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モラルをめぐって(加筆3追伸1) [アート論]

コメント 2

小比満

作為的にされているのかもしれませんが、是非、私たち素人にも

>そしてもっと問題なのは、どちらがすぐれている絵であるのかの、
>判断なのです。

小山泰介さんと斉藤ちさとさんの作品を並べて判断していただけますか。

ほかの泡の画ならあまり意味がありません。また、どちらが先に作ったかと

いうような、特許のような話もしていません。あくまでも作品としての話です。 
by 小比満 (2009-11-01 10:07)  

ヒコ

小比満 様
こうゆう中で、小山さんの写真を問題にする事自体が、小山氏にたいして失礼です。
小山氏をこれ以上、巻き込みたくありません。

あなたがたの騒ぎは、美術のプロから見ると、極めて馬鹿馬鹿しいものです。

本当に病気としか言いようがありません。

斉藤ちさとさんの写真のクオリティは、凄まじい高さであって、

それは実物をご覧なさい。 
by ヒコ (2009-11-01 10:27)  


 


今回の「盗作」騒ぎは、極めて、愚かなものです。
プロの美術関係者であれば、相手にしません。

何故にこうした騒ぎになるのか?

その原因に私の芸術分析がありますが、
私の意図は、学問的な動機であって、
このような妄想レベルに付き合う気は、ありません。

なぜなら、《想像界》だけの人というのは、
人格的には子供で、幼稚で、視野が狭いのです。

今回の騒ぎの前に、実は私の古い教え子が、
水滴の写真を見つけて、「盗作」だと、夜中に電話して来て、
画像も送って来ました。

これも馬鹿馬鹿しいもので、
まったく基準が違うのです。

まず、自分自身が視野が狭い事を自覚なさい。

小比満さんのお気持ちは分かりますが、
先ず、人間として精神を成長させる事です。

人格を成長させない限り、
何を説明しても、どのように証明しても、
ふたたび、違う所で妄想を膨らませて、誤解するのです。

狭い視野では、間違いは際限もなく連鎖します。

芸術というのは、リテラシーの上に成立しているので、
まず、学ばなければ無理です。

基本を欠いている人に、
何を言っても無駄なのです。

無視をし、扉を閉ざす以外の方法は無いのです。
それがリテラシーというものの過酷さです。

悔しければ、学ぶ事です。


まず、新国立美術館で、本物の作品をご覧なさい。
そして自分の眼で、両者を比較なさい。
そして悩みなさい。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

どちらにしろ、相手の写真家の人の意図を超え、
そして責任を超えた騒ぎです。


両方の作家に対して、極めて失礼な、
妄想騒ぎです。

相手の写真家の方の仕事を、
これ以上あげつらう事は、
作家へのモラルが問題になります。

正統な批評性として、格付けする事はやりますが、
今回の様な、馬鹿騒ぎに、対応する事自体が、
モラルに反します。

《想像界》の精神だけでは、
人間は、物事を判断できないことを、
改めて知って、暗い気持ちになりました。


こういう言い方で、小比満さんが納得するとは思いませんが、
しかし、文化というものには、
こうした試験に落とす様な、残酷さがあります。
なぜなら、無理だからです。

この無理の前に立っている方の気持ちに対しては、
同情します。

今、思い出しましたが、
写真の類似や、盗作に関しての特集号が、
宝島から、出ています。
私も買って読んでいます。
この本を探して、お読みになることをお薦めします。
とにかく、勉強には時間と根気が必要です。

私も今でも、勉強をしています。
お互いに、頑張りましょう。

「こうゆう中」っておっしゃり方は、おそらく「盗作問題」ということを意味されているのかもしれませんが、誤解なさっているようですが、あなたの評価をお聞きしたいだけですよ。いつもされているように。

どういう場合が、失礼に当たるのか当たらないのか基準がわかりませんが。

斉藤さんのためにも、是非いつものようにお書きいただきたいと切に思いますが。情報社会の怖いところは、このような議論が後世残り続けることと、中途半端に終わると簡単に誤解できると言うことです。

まずいことは簡単に消してハイお終いと行かないのが、今の除法社会です。 
by 小比満 (2009-11-01 10:52)  

「盗作」という言葉を、安易に使う事自体が、
「名誉毀損事件」なのです。

今回のことは「名誉毀損事件」です。
私のブログで、これ以上「名誉毀損事件」を拡大したくありません。

犯罪的なコメントは、削除して行きます。

そもそも問題なのは、自分が犯罪を犯しているという事を、
自覚しない事です。
子供なのです。

こういう犯罪からはじまる状況の中で、
学問をする事は、いたずらに劣情をあおる事になります。
相手の写真家へのモラルに反します。

今回の「名誉毀損事件」にかんする議論は、おしまいです。

やりたければ2ちゃんねる等の、他のサイトでおやりください。

彦坂尚嘉のブログでは、
これ以上は、原則としてやりません。
ご了承ください。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

追伸

山根秀太郎さんが、コメントで彦坂尚嘉批判を書いて下さって、
これは面白かったです。

新しい反省をしているところです。

アーキテクチャーとしてのブログの設計というのは、
してこなかったので、
山根さんのご指摘から、考え始めています。

これについて、小比満さんの根気の良いコメントに関する評価と感謝も
連動して、
態度を変える事を考慮中です。

ただ今日は2人お客さんが来るので、
もう少し時間をください。

小山泰介さんさんへの芸術分析も、
あまり回避するのも、かえって失礼になりますし、
もう一度、方法を考えてみます。

彦坂尚嘉







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幻しか見ていない未熟性に向けて [状況と歴史]

コメント 2

小比満

>私は、斉藤ちさとさんを誹謗する記事に賛同する筋合いは
>ありません。

>私の利益に反するのです。

>私は私の利益を守る権利があるのです。

今回の件は誹謗しているのではなく、どうかと言うことを聞いているのです。

来年の展覧会が始まる前に決着をつけた方が良いと思うのですが。
彦坂さんの判定法では、両者の作品が明らかに格付けとして違ってくると

思うのですが、同じになるのでしょうか?

とにかく、表現としてこのブログもあるのでしょうから、こたつの人たち

みたいに逃げないでがんばってください。私も、自分の名前の「こひみつ」

から「こひ」と略して書いた名前を否定されるとは思いませんでした。

これからは、フルネームで書きます。 
by 小比満 (2009-10-31 10:22)  

ヒコ

小比満様
別のブログで書きましたが、
決着もなにも、無いのです。
「盗作」問題は、《想像界》だけの人が誤読する妄想の世界なのです。

法廷に出て見れば、あなた方が見ているものが、いかに幻であるかが

分かります。

こたつの様に逃げるというような言い方も、誠に失礼であって、

私が40年間、この調子で戦った期ている事を知らない、

戯言にすぎません。

自分の見ているものが、まったく下らない幻であり、

いかにものが見えない未熟者かを、まず知りなさい。

小比満さん、お名前を書いて下さったことは、高く評価します。

面倒なので書きませんが、類似ということは怒りを呼び、

禁止されるというのは、民俗学の中でも定式化されている事です。 
by ヒコ (2009-11-01 09:52)  


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誤読される危険の中で [詩]

文章というものは、
読者に向って書くのですが、
その読者というのは、誰なのでしょうか?

まず、最初の読者は、自分自身です。

さらにその向こうに、誰がいるのでしょうか?

日本の現在の現代アート界とか、
そういう限られた読者に向って書くのでしょうか?

そこでは、私から見ると、迷信の中での議論にしか見えない、
つまらない文字が氾濫しているように、
私には見えます。

この私の判断が、正しいかどうかは、
実は自分の事ですから分かりませんが、
私自身は、その外に向って書いてます。

それはしかし、具体的な読者ではありません。

私はミクシーに南泰裕さんに誘われて入りましたが、
すぐに書くのを止めました。
読者の顔が見えるからです。

私は、見える読者に向っては書いていません。

すでに書いたように、最初の読者は自分自身です。
この読者の向こうに、勝手にですが、
普遍的な読者を想定して、
それに向って書いています。

それはブバーの「我と汝」という有名な哲学書がありますが、
この影響の中で、書かれている事を意味します。

つまり普遍的な読者というのは、
ブバーの言う《永遠の他者》というものです。

この《永遠の他者》に向って書いていて、
実際にこのブログを読んで下さっている具体的な一人一人を
想定していないのです。

ですから、誤読される危険性は常にあります。

しかしコミュニケーションというのは、
この誤読の中にあるのです。

誤読といのは、大切なのです。
ジャック・ラカンの残した言葉が、極めて難解で、
インチキにも見えるのは、言葉というのは、
実は無意識であり、誤読において成立するからです。
読者は、一人一人の責任で読んでいるのであって、
その誤読性の中で意味が生じるのです。

ですので、くださるコメントが、誤読による怒りや、
悪意である場合、問答無用で削除します。
なぜなら、それは議論が不可能ですし、
説明しても無意味だからです。
私の書いているのは《想像界》《象徴界》《現実界》の3界の中で、
書いていて、
誤読して怒る読者の方は、《想像界》だけの人格の方々だからです。
《想像界》だけの方々は、
奇妙な誤読の中に生きています。
私がいくら努力しても、どうしようもないのです。

だから、問答は無用なのです。
削除します。

誤読の危険性こそが、
しかし、人間の関係の本質なのです。

この危険性の中で《永遠の他者》に向って書き続ける事。

それが私の仕事なのです。

では《永遠の他者》とは誰なのか?

このブログを読んで下さったあなたの向こう側にいる方が、
《永遠の他者》です。

そう、具体的なあなたを、透視して見える向こう側の他者です。

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アートの模倣をめぐる素人の議論 [アート論]

アートの模倣をめぐって、
素人が議論するのは、
実は、かなり難しいのです。

たとえば、次の作品を2枚見て下さい。

img10402008814.jpg

pic12.jpg

この2枚の富士山は、良く似た絵ですが、
これを、模倣関係として、指摘できると思いますか?

img10402008814のコピー.jpg

素人の眼と、玄人の眼では、まったく違うのです。
この良く似た絵を見て、
素人は、誰が描いたのかが、分からないでしょう。
玄人は、すぐに分かるのです。

そしてもっと問題なのは、どちらがすぐれている絵であるのかの、
判断なのです。

玄人と、素人では、眼が違うというのは、
例えば碁の世界でも、素人の人は分からない人がいるのです。

素人の人というのは、自分が素人で、眼が無いという事が
分からない。
ここが、まず、素人の特徴なのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、次の2枚の写真は、
模倣関係があるでしょうか?

1089092.jpg

「藍の泡」という作品です。
インテリア・アート系のギャラリーで、
定価が24,800円、販売価格9,980円(税込)で売られているものです。
これに、類似した作品があります。
これを模倣と言うのでしょうか?

Water_Tank2.jpg

両方共に泡の作品で、下から見上げている所も似ています。


Water_Tank2のコピー.jpg

この2枚の作品は、確かに似ているのですが、
これを模倣関係と言いえるのでしょうか?
黒い水の方は、今、このブログのコメントで、
中野輝也さんが「盗作」という危険な言葉まで使って、
話題にしている小山泰介さん写真『Water Tank 』です。

小山泰介さんの写真は、
中野輝也さんが言う様な「盗作」ではありません。
この様な類似性は、むしろ自然性であって、
たくさんの写真を見て行けば、自ずと分かるものなのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

中野輝也さんは、「盗作」という言葉を使っていますが、
こういう言葉を使うと、まず、名誉毀損で告訴されると、
この言葉だけで、敗訴する危険性が、非常に高いのです。

批評というのは、
名誉毀損の法律と、表現の自由の法律の矛盾領域にあるので、
批評作品として、きちんとした論文で書き、
その文章の責任が明示され、
公共の利益にプラスになるものでないと、
法廷で負けますよ。

批評とか評論というのは、
常に、敗訴する危険性の中で、
書かれているのです。

まず、六法全書を読む事です。

この敗訴の危険性の事は、実は、素人の人は理解していないのです。
ですから、私から見ると中野さんのコメントに、
対応したく無いのは、
中野輝也さんの犯罪に、私は連座したく無いからです。

中野輝也さんは、犯罪として敗訴する危険を犯しているのです。

素人と一緒に、「戦争」はできません。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

素人と玄人の差は、
まず、たくさんのものを見ていない事です。

それと眼差しが、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を
持っていないのです。

中野輝也さん
もっと世界をたくさん見て下さい。
たくさんを見なくては、
物事の判断は出来ないのです。

さて、私は玄人ですので、
泡の写真というのも、実はたくさん見ているのです。
以下は、私の泡の写真のささやかなコレクションです。
お楽しみください。

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bubbles_1.jpg

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bubbles1.jpg

bubbles-1.jpg

cosmic-bubbles-f.jpg

中野さんに限りませんが、
多くの方々の視野が狭い事と、
芸術であると言う事が、理解されていない事です。

アーティストは、現実の写真を撮っているのではなくて、
もうひとつ別の事をしているのです。

そのアーティストの仕事が、
見えないのだろうと思います。

しかし、それは中野さんだけではないのです。
多くの人は、芸術がわかりません。

それは芸術が難しいからではありません。

芸術を正面から見ようとしないのですが、
それ以上に、現実を見ようとしないからです。

現実は多様で、実に複雑なのです。

このことと格闘する距離の中に、
芸術が存在します。

見る事の距離がアートなのです。

それは文字通り、技術です。

現実を、距離をもって、見る技術です。

泡の写真なんか、たくさんあるのですよ。
私は、当然のように、たくさんの泡の写真を見て来ているのです。

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タグ:奥村土牛
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