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シニフィエ論としてのラモーンズ/シンディ・シャーマン(改題加筆) [アート論]

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ラモーンズというのは、
アメリカパンク・ロック・バンドです。
音楽的には6次元で私は好きではありませんが、
情報化社会の表現を考える意味では重要なのです。

1976年にメジャーデビューしています。

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1975年にアメリカがベトナム戦争にやぶれて、
「2つの近代」の内の一つの自由主義の《近代》が終わった翌年に、
パンク・バンドのラモーンズは出現しているのです。

パンク・ロッックというと、興味を持たれない方も多いかもしれませんが、
情報化社会の音楽としては、
繰り返し登場してきて、
バットレリジョンとか、アヴリル・ラヴィーンなど、
高度な音楽性にまで展開してくる
ある種の流派とも言うべき様相を持ってきています。

ラップにも同様の現象が見られて、
《近代》の黒人音楽が変貌し続けたのに対して、
情報化社会の音楽は、同じ様式を繰り返す傾向が強く出ているのです。

これは美術にも言えて、
シンディシャーマンの亜流が世界中で量産的に出現してくるように、
同じ傾向の表現が、繰り返し焼き直されて、
似ているのですが非なるものとして登場してきます。

こうした情報化社会の芸術の類似性というのが、
実は重要な表現の性格であるようなのです。

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ラモーンズを奈良美知が好きだと言っていて、
実際にラモーンズを主題に何枚も描いています。
つまりラモーンズとは何かという問いというのは、
奈良美知とは何か?という問いでもあるのです。

この問題をシニフィエ化の問題として考えたいと思います。


「はじめにすべてありき」という原則に照らしあわせれば、
ラモーンズのパンク・ロックというのは、
1975年という最初の近代の終焉後に出現したが故に、
情報化社会の表現の、すでに述べた流派性を示す
基本構造を持っていたのです。

 

ラモーンズは21枚のアルバムを残して、1996年に解散しています。
1995年というのは、第2次世界大戦が終了した1945年から50年が
たって、「戦後」という区分が完全に終わった年です。
日本では阪神淡路大震災とオウム地下鉄サリン事件が起きます。

つまりラモーンズは、アメリカがベトナムで破れて出現し、
そして第2次世界大戦後の時代の終わりとともに解散したという、
象徴的な2つの終焉期の間に生まれたバンドでした。

U2のボノは、「もしラモーンズが存在しなかったらU2も存在しなかっただろう」と発言していますが、確かにU2の音楽にも通ずるある本質的な6次元的な性格を、ラモーンズの音楽は示していたのです。それがフリの偽世界です。この「偽」というのは、荒木経惟の「偽日記」というのと同様にものです。

ラモーンズは、シンプルでキャッチーなメロディーラインをもっていました。そしてコードは3~4つのみを使用するという極めてシンプルでスピーディーな短い曲ばかりでした。それもダウンストローク一辺倒のギターリフ、リズムは8ビート中心という、ミニマリズムともいうべき音楽でした。

しかしこういう言い方では、ラモーンズの音楽に起きた事柄を説明する事はできません。それは初期のプレスリーと比較すると際立つのですが、エルビス・プレスリーのデビュー時期の記録フィルムを見ると、極めて激しい性行為を連想させるピストン運動の腰の動きを示しています。これは驚くべきもので、社会的避難を浴びて、抑制せざるを得なくなるのですが、こうした動きと、ラモーンズのステージアクションは、かなり違うのです。ラモーンズのパンク・ロックというのは、プレスリーらのロックンロールのコピーであり、6次元のデザイン化であり、ロックンロールのフリをした偽のロックンロールだったからです。




結論を急いで言えば、エルビスプレスリーの初期の過激な記録フィルムに見られる音楽性は、超次元の真性の芸術として音楽表現でした。それはシニフィアンに還元されている《近代》の音楽芸術と言うべき特徴をもつものです。今、その記録フィルムをYouTubeでは完全には見つけられません。貼付けたYouTubeの画像は、あくまでも抑制されてしまったものです。実物はもっと過激だったのです。プレスリーの長編記録映画で見られます。

プレスリーの、画像掲載できなかった本物の激しい動きと、ラモーンズのアクションの違いが、実は重要なのです。プレスリーの動きも性行動のフリなのですが、これが肉体の動きとしてはフリではなくて、本物の腰の動きなのです。それに対して、ラモーンズの動きは、すでにあるロックバンドの動きのコピーを、やや激しくしているのです。この根底にあるコピー性が重要です。

本物の腰の動きと、コピーを基盤としたフリの腰の動きの差が、重要なのです。

ラモーンズの動きは「フリ」なのです。つまりプレスリーの「本物」の性行動であるかのような本物の動きと、ラモーンズのロックンロールする模倣者の「フリ」の差があって、このラモーンズの模倣者特有の「フリ」性こそが、音楽表現がシニフィエ化したことを示しているのです。シニフィエ化というのは、実はこの「フリ」の事なのです。

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生物界には、20%80%という法則があります。
ミツバチの働き蜂を観察すると、本当に働いているのは20%で、
後の80%は、働いているフリをしているというのです。

人間の社会も同様で、本当に働いている人は20%で、
後の80%の人は、フリをしているのです。

アーティストの多くも、制作しているフリをしているだけです。
美術作品の80%は壊されると、
金と芸術 /なぜアーティストは貧乏なのか』に書いてありますが、
それはフリをした制作だからです。

フリというのは、手抜き行動であり、
同時に模倣行動です。

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ここで重要なのは、フリの反対で、
本物に極度に還元される動きというのがあるのです。
本物主義です。

過剰に本物が追求されるという現象です。
それがシニフィアン化であると、
彦坂は考えるのです。

近代という産業社会の物質文明では、表現が物質の還元されて、プレスリーの初期ロックンロールの例で言えば、性的肉体の激しいピストン運動の本物主義へと還元される中で近代音楽表出されたのです。

それはポロックの絵画が、絵の具の滴りの物質性に還元されるドリッピングに還元される中で表出されることと見合っていたのです。

そこでは模倣は強く否定され、今までに無い表現が意図的に追究されていったのですが、それを可能にしたのがシーニュを物質に還元して、シニフィアンとして自立させる本物主義の中で実現されたのです。

それに対してラモーンズの音楽は、激しい演奏の「フリ」であって、この「フリ」という表現の仕方は、シンディ・シャーマンの「フリ」の写真作品と呼応しているものがあって、これが情報化社会を特徴づける表現のシニフィエ化なのです。

つまり80%のフリをしている模倣者の人々が、時代精神となって主役の座について、そのためにフリが独立し、自立化したのです。

ラモーンズのデビューした1976年と同じ年、シンディー・シャーマンはバッファローで初個展を開いているのです。この2つの表現は、実は同時代的な表現であり、それは1975年のアメリカのヴェトナム敗戦後の近代の終焉を特徴づける表現のシニフィエ化、つまり「フリ」の表現・・・それをシュミレーショニズムと言い換えるべきかもしれませんが、そうした偽の世界の出現を押し出してきたのです。

つまり表現のシニフィエ化とは、偽の表現であり、フリの表現の自立化です。それは実質との距離をもち、実体からあたかも自由であるかのような幻想の中で成立する表現なのです。

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《近代》というのは産業革命の運動でしたが、
産業革命には、
自由主義の産業革命と、共産主義の産業革命の2つががあったと、
ネグリ/ハートは『帝国』という本の中で指摘しています。

つまり自由主義競争による産業化と、
ソヴィエトや日本の明治維新期のように、
国家による計画経済としての産業革命の推進が
あったのです。

私は、この見方を受け継いで美術史を考えてきています。

1975年にアメリカがベトナム戦争に破れると、
自由主義の《近代》はここで終わり、
そして16年後の1991年にソヴィエとが崩壊すると、
共産主義の《近代》も終わって、
《近代》という時代は完全に終わるのです。

しかし《近代》という時代の終わりとはなんであったのでしょうか?
私見を申し上げれば、《近代》の終焉とは、
実は《近代》の反覆なのです。

《近代》という産業革命の世界は、
《近代》の終焉後に、情報革命としてもういちど、
同じ事を別の様態で繰り返すことになります。

たとえば現在の中国の世界は、情報化社会でしょうか。
自由選挙もしないで、情報統制をしている中国が、
情報化社会であるのではないのです。

実は中国は、まだ《前ー近代》の封建社会状態なのです。
共産党の一党独裁は、まるで幕藩体制のようです。
むしろ遅れた産業革命を展開している段階です。
産業革命が反覆されているのであって、
これはインドの状態も同様です。
多極化された現代世界とは、
実は遅れた《近代》なのです。

何かをするのではなくて、
何かをするフリをする形でするという、
《近代》の反覆が展開しているのです。
そこには同じ事がなされながら、奇妙な反転が生じます。

1991年のソヴィエトの崩壊は、実はアメリカの勝利ではなかった
のです。なぜならアメリカは、もっと早い1975年に敗北していたのですから。

実は冷戦構造という2大陣営の対立という構造が近代という構造であったのであって、これが1991年に終了する事で、1991年以降の世界は、多極構造の拡散化したものとなったのであって、「アメリカの一人勝ち」というのは、「根拠無き熱狂」であって、それが今日の世界金融危機の状況に至ったと言えます。ここでもアメリカの冷戦の勝利は、実質的な勝利ではなくて、勝利のフリであったのです。実質は本格的な多極化に、世界構造は展開していくなかで、情報革命が展開しながら、実は遅れた《近代》が反覆しているのです。


このシニフィエ化へ還元された世界とは、何なのか?ということを、
ラモーンズのパンクロックの中に見て見たかったのです。

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しかし、ラモーンズや奈良美智的なフリだけの表現が世界を制覇し、満たしたのでは無かったのです。つまり表現はシニフィエ化によってのみ、成立したのではなくて、より複雑な構造に再統合される運動も登場してきているのです。それは次回に書く、セックスピストルズの問題として論じたいと思います。



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