斉藤ちさとの作品解説と芸術分析/価格 [気体分子ギャラリー]
題名:気泡とモクレン(木蓮)の花
2008-09年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:435×652ミリ
特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに撮影したモクレンの花の写真です。作品のテーマは、モクレンの花の美しさよりも、手前の気泡の方にあるのです。私たちの人間関係は、この気泡のように各自が自立して、バラバラにただよっています。この写真作品の気泡を見ようとするとモクレンの花に目がいくし、逆にモクレンの花を見ようとすると、気泡に目が動いてしまいます。見るものの視線が、気泡とモクレンの花の間を揺れます。題名:気泡と月島のビル群
2008-09年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:435×652ミリ
東京の月島のビル群を、特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに撮影した写真です。作品のテーマは、月島のビルの風景そのものよりも、手前の気泡の方にあるのです。気泡はまるで金属のように硬質で、しかも気泡と気泡の関係が作り出す空間の深みは、日の当たるビルの輝きとともに、不思議な光景を作り出しています。これは何なのでしょうか? 見るものの言葉を失わせるかの様なもやもやした世界は、世界が蒸発して雲の様な水蒸気になって気象化した現代を象徴してかのようです.。
題名:気泡とクローバーの絵
2009年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:435×652ミリ
2003年、斉藤ちさとが描いたクローバーの絵が、川久保玲の目にとまってコム デ ギャルソンのイメージDMに使われています。さらに2005年の 『コム デ ギャルソンによるコム デ ギャルソン展』にも展示されました。そのクローバーの絵を、特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その気泡越しに撮影した作品です。たくさんの気泡の一つ一つに、クローバーの葉が写り込んでいて、背景のクローバーと気泡のクローバーが呼応しています。この背景を内部に取り込んだ気泡の一つ一つのありようは、まるで私の欲望の姿です。確かなものとしてある自分の欲望が、実は背景である社会の欲望のコピーであるのです。私たちは、この気泡のように各自が自立して、バラバラにただよっているのですが、しかし背景のコピー世界を内部に取り込んでいるだけなのです。そうして私たちは幸福の4つ葉のクローバーを執拗に探しているのです。
題名:気泡と自由の女神
2009年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:652×435ミリ
特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに撮影したお台場にある自由の女神の写真です。自由の女神の像は、写真では良く分からないものになっています。作品のテーマは、手前の気泡の方にあるのです。気泡はまるで金属のように硬質で、しかも気泡と気泡の関係が作り出す空間の深みは不思議な光景を作り出しています。これは何なのでしょうか? 見るものの言葉を失わせるかの様なもやもやした世界は、世界が蒸発して雲の様な水蒸気になって気象化した現代を象徴してかのようです.。
題名:気泡とレインボーブリッジ
2008-09年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:435×652ミリ
レインボーブリッジを、特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その水槽越しに撮影した写真です。レインボーブリッジは、写真では良く分からないものになっています。作品のテーマは、手前の気泡の方にあるのです。気泡はまるで金属のように硬質で、しかも気泡と気泡の関係が作り出す空間の深みは不思議な光景を作り出しています。もやもやとしたスチーム状の世界は、世界が蒸発して雲の様な水蒸気になって気象化した現代を象徴してかのようです.題名:気泡とクローバの絵
2009年制作 ラムダプリント、イメージサイズ:652×435ミリ
2003年、斉藤ちさとが描いたクローバーの絵が、川久保玲の目にとまってコム デ ギャルソンのイメージDMに使われています。さらに2005年の 『コム デ ギャルソンによるコムデ ギャルソン展』にも展示されました。そのクローバーの絵を、特別に作ったアクリル製水槽に炭酸水を入れて、その気泡越しに撮影した作品です。たくさんの気泡の一つ一つに、クローバーの葉が写り込んでいて、背景のクローバーと気泡のクローバーが呼応しています。この背景を内部に取り込んだ気泡の一つ一つのありようは、まるで私の欲望の姿です。確かなものとしてある自分の欲望が、実は背景である社会の欲望のコピーであるのです。私たちは、この気泡のように各自が自立して、バラバラにただよっているのですが、しかし背景のコピー世界を内部に取り込んでいるだけなのです。そうして私たちは幸福の4つ葉のクローバーを執拗に探しているのです。パフォーマンスとしての斉藤ちさと作品の展示(展示論を少し加筆1) [気体分子ギャラリー]
気体分子ギャラリーは、ネットギャラリーなので、ギャラリーとしての建築の箱を持っていません。
そうすると、展示そのものについても、自由度が増すのです。
展示そのものをパフォーマンスとしてなし得るのです。