SSブログ

斉藤ちさとの作品解説と芸術分析/価格 [気体分子ギャラリー]

題名:気泡とモクレン(木蓮)の花 

2008-09年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:435×652ミリ

特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに撮影したモクレンの花の写真です。作品のテーマは、モクレンの花の美しさよりも、手前の気泡の方にあるのです。私たちの人間関係は、この気泡のように各自が自立して、バラバラにただよっています。この写真作品の気泡を見ようとするとモクレンの花に目がいくし、逆にモクレンの花を見ようとすると、気泡に目が動いてしまいます。見るものの視線が、気泡とモクレンの花の間を揺れます。

1021_0827_small(1).jpg
彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

定価    :450,000円
最低入札価格:200,000円


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

題名:気泡と月島のビル群 

2008-09年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:435×652ミリ

東京の月島のビル群を、特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに撮影した写真です。作品のテーマは、月島のビルの風景そのものよりも、手前の気泡の方にあるのです。気泡はまるで金属のように硬質で、しかも気泡と気泡の関係が作り出す空間の深みは、日の当たるビルの輝きとともに、不思議な光景を作り出しています。これは何なのでしょうか? 見るものの言葉を失わせるかの様なもやもやした世界は、世界が蒸発して雲の様な水蒸気になって気象化した現代を象徴してかのようです.

1105_9949_small.jpg
彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》
《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

定価    :400,000円
最低入札価格:180,000円

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

題名:気泡とクローバーの絵 

2009年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:435×652ミリ

2003年、斉藤ちさとが描いたクローバーの絵が、川久保玲の目にとまってコム デ ギャルソンのイメージDMに使われています。さらに2005年の 『コム デ ギャルソンによるコム デ ギャルソン展』にも展示されました。そのクローバーの絵を、特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その気泡越しに撮影した作品です。たくさんの気泡の一つ一つに、クローバーの葉が写り込んでいて、背景のクローバーと気泡のクローバーが呼応しています。この背景を内部に取り込んだ気泡の一つ一つのありようは、まるで私の欲望の姿です。確かなものとしてある自分の欲望が、実は背景である社会の欲望のコピーであるのです。私たちは、この気泡のように各自が自立して、バラバラにただよっているのですが、しかし背景のコピー世界を内部に取り込んでいるだけなのです。そうして私たちは幸福の4つ葉のクローバーを執拗に探しているのです。

 

0127_1941-1_small.jpg
彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》
《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

定価    :450,000円
最低入札価格:200,000円


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

題名:気泡と自由の女神 

2009年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:652×435ミリ

特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに撮影したお台場にある自由の女神の写真です。自由の女神の像は、写真では良く分からないものになっています。作品のテーマは、手前の気泡の方にあるのです。気泡はまるで金属のように硬質で、しかも気泡と気泡の関係が作り出す空間の深みは不思議な光景を作り出しています。これは何なのでしょうか? 見るものの言葉を失わせるかの様なもやもやした世界は、世界が蒸発して雲の様な水蒸気になって気象化した現代を象徴してかのようです.

0515-5555-1_small.jpg

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》
《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

定価    :400,000円
最低入札価格:180,000円

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

題名:気泡とレインボーブリッジ 

2008-09年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:435×652ミリ

レインボーブリッジを、特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに撮影した写真です。レインボーブリッジは、写真では良く分からないものになっています。作品のテーマは、手前の気泡の方にあるのです。気泡はまるで金属のように硬質で、しかも気泡と気泡の関係が作り出す空間の深みは不思議な光景を作り出しています。もやもやとしたスチーム状の世界は、世界が蒸発して雲の様な水蒸気になって気象化した現代を象徴してかのようです.

1105_9938_small.jpg
彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》
《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

定価    :300,000円
最低入札価格:150,000円

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


題名:気泡とクローバの絵 

2009年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:652×435ミリ

2003年、斉藤ちさとが描いたクローバーの絵が、川久保玲の目にとまってコム デ ギャルソンのイメージDMに使われています。さらに2005年の 『コム デ ギャルソンによるコムデ ギャルソン展』にも展示されました。そのクローバーの絵を、特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その気泡越しに撮影した作品です。たくさんの気泡の一つ一つに、クローバーの葉が写り込んでいて、背景のクローバーと気泡のクローバーが呼応しています。この背景を内部に取り込んだ気泡の一つ一つのありようは、まるで私の欲望の姿です。確かなものとしてある自分の欲望が、実は背景である社会の欲望のコピーであるのです。私たちは、この気泡のように各自が自立して、バラバラにただよっているのですが、しかし背景のコピー世界を内部に取り込んでいるだけなのです。そうして私たちは幸福の4つ葉のクローバーを執拗に探しているのです。
0127_1973-1_small.jpg
彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

定価    :400,000円
最低入札価格:180,000円

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


【続きはここをクリックして下さい】


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

パフォーマンスとしての斉藤ちさと作品の展示(展示論を少し加筆1) [気体分子ギャラリー]

斉藤ちさとの写真作品を、彦坂尚嘉が手でもって展示パフォーマンスをして、
それをまた、斉藤ちさとが撮影して写真にしたというコラボレーション作品です。
彦坂尚嘉展示パフォーマンス1_small.jpg


彦坂尚嘉展示パフォーマンス2_small.jpg


彦坂尚嘉展示パフォーマンス3_small.jpg




彦坂尚嘉展示パフォーマンス4_small.jpg



彦坂尚嘉展示パフォーマンス5_small.jpg



彦坂尚嘉展示パフォーマンス6_small.jpg



彦坂尚嘉展示パフォーマンス7_small.jpg


気体分子ギャラリーは、ネットギャラリーなので、ギャラリーとしての建築の箱を持っていません。
そうすると、展示そのものについても、自由度が増すのです。


展示そのものをパフォーマンスとしてなし得るのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「作品展示」というと、画廊や美術館でのホワイトキューブといった抽象的な空間を前提にした展示をイメージしますが、それは美術作品の普遍的な展示形式ではありません。

たとえばアルタミラの洞窟における美術は、岩の固まりに彩色を与えた様なサイトスペシフィックものです。
つまりアルタミラの洞窟の美術は、サイトスペシフィック・アートなのです。
サイトスペシフィック・アート(Site-specific Art)とは、特定の具体的な場所に存在するために制作された美術作品およびその展示です。

このことから振り返って言うと、《近代》におけるホワイトキューブの抽象的な空間への展示というのは、実は《流通》を前提にした美術市場を象徴したものなのです。この展示性をもっとも具体的に示すのは、サザビーズやクリスティーズのオークション会場での展示です。その壁は、作品を展示しているというよりも、流通の壁であって、展示ではなくて流通なのです。実は昔の銀座の貸し画廊の白い壁もまた、流通の壁であって、ラブホテルのような貸し空間の壁というのは、通り過ぎるラブアフェアの空間と同様の、貸しという金銭取引の白い壁であったのです。つまり白い壁に展示するというのは、あくまでも金を基本においた市場の空間に過ぎません。それは全人類のすぐれた美術作品のありようを見てみれば分かりますが、《近代》特有の異常な展示であったに過ぎないのです。

さて、では情報文明における美術の展示というのは、どうなるのでありましょうか。つまりインターネット空間に美術作品を還元して行こうとする時に重要なのは、基本としては、《近代》特有の白い壁の展示を否定するものであることが模索されないと、面白くないのです。

越後妻有にしろ、四国にしろ、深川にしろ、何処で展示しようと、インタネットの情報空間に還元して行くのならば、もっと自由に展示もまたなし得るのです。展示というものの本来性や本質を否定して、非本質的で、非本来的な倒錯した展示の可能性を探してみる。これらは、情報化文明を否定する人たちが指摘するようにゴミ情報に過ぎないのですが、ゴミ情報こそが情報化社会の重要な文明なのです。何故にゴミで良いのか? それは人間存在そのものがゴミだからです。一片のゴミとして生きて死ぬことの正当性をかけて行く事がアートであって、そのゴミ性こそが、人間存在と文明の隠された真実を指し示すのです。

フリーアートの問題は、こうしたゴミ性と深く関わっています。フリーアートと、商品としての美術作品の両方から見る事においてしか芸術そのものの本質は見えないのであって、その意味でも、アートの情報化としての展示の追求(=フリーアート)は、やってみる値打ちはあるのです。










nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。