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額縁について(加筆1) [アート論]

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額縁について1

1960年代後半の私の学生時代は、
「タブローの外に出る」という命令が、
どこからとなく空気としてあって、それと格闘することになりました。

そもそもタブローと言うものが何であり、額縁と言うものがなんであるのか?

そういうことも表面的には画材屋さんに行けば理解できるように思われるかもしれませんが、それは浅い意味にすぎません。
深い意味で理解する事が、日本にいると出来ませんでした。

日本というのは、伝統的な事ではない欧米のことになると、
表面的な浅いことしか教えてくれなくて、額縁やタブローについても、
大学では、正面からきちんと教えてくれませんでした。

それこそ、キャンバスのプロポーションのFMPついても、
その厳密な比例を、教えてくれなかったのです。


「わかる」ということが、浅いというのは、
この私のブログでたびたび使用している用語で言うと、
《シニフィエ》の連鎖で理解すると言う事です。

その範囲で言えば、タブローというのは額画であって、
それは掛け軸とはちがうし、絵巻などとも違うという範囲で理解する事になります。

西洋型の額装をしたものであれば、それは20号サイズでも、150号サイズでも、
さらに500号サイズでも、額画であって、同一と言う事になります。

しかし厳密にはタブローと言うのは20号くらいのものが原型であって、
あくまでも運搬美術である事なのです。
ですから150や、ましてや500号というのは、タブローではないと言えます。

そしてまた、《シニフィエ》としてだけ理解すれば、
額というのは、画材屋に行けば売っているもので、
額屋で、額装を頼めば良いと言う事になります。

その範囲の理解で、「タブローの外にでる」という文化命令が
空気としてあっても、それが何を意味していて、
何故に外に出なければならないのかを、誰も説明してくれないのです。

こうした事を説明するには、歴史的な説明と、それを具体的に示す、
歴史的な作品群がないと無理なのです。
そうしたものが日本には無いのです。

今も同様ですが、
日本の文化と言うのは、キチンと何かを教えてくれなくて、
奇妙な空気や、先入観だけが存在しているのです。

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額縁について2

キャンバスを使った絵画でも、額を外すのが現代美術であるという、
そういう表面的なレベルは理解する事はできます。

そのくせに、版画やドローイングなどの紙の作品は、
汚れやすいので、事実上額を取る事がむずかしくて、
いつの間にか、額装は、当たり前のこととなって、
しまいます。

実はキャンバスの額装と、版画やドローイングの額装の意味が違うのです。
本来は版画やドローイングは、実は壁に垂直に掛けるものではなくて、
むしろ机上での水平絵画であるものなのです。

日本の教育機関の多くが、こうした厳密な区分を、多くの人が論じないし説明してくれないのです。

そうこうするうちに、1980年代になると今度は絵画が復権されて、
「絵画、絵画」とお題目が繰り返されて、
絵画とは何であり、どのような種類があり、
そのような絵画を良しとして、どのような絵画を悪いものとするのかも
はっきりしないままに、絵画という言葉が一人歩きして行きました。

そうすると、1960年代後半の「タブローの外に出る」ということは、
何であったのかもわからない事になるのです。

そういう矛盾も、
日本の中では、誰も真面目に論じる事はしませんでした。

そして絵画の復権だけが、声高に主張されて、
その最大の勝利者として辰野登恵子が国立近代美術館で回顧展をするのですが、
その辰野登恵子自身が、いつの間にか、つまらない絵でしかなくなって、
こういう絵画の復権の騒ぎも、いつの間にか、キャラクターとか漫画に
席をゆずて、村上隆/奈良美智の時代になって、忘れられて行きました。

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額縁について3

1981年に初めてイタリアに行って、ベニスビエンアーレに参加しましたが、
そこで額縁の発生の歴史が、建築の中に過程として残されていて、
事実として、実感を持って、額縁の形成を理解できたという気がしました。

額縁そのものは、建築の部品であって、
絵画が、建築の装飾として生まれ、その歴史的経緯が、尾てい骨のように、
残ったのが、額縁なのです。
それは単にフレームと言う事ではなくて、建築のエレメントとしての、
機能や装飾性や、プロポーションを含むものです。

つまり絵画の起源の一つが建築美術であって、
額縁は、その建築美術に基礎づけられるものなのです。

それは彫刻の台座に対応するものであありました。

近代絵画や近代彫刻のモダンアートが展開して、
現代美術と呼ばれるようになり、1960年代に入ると、
この建築との関係を示す残存を排除して、台座無き彫刻や、額縁無き絵画という形で、彫刻の自立や、絵画の自立をが目指されます。

そして何かが終わるのです。

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何が終わったのか?

彦坂尚嘉の理論では、
このような変化は、文化や文明の様態変化であったと説明します。

つまり額縁の起源の時代は前近代であって、その文化構造は、
2Oという水の比喩で語れば、氷の状態であって、
文化そのものがくっついていたという事です。

氷河が流れるように文化や歴史が動くので、
建築も絵画も彫刻も、工芸も装飾も、氷のように固まっていて、
お互いにくっついているのです。

それが《近代》になって、産業革命が進むと、
温度が上がって、氷は融けて水になって、川が、氷河に比べると圧倒的に早くに流れるようになります。

氷が溶けると、くっついていた様々なものが水の中にバラバラになって自立していわけで、そういう中で、絵画と建築は分離し、そして絵画と彫刻も分離します。さらに絵画と額縁も分離したのです。

絵画は、額縁無しになります。

そして額縁もまた、絵画無しで自立するのです。

それがジャッドの特殊な物体なのです。
すべてではありませんが、ジャッドの作品の中には、額縁が近代化されて、自立したと見る事も出来る構造をしたものが、いくつもあります。

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額縁について4

額縁の意味について、大きな示唆を与えてくれたもう一人のアーティストに、
メープルソープがいます。

メープルソープが死ぬ直前に開いたホイットニー美術館での回顧展を見に行きました。
メープルソープの作った額縁や、凝ったマットの使用が見られ、
さらに不思議な幾何学的図形のオブジェのようなものもありました。

このメープルソープの額縁は刺激的で、私は帰国後、模倣した額縁を、
発注して作ってみています。

額の制作は、故・榎倉康二さんが手作りのものをやっていたり、
海外ですがホックニーをはじめとする何人かの凝った装置としての額縁を見ていて、それなりに面白いと思いました。

私自身も、結構お金をかけて特注の額縁や、特注の彩色額縁を作りましたが、お金がかかって、疲れてしまいました。

一時期は、お金がなくなったこともあって、一番安いものを使っていましたが、それは画廊からたしなめられて、安物の使用はマズい事を自覚しました。

そう言うこともあって、気体分子ギャラリーでは、《第1次元》を基準に、それなりに良い額装を目指しています。

それと、装置論を書かないと説明にならないのですが、この執筆ではそこまで出来ませんが、装置としての額装を考えています。額の中に、作家紹介と、作品解説を組み込む事を試みたのが、前回の伊東直昭‎展ではささやかに行われていたのですが、思ったよりも良かったので、今回の斉藤ちさと展では、さらに挑戦をしようとしています。

装置の問題は、表現がシニフィエ化すると、その頼りなさをカバーするために装置が必要で、このことはピピロッティ・リストの回顧展を見て、良く分かったのですが、その辺の問題意識と額装の問題、つまり情報化社会の額の意味と様式を、追求してみたいと思っています。


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