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越田博文さんの作品で考えた事 [アート論]

  • sakura.jpg
  •   風景のむこうがわ/越田博文
    2009.11.24(火)-29(日)

  •  2009/11/24(tue)~11/29(sun)
  •    galerie16   web: www.art16.net
  • 京都市東山区三条通白川橋上ル石泉院町394 戸川ビル3F
  • 3F Togawa Bldg, Sekisen in cho,Sanjoi Shirakawabashi-Agaru, Higashiyama-ku, Kyoto, Japan  zip 605-0021
  • TEL:075-751-9238   FAX:075-752-0798
  • 午後12:00~午後7:00(29日 午後6:00迄)
  • 名古屋で故・山田幸司さんのお通夜に出席した後、
    京都によって、越田博文さんの作品を拝見しました。
    搬入段階で見せていただいたので、
    下に掲載する作品は、ネットからとってきたものです。

    071113koshida-xc.jpg

    《想像界》の眼で《超次元〜41次元》の《真性の芸術》
    《象徴界》の眼で《超次元〜41次元》の《真性の芸術》
    《現実界》の眼で《超次元〜41次元》の《真性の芸術》

    《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
       ただしサントームが無い。
    気体/液体/固体の3様態をもつ多層的な表現
       ただし絶対零度が無い。

    《気晴らしアート》
    《ローアート》

    シニフィアンとシニフィエの同時表示の美術
    純粋美術とキッチュ美術の同時表示

    《芸術》と《反芸術》の作品。
    ただし《無芸術》と《非芸術》がない。

    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

    写真をコンピューターで加工したものを描いている絵画です。
    試みとしては、情報化社会の絵画として充分にあり得るものです。

    《気晴らしアート》で《ローアート》であるところが、
    一番気にはなりますが、
    『アートの格付け』としては、《超次元》から《第41次元》まで
    あるので、頑張っている方ではあります。

    興味深かったのは、
    《芸術》と《反芸術》性はあるのですが、
    《無芸術》と《非芸術》性が無い事です。

    その意味で、古いモダンアートの系譜に属しておられます。

    《無芸術》性を分かりやすく言えば、装飾や色彩の肯定であり、
    性的な官能表現の肯定の志向です。
    この《無芸術》が、一見したところありそうで、実は欠けています。

    《非芸術》性というのは、デザイン性ですが、
    これも
    越田さんの作品ではありそうで、それが欠けています。

    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

    作家としては1986年から活動なさっていて、
    この時代は森村泰昌さんや、宮島達男さん、そして中原浩大氏が、
    台頭した時代です。
    この時代の3人に共通しているのは、
    《無芸術》《非芸術》の両方をもっている作品なのですが、
    《芸術》と《反芸術》性は、欠いているのです。

    つまり、1975年以降になると、
    それまでのモダンアートから現代美術にあった《芸術》《反芸術》が
    消えてしまって、
    《無芸術》《非芸術》の時代になるのです。

    この変化に対して、
    越田さんは乗り切れなくて、古い《芸術》《反芸術》の構造に
    固執したのです。
    にもかかわらずデザイン性や装飾性はあって、
    つまりデザイン性を素材にしながら、このデザイン性を否定し、
    装飾性を材料にして作品を作りながら、これを否定的にあつかう
    ことで、《芸術》《反芸術》性を確立しているように、
    見せた作品を展開なさって来たように、
    私には見えます。

    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

    越田さんが活動を開始した1986年からという時代は、
    バブル始まった時代でありました。

    美術での大きな変化はジェフクーンズの登場です。

    ジェフクーンズは、モダンアートの否定したキッチュを、
    積極的に肯定的に扱う事で、キッチュと純粋芸術を
    同時表示したのです。
    それだけでなくて《無芸術》《非芸術》と《芸術》《反芸術》の
    4つを、同時表示する作品を展開しました。

    このジェフクーンズを模倣し、後追いする形で、村上隆と
    ダミアン・ハーストが登場します。

    情報化社会の芸術のひとつの型は、
    この《無芸術》《非芸術》《芸術》《反芸術》の4つを
    同時表示して行く事だと、私は思います。

    今回の越田さんの作品を拝見すると、
    《無芸術》《非芸術》を欠いた状態というものが、
    いかなるものなのかを、実見したと言う感慨があります。

    つまり、通俗的に言えば、今日の現代アートは、
    実は《非芸術》としてのデザインワークを十全に達成する必要が
    あります。
    そして《無芸術》としての官能表現の徹底的な追求が
    必要なのです。
    このことを、改めて強く認識させていただきました。
    この二つを成立させた上で、古い《芸術》《反芸術》までをも
    成立させて見せる力技が必要なのではないでしょうか。





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