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故山田幸司氏の通夜へ [建築]

今日は
これから名古屋へ出発です。
故山田幸司氏の通夜へ出席するためです。

私の確認しているだけでは、
五十嵐太郎氏、新堀学氏、槻橋修氏、南泰裕氏、倉方俊輔氏、遠藤氏。

彦坂の関係者では、田嶋奈保子、中川晋介両氏が、名古屋に向います。

故人の山田幸司氏は、竹をわったような気性で、
ご自分の意見を明快に話、建築への愛の激しい方で、私は大好きでした。
一昨年、浜松の新年の建築ツアーでは、
山田幸司氏の各種学校のリノベーションをした建築を
見に行っています。私の大きなステンドグラスが、同じ浜松の
アクトシティのコンサートホールにあることもあって、
両方を見合うことが出来ました。

山田幸司氏のリノベーション建築は《第1次元 社会的理性領域》の
建築で、特に《現実界》の建築であることもあって、
非常に印象的に果敢に突出していました。
特に屋上の敷地規制をはみ出すように、溢れ出ている姿が、
山田さんらしさを持っていました。

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一方で、茶室について良く勉強をなさっている方で、
私は、何度か茶室についてのお話を聞いています。

41歳で亡くなられたというのは、
あまりに若く、誠に残念です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。



タグ:山田幸司
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建築教育現場/彦坂美術館の模型(2) [建築]

新堀学さんが、五十嵐太郎さんの研究室の学生のプラン、

つまり彦坂尚嘉美術館の合評をなさったので、

その記事を転載させていただきます。


転載の許可はいただいています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



五十嵐さん

こんにちは。新堀です。

昨日はいろいろとありがとうございました。


さて、少しメモから各参加者へのコメントを整理しておきます。


■全体に:


□タイトルをつけよう!

・課題の名前を提案タイトルにするのではなく、自分のアイディアに名前を付け

てください。


□自分の名前をきちんと伝える

・プレゼンテーションをする空間と見合う声の出し方があまりできていない。

・「伝える」という意思を表す第一歩なので、大きくはっきりと喋りましょう。

・プレゼンテーション自体の大きさとも関係しますが、半径6m以内の人にすべ

て理解させるためにどうしたら良いか(図版を大きくする、文字も見やすくする、

模型も作りこむ)について考えるとよいと思います。


□関連しそうな(少なくとも近代建築史の)

過去の建築について参照するように。

・観念的な課題+現実的なクライアント要件というものなので、後者はともかく、

前者について勉強したほうがよいと思います。

・「アーキラボ展カタログ」とか、「球と迷宮」(絶版?)とか「未来都市の考

古学展カタログ」とかに目を通してみるとアンビルトの設計の意味、おもしろさ

に触れられるだろうと思います。


■個別に■

□ヒラタさん:

・秩序的空間の中から、IPP(皇居美術館プロジェクト)という異物を引き算さ

せることで、ノイズを発生させるというアイディアはわかりやすいと思うので、

あとはそのノイズ(空間)がどのように面白いのかをぜひ伝えてほしい。

セッションで話したように、でかいサイズの一枚の図版をがんばって仕上げてみ

てはどうでしょうか。(本江先生にA1パースのお話を伺ってみてください。その

時の手法はケント紙+木炭デッサンだったかな?)一度描いてみると、一つ怖い

ものがなくなります。


□サイトウさん:

機能の空間と、象徴の空間が単に隣り合ってしまっているところを、少し整理し

てください。同じレベルなら、「ぶつける/対決させる」か、あるいはそれぞれ

を切り離して別のレベルにするか。



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□チェさん:

ショーウインドウには少なくとも二種類あって、その立面に対して垂直に干渉す

る「額縁タイプ」と進行方向と平行な「壁面タイプ」とがあるのですが、それぞ

れのタイプの使い分けを明確にしましょう。

今はすべて壁面タイプなのでしょうけれど、そうすると壁面の長さで一つのシー

クエンス表現を組み立てるというデザインになります。

なので、話したように展開図を一種巻き物のように構成しておもしろさをデザイ

ンするというのはどうでしょうか。長さとその長さ(映画でいえば尺)の中での

構成ですね。

それが折りたたまれていく、分岐していくとすれば一種のロールプレイングのマ

ップとして平面が作れる。


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□イチノヘさん:

7つのギャラリー+アトリエの盛りだくさんのテーマですが、少ししぼってはど

うでしょう。ギャラリー+アトリエで7つにするとか。正直地下のアトリエまで

手が回らないのではと危惧します。

オープンアトリエとしてアトリエをギャラリー化する試みはいろいろな場所で行

われていることなので。

それから7つの空間それぞれと表現の対応なのですが、表現ジャンルのマッピン

グがなんだか物足りない感があるので、もう少しバランスが良くなるよう、たと

えば越後妻有とか横浜とかのカタログで、ジャンルのバランスをチェックしてみ

てはどうでしょう。



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□ミウラさん:

考えていること、到達地点が明確だった点はよかったです。また敷地の表と裏側

の地域性を引き込むということに対して具体的に考えていた唯一の案でした。

で、二つだけ。

中央の中庭空間の建築性についてのメッセージ(作りこみ)をもっと。

それから敷地の表と裏に対する「顔」のデザインをきちんとする。(これについ

ては、磯崎さんのつくば、水戸がどのようにそれを作っているかあたりを参考に

してみてください。)


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□ミキさん:

アイディアは明快なので、そのスタディを面白くのめりこんでやってみると、ど

こかで一線を越えられると思うのですが。

多数性、解像度の高度化によって、状態が変わる場所、スケールが現れることを

期待しているならば、とにかくそこまで行きましょう。

模型のことについて質問がありましたが、一日にひとつつくってひとつ壊すでも

いいです。今回の課題のためというよりは、自分が模型に何を期待するのか、そ

れをどうコミュニケーションに使うのかということについての経験=道具を手に

入れるというテーマをもうひとつ重ねて作るということで。

後ろの半円がなんとなく古典的で、またその外側の敷地の余白に対しての思考停

止があるようで、その点は気にかかりました。


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□カワサキさん:

斜めの話、パラン+ヴィリリオについては調べておきましょう。参照できそうな

のはリベスキンのユダヤ博物館もありますね。(菅野美術館はいうまでもなく)

で、プライムな構造とサブの構造とを表現的に意識することが、スタディの手が

かりにもなるだろうと思います。


Igarashi_studio10012.jpg

 


□キタモトさん:

ラカン的な世界観をどのように空間として表現するか。一種の建築曼陀羅なわけ

ですが、とにかくそこに集中してみてください。

テラーニのダンテウムとか、ルドゥー、ブレーなど参照、勉強しましょう。

タイトルをよろしく。

(今週はラカン読まなくていいです。彦坂さんのブログから想像するものですす

めましょう。笑)


では、がんばってください。


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ヨコハマ国際映像祭2009/GRL [日記]

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横浜美術館の壁面に描いた彦坂尚嘉のドローイング

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横浜美術館の壁面に描いた田嶋奈保子のドローイング

ヨコハマ国際映像祭2009に、アーティストの田嶋奈保子さんと
いって来ました。
最大の目的は、GRL(グラフィティ・リサーチ・ラボ)の、
横浜美術館壁面へのグラフィティに参加する事でした。

面白かったです。
ただこれは、ヨコハマ国際映像祭2009の正式プログラムには入っていない、
ゲリラ的なものであったのです。」

ヨコハマ国際映像祭2009のメイン会場も見ましたが、
私には《第6次元 自然領域》の展示技術しか無いように見えました。
映像祭としての国際水準性が無くて、面白く無かったです。

私がドクメンタなどで見た映像展示の水準は、
もっと高いものであって、そういうレベルの高さがなかったのです。
日本だから仕方がないのでしょうが、
こういう水準で、集客が可能なのでしょうか?
いらない心配をしてしまいました。

来年は、立教の授業で動画も1コマやるので、
多摩美映画研究会の出身者としては、
【YouTube】に参加することで出来る限り頑張りたいと思います。



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訃報 山田幸司さん [告知]

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山田幸司さんが、41歳の若さで、突然亡くなられました。
訃報に接し、ただただ驚くばかりです。
22日のお通夜に伺う予定にしています。

謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。


彦坂尚嘉

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関係各位、


山田幸司さんが、昨夜、名古屋市栄の階段で事故に遭い、搬送先の名古屋市大久手の

総合病院にて、本日の昼、永眠されました。


誠に痛恨の情にたえません。


本日の昼過ぎから夕方にかけて、山田さんの奥様と弟様から北川まで電話にてご連絡いただき、

通夜及び葬儀、告別式の情報等をいただきましたので、ご連絡いたします。


故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。


通夜日時:2009年11月22日(日)

     18時から

通夜場所:セレモニー澤村 西尾心月ホール

     西尾市住崎5丁目90

     TEL 0563-57-5111

     FAX 0563-59-6876

葬儀・告別式日時:

     2009年11月23日(月)

     10時から

通夜場所:セレモニー澤村 西尾心月ホール

     西尾市住崎5丁目90

     TEL 0563-57-5111

     FAX 0563-59-6876


名鉄西尾駅からタクシーで5-10分ほどです。


私は通夜に参列いたしますが、何かございましたらいつでも北川の携帯までお電話ください。

080-4224-4221


心からご冥福をお祈りいたします。


北川啓介





タグ:山田幸司
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音楽/反音楽/非音楽/無音楽(加筆【YouTube画像】追加1) [音楽の頂点]

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柏原孝昭さんから、下記のようなコメントをいただいた。
柏原さんは、私の現代音楽の先生です。
私と柏原さんでは、聞いている量が圧倒的に違うので、
彦坂尚嘉が、現代音楽の動きに、とやかく言うのは限界があるのですが、
現代美術/現代アートと、現代音楽を重ね合わせて考えていると言う
範囲で、私の考えを書いておきます。

こんにちは。柏原です。
PHONEXのCD聴かせていただきました。まず耳に入って来るのは
ノイズですね。ドラム類の布団をたたけばモクモクとたち現れる
ホコリノイズ。フルート、クラリネットもノイズを多用した奏法で尺八風。
(ライヒのドラミングにはノイズがないですね。ノイズを伴えば
ミニマルな音の構築性に靄がかかる。)

最近聴いた音楽で
面白いなと感じたコンサート2題(HNK-FM)は芥川作曲賞
選考演奏会2009ー小出雅子と、作曲家の個展2009-中川俊郎です。
小出はオーケストラに楽器でない音をふんだんに持ちこみメルヘンチックに
覚醒した音世界を創った。まあ、ライブエレクトロニクもこれにあたるが、
小出は生な素材を扱っているのかな。

中川は楽譜の中に記譜と白紙の部分があって
白紙の部分はオーケストラの即興・インプロヴィゼーション、作品タイトルが
合奏協奏曲だからカデンツアでもあり奏者全員がソロでカデンツアを演奏
している。(作曲部分と即興部分の聞き分けはつかない)
3者に共通しているのは、外部の招聘で、楽音以外(ノイズ)、楽器以外、作曲以外によって、音楽の地平を広げようとしている。

最近はアンビエント音楽、環境音楽ーブライアン イーノ風音楽が流行りの
様だけど、退屈音楽。退化音楽の様にも聞える。どうでしょ。これは全面外部だから、退屈なんだ。 
by 柏原孝昭 (2009-11-18 02:45)  


柏原さん、コメントありがとうございます。

概論的に書く事をお許しください。

音楽というものが、ひとつなのだろうか?
という疑問があります。

これを芸術という単語に置き換えても良いのです。
つまり芸術はひとつなのか?

同様に文学を考えても良いのです。
文学はひとつなのか?

彦坂尚嘉が考えるのは、4つです。
つまり音楽で言えば、音楽は4種類あると、
考えます。



1、《反音楽》


まず、反音楽です。
音楽が何であれ、それを否定する表現です。

反音楽の代表は、ジョン・ケージでしょう。


しかし、ジョンケージの音楽は、理性脳による反音楽です。

原始脳による反音楽というのも、あります。

《反》というのは、否定表現ですから、
否定であれば、実は何でも良いのです。

そのひとつが、スレイヤーです。
スラッシュメタルの中でも、《反音楽》としては傑出していて、
グラミー賞には3回ノミネートし、2007年、2008年と続けて
最優秀メタル・パフォーマンスに選ばれています。
4枚のゴールドディスクを獲得しています。



つまりジョンケージも、スレイヤーも、ともに反音楽であります。

言い換えると反音楽には、
理性脳の反音楽と、原始脳による反音楽の2種類があります。


2、《非音楽》

次は、非音楽ですが、これが何であるかは、むずかしいとは言えます。
しかし、正確な定義ではありませんが、デザイン的な第3人称的
表現です。

ひとつはジェルジ・リゲティのメトロノームの音楽です。
良くできていて、傑作だと思います。


リゲティの《非音楽》が理性脳の表現であったとすれば、
原始脳の表現の《非音楽》として、クラフトワークを上げておきます。
いわゆるテクノポップの元祖と言うか、代表的なバンドです。




3、《無音楽》

さて、柏原さんが書いておられたブライアンイーノの環境音楽ですが、
これは《無音楽》です。
《無音楽》というのは、装飾性とか、官能性とかを肯定的に考える
音楽です。
まずは、その代表のイーノの空港のための音楽を聴いて下さい。

彦坂尚嘉の私見によれば、この《無音楽》と、先に述べた《非音楽》の
突出こそが、情報化社会の表現の大きな特徴だと考えます。




イーノの《無音楽》は理性脳で作られていますが、
さて、この《無音楽》の原始脳による表現は、
何と言ってもマドンナのエロチカの出現でした。

まえにもこのブログで掲載した【YouTube画像】で、
重複で恐縮ですが、傑作だと思うので再録します。






4、《音楽》

さて、では音楽とは何か?

音楽そのものは、たくさんあって、私たちは日常的に、
いろいろな音楽を聴いています。

まず、《近代》の純粋音楽の代表として、
シュトックハウゼンの電子音楽を聴いて下さい。
これが《純粋音楽》です。

この前衛音楽は、しかし《音楽》なのです。
このことが重要です。
シュットクハウゼンの全貌を私は、まだ聴いていませんが、
しかしこの曲で聴く限り、
《反音楽》《非音楽》《無音楽》は、ここには無いのです。
これは《純粋音楽》なのです。






さて、シュトックハウゼンが、《近代》という産業社会の純粋音楽である
のに対して、
アンサンブル・フェニックス・バーゼルの音楽は、

《音楽》《反音楽》《非音楽》《無音楽》のすべてが、
同時表示されているのです。
その意味で、《不純音楽》なのです。




私は、アンサンブル・フェニックス・バーゼル
の統合性の高いこの《不純音楽》に、
現在の情報化社会の頂点の表現を見るのであります。
しかし、アンサンブル・フェニックス・バーゼルの《不純音楽》は、
しかし理性脳によるものです。

では、今日の原始脳による《不純音楽》の代表は、何でしょうか?
いろいろあるとは思いますが、MUSEは、その代表でしょう。

来年1月には来日します。
私も太田丈夫さんに誘われて、見に行きます。

MUSEの過剰さというのは、
《音楽》《反音楽》《非音楽》《無音楽》のすべてが、
同時表示されていることによるのです。




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《無芸術》と《芸術》の統合/2010年代の活動 [アート論]

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佐藤大輔さんから、次のようなコメントを
いただきいました。

コメントは、「名誉毀損事件」以降多くて、
たいへん考えさせられましたが、
みなさんの、コメントを書いて下さった努力は、
たいへんありがたく、
それへのご返事も、おいおい書かせてもらいます。

アーキテクチャーとしてこのブログを再考することは、
なかなか考える事が多いのです。

その前哨戦で、
佐藤大輔さんへの返事を通して、
来年への変化を書こうと思います。


久しぶりにコメントさせていただきます。
2010年代に区切りを入れるということは、今継続中の活動を切っていくということ
になるんでしょうか?
アーティスト(他の公人にとっても)としては、意識においても実際の活動内容におい
ても、根本的に見直していくということが迫られることになるというように
お考えですか? 
by 佐藤大輔 (2009-11-01 22:18)  




佐藤大輔様コメントありがとうございます。ひとつは、時代そのものが2010年から大きく変わって行くという事です。

私自身は、1972年に『年表:現代美術の50年』という400頁に
のぼる作業を『美術手帖』(1972年4月号/5月号)でしています。

この年表の編纂に対しても、批判や誹謗中傷は、
後を立ちません。
少し前の話ですが、芸大先端研の教授である高山登氏と会う機会があって、
私はなつかしさで一緒に飲んだのですが、
高山氏は「彦坂のあの年表を含む作業はインチキだ」という
批判を始めたのです。
懐かしさから飲んでいたので、「やめろよ」と言ったのですが、
やめない。
結局、私が、高山登氏の頭を、ぽかぽかと殴るはめになったのです。

もちろん、殴るのは良く無い事で、
笑って、聞き流す事が必要なのだと思います。

ところが、たとえば、かわなかのぶひろ氏だと、
こちらが笑って流していると、サディズムが増幅して、
際限なく攻撃して来ますから、
反撃しないと、終わらないのです。


こういう事がイヤなので、昔の現代美術の関係には、
出来るだけでない事にしました。

しかし『年表:現代美術の50年』は、その後、
これに匹敵するものがない、たいへんにすぐれたものです。
この年表の成果は、広がりのある波及をしているのですが、
それを私が書いても、誇大宣伝としてしか機能しないので、
書きません。

被害も、高山氏以外からも、こそくな形を含めて受けていて、
私自身の、他者への不信感を募らせています。

もっとも私自身は、本当は能天気で、楽観的なので、
実は、どうでも良いのですが・・・。
そのへんの能天気さを、晩年は出して行きたいと思っています。

私自身の、歴史を見る目が、飛躍的に発達したのは、
この年表の編纂400頁作業を8ヶ月間の泊まり込みで、
集中的にやってからです。

特に最下段の批評の文章を引用した帯がありますが、
あれは私一人でやった作業です。
みんなが出来ないと言って中止を主張したのを、
無理矢理、私が一人でやったのです。

私自身は多摩美映画研究会に入っていて、
映画の編集技術を習得していましたから、
この批評の帯を、映画のように
作っているのです。

批評のコピーをはさみで切りながら、引用のコラージュを、
映画編集の容量で作り出したのです。

しかし他人は、こうした私の果敢な仕事を評価し無いどころか、
叩いて来て、侮辱し、差別し、無視しました。

しかし、それでも私自身は、歴史を見る目を学び、
自分自身を成長させることが出来ました。

だから、まあ、能天気に笑っているのが良いのです。
悪口を言う人が、実際には何もやらずに老いて行くのを
目の前に見ているのですから。

この様な経験から、来年からの2010年代というのは、
今までとは違う時代が始まる事を、予測できるのです。
特に、凄い予測というよりは、常識的過ぎる予測ですが・・・。

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このブログも、実は私の美術作品なのです。
このブログを出力して縦の絵巻のようにした作品も、
試作品を実現しています。
大木裕之氏の企画した「たまたま」展にささやかですが、
この試作品を数本出品しています。

気体分子ギャラリーというのも、私の作品なのです。
コンセプチュアルな作品として、ギャラリー活動をしているのです。
この2010年代の前半、つまり2015年までの5年間を
めどに、集中して、展開しようと考えています。

そのために、いくつかの整理をしています。
ひとつは2000年代は、越後妻有トリエンナーレに、
2000年の第1回から、2003年の第2回、2006年の第3回、
2009年の第4回と、すべてに参加して来ましたが、
これを,今回で終了するつもりです。

現地との関係は残っているので、
2010年代の展開が無いとは言いきれませんが、
作家としては、もはやネタ切れでして、
出来なくなっているのです。

さて、越後妻有を終了する事で、
もう少し、高度に、
私の格闘する問題を煮詰めて行きたいと考えています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私自身が向き合っているのは、あくまでもブーバーの語った
《普遍的他者》であるのです。
そしてフッサールが語ったような《厳密な学としての芸術》なの
です。

しかしこのような、私の志向性自体が、間違いではないのか?
という疑いもあります。

それは美術そのものが、結局のところ《世俗》であり、
そして《いい加減さと》であるからです。

《美術とは世俗である》ということを

この事実ともっと、向き合って行く必要があるでしょう。
この認識をもっとも、過激に自覚して展開したのが、
会田誠さんです。

つまり《厳密な学としての芸術》の追求と、
会田誠的な《現実の世俗社会の中の芸術》は、違うのです。
この差を、どう捉えて行くのか?
2010年からの私の活動の根幹をなすのは、
この矛盾との格闘です。

実例を上げると、ポロックの作品です。

世俗的に評価の高いのは、下の掲載作品です。
ニュヨーク近代美術館での回顧展でも、一番売れたポスターです。
むかし読んだ記憶で、確認していませんが、確か最初にオーストラリア
に売れた作品であったともいます。これも記憶ですが、
確かポロックが描けなくなったのを、友人たちがよってたかって、
描かせた作品と言う記憶があります。(以上、確認が必要です。)


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ackson Pollock
Blue Poles: Number 11, 1952の彦坂尚嘉責任の芸術分析

《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

《無芸術》であって、《芸術》ではない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

それに対して、グリンバーグが高く評価して、
ポロックの代表作と言われるのは、
「五尋の深み」(1947)(ニューヨーク近代美術館)です。

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Jackson Pollock


Full Fathom Five(1947) に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析。


《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》、《気晴らしアート》性は無い。
《ハイアート》、《ローアート》性は無い。

シニフィアンの美術シニフィエの美術性は無い
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

《芸術》であって《無芸術》《非芸術》《反芸術》性は無い。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大変にすぐれた作品ですが、
この作品は、多くの人には、分かりにくいと言えます。

何故に、分かりにくいのか?
この分かりにくさというのは、
彦坂尚嘉の理論では、大脳新皮質の存在に帰結します。

脳そのものは複雑なので、
正確な脳の構造は専門家に任せますが、
図式として極度に単純化すれば、
人間の脳は、理性脳と、原始脳の2つでくみたてられえいると
整理させて下さい。

つまり生物というのは、象が鼻を長くし、キリンが首を長くして
進化したように、身体変形で進化の運動をして来ました。
進化とは、身体変形であったのです。
そして人間は脳を巨大化し、さらに大脳新皮質を発達させて、
身体変形の限界まで進化したのです。

この大脳新皮質による抑圧が、
理性を作り出していると、一応考えておきます。

つまり理性脳と、原始脳があって、
この両者で、人間の精神は作動しています。

お酒を飲むと、理性脳の働きは、有る程度麻痺して、
原始脳が解放されます。

このお酒を飲んだ様な原始脳の解放として芸術を考える人々が
います。
このような人々は、
たとえば、デルボーのような美術を、芸術として歓迎したりします。

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こうしたデルボーのような絵画は、
理性脳の抑圧を取った、原始脳の解放、つまり官能性としての芸術で
あると、私は考えます。

日本近代美術に、大きな影響を与えた黒田清輝の先生である
ラファエロ・コランの作品も、ソフトポルノとも言うべき、
原始脳の絵画であるのです。
デルボーの絵画以上の恥ずかしさを感じるのは、私だけでしょうか?

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黒田清輝がフランスに留学していたのは、1884年から1893年です。
この時期、すでに印象派は存在していてモネは、『積みわら』から
ルーアン大聖堂』に至連作シリーズを描いています。

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ラファエル・コランは、 1850-1916年の人です。
一方のロード・モネは、1840年から 1926年の人です。
モネの方が10歳年上で、そしてコランより10歳長生きしています。
つまり二人は、同時代の人であり、
黒田清輝は、モネに指事する事も、時代的には出来たはずですが、
しかしラファエル・コランを選んだのです。

モネとコランの絵を並べて見ましょう。

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このモネの絵画の系譜が、ポロックにつながります。
ニューヨーク近代美術館は、モネとポロックを並べて展示していた
ことがあって、私はこれについて読売新聞に文章を書いたことがあり
ますが、モネとポロックは継続して行くのですが、
ラファエロ・コランは、モダンアートの歴史の中では、
傍流に止まります。

この2枚の絵画の差を、脳の問題で整理すると、
モネの絵画を芸術として評価するためには、
大脳新皮質の理性脳で鑑賞するしか無いのです。

このモネのような理性脳で成立する鑑賞芸術を、《芸術》と
彦坂尚嘉は定義します。

それに対して、ラファエロコランのヌード絵画の様な、直接的な官能性が
ある原始脳の美術を、《無芸術》と彦坂尚嘉は呼びます。。

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原始脳の絵画、          理性脳の絵画

官能の美術            禁欲的な美術

         《無芸術》             《芸術》


ヨーロッパの美術には、こうして2種類の芸術が平行に流れていたと、
彦坂尚嘉は考えます。

なにしろ、ヨーロッパ美術には、たくさんのヌード絵画があり、
その中の多くは、官能的な美術だからです。
こうした官能的な原始脳の美術が、世俗的な美術です。

それに対して、理性脳で描かれた、抑制的な芸術も多くあるのです。
モネの絵画の様な理性脳の美術が、芸術学的な美術です。

この2種類の美術が、同じように芸術と呼ばれて来たのですが、
彦坂尚嘉の芸術分析では、分離されて、《無芸術》と《芸術》が、
区別されるのです。

そして、私の2010年代の制作の興味は、
この2つの《芸術》と《無芸術》を統合して同時表示する作品の
制作をしたいという事です。

つまり原始脳の美術と、理性脳の美術を、統合する。
世俗の美術と、芸術学的な美術を重ね合わせて、ひとつにした作品を
追求したいのです。

話が、抽象的になってしまいましたが、
こうした統合する思考の原型が、哲学者ではカントですが、
美術家では、狩野元信です。
私は狩野元信を尊敬しているのです。

芸術分析が進んで来ているので、
そうした統合を追求する形で、2010〜2014年の
5年間を展開してみたいと思っています。








 



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《無芸術》と《芸術》の統合/2010年代の活動 [アート論]

Claude-Monet-Screensaver_1のコピー.jpg

佐藤大輔さんから、次のようなコメントを
いただきいました。

コメントは、「名誉毀損事件」以降多くて、
たいへん考えさせられましたが、
みなさんの、コメントを書いて下さった努力は、
たいへんありがたく、
それへのご返事も、おいおい書かせてもらいます。

アーキテクチャーとしてこのブログを再考することは、
なかなか考える事が多いのです。

その前哨戦で、
佐藤大輔さんへの返事を通して、
来年への変化を書こうと思います。


久しぶりにコメントさせていただきます。
2010年代に区切りを入れるということは、今継続中の活動を切っていくということ
になるんでしょうか?
アーティスト(他の公人にとっても)としては、意識においても実際の活動内容におい
ても、根本的に見直していくということが迫られることになるというように
お考えですか? 
by 佐藤大輔 (2009-11-01 22:18)  




佐藤大輔様コメントありがとうございます。ひとつは、時代そのものが2010年から大きく変わって行くという事です。

私自身は、1972年に『年表:現代美術の50年』という400頁に
のぼる作業を『美術手帖』(1972年4月号/5月号)でしています。

この年表の編纂に対しても、批判や誹謗中傷は、
後を立ちません。
少し前の話ですが、芸大先端研の教授である高山登氏と会う機会があって、
私はなつかしさで一緒に飲んだのですが、
高山氏は「彦坂のあの年表を含む作業はインチキだ」という
批判を始めたのです。
懐かしさから飲んでいたので、「やめろよ」と言ったのですが、
やめない。
結局、私が、高山登氏の頭を、ぽかぽかと殴るはめになったのです。

もちろん、殴るのは良く無い事で、
笑って、聞き流す事が必要なのだと思います。

ところが、たとえば、かわなかのぶひろ氏だと、
こちらが笑って流していると、サディズムが増幅して、
際限なく攻撃して来ますから、
反撃しないと、終わらないのです。


こういう事がイヤなので、昔の現代美術の関係には、
出来るだけでない事にしました。

しかし『年表:現代美術の50年』は、その後、
これに匹敵するものがない、たいへんにすぐれたものです。
この年表の成果は、広がりのある波及をしているのですが、
それを私が書いても、誇大宣伝としてしか機能しないので、
書きません。

被害も、高山氏以外からも、こそくな形を含めて受けていて、
私自身の、他者への不信感を募らせています。

もっとも私自身は、本当は能天気で、楽観的なので、
実は、どうでも良いのですが・・・。
そのへんの能天気さを、晩年は出して行きたいと思っています。

私自身の、歴史を見る目が、飛躍的に発達したのは、
この年表の編纂400頁作業を8ヶ月間の泊まり込みで、
集中的にやってからです。

特に最下段の批評の文章を引用した帯がありますが、
あれは私一人でやった作業です。
みんなが出来ないと言って中止を主張したのを、
無理矢理、私が一人でやったのです。

私自身は多摩美映画研究会に入っていて、
映画の編集技術を習得していましたから、
この批評の帯を、映画のように
作っているのです。

批評のコピーをはさみで切りながら、引用のコラージュを、
映画編集の容量で作り出したのです。

しかし他人は、こうした私の果敢な仕事を評価し無いどころか、
叩いて来て、侮辱し、差別し、無視しました。

しかし、それでも私自身は、歴史を見る目を学び、
自分自身を成長させることが出来ました。

だから、まあ、能天気に笑っているのが良いのです。
悪口を言う人が、実際には何もやらずに老いて行くのを
目の前に見ているのですから。

この様な経験から、来年からの2010年代というのは、
今までとは違う時代が始まる事を、予測できるのです。
特に、凄い予測というよりは、常識的過ぎる予測ですが・・・。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

このブログも、実は私の美術作品なのです。
このブログを出力して縦の絵巻のようにした作品も、
試作品を実現しています。
大木裕之氏の企画した「たまたま」展にささやかですが、
この試作品を数本出品しています。

気体分子ギャラリーというのも、私の作品なのです。
コンセプチュアルな作品として、ギャラリー活動をしているのです。
この2010年代の前半、つまり2015年までの5年間を
めどに、集中して、展開しようと考えています。

そのために、いくつかの整理をしています。
ひとつは2000年代は、越後妻有トリエンナーレに、
2000年の第1回から、2003年の第2回、2006年の第3回、
2009年の第4回と、すべてに参加して来ましたが、
これを,今回で終了するつもりです。

現地との関係は残っているので、
2010年代の展開が無いとは言いきれませんが、
作家としては、もはやネタ切れでして、
出来なくなっているのです。

さて、越後妻有を終了する事で、
もう少し、高度に、
私の格闘する問題を煮詰めて行きたいと考えています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私自身が向き合っているのは、あくまでもブーバーの語った
《普遍的他者》であるのです。
そしてフッサールが語ったような《厳密な学としての芸術》なの
です。

しかしこのような、私の志向性自体が、間違いではないのか?
という疑いもあります。

それは美術そのものが、結局のところ《世俗》であり、
そして《いい加減さと》であるからです。

《美術とは世俗である》ということを

この事実ともっと、向き合って行く必要があるでしょう。
この認識をもっとも、過激に自覚して展開したのが、
会田誠さんです。

つまり《厳密な学としての芸術》の追求と、
会田誠的な《現実の世俗社会の中の芸術》は、違うのです。
この差を、どう捉えて行くのか?
2010年からの私の活動の根幹をなすのは、
この矛盾との格闘です。

実例を上げると、ポロックの作品です。

世俗的に評価の高いのは、下の掲載作品です。
ニュヨーク近代美術館での回顧展でも、一番売れたポスターです。
むかし読んだ記憶で、確認していませんが、確か最初にオーストラリア
に売れた作品であったともいます。これも記憶ですが、
確かポロックが描けなくなったのを、友人たちがよってたかって、
描かせた作品と言う記憶があります。(以上、確認が必要です。)


g001b_pollock_blue-poles.jpg

ackson Pollock
Blue Poles: Number 11, 1952の彦坂尚嘉責任の芸術分析

《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

《無芸術》であって、《芸術》ではない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

それに対して、グリンバーグが高く評価して、
ポロックの代表作と言われるのは、
「五尋の深み」(1947)(ニューヨーク近代美術館)です。

fathom.jpeg

Jackson Pollock


Full Fathom Five(1947) に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析。


《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》、《気晴らしアート》性は無い。
《ハイアート》、《ローアート》性は無い。

シニフィアンの美術シニフィエの美術性は無い
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

《芸術》であって《無芸術》《非芸術》《反芸術》性は無い。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大変にすぐれた作品ですが、
この作品は、多くの人には、分かりにくいと言えます。

何故に、分かりにくいのか?
この分かりにくさというのは、
彦坂尚嘉の理論では、大脳新皮質の存在に帰結します。

脳そのものは複雑なので、
正確な脳の構造は専門家に任せますが、
図式として極度に単純化すれば、
人間の脳は、理性脳と、原始脳の2つでくみたてられえいると
整理させて下さい。

つまり生物というのは、象が鼻を長くし、キリンが首を長くして
進化したように、身体変形で進化の運動をして来ました。
進化とは、身体変形であったのです。
そして人間は脳を巨大化し、さらに大脳新皮質を発達させて、
身体変形の限界まで進化したのです。

この大脳新皮質による抑圧が、
理性を作り出していると、一応考えておきます。

つまり理性脳と、原始脳があって、
この両者で、人間の精神は作動しています。

お酒を飲むと、理性脳の働きは、有る程度麻痺して、
原始脳が解放されます。

このお酒を飲んだ様な原始脳の解放として芸術を考える人々が
います。
このような人々は、
たとえば、デルボーのような美術を、芸術として歓迎したりします。

artwork_images_107745_201238_paul-delvaux.jpg

こうしたデルボーのような絵画は、
理性脳の抑圧を取った、原始脳の解放、つまり官能性としての芸術で
あると、私は考えます。

日本近代美術に、大きな影響を与えた黒田清輝の先生である
ラファエロ・コランの作品も、ソフトポルノとも言うべき、
原始脳の絵画であるのです。
デルボーの絵画以上の恥ずかしさを感じるのは、私だけでしょうか?

Raphael_Collin_Floréal.JPG.jpeg

黒田清輝がフランスに留学していたのは、1884年から1893年です。
この時期、すでに印象派は存在していてモネは、『積みわら』から
ルーアン大聖堂』に至連作シリーズを描いています。

Claude-Monet-Screensaver_1.png

ラファエル・コランは、 1850-1916年の人です。
一方のロード・モネは、1840年から 1926年の人です。
モネの方が10歳年上で、そしてコランより10歳長生きしています。
つまり二人は、同時代の人であり、
黒田清輝は、モネに指事する事も、時代的には出来たはずですが、
しかしラファエル・コランを選んだのです。

モネとコランの絵を並べて見ましょう。

Claude-Monet-Screensaver_1のコピー.jpg

このモネの絵画の系譜が、ポロックにつながります。
ニューヨーク近代美術館は、モネとポロックを並べて展示していた
ことがあって、私はこれについて読売新聞に文章を書いたことがあり
ますが、モネとポロックは継続して行くのですが、
ラファエロ・コランは、モダンアートの歴史の中では、
傍流に止まります。

この2枚の絵画の差を、脳の問題で整理すると、
モネの絵画を芸術として評価するためには、
大脳新皮質の理性脳で鑑賞するしか無いのです。

このモネのような理性脳で成立する鑑賞芸術を、《芸術》と
彦坂尚嘉は定義します。

それに対して、ラファエロコランのヌード絵画の様な、直接的な官能性が
ある原始脳の美術を、《無芸術》と彦坂尚嘉は呼びます。。

Claude-Monet-Screensaver_1のコピー.jpg

原始脳の絵画、          理性脳の絵画

官能の美術            禁欲的な美術

         《無芸術》             《芸術》


ヨーロッパの美術には、こうして2種類の芸術が平行に流れていたと、
彦坂尚嘉は考えます。

なにしろ、ヨーロッパ美術には、たくさんのヌード絵画があり、
その中の多くは、官能的な美術だからです。
こうした官能的な原始脳の美術が、世俗的な美術です。

それに対して、理性脳で描かれた、抑制的な芸術も多くあるのです。
モネの絵画の様な理性脳の美術が、芸術学的な美術です。

この2種類の美術が、同じように芸術と呼ばれて来たのですが、
彦坂尚嘉の芸術分析では、分離されて、《無芸術》と《芸術》が、
区別されるのです。

そして、私の2010年代の制作の興味は、
この2つの《芸術》と《無芸術》を統合して同時表示する作品の
制作をしたいという事です。

つまり原始脳の美術と、理性脳の美術を、統合する。
世俗の美術と、芸術学的な美術を重ね合わせて、ひとつにした作品を
追求したいのです。

話が、抽象的になってしまいましたが、
こうした統合する思考の原型が、哲学者ではカントですが、
美術家では、狩野元信です。
私は狩野元信を尊敬しているのです。

芸術分析が進んで来ているので、
そうした統合を追求する形で、2010〜2014年の
5年間を展開してみたいと思っています。








 



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斉藤義重の学歴について [アート論]

 原始への回帰

  斎藤義重は、受験に失敗します。ですから斎藤義重の最終学歴は中学校卒ということになります。そして正規の美術教育というものは受けていません。つまり色彩論、比例論、構図論、芸術空間論、主題論、芸術史/美術史といった、現在、美術を語る上で必要な基礎的学問を学んでこなかった、ということです。

現在の人は、美術作品を制作するには、自分の中にある想いや感性を発揮することが一番良い作品を作るのだ、というように考えていますが、それはカントの天才論の通俗化にすぎません。実際は、美術というものを歴史的に振り返ってみると、ギリシア時代から美術制作は高度の学問性を持っていて、美術家は作品をつくることと同様に、理論も多く書いてきています。

 紀元前五世紀にはギリシアでは、美術家による美術についてのさまざまな文献の発生がみられます。ポリュクレイトスの人体のポロポーションの研究書『カノン』、画家ティマンテスの『絵画概論』。

紀元前四世紀になると、パンフィロスの算術や幾何学についての書物、さらにエウフラノルの比例と色彩論、アペッレスの芸術論、メランティオスの絵画論、

ニキアスの主題論。そして紀元前三世紀のパンフィロスが登場して、「学問のあらゆる分野、とりわけ算術と幾何学において完璧な修練をつんだ最初の画家」との評価を確立します。

 これらの知識は一世紀の古代ローマの博物学者プリニウスによる『博物誌』全三十七巻に流れ込み、その芸術作品についての記述は古代ローマ芸術についての資料として美術史上の高い評価と、大きな影響を与えます。このプリニウスの『博物誌』が、ルネサンス期の15世紀に活版印刷で刊行されて以来、ヨーロッパの知識人たちに愛読されたからです。

このギリシアからルネッサンスにいたる美術家の思想は、《学識ある画家》という理想像なのです。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 一四五二-一五一九)に象徴されるように、芸術家というのは万能人のような広範な知識と見識と視野の深さが必要な職業となります。それは単なる職人や、奇人変人、さらに狂人とは一線を画する高度な知識人です。

 斉藤義重はしかし、中学校卒という低学歴が示すように、ギリシア〜ルネッサンスに至る《学識ある画家》という理想の外に位置する《無知の美術家》であったのです。

ではこのような学識を欠いた《無知の美術家》というのは、アジア的美術家の宿命で会ったのでしょうか?

 中国においても、四世紀後半の南北朝時代の東晋の画家である顧 愷之は、名画の祖と言われ、著作も『啓蒙記』『文集』があったと言われていますが、失われています。

五世紀の宗炳の『画山水序』という最古の山水画論があります。ここで「透視図法 」を具体的な制作方法としての説いているのです。「透視図法 」としては、ヨーロッパでは十五世紀に初めて確立されるのですから、一〇世紀も東洋美術は先行していたのです。

 さらに中国の六朝時代の画家である謝赫の世界最古の画学書/画品書である『古画品録』

等々、実に多くの精緻な画論と画法、そして美術史を、美術家たちは記述してきています。

しかし現代になると、“前衛”という名の下に、芸術家達には次第に知識や学問というものを重く見ない傾向が出てくるようになりました。例えば、第二次世界大戦後のフランスのジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 一九〇一-一九八五)という作家は、従来の西洋美術の伝統的価値観を否定して、子供や「未開」人、精神障害者などによる絵画を《アール・ブリュット=生(き)の芸術》と呼んで賛美しました。なぜそうなるかは、かなり複雑な事情があるので、ここでは十分に論じられませんが、一つには、大きな背景に第二次世界大戦による破壊状況があります。この時は、日本もヨーロッパも戦火で灰燼に帰しました。そしてこの荒廃が、芸術にも大きな影響を与え、ある種の“野蛮な状態”になった、と筆者は考えます。それは、現在で言えば、例えば、核戦争後の世界を暴力が支配する野蛮世界を描いたオーストラリアのアクション映画『マッドマックス2』(一九七九年)に出てくるような核戦争後の荒廃した世界、モヒカンヘアーで暴れまわる暴走族などを描いた世界観が、一九八〇年代全般のSF映画をはじめ、漫画『北斗の拳』など以降の数多くの作品に影響を与えたのと同様の状況と言えます。

しかし八〇年代のこうした日本の動きとは逆に、アメリカの美術家は大学四年間だけでなく大学院に進学し、その修学は九年に及び、PHDを取得していくのが大勢になりました。日本でも村上隆や松井冬子がPHDを取得しているように、芸術家が高度の専門知識を学ぶことは歴史の趨勢となっています。

 そういう意味で斎藤義重が中学卒であることや、斎藤義重と契約して押し出した東京画廊の初代社長山本孝が尋常小学校卒という低学歴であったことと重ね合わせ、日本の前衛美術や現代美術の知的水準の低さが、フランスのデュビュッフェ的な未開主義につながる日本固有の民度の低さと原始/未開芸術主義として理解される、という説明が成立します。

 例えば、上林澄雄は『日本反文化の伝統―流行性集団舞踊狂の発生』という一九七三年に出版した本の中で、舞踏を通してですが日本の中に原始への回帰を求める情念が存在している事を分析しています。こうした原始的で未開な状態への回帰の衝動というものがあって、その意味では日本文化が理性脳を失って、野蛮な原始脳で美術作品を作る事を良しとする下半身性を体現しているものとして、斎藤義重はあるのかもしれないと、筆者は考えています。

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芸術の趣味判断/ダニエル・ブェスのパーカッションを例にして [音楽の頂点]


ダニエル・ブェスのパーカッションは、私には、ずいぶんと
刺激的なものでした。
【YouTube画像】では、あまり伝わらないかもしれませんが、
ライブで見ると、今までの現代音楽とはちがった音楽になっている
ことが、良く分かるのでした。

Ensemble Phoenix Basel Soloists
スイスと日本の新しい音楽

<experiment> 2009年8月1日(土)18:00-20:30 STUDIO 1619

<live> 2009年8月3日(月)19:00
 杉並公会堂・小ホール

みて、すぐにブログに書けば良かったのですが、
感動したせいか、なかなか言葉にならなかったのです。

従来の現代音楽と、明らかに違う時代になったことを感じました。
1975年くらいから、現代音楽の前衛性は、停滞したといわれて来た
のですが、
そうした停滞感は消えるどころか、
まるでロックを聴いているかの様な躍動感と、
エンターテイメント性に満ちてて、
しかも高度の知性と、技術に裏打ちされて、
120パーセントの満足があったのです。

この音楽会は、作曲家の川島素晴さん山根明季子さんが
やっているeX.(エックスドット)というシリーズのひとつでした。

アンサンブル・フェニックス・バーゼル
       / Ensemble Phoenix Basel  

998年の設立以来、バートウィスルのオペラ《パンチ&ジュディ》、カーゲルの《マーレ・ノストルム》、マルターラー監督による
《月に憑かれたピエロ》などの注目すべき公演、WERGOのミューラー=ジーメンス作品集をはじめとするCD録音に携わってきた。
33名に及ぶメンバーはそれぞれ現代音楽のスペシャリストであり、スイスを代表する現代音楽アンサンブルとして、バーゼルでの
定期演奏会の他、スイス国内各地はもとより、ヨーロッパ諸国、中東、アジアなどの現代音楽フェスティヴァルに多数出演している。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

何が、今までと違うのか?
その差を言い当てる言葉を探して行くのが、
彦坂尚嘉の《言語判定法》なのです。

彦坂尚嘉の《言語判定法》自体を、
いかがわしいと言って批判する人がいます。
その気持ちは分かります。

その人たちに理解して欲しいのは、
物事には、「判定」が、現実には行われている事です。

谷崎潤一郎の『文芸読本』でも、
文章の善し悪しを、問題にしていて、
その時の例として、お酒の品評会の話が出て来ます。

つまり芸術の趣味判断の背景には、
実は味覚の趣味判断があります。

このことは美学者の谷川渥氏も書いています。

18世紀に、ヨーロッパが世界に侵略をして植民地を持つと、
世界中から食べなれない新しい食物が入って来て、
それをヨーロッパの貴族が「これは美味しい、あれはマズい」と
判断する所から、芸術の趣味判断が始まったのです。

ですから、芸術の趣味判断は、食べなれないもの、新奇なもの、
めずらしい食べ物を食べる所から始まります。

同じものしか食べない人は、趣味判断は出来ないのです。

音楽でも同じことが言えます。
めずらしい、今までに聞いた事の無い音を求める気持ちの無い人
には、芸術の趣味判断はできないのです。


良く分からない前衛美術や前衛音楽の判断のためのものなので
あって、貴族趣味なのです。

ですから、貴族的ではない人には、実は芸術の趣味判断は無理なのです。
そもそも高級料理とか、高級芸術というのは、
貴族的なものであって、下層のホームレスや浮浪者のためのもの
ではありません。

漫画を読んでいる下層の人々には、
芸術判断の必要性は、もともと無かったのです。
このことは不愉快な事ですが、事実としてあるのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

現実には、お酒の品評会は行われていて、
それは日本酒であろうと、ワインであろうと、存在しているのです。

そしてまた『格付け』というのは、
フランスミシュラン社により出版される様ないろいろなガイドブックで、
ホテルやレストランは、格付けされているのです。

この格付けについても、批判は様々に行われていて、
人によって、格付けの判断は、必ずしも一致しないものでもあるのです。

そしてまたムーディーズの企業や国家財政の信用について、
格付けは行われています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この日聞いたダニエル・ブェス / Daniel Buessは、
どこが、新しかったのか?


例えば、昔の現代音楽を代表するクセナキスの
パーカッションの音楽を聴いて下さい。
ここには、たとえば「純粋音楽」とか、
「理性脳による音楽」という言葉が当てはまると、
私は、考えるのです。



同じ事は、1970年のスティーブ・ライヒのドラミングにも言えます。
これは私もライブを見ていて、大好きな曲ですが、
この音楽にも、「純粋音楽」とか、「理性脳の音楽」という
言葉が対応すると、私は感じます。



ところが、ダニエル・ブェスの音楽には、
純粋音楽と、キッチュな音楽の同時表示が行われているのです。

別の言葉で言えば、理性脳の音楽と、原始脳の音楽が、
同時に存在しているという、そういう豊かさなのです。

私は、ここに情報化社会特有の表現の質を見るのです。

つまり《近代》の芸術が、キッチュを排除する所で成立した
のに対して、情報化社会の現代においては、
古いキッチュな表現を再評価しつつ、
単なる復古ではなくて、
キッチュと純粋芸術が同時表示されて、
新しい統合がなされていると、私には聴こえるのです。

もちろん、インプロビゼーションが大量に入り込んでいる事も
あると思いますが、
そのことを含めて情報化社会の表現の特徴だと思います。


付/あとで『アートの格付け』を加筆します。



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建築教育現場/個人美術館の模型 [建築]

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五十嵐太郎さんの東北大学の学生たちが、
課題制作で取り組んでいる「彦坂尚嘉美術館」の構想の、
途中経過を、画像で送って来てくれました。

個人美術館というのは、
私の夢としてであれ、あっても良いと他の方は思うでしょうが、
現実には、経営が難しくて、
すでにある個人美術館の苦境を知っていると、
夢でも自分の美術館というのは考えた事がありませんでした。

それだけに、今回の学生たちの構想は、
自分の限界を壊してくれる、
非常に新鮮な刺激になります。

しかも建設の敷地は、青山というのですから、
夢としても理想的です。

何しろ日本や韓国の現代美術館というのは、
駅から遠い僻地にあります。
それに対して欧米の重要な美術館は都市の中心に位置します。
その社会の中での芸術の位置が、美術館の建設の敷地の位置に
反映しているのです。
ですから、青山に彦坂尚嘉の個人美術館を建設するという事は、
まさに、欧米並みの理想の建設なのです。

「求めよ、さらば与えられん」と言いますから、
夢を持てないよりは、
夢を見る力を振り絞る事が重要だと思います。


Igarash10011.jpg


* 断面的に斜めの壁により、展示室を構成。

*こうきょびじゅつかこの他、巨大な皇居美術館を帝国美術館(?) が段階的に成長し、

覆い隠していく棟も計画中。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

川崎さんのプラン、大きそうですね。

壁が斜めですから、壁掛けの作品の掛け方を考えなければなりませんね。


作品を壁に付けるように、伝統的に考えて来た私の作品観というのは、

組み替えなければならないのかもしれません。


模型の精度が荒いので、良く分かりませんが、

作品展示を組み込んで、考えて下さるとありがたいです。


つまり伝統的な垂直の壁というのも、

美術館には必要なので、両方を考えて下さい。



Igarashi_studio10012.jpg

 



* 地階を「象徴界」、1 階を「想像界」、浮いたヴォリュームの2 階を「想像界」と

捉え、各「界」に合わせた作品を展示。 

*青山のショーウィンドウからヒントを得て、ガラスの壁面を平面的に何層にも重ね、

視覚効果を狙う。

*地階と浮いたヴォリュームが主要な作品展示空間。地階は3層吹き抜けで、

GL から見下ろせるような展示。

 

 

北本さんの《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ

重層的な建築というのは、コンセプトとして新鮮です。

私は、作品を《想像界》《象徴界》《現実界》に分離しては作ってこなくて、

むしろ統合を目指し、多様なものの重層的な表現を追求して来ました。

それが出来るようになると、

逆に、北本さんのプランのように、3界に分離する必要が見えて来ます。

なぜなら、人間は必ずしもラカンの言うようには3界を

合わせ持った人格者というのは、少ないからです。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界に美術館の階層があれば、

各自、好きな所に行って鑑賞することができます。

そういう意味では、統合されたサントームの階も作って下さると

良いと思います。

つまり4層の美術館です。


 

Igarashi_studio10013.jpg

* 最厚1mの厚いかべに溝のような開口を開けることより、薄い壁ではできない展示室

内の関係性を生み出す。

*壁は平面的に斜めに構成。

*壁面をしっかり閉じないことで、青山の人々にとっての散歩道になるような空間を

めざす。


青島さんのコンセプトは、今ひとつ私には理解できませんが、

1メートルの厚い壁というものが、どのような空間をつくるのか?

興味深いです。


美術館に限らないですが、情報化社会の建築というのは、

管理社会特有のセキュリティの問題があります。

五十嵐太郎さんが書いている『過防備都市』という問題です。

つまり現実に、セキュリティを放棄できない事情が美術館や

ギャラリーにはあるのです。

越後妻有トリエンナーレの蔡國強のドラゴン美術館のような、

無防備美術館を構想することも可能ではありますが、

そうであるなら、過防備地区と、無防備地区との2重性の

ある建築は、あり得るかもしれません。

金沢21世紀美術館には、こうした2重構造性の萌芽があって、

それが開放感を生んでいましたから、

その更なる展開は、ありえるでしょうね。

それこそ無防備地区は、作品を好きに持って行けるということも

あって良いかもしれません。



Igarashi_studio_esquisse_22.jpg

*美術館の一部を爆破することにより、エントランスを生成。爆破が開館の合図。

*いくつものエレベータ内に作品を展示、エレベータに乗り込むと大きな展示空間や

マンションの一室など、様々な空間に移行。

*屋根は曲面ガラスによる大屋根で構成。


三浦さんのプランは、爆破とか、曲面ガラスの大屋根とか、

派手ですね。

エレベーターに作品を展示というのも、面白いアイディアですね。

展示というよりもインスタレーション作品にするのでしょうね。




Igarashi_studio_esquisse_23.jpg

*浮島がいくつも浮かんでいる一室の展示空間。

*作品を見渡せるように( ? )、巨大な半円の壁面に平面作品を一同に並べる。


三木さんの、浮き島の様な展示スペースというのも、

私の考えつかない事です。

台座部分が過剰化した美術館建築というのは、あり得るでしょうね。


しかし、同時に、まったく普通のニュートラルな展示スペースも

合わせて持っている事が必要です。


巨大な半円の壁面というのも、

実は伝統的な作品というのは、円形の壁面に対しては制作時に

考えていないので、

旧作を展示する普通のフラットな平面の壁面も、合わせて持っている

そういう2重性が必要です。





Igarashi_studio_esquisse_31.jpg

*皇居美術館のヴォリュームを巨大化→反転させ、それ自体を美術館とする、

中央のヴォイドに皇居美術館を抱えるという美術館。

*直方体の外壁は帝国美術館をイメージ。



皇居美術館を中心に据えるというのは、

良いですね。

それは新鮮です。

彦坂尚嘉の皇居美術館は、あくまでも建築模型彫刻ですので、

それが、ある意味での中心と考えて、彦坂尚嘉の作品全体を

とらえるというのは、考えてみる値打ちがあります。


Igarashi_studio_esquisse_33.jpg

*みずからの尾を加える「ウロボロス」から着想をえて、分棟配置された展示室を

チューブでつなぎ、来館者を一周させる。

*曲面で掘り込まれた部分は新人アーティストや彦坂さんの制作場所や展示場所。

来館者はそこへは行けない。


来館者はそこに行けないというのは、

透明な壁面で区切った場合には、2重性があって、

行けないと言う面と、解放されて見えると言う面とありますね。

せんだいメディアテイクの透明な壁面の開放性と過剰性は、

新鮮でしたので、そういう構成はあり得るでしょうね。




Igarashi_studio_esquisse_41.jpg

*青山のショーウィンドウ性に着目。都市区画の延長として展示室のヴォリュームを

構成。

*24 時間楽しめる美術館。例えば右の画像の展示室では、黄色の線で書かれた部分に

ガラスが入るが、営業後でもガラスの外から

展示が楽しめるウィンドウショッピング的美術鑑賞体験ができる。


チェホンジュンさんのショーウインドウ型の美術館というのは、

新鮮だと思います。24時間見られるというのも、

この現代の不眠都市現状を体現していて面白いと思います。


展示替えは、重要になるので、

その辺を、何か考える必要がありますね。


ガラス面も曲面や波形というのもあり得ますね。


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彦坂尚嘉は11月24日に仙台に行きますが、

その前の17日には、建築家の新堀学さんが、行って下さって、

途中の講評をしてくださいます。

それもあって、先日、新堀さんはわざわざ藤沢まで来て下さって、

私と打ち合わせをして下さいました。


美術館建築というものの伝統性を知らない学生の斬新さを評価する面と

《近代》の集約としての美術館システムを学習する問題の

2重せいがあるという、その辺の案配の問題でした。


美術館というのは、単なる展示スペースではなくて、

実は収集と保管を基本に、学術的な研究の場所であったのです。


彦坂的には、パリのピカソ美術館が楽しかったという、

思いがあります。

あれは古いお城のリノベーションでした。

新築美術館が、斬新さと、学問の場としての伝統性とを

合わせ持つものであって欲しいと思います。


採光と、耐光性、空調、収納庫、学芸員室、図書館、

情報検索システム、そして他の美術館やアーティスト、

そして観客、さらには市場とつながった情報有機体として美術館を

構想するアーキテクチャーが必要なのです。

今日の複雑さは、人類史上ないものです。

それを少しでも考えて下さればと思います。



 

 




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