の様なメールを返しています。
上記のご指摘は、その通りです。
私自身は、宮川淳から大きな影響を受けた世代で、特に宮川淳の『引用の織物』という文章から大きな影響を受けています。フーコーの『知の考古学』からも大きな影響を受けていて、一人の著者が文章を書いた時に他者の書いたものとの連続性を有ることの事実性がかならずあって、その事実の認識は重要だと考えます。
今回の2色刷りの作品図版もそうですが、引用で成立しています。いわゆるシミュレーショニズムです。
私の基本は、すべてを他人の文章の引用で織物のように書く事を理想としています。ですがコピー&ペーストについての社会的批判も理解するもので、ご批判は甘受し、ご指摘のことは、再度勉強して適切な形で修正させていただきます。
そういうわけで、まずは、次の誤植と事実誤認を訂正致します。
下記のご指摘は、藤原えりみさんからいただいたものです。藤原えりみさんには、『空想皇居美術館』を全部読んでいただいての校正をいただき、まことに感謝いたしております。
●p39上段
「デンドゥール神殿」の記述:紀元前15世紀→紀元前15年?
●p105 北斎「神奈川沖波裏」の記述:
北斎とクールベの生没年および活動時期、ヨーロッパにおけるジャポニスムを
考えると、影響関係は逆。
●p192上段
彦坂の発言:
ハイコンテスト→ハイコンテキスト/ローコンテスト→ローコンテキスト
●後書き:橋本麻里さんのお名前が誤植。
以上訂正して、お詫び申しあげます。
彦坂尚嘉/hiko@ja2.so-net.ne.jp
2010-06-11
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さて、ここでのミスの最大である葛飾北斎とクールベの問題を、考察し直しておきます。人間にとって、ミスこそが重要な思索のきっかけである事は、確かな事だからです。ただ単なる表面的な訂正で住むものではありません。ミスにはより深い構造上の問題が潜んでいいるのです。
葛飾北斎の作品は、
《科学美術》であった
定価での入札がありました/合計14点。 [気体分子ギャラリー]
日本画用キャンバスにアクリル:333×242㎜