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メーキングビデオの最初のもの(大幅加筆1) [制作]


木村静さんが、
越後妻有トリエンナーレの私の田麦のビデオをもう一本アップしてくれました。

現地に着いた最初のものです。

 

撮影をしてくれた木村静さんが、ブログで文章を書いてくれました。

先週末は3日間、越後の山に篭っていました。無心で撮影していました。

7月26日から9月13日まで新潟県の越後妻有(えちごつまり)地区で行われる「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009」のために制作している芸術家の彦坂尚嘉さんと3人のアーティストの方に同行しました。金曜の早朝に新宿から武田友孝さんの車に乗り、越後へ。彦坂尚嘉さんのほかには、山口俊郎さん、中川晋介さんの5人です。

越後妻有アートトリエンナーレは3年に一度開かれ、今回が4回目。過去にボランティアとして参加した友人が、「北海道でもこういうのやろうよ」と、ガイドブックや写真を見せてくれた。あれから2年、開幕前の越後妻有に来ているなんて。

私は美術の知識もなく、いつも身体と心で感じたまま言葉をつないだり、その感覚でシャッターを切ったりするだけなのだが、出会って間もない彦坂尚嘉さんはそんな私の言動をとてもよく理解してくれる。

山の中の田麦という集落の、小さな土壁・木造の小屋の芸術作品は、とんでもない力を放っていた。
そして、カメラを向けるたび、レンズ通して芸術のパワーが一気に私に向かってきて、圧倒された。
すさまじい勢いで作品の力を正面から受け、倒れそうになる。両方のこめかみのあたりで線香花火がチリチリ燃え、肩から足にかけては台風の強風がつねに吹いているような状態。朝からそんな状態で、夕方には立っていられないほどへとへとになる。

おいしい食事や温泉、少しのお酒で中和するけど、神経がチカチカするのはどうにも収まらない。

映像と写真で記録を一部UPしたので見てください。(写真は次の記事です)

映像は、2つ前に3つと、新たにUPしたのがこちらの1本。到着直後の様子です。彦坂さんは毎週末作業に来ていて、武田さんと山口さんは2週間ぶり、中川さんと私は初めて来ました。全員驚きながら入っていきます。
彦坂尚嘉さん自身による解説がとてもわかりやすいです。制作過程については彦坂さん自身のブログで何度も触れていますが、作品の解説は、この映像が初めてかもしれません。

20年以上かけて成長したのに間引きされ、切られて山中で腐っていくしかない間伐材と、競争社会の中で行き場をなくす人々を重ねて表現されています。私と同じくらいの年数生きてきた木が切られていく事実に心が痛くなった。

しかたない、という言い方もある。木がまっすぐ大きくなるためにある程度の間伐は必須だと。
しかし、もっと広く、遡って考えてみる。原生林は間伐などしなくても自然のバランスが保たれていた。
人間が産業のために大量に伐採し、ハゲ山に偽者の秩序をこしらえて、ごまかすために植林した。
その結果、常に山は異常な数の木であふれ、秩序という理由で間伐は続いている。
人間社会も常に、秩序という理由で排除が続いている。

ちょっと書きすぎてしまった。
映像や文章や映像をどれだけ駆使しても、伝わるものには限度がある。
もし興味をもったなら、彦坂尚嘉さんのブログを見て、そしてもっと興味をもったなら、現地に足を運んでほしい。

私は26日の開会式に向け、25日から再び越後妻有に入ります。

http://channelp.exblog.jp/10629129/


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この作品は、フロアーイベントという、1969年の私のデビュー作品から、断続的に作られて来ている作品の新展開なのですが、当初のプランは竹を使う予定でした。こういう作品の場合、何よりも重要なのは金銭の問題であって、限られた予算で、どのように自分のやりたい事をするのか? ということです。竹の使用を考えたのも、竹が費用的に安いので、それが重要な要素でした。ですから当初、この安い竹を探したのですが、その中で間伐材に到達したのです。

津南という地域で、間伐が大規模に行われて、不要な間伐材がタダで手に入るという情報をアートディレクターの奥野恵さんが聞き込んできたのです。津南の山奥で、舗装されない道の、奥の奥まで入って、間伐材を運ぶ所から、この作品は現実化して行きました。概算では1000本の丸太が必要で、1000本と言うとたいへんで、手伝ってくれる人が嫌になりそうに思えたので300本と言う所で、始めました。

今回の制作を手伝ってもらうメインの人として元・東京スタジオの武田友孝さんを口説いてお願いしたのは、細かい部分も含めると作業量が多くて、自分一人ではやりきれない事が分かっていたからです。それと奥野恵さんのディレクターとしての采配が大きかったのです。どうしても人力に頼るので、小蛇さんというボランティアの人手を適切に回してもらう事が重要だったからです。

木村 静さんが撮影してくれたこの段階では、すでに田麦の村の農民の方々の手助けでチェーンソーで細分化された丸太が運び込まれて、ほぼ床を埋め尽くした段階です。この段階で、後100本以上が足りなくて、この後雨の中、再び津南の山奥に入って、軽トラック一台分の丸太を運びます。雨の中、香港から来てくれた小蛇さんたちが助けてくれて、トラックに乗せます。

水を吸った丸太で、軽トラックが坂を上れなくて、迂回して田麦の現地に着くのですが、この運搬が、今回の山場でした。こういう制作では、事故を起こさないで進めるというのが、重要なポイントです。この危ない運転は私が自分でやって、助手席には木村静さんが乗ってくれました。油断をすると大事故になる運転で、最後に田麦の村の坂を登る途中で登れなくなって、セカンドからファーストにマニュアルのギアを切り替えたタイミングが、最後の勝負でありました。こうして事故にならないで、乗り切って、何とか間伐材の量を埋める事ができました。最後の切断を全部やってくれたのが画家の山口俊郎さんで、これも危ない作業なので、何回か事故らないように声をかけましたが、無事に出来ました。

今回の作品では、壁に絵も描いています。号数的には500号を超える絵を2枚短時間に描く必要があって、家庭用壁塗料で、ローラーと刷毛で描いています。こうした大きな壁画のようなもの、しかも会期が終われば廃棄されるものを、いかに短時間で能率良く描けるかと言うのも、実は考えて何回かやって来ているので、出来る事でありまして、普通の画家には出来ない事です。見ている側からは、たいした事ではないように思えることですが、こうした廃棄を前提にした大きな建築水準の美術作品を、少ない予算と少ない時間で事故無く仕上げて行くのには、それなりの能力の蓄積がないと、段階段階での多くの決断の決定が必要で、そうした事を自分の責任で展開する事は出来ないのです。そう言う意味では、1969年の多摩美術大学のバリケードの中での美術展からはじまった私のインスタレーションの制作の、集約点であると言えます。

今回を最後にして、こうした廃棄を前提にした制作は、できれば止めたいと思っています。何よりも体力的な限界が来ています。

美術作品には、大中小の三つのサイズで区分される領域があります。大というのは、建築美術で、壁画や、今回の様な家全体を使う作品です。

中というのは、タブローで、運搬を前提にした作品です。美術市場に乗るものの基本は、この傾向であります。市場性を前提にした大きな美術というのも、実は中くらいのタブロー的なものを拡大しただけで、位相としてはタブローなのです。

小というのは、本の美術です。イラストレーションや画巻、絵巻物、そして版画、さらには写真などの多くも、この小さい美術です。つまり大である建築美術の系譜、中である市場美術の系譜、そして本の美術の系譜というように、3つの領域と系譜があるのですが、この3つをどれでも適切に作れる能力は、一丁一石では、養えないのです。

おのおのの系譜や位相の違いを、キチンと本当の意味で理解できていないと、根本的な間違いのまま制作してしまう事になります。大きな作品はつくれても、小さなものは作れない作家、そしてギャクに、中くらいのペインティングは良いものが出来ても、大規模な建築美術は作れない人。そうした、さまざまな能力の作家がいます。多くの美術家は、大中小のサイズは識別できても、そのサイズが実は建築美術、市場美術、本の美術という起源の違いに根ざした、本質的な差異を持っている事を理解していない人が大半であるように私には見えます。 

とは言っても、それは私自身をも含む事です。私にとっても、なかなかこうした起源を自覚する事がむずかしいのです。制作は一応出来上がってからが、本当の制作の開始でして、こうしたことを詰めて考えて行く必要があります。今週再び越後妻有に行きますが、ここで完成させなければなりません。

タグ:彦坂尚嘉
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間寛平の顔 [美人論]


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間寛平さん、大西洋横断へ=ヨットで5300キロ航海

7月15日0時29分配信 時事通信

 【ニューヨーク14日時事】ヨットとマラソンで世界一周を目指している人気タレントの間寛平さん(59)が14日、米ニューヨーク・マンハッタンを出航し、フランス・ルアーブルに向かった。間さんは想定期間30日、約5350キロのヨットでの大西洋横断航海に挑む。
 間さんは「頑張ってくるわ。ヨットってこんなに楽しいというところを伝えたい」と話し、桟橋を後にした。
 2016年東京五輪の招致大使を務める間さんは昨年12月、五輪実現の願いを込めて大阪からマラソンで出発。千葉からヨットで太平洋を渡り、今月8日に約4カ月をかけたマラソンによる北米大陸横断を達成した。フランス到着後はユーラシア大陸を走破し、来年11月以降に大阪に帰還する予定だ。 
KanHiroshiTaira.jpg
アースマラソンに挑む間寛平の顔を面白いと思いました。
普通の意味で美人とは言わないでしょうが、懐かしい顔であることと、
そして、奇妙な空無さをもっていて引きつけられます。
ある種の白痴美人というか、
馬鹿美人というか、
日本人を引きつける骨董的なものがあります。

kanpei.jpg
《想像界》の眼で《第6次元》の《デザイン的人格》
《象徴界》の眼で《第6次元》の《デザイン的人格》
《現実界》の眼で《第6次元》の《デザイン的人格》

《現実界》の人格
固体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。
『真実の人』

何故にアースマラソンをやるのか?
いろいろな理由があるのだろうが、
彦坂尚嘉の顔面分析では、先ずは現実界の人で、
しかも固体人間という前近代的な人と言うのがある。
前近代的時代は、もともとは《象徴界》が支配した時代だが、
宮本武蔵のような《現実界》の人間もいた。
間寛平は、宮本武蔵のようなタイプであると言える。

しかもコメディアンでありながら《シリアス人間》で、
そして《ハイアート》的な人間。
つまり伝承的な価値観を超えようとする人間なのです。

なのに、何故にデザイン的な人格なのか?
デザイン的と言うのは、フロイトの言う《退化性》が無いと言う事。
この《退化性》というのは、もっと正確に言えば、その人格の成立の過程が、歴史的蓄積性を持っているかどうかと言う事。間寛平の場合には、そうした私的体験の蓄積が幼児から一貫して継続はしていなくて、キチンと成人になって、子供の時代との継続性は切って、去勢してしまっている。だからこそ、挑むのがアースマラソンというような、ある意味で私性を超えた公的な領域になったのだと思います。

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