山本藍子の最高傑作!!/中規模作品をめぐって [気体分子ギャラリー]
アップが遅れてすみません。昨日の深夜にアップしたはずでしたが、
Safariというソフトが異常に遅くなってしまって、出来なくなりました。
修復と、コンピューターの掃除で時間がかかりました。
取りあえず、旧原稿をそのままアップします。
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撮影:糸崎公朗
マキイマサルファインアーツのある地域は、浅草橋で、
「久月」や「吉徳」などの人形問屋や模型メーカー、
衣料品などの各種の問屋が集まっている古い下町の地域です。
マキイマサルファインアーツの側には、「やまと」という古い日本の
飲み屋があって、この酎ハイが白い液体で美味しいです。
左からアーティストの栃原比比奈、建築家の高橋堅、
お名前不明の山本藍子の友人、アニメション作家の中川晋介、彦坂尚嘉
撮影:糸崎公朗
山本藍子 彦坂尚嘉 撮影;糸崎公朗
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今回の個展で、山本藍子の作品が、大きく飛躍を遂げたのは、確かです。
前回のマキイマサルファインアーツの個展を見た人々は、
異口同音に言います。
建築家の高橋堅氏がオープニングに来て下さったのですが、
高橋堅氏と私が意見一致して高く評価する作品の第一が、次の画像の
作品「堂々としましょう」です。
これには残された画像が2つあって、ひとつは、未完成段階の、
マスキング液のゴムを取っていない段階で、山本藍子はこの状態で、
作品を描き込んでいます。
写真家・高石巧撮影の 未完成状態の「堂々としましょう」
完成した「堂々としましょう」のiPhoneでの撮影画像
iPhoneでの撮影画像ですので、写真としては不十分ですが、
実物の作品の白い線は、もっと高明度で抜けていて、
非常に傑出した作品です。
その特徴は、彦坂尚嘉の『アートの格付け』で明らかになります。
非常に高温の作品なのです。
彦坂尚嘉責任による山本藍子作品「堂々としましょう」の芸術分析
《想像界》の眼で《第41次元〜100次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜100次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現
《シリアス・アート》だけ作品。
《ハイアート》だけの作品。
シニフィアン(記号表現)だけの作品。
理性脳だけの作品。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》がある。
ただし《世間体のアート》が無い。
貴族の芸術
作品空間の意識の大きさが《グローバル帝国》である。
鑑賞構造がある。
鑑賞構造が《対話》である。
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アーティストに限りませんが、
人間は常に、可能性に向けて脱出を目指します。
過去の偉大な人間たちが成し遂げた事を踏まえつつ、
その過去の人々の知らなかった可能性に向けて、未来を切り開こうと
するのです。
今日のアート/芸術の可能性は、いろいろあるのですが、
そのひとつが、温度の上昇化なのです。
つまり現在の状態は、H2Oという水の比喩で言うと、
産業家社会が液体の水が流れる川のような形で時代が流れていたのに
たいして、今日ではH2Oは沸騰して水蒸気になり、
さらに温度が上がって水の分子は原子に分裂してプラズマ状態に
なっているのです。
この高温化を絵画作品に体現しても、まさか100次元にまで温度を
あげる作品というのは、私は予想はしていたのですが、
その実物にお目にかかるとは思っていなかったのです。
山本藍子のこの「堂々としていなさい」という作品は、
人類が作り出して来た絵画の中で、初めてと言って良いほどの
傑出した新しさを成し遂げたのです。
技法としては、マスキング液の使用にありますが、
それ以上に大きいのは、レイヤー構造です。
今日の絵画の可能性は、レイヤー構造と言う、
絵画の積層化によって生み出す絵画空間です。
もうひとつ重要なのは、意識の大きさが《グローバル帝国化》して
いる事です。
人間の意識は、《群》→《村》→《近代国家》→《グローバル帝国》
へと、変化してきていて、この格段界で、意味構造が大きく変化
します。
「堂々としましょう」という作品は、山本藍子が盲目的に、
制作の集中化の中で暴走して獲得した新しさとしての《帝国》段階
性も、実現しているのです。
《帝国》
《プラズマ化》
《レイヤー構造》
《原芸術》
1991年以降の現代アートの状態は、
何なのか?
それは《芸術》の大乗仏教化と言えると思います。
つまり仏教の歴史を比喩として言うと、
モダンアートというのは、難解な仏教哲学を展開した小乗仏教の
時代であったのです。
モダンアートを学ぶというのは、難解な仏教教典を学ぶ必要が
あって、あくまでも知的なエリートだけに許された特権だったのです。
それが1991年以降になると、
《芸術》は大衆化し、一挙に大乗仏教に変貌したのです。
そういう状態は、《世間体のアート》の台頭なのですが、
彦坂尚嘉の主張としては、あくまでも《原芸術》の重視と言う
路線の維持を主張します。
正確には《原芸術》と《世間体のアート》の同時表示を
今日的な新しい表現として設定しますが、
《原芸術》への視野をキープする事が重要だと考えるのです。
そういう中で、山本藍子の今回の「堂々としましょう」は、
高く評価できる到達点でありました。
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