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6点目の作品入札ありました/斎藤ちさと展 [気体分子ギャラリー]


小品に入札をいただきました。

ありがとうございます。
感謝です。





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特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに緑色の実と葉の植物、そして少し見える紫の花を撮影した写真です。気泡の白い粒と緑の植物と紫の花が呼応していて美しい作品です。特に大小の多くの泡の深さがきれいです。同時表示性を多くの項目でもっている、情報化社会の表現として完成度の高い名作です。

 

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

 

 

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

 

 

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示

 

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示

《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

定価
:7,000円
現在の入札価格
:5,000円

 

草間弥生の小説 [アート論]

ユミさんという方からコメントをいただきながら、
お返事をしそこなったので、ここに書きます。

by ユミ (2009-08-20 03:25)  

はじめまして、ARTSCAPEの「越後妻有ビエンナーレ」の記事を拝見した者です。(美術・芸術に関してましては、ほとんどシロウト同然です。)

芸術というフィールドより、卓越した見識を発する評論やブログを、今日はじめて読ませていただき、ややめまいを引き起こしているのが、今現在の正直なところではありますが、「越後妻有ビエンナーレ」記事の最後の方に、草間彌生さんの作品について論評があるのに接し、ぜひ彦坂尚嘉さんにこそ、(下記にリンクいたしました)画像ふたつの、御判定の如何内容を伺いたいと、切に感じ入りました。

ごく最近、「とても似ている」と思った、ふたつの画像です。


『 部屋の愉しみ(1979) 』有元利夫
http://www2.odn.ne.jp/~cco69970/index.html/Fukuoka11/Fig1/arimoto09.jpg


前衛芸術家・草間 彌生さん 肖像写真、ビデオレター(2009)
http://iida.jp/products/yayoi-kusama/

彦坂さんの評価軸ではあまりかんばしくない、妻有の「花」につきましては、同じく有元利夫さんの代表作『花降る日』をも、<芸術的記憶>の一部として勘案しつつ、拝見しているのですが、「なぜ似ているのか?」など巡りまして、御一考いただければ幸いです。

arimoto草間.jpg

























有本利夫           草間弥生

《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン  《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン  《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン  《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン

《想像界》の作品、固体美術。    《想像界》の作品、液体美術。

《気晴らしアート》《ローアート》     《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。      シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始平面》       《透視写真》
『ペンキ絵』【B級美術】      『深いイリュージョンの写真』【B級美術】

テーブルの前に座っているというのは、良くあるもので、
この共通性が先ずあります。
それと両者とも《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
なのです。この共通性はあります。
しかし違いもあるので、上の分析を見て下さい。
大きいのは有本利夫は固体美術、つまり前近代の美術です。
それに対して草間弥生は近代美術なのです。
両者とも、彦坂尚嘉が言う気体美術=情報化社会の芸術ではありません。



それと、先日より大阪で開催されている草間さんの展覧会『増殖する部屋』会場にていただいたミニポスターの裏に書かれてあった「詩」があります。

私もぱっと見は、「毒々しいスペクタクルな<花>」と思わないではありません。

そのような傾向を表面的には顕す作品群(絵画、版画、オブジェ)と、
きわめてcoolbeautyな「詩」との連関なども合わせて、お暇な時でかまいませんので、なにか感ずるところなどございましたら、どうぞよろしくお願い申し上げます。


I'm Here,but Nothing


はからずも私はここに居るのであった

だが、いつかその影は宇宙の果てに舞い上り

消滅してゆくという気配に驚いている

心の内側に秘められた虚しさか

人間に生まれてきたことへの虚しさか

だが、求道への絶えまないこの私の志と努力をもってして

虚しい地球上へ輝いた人類の愛たちを呼んでこよう

永遠に尽きることの無い平和と安らかさ

そのささやかな幸福の祭典のために

私は芸術と思想をまき散らして静かな日々を送りたいのだ

人間らしい全世界の人々と共に空虚の嵐を鎮めてしまおう

素晴らしい、そして神秘的な太陽や月たちといっしょに

生きながらえたいのだった

永遠に、たったそれだけのために命をかけて

そして祝杯をあげよう、いまこそ

華やいだ祈りを込めて!


草間彌生 16,July,2009

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草間弥生の詩の芸術分析

《想像界》の眼で《第1次元 社会的理性領域》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第1次元 社会的理性領域》の《真性の芸術》

《想像界》の詩
液体の詩

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィエ(記号内容)の詩
《透視詩》【A級詩】

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

草間弥生の文章は、《第1次元 社会的理性領域》で、
かなり良いものです。
小説は、一つ私も読んでいますが、美術よりも良いです。
読んだのは、『マンハッタン自殺未遂常習犯』だと思うのですが、
ネットで見るとデザインが違います。
もしかすると、『クリストファー男娼窟』だったかもしれません。

つまり草間弥生の美術は《第6次元 自然領域》であったり、
《第21次元 愛欲領域》であったりするのですが、
文章は《第1次元 社会的理性領域》で、読めるのです。

同様の事はシュナーベルにも言えて、
美術作品は《第6次元 自然領域》ですが、
映画は《第1次元 社会的理性領域》の物で、
ズーと良いのです。

草間弥生に見られる様な現象は、ですから
起きえるのです。





産経ニュース/斎藤ちさと展 [気体分子ギャラリー]

矢野まきさんの広報が功をそうして、産經新聞に掲載されました。
矢野まきさん、ありがとうございました。


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saito-chisato-.jpg

【続きはここをクリックして下さい】


タグ:斎藤ちさと

小品の解説/斎藤ちさと展 [気体分子ギャラリー]

斎藤ちさとさんの、小品の解説です。

今回の制作は、アートバイゼロックスでの斎藤ちさと回顧展が行われた後の制作でした。
回顧展で、今までの作品を見直す中で、それを超えた制作をするという仮題があったのです。

直接は、泡の作品画像の反省から始まって、いろいろな面での検討がされました。
一つは白濱雅也さんが指摘した事ですが、
アートバイゼロックスの出力画像の水準が低いという事でした。
白濱雅也さんは写真を多く見ている方で、写真に関しては私の先生であります。
つまりアートバイゼロックスの出力は、アーティスト支援ということもあって、dpi自体が低いのです。。
白濱雅也さんの意見は的確な指摘であって、
芸術作品としての写真というもののクオリティというのが、
物理的工芸的なクオリティをないがしろには出来ないというものです。

それもあって、今回の大作は、ラムダプリントが使われています。
現在、昔のチバクローム、あるいはシバクローム、最近ではイルフォクロームと呼ばれる技術は、たいへんすぐれているのですが、私の調べた限りでは、公害問題で日本では使用がかなりむずかしくなっていました。
そういう条件の中では、レザーをつかった焼き付けのラムダプリントは、高画質の良いものであると言えます。

ここから始まって、泡と、向こう側に見える物との関係も。、
話されました。泡を撮るのか、泡の向こう側に見えるものを
含めて撮るのか。その関係性が芸術上の問題になったのです。

この作業後に、斎藤ちさとは写真についても猛勉強を開始して、
バージョンアップして来たのです。
そこで出て来たのが、ここにある小品としてある紙焼きです。

何が変わったのか、はじめは良く分からなかったのですが、
一つはアクリルの小さな水槽を作って、その水槽の中に炭酸水を入れて、
向こう側のものを、この水槽越しに撮影してしている事です。
それとカメラの性能が上がった。

そうしたプリントサイズは120×176mmを見せられて、
今回の制作がスタートしたのでした。
アートディレクターとしての彦坂尚嘉がやったのは、
まず、これら枚数の多い中で、《超次元》のものを選ぶことでした。
それと《ハイアート》と《ローアート》に分類する事でした。
《ローアート》に分類された写真は、向こう側の対象が安定して見える作品でした。
《ハイアート》の作品は、泡に焦点を当てると向こう側の対象に眼がいくのですが、
向こう側を見ようとすると眼が動いて、どちらにも焦点を結べずに、向こう側とこちら側の両方をさまよう動きになる写真でした。
アートマネージャーとしての彦坂尚嘉は、ここで《ローアート》を切り捨ててはいないのです。作品的には《ハイアート》の方が好きではありますが、一方的に芸術性を高くして、観客の人数を限定する事に、抵抗があります。それと《ハイアート》と《ローアート》という区分そのものの相対化というか、《ハイアート》と《ローアート》の同時表示を私自身は目指しているので、それもあって、従来のような純粋芸術主義を取らないのです。
 一番高い価格になってしまった気泡とモクレン(木蓮)の花」(1/16)というのは、この《ハイアート》と《ローアート》の同時表示が成立している作品です。さらに《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示も成立しています。この作品は、モダンアートの純粋芸術という過去の基準を乗り越えている、新しい今日の情報化社会の達成点と言えます。

話を戻しますが、ここに小品として選んだのは、《超次元》性のあるものです。
言い換えると別のプリントも存在しています。
その別のプリントを再度見直して、このホームページのショップで彦坂尚嘉の芸術分析を付けずに、ただし作家のサインは有る形で、売りたいと言う欲望があります。つまりそこでは、観客自らが好きな作品を買うという事です。コレクターを少なからず見て来ていますが、彼らは基本的には自分に合わせた、自分の好きな作品を買いたいという欲望を持っています。この欲望を、私は否定する気にはなれません。各自の責任で、自分の評価する作品を買うチャンスを、私は気体分子ギャラリーの中に成立させたいのです。つまり一方では彦坂尚嘉の芸術分析の付いている作品があって、もう一方では、フリーバリューの作品がショップに並んでいる状態です。

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小品

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気泡と緑色の実と葉っぱ(1) イメージサイズ:120×176mm

特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに緑色の実と葉の植物、そして少し見える黄色の花を撮影した写真です。気泡の白い粒と緑の植物と黄色の花が呼応していて美しい作品です。特に大小の泡の深さがきれいです。同時表示性を多くの項目でもっている、情報化社会の表現として完成度の高い名作です。

 

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
 
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
 
 
《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
 
 
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
 

 


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気泡と白いダリア イメージサイズ:120×176mm

特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに白いダリア、そして少し見えるオレンジの色を撮影した写真です。気泡の白い粒と白いダリアの花が呼応していて美しい作品です。真珠のような泡の硬質さがきれいです。同時表示性を多くの項目でもっていて、その中にはキッチュと純粋芸術の同時表示性もあって、情報化社会の芸術として完成度の高い名作です。

 

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
 
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

キッチュと純粋芸術の同時表示
《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
 《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
 
 
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
 

 



0313_3321.jpg

気泡と緑色の実と葉っぱ(2)   イメージサイズ:120×176mm

特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに緑色の実と葉の植物、そして少し見える紫の花を撮影した写真です。気泡の白い粒と緑の植物と紫の花が呼応していて美しい作品です。特に大小の多くの泡の深さがきれいです。同時表示性を多くの項目でもっている、情報化社会の表現として完成度の高い名作です。

 

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示

《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】


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気泡とレインボーブリッジに立つ自由の女神   イメージサイズ:120×176mm

特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しにレインボーブリッジに立つ自由の女神 を撮影した写真です。画像はもやもやしていて自由の女神は良く見えません。いわゆるピンボケ写真なのですが、気泡の白い粒は明確に見える作品です。特に大小の多くの泡の深さがきれいです。抽象性のある《ハイアート》で、《シリアス・アート》のシャープさの有る作品です。

 

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》
《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】


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気泡とクローバーのアクリル画 イメージサイズ:176×120mm

特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しにクローバーのアクリル画を撮影した写真です。気泡の白い粒と緑のクローバーの絵が呼応していて美しい作品です。特に大小の泡の深さがきれいです。抽象性の高い《ハイアート》で、《シリアス・アート》であります。

 

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
 
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
 
 
《シリアス・アート》
《ハイアート》
 
シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
 

 

 

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気泡とクローバーの油彩画 イメージサイズ:176×120mm

特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しにクローバーの油彩画を撮影した写真です。気泡の白い粒と暗い緑のクローバーの絵が呼応していて美しい作品です。特に大小の泡の深さがきれいです。泡の中にクローバーが映り混んでいるのが、魅力となっています。抽象性の高い《ハイアート》で、《シリアス・アート》であります。

 

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
 
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
 
 
《シリアス・アート》
《ハイアート》
 
シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

 

 

 



タグ:斎藤ちさと

アートスケープ(校正1) [告知]

アートスケープ.jpg

アートスペープに彦坂尚嘉/木村静の文章が載っています。
思ったよりもたいへんだったのは、
一つはartscapeが、大日本印刷のPR誌であると言う事で、
画像の著作権がやかましい事でした。

歴史的には、いわゆる「クズ写真」と言われた小さな画像は、
非商業目的に美術批評には使えるのですが、
私もアートスケープ側の立場を理解して、
写真は限定しました。
そのために、一つ失敗しています。

以下、直せなかった誤植と失敗です。
木村静さんのメールです。

彦坂尚嘉さま


留守番電話をきき、artscapeのサイトをチェックしたら、また校正点を見つけてしまいました。

あんまり何度もすると編集者さんに嫌われてしまうと思うのですが、一応お知らせとして

メールしました。


校正点は2箇所ありました。


2:2000年代のアートのスペクタクル化

の2段落め。


山本想太郎氏は、1966年生まれの建築家で、早稲田大学理工学研究科(建築専攻)修士課程を修了して坂倉建築研究所を経て、独立して山本想太郎設計アトリエを主宰しています。今村創平、南泰裕らとともに建築家ネットワーク・プロスペクターをつくって活動して、前回の2006年には、このグループの作品として「足湯プロジェ」を松之山湯田温泉「ゆのしま」敷地内にアート作品としてつくっています★1。


「足湯プロジェ」→「足湯プロジェクト」


また、プロスペクターの写真に

撮影・木村静

とありますが、私ではありません。



6:2000年代のアートのスペクタクル化

の中ほど。

つまり里山の小さな世界を、巨大空間にスペクタクル化することが北川フラムの仕事であった可能性が、越後妻有トリエンナーレにはあるのです。実際、越後妻有トリエンナーレの作品は、スペクタクル・アートであるものが多い。

 こうして2000年代の10年間のアートのスペクタクル化の幻影を押し進めた立役者として、北川フラムと村上隆という巨人が出現したのでした。

画像:http://blog.so-net.ne.jp/_pages/user/auth/article/index?blog_name=hikosaka2&id=14458939


このリンク先は、彦坂尚嘉さんのブログのトップページになってしまっています。


この程度ですんだという事で、読んで下さる方に、

一応お知らせとお詫びを申しあげます。





アートスケープ2.jpg

awのメーリングリストにも以下のように流しました。

  [aw-ml] 越後妻有とは何であったのか?


           みなさま
山本育夫様

暑中お見舞い申し上げます。

今年は越後妻有トリエンナーレがあります。

このたび、アートスケープというウエーブマガジンに
報告を書きました。
http://artscape.jp/

『越後妻有トリエンナーレとは、何であったのか?』という大論文です。

長いので、読むのは大変です。
それに越後妻有や、北川フラムが大嫌いな山本育夫さんにはご不快で 
しょう。

最後の5章の後半、
正確には塩田千晴の画像の後に、
北川フロム論の結論があるので、つまみ読んでいただければと思います。
単純な批判をしてはいませんが、
それでも北川フラムを対象化するはじめての大論文のはずです。


それと宣伝をすれば、
2章に私の作品の画像と【YouTube画像】が貼付けてありますの 
で、
せめて静止画像だけを、チラットだけでも、見ていただければと思いま 
す。

面倒くさい事で、申し訳ありませン。
どうぞよろしくお願いいたします。

季節がら、お体を大切になさって下さい。
また、別件で、個人メールをするつもりです。
どうぞよろしくお願いいたします。


彦坂尚嘉
アトリエ:〒252-0813藤沢市亀井野3−23−11
電話:0466-21-8898
携帯090-1040-1445
自宅:〒248-0016神奈川県鎌倉市長谷4-11-2
http://blog.so-net.ne.jp/hikosaka/



山本育夫さんからは黙殺されましたが、
たぶん、越後妻有の記事は読みたく無いのだろうと思います。
最初の時期に、山本育夫さんは、
越後妻有批判をずいぶんとなさった方なのです。

しかし山岡佐紀子さんから、メールの返信をいただきました。
ここにペーストしたいのですが、
awは、外部にペーストして大騒ぎになったことが過去にあるので、
一応は止めておきます。

しかし執筆には引用という手法は、伝統的には成立して来ているのです。
引用権というものがあるかどうかは議論がありますが、
しかし下記の様な事は、認められているのです。


著作権法第32条、48条にあるように、正当な範囲内で、
かつ「出所の明示」をする。

その引用であることを明示し、
そしてその出所をはっきり書き記すこと。

本文中で引用した部分を「」内に入れ、わかるようにする。
自分の記述と区別する。そして、それ以外の参照をした場合も含め、そのつど、原出所を何らかの方法で、どこかに明示する事。

(参照出典:『インターネットにおける引用権と著作権について ネットに公開されたサイトは公共財として自由に引用できるhttp://www.asyura.com/0403/dispute18/msg/840.html) 

以上が基本なのです。
この場合、閉じられたメーリングリストの場合、
同様の引用権があるかどうかは、議論はあると思いますが、
私は基本的には、AW自体が1000人を超す大きな
メーリングリストなので、公的な性格があるので可能であると考えます。

さて、そこで、部分引用をしておきます。

>芸術の鑑賞というのは、その人の人格的成熟と見合っているのであって、人格的に低俗な人は低俗な芸術が好きだし、人格的に凡庸であれば、凡庸なものが好きなのです。凡庸な人はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品は好きではないし、雪舟は嫌いなのです。人格的に成長して成熟し、高度になれば、高級な芸術が好きになるようになるのです。だから芸術鑑賞は、自分の人格的な成長と成熟をかけた闘いなのです。そしてまた、その人の人格性を現すものだから、欧米の社交界では、芸術の話をするのです。自分の人格と教養の高さの表示になるからです。>


しみました。
作品レポートでは、「よし見に行こう!」という気持ちになったり、「やめとこか」という気持ちになったりいたしました(笑)が、興味深かったです。

 (引用出典: 山岡佐紀子 [aw-ml] レポートの提出方法
  Date: 2009820 12:39:08:JST  aw-ml@yahoogroups.jp

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

山岡佐紀子さんが反応してくれた事は、
実は現在の社会情勢の中では、極めて反時代的な事です。

現在までの社会風潮は、人格の幼児的な《退化性》性を評価して、
絶賛するという傾向で動いて来ているからです。

そういう大勢に逆らう彦坂尚嘉の態度は、
ドンキホーテ以外ではないのですが、
私はそれを良く知っていて、やっているのです。
その意味で確信犯なのです。

ただ歴史的に見ると、
1991年から2009年までの20年間というのは、
新しいインタネット時代の若い時期で、
そういう意味で、野蛮で、アナーキーな時代であったと言えます。

それが大きな理由ですが、
もう一つの本質があります。
情報化社会というのは、倒錯文化なのです。

倒錯文化なので、芸術ではないデザイン的エンターテイメントが
もてはやされるという現象は強く出てくるのです。
しかしそれでも残る物と、残らない物があります。
時間の中で淘汰はされます。
その時に明らかになるものは、
単なる倒錯だけでは消えると言う事実です。

小品「気泡とレインボーブリッジに立つ自由の女神」に入札ありました [気体分子ギャラリー]

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小品「気泡とレインボーブリッジに立つ自由の女神」に入札ありました。
入札価格 5.000円です。

ありがとうございました。

気体分子ギャラリーはドメインを変更 [気体分子ギャラリー]

気体分子ギャラリーのホームページアドレスを変更しました。


気体分子ギャラリーはドメインを「kitaibunshi.com」に変更しました。

これに伴い、気体分子ギャラリーのホームページアドレス(http://hiko.hiho.jp)は新アドレス

http://www.kitaibunshi.com/ に替わります。


ブックマークの変更をお願いいたします。

 



家族あるいは人間関係(マトリックス追加改稿1加筆3) [生きる方法]

家族あるいは人間関係

 1

 家族や人間関係は崩壊しつつあるように見えます。

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従来の血縁関係が分解して来ているように見える状態があるのです。

一番ひどいのは遺産相続時に於ける、兄弟の鬼のような形相の争いと言われます。

そう言う経験をした人と話すと、鬼というものが、人間の遺産相続という欲の中で育って出現する様が推察されます。人間の欲望の解放が、20世紀に進んで来たのは事実ですが、その欲やエゴイズム故の争いが、骨肉の争いとなって噴出するのです。

 今日までの近代のお父さん、お母さん子供がいるとおう核家族は、
エディプスの地獄と言われるように,心理学的には矛盾を大きく抱えた疎外形態であったのです。
つまり核家族が、本来の家族ではなかったのです。
核家族というのは、《近代》特有の形態であって、
本来の家族というのは、この様な核家族ではなくて、大家族制度こそが正しい家族であったのです。
大家族の中で育てば、精神障害を起こさないで育つものが、核家族の中では、精神疾患を生み出す傾向が強いのです。

核家族における母と娘、母と息子の関係も多くが病的状態になっていて、母親や父親からはなれて暮らす事が解決策であるような状態なのです。

  

 つまりかつてのアボリジニーのような120規模の血縁集団に回帰できない故に、むしろ母親や父親から離脱して行く方が、精神的には自由で健康な成長が出来ると言う時代なのです。

 血縁家族のこうした解体性は、むしろ肯定的に評価しつつ、緩い血縁性を維持する事が重要なのです

 

2

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単身世帯と言う、一人暮らしが増えているのです。

「日本の世帯数の将来推計」によれば、ほぼ3軒に1軒が単身世帯です。

東京の世帯の中で、51%は一人暮らしであると言います。しかしその数字は具体的には、ネット検索では見つけられませんでした。 

東京都総務局の「住民基本台帳による東京都の世帯と人口」によれば、2004年の「区部における1世帯当たりの平均人員」が2を超えているのは、2.25で最高の足立区をはじめとする10区だけで、千代田・中央・港の都心3区を含む13区ではすべて1台なのだそうです。

ということは即ち、東京の過半の区では、最も多い世帯が単身世帯であるということになるというのです。(下図)

図1 区部における1世帯当たりの平均人員(2004年)

 

一人暮らしというのは、大昔には不可能であって、新しい今日の人間の獲得した可能性とも言えるものです。

ilusut.gif

 

 大昔の自然採取段階の野蛮と言われた無文字段階では、アボリジニーのような集団は120人くらいで移動し続けていたのであって、この血縁集団からは、離れ猿のような離脱か、婚姻による共同体からの放出以外には不可能であったわけで、今日の一人暮らしは、全人類史的には、非常に今日的な新しい可能性の領域なのです。

 

原始時代の集団の基本は血縁集団であって、それは大家族の基本構造を示していました。

 それに対して情報化社会の基本は、一人暮らしなのであって、それが個人の基本構造を現しているのです。

         

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 現在の一人暮らしとは反対である原始時代のアボリジニーを見てみると、それは一つの言語集団ではなくて、言語として知られているのは750にも上るものであって、つまりアボリジニーというのは、彦坂尚嘉の推論では、厳密な意味では120人くらいの群れごとに言語があって、つまりそういう血縁集団ごとの言語という少数言語の乱立が、実は血縁集団というものを作り出していたと考えられます。

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  アボリジニーの120人くらいの大家族の血族集団に対して、現在の一人暮らしを基本とする情報化社会では、現在の言語は英語による世界性以外には無い状態になっているのです。つまり原始の野蛮状態は言語が少数民族化しているのですが、今日の情報化社会では言語がグローバル化していて極限の多数化しているのです。

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 3

現在の血縁集団の崩壊という事態の進展が、人間の幸せの喪失となっているのです。

しかし同時に、新しい開放的な人間関係の創出でもあるのです。

つまり幸せに生きるという事であれば、自然採取時の原始共産性こそが人間の幸せを生み出すシステムであったのです。

「幸せになりたい」という欲望を実現させたければ、古い原始共産性に戻る事が、その答えなのですが、しかし現実には戻り得ないのです。

もどったような幻想を生み出すのは、一つは新興宗教やヤマギシ会のような集団ですが、私がお薦めできる性格のものではありません。

ヤマギシ会というのは、日本生まれの共産主義運動です。農業・牧畜業を基盤とした理想社会を作ろうとするミューン団体ですが、基本にあるのは「「無所有一体」の生活を信条とするため、参画するには一切の財産を会に供出する誓約が求められる」という原始共産主義に回帰する運動です。1953年(昭和28年)、故・山岸巳代蔵(1901~61)の提唱する理念の社会活動実践母体「山岸会」として発足して、現在も継続しています。

 アボリジニーに象徴される、原始共産主義的な社会と言うのは、人間にとって失われた理想生活であり、エデンの園であったのです。

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 そこではしかし、文字は無かったのです。

書き言葉が出現すると、人間の集団は定住するようになると同時に、

戦争する事を開始して、大きな共同体を形成するようになります。

戦争というのは、定住して農業をするようになると始まるのです。

それは遺跡で確認されている学問的な事実です。

つまりアボリジニーに見られる様な言語の小集団性は、人間が農業を開始して定住をすると、書き言葉が出現して、

そうすると農業をしながら、巨大集団の形成にむかって古代帝国を作り出していったのです。

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つまり書き言葉の出現と言う識字=リテラシーの出現を介して、

原始共産主義とも言える自然採取の小集団は解体されて行くのであって、つまりリテラシーの出現が、人間の諸関係を変革して行くのです。

 このことは今日の情報リテラシーでも同様であって、コンピューター・リテラシーの出現によって、従来の近代国家の閉鎖性は相対化され、言語もまた国民国家の言語としての日本語が相対化されて、英語の世界語化に還元されて行くのです。

つまり風が吹けば桶屋が儲かる式の話で言えば、今日の家族の解体と、英語の世界言語化は、関係性があるのです。

 

4

情報化社会の中には、実は人間疎外の4重化という非常に不幸な構造があって、そのことの重荷において現代という時代の新しさがあるのであって、

その重荷をになう事での新しい、いきいきとした人間関係の構築性も同時にある事を見て行かないと、駄目なのです。

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家族関係のマトリックス(基本) 彦坂尚嘉制作

 

人間の定住化が、地縁関係を作ったように、人間は産業革命を経ると、《近代》学校制度を作り学閥関係を生み出しました。

《近代》資本主義を生み出して、会社という終身雇用年功序列という共同体を生み出したのです。

情報革命は、こうした血縁/地縁/学閥・会社閥といった古い3段階の人間関係を相対化して、つながりを緩くする事で、情報関係とも言うべき、新しい第4の人間関係を作り出しているのです。

この第4のネット関係こそが、新しい時代の推進力となる人間関係なのです。

整理すれば、全人類の歴史の中には、次の4つの人間関係があったのです。

 

  1. 原始社会の第一人間関係である血縁関係
  2. 農業革命をへて作りだされた第2人間関係である地縁関係
  3. 産業革命をへて生み出された第3人間関係である学閥/会社閥関係
  4. そして情報革命をへて創出された第4の人間関係である携帯ット関係

現在起きている事は、古い血縁関係や、地縁関係、そして学閥/会社閥関係が、新しい情報関係によって、相対化され、解体され、再編されてきている事です。

このことの開放性と可能性を見て行かないと、新しい美術によるコミュニケーションも、新しい美術の創造性も、そして新しい美術の市場性も理解できない事になるのです。


横のラインで見ていただきたいのですが、
情報社会というのは、過去の人間関係を残して来ているので、
全人類は、この4つの人間関係の複合性の中にいます。

私たち自身が、人間関係といった時に、
こうした4種類の違う人間関係を、同時に持っているのです。

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つまり今日の美術を再編して行くものは、情報関係による再編なのです。この事の強力さを理解しないと、現在の基本を見失う事になります。

 

 たとえば私の古い付き合いのディーラーは、蓄積してきた顧客との関係の無意味化にぶち当たっています。アート・ディーラーというのは、コレクターに作品を売るとともに、価格が高くなった時に、その作品をコレクターから出さして、転売するという行為の繰り返しで、利鞘を稼いでいた商売でした。

 しかし現在の顧客は、コレクションしている作品を売る場合、画商を通して売るのではなくて、オークションに出して売ることを選択するようになったからです。

 オークションというのは、実は情報だけで成立している美術市場であって、従来の画商と顧客の画廊と言う会社を介しての会社閥的な人間関係は相対化されてしまって、お客は従来の人間関係を無視して、オークションに直に出すのです。

 こうしてコンピューター・リテラシーという一つの識字が成立すると、根こそぎの崩壊が出現するという事を冷静に見て行かないと、識字=リテラシーというものが、文明や文化を作っていると言う問題の本質を見失います。

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 こうした新しい事態に対して、反動も当然のように起きます。

この反動を本質として見誤ると、認識者としてはマズいのです。

つまり古い閉じた人間関係に戻って、安心したいという反動の欲望も起きるのです。

人間の精神は、しかしこの反動にむかうものなのです。

反動性においてしか、思考の原点が確認できないのです。それもまた生理であって、この生理を相対化する冷たい認識者の眼を持たないと、今日のサントーム的な視点を獲得できません。

だから、今日の和物のブームにしろ、古い地方への回帰にしろ、農業への回帰にしろ、そのことが悪いのではありませんが、それをサポートするネット環境の整備が無いと、すぐに行き詰まり、崩壊するのです。

地方に、何処にいてもつながる携帯電話網の整備は重要ですし、何処でもインタネットがつながる整備が重要なのです。

こういうものが無い形で、単に古いものに回帰しても、行き詰まって破綻するのです。

つまり進歩があれば、退化があるという、こういう二重性自体を,対象化し、この両者を同時表示して行く《つなぎ=サントーム》が必要なのです。

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18万円の作品入札ありました。 [気体分子ギャラリー]

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斎藤ちさとさんの作品『
気泡と月島のビル群』に、
18万円の入札ありました。

この作品は、今回の制作の中でも、
斎藤ちさとが大きく飛躍した作品で、
アートプロでユースして来た彦坂としても、
ひときわ思いの深い作品であったので、
入札いただいたのは、たいへんうれしいです。

タグ:斎藤ちさと

入札ありました/斎藤ちさと写真の廉価版《超1流》作品(画像追加) [気体分子ギャラリー]

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入札ありました。

斎藤ちさと写真の廉価版《超1流》作品です。
5000円です。


 

入札作品は、# 05 クローバーの葉のシリーズの白っぽいものです。

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