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2010-06-11

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さて、ここでのミスの最大である葛飾北斎とクールベの問題を、考察し直しておきます。人間にとって、ミスこそが重要な思索のきっかけである事は、確かな事だからです。ただ単なる表面的な訂正で住むものではありません。ミスにはより深い構造上の問題が潜んでいいるのです。

 

葛飾北斎の作品は、

     《科学美術》であった

 世界の起源.jpg

クールベの「世界の起源/The Origin of the World



 この絵は、クールベの「世界の起源/The Origin of the World」という作品です。
 この絵画は精神分析医のジャック・ラカンが所有していた事のあるもので、現在はパリのオルセー美術館にあります。私は日本ラカン協会という学会に入っているので、実物を見に行っています。絵のある部屋には椅子があって、私は座って、長々とこの絵を見ていましたが、不思議な絵画です。エロティックではありますが、猥褻な絵画ではありません。たとえばティツィアーノのような官能性のある裸婦でもありません。

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クールベの『世界の起源』これは何なのだろうか?
見る人に不快感を与える面がある作品ですが、事実を事実として、直視している作品であって、エロティシズムはありますが、猥褻ではありません。次の絵画もクールベです。


748px-Courbet,_Gustave_-_Woman_with_White_Stockings_-_c._1861.jpg

クールベというと、自然主義リアリズムの画家として教えられていますが、しかしこのようなエロティックな絵画にある眼差しというものが、猥褻ではないということにおいて、改めて問われるものを持っているのです。猥褻とエロティシズムの差とは何なのか?

「猥褻」という言葉の定義は難しいし、人によって考えが違うでしょうが、彦坂尚嘉が「猥褻」という言葉を、この絵に投げかけると、木霊(こだま)が「猥褻ではない」と返ってくるのです。言葉を投げかけて判断するのが、《言語判定法》なのです。言語というのは、コミュニケーションの道具だけであるのではなくて、認識の道具なのです。

つまり言葉を介して私たちは自分の回りの環境を認識しています。ですから雨の多い日本では、雨に関する語彙が多く、エスキモーの言葉では雪に関する言葉が多くて、両者とも英語に比較しても雨や雪に関する言葉の認識力に差があるのです。つまり雨の多い地域の人は、雨に関する微細な変化に敏感で、雨にかんする言葉をたくさん作って、雨に関する認識を深めているのです。つまり言葉で認識をしているのです。この機能を自覚的に使用しているのが彦坂尚嘉の《現実判定法》です。

つまり画像をイメージだけで見るのではなくて、言語との関係で測定するのが《現実判定法》です。言葉との関係に置き換える事で、現実に合う言葉を探していくこともします。クールベの絵画に「猥褻」という言葉を投げかけると、「猥褻ではない」という反応が返ってくるのです。これを拾って、私は、「クールベの絵画は猥褻ではない」と判定するのです。

748px-Courbet,_Gustave_-_Woman_with_White_Stockings_-_c._1861.jpg


彦坂尚嘉責任による白いストッキングの少女の芸術分析
 
《想像界》の眼で《第41次元〜50次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜50次元》の《真性の芸術》
 
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。
ただし《サントーム》は無い。

液体/固体/絶対零度の3様態をもつ多層的な表現。
ただし気体/プラズマの2様態は無い。
 
 
《シリアス・アート》であって、《気晴らしアート》性は無い。
《ハイアート》であって、《ローアート》性は無い。
シニフィアン(記号表現)の表現で、シニフィエ(記号内容)表現ではない。
理性脳の表現であって、原始脳的な表現性は無い。

《原芸術》《芸術》《反芸術》は有るが、
しかし《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》性が無い。

貴族の芸術

作品空間の意識の大きさが《国家》である。

鑑賞構造が《対話》である。

呪術美術や宗教美術ではなくで、科学美術である。
ただし情報美術ではない。

クールベのエロティシズムの絵画は《シリアス・アート》であって、《気晴らしアート》ではないのです。それ以上に重要なことは、液体美術という《近代》の美術であって、しかも科学美術である事です。

「液体美術」というのは彦坂尚嘉がつくった概念で、H2Oという水の様態変化の比喩で人類の歴史をとらえているのです。つまり産業革命以前は、氷の時代で、歴史は氷河の様にゆっくりと流れていたのですが、それが産業革命で汽車や汽船が走って交通網が変わると、温度が上がって、氷は融けて水になり、歴史は川になって速く流れるようになったと、時代の変化をH2Oの様態変化で説明するのです。つまりクールベのエロティシズムの絵画は、時代が氷河の時代から、液体時代になる中で出現したのです。

このことは、同じ様な少女の股を描いたバルテュスの作品と比較すると明らかになります。


Balthus1938.jpg
バルテュス「夢みるテレーズ」(1938年)

彦坂尚嘉責任によるバルテュス「夢みるテレーズ」の芸術分析
 
《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
 
 
《想像界》だけの表現で、《象徴界》《現実界》は無い。

固体美術だけの表現で、液体美術という近代性は無い。
 
 
《気晴らしアート》であって、《シリアス・アート》性は無い。
《ローアート》であって、《ハイアート》性は無い。
シニフィエ(記号内容)表現であって、シニフィアン(記号表現)の表現ではない。
原始脳的な表現性であって、理性脳の表現は無い。

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》は無いが、
しかし《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》性がある。

大衆の芸術

作品空間の意識の大きさが《群》である。

鑑賞構造が無い。
《イラスト/ペンキ絵》である。

呪術美術であって、宗教美術ではなく、科学美術でもない。

《猥褻》である。








Balthusクールベ.jpg

バルテュス/呪術美術=猥褻         クールベ/科学美術=エロティシズム

彦坂尚嘉責任によるバルテュスの芸術分析         彦坂尚嘉責任によるクールベの芸術分析
 
《想像界》で《第6次元 》デザイン的エンターテイメント 《想像界》《第41次元〜50次元》の《真性の芸術》
《象徴界》で《第6次元 》デザイン的エンターテイメント 《象徴界》《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》で《第6次元 》デザイン的エンターテイメント 《現実界》《第41次元〜50次元》の《真性の芸術》  
 
《想像界》だけの表現で、《象徴界》《現実界》は無い。  《想像界》《象徴界》《現実界》の3界重層表現。

固体美術だけの表現で、液体美術という近代性は無い。   液体/固体/絶対零度の3様態をもつ多層的な表現。
 
 
《気晴らしアート》                   《シリアス・アート》                   
《ローアート》                     《ハイアート》

シニフィエ(記号内容)表現               シニフィアン(記号表現)の表現
原始脳的な表現性であって、理性脳の表現は無い。

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》は無いが、
しかし《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》性がある。

大衆の芸術

作品空間の意識の大きさが《群》である。

鑑賞構造が無い。
《イラスト/ペンキ絵》である。

呪術美術であって、宗教美術ではなく、科学美術でもない。

《猥褻》である。




で、シニフィエ(記号内容)表現ではない。
理性脳の表現であって、原始脳的な表現性は無い。

《原芸術》《芸術》《反芸術》は有るが、
しかし《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》性が無い。

貴族の芸術

作品空間の意識の大きさが《国家》である。

鑑賞構造が《対話》である。

呪術美術や宗教美術ではなくで、科学美術である。
ただし情報美術ではない。







多くの人はバルテュスをすぐれた画家であると考えていますが、クールベが少女の肉体の肉的な物体性の重さを描けているのに対して、バルテュスの絵画は、猥褻なイメージ画にすぎないのです。彦坂尚嘉の《現実判定法》では非常に評判の悪い絵で、『ペンキ絵』であり、原始的な呪術美術なのです。言い換えると、多くの人は、クールベのような科学美術よりも、バルテュスのような現代の呪術美術が好きであり、『ペンキ絵』が大好きなのです。そして何よりもこうした呪術美術には猥褻な劣情性があって、多くの人の欲望を引きつけるのです。


それに対して


この場合、測定者の位置や、個人性はありますので、人によっては、同じ言語を使っても違う結果が出る可能性はあります。しかしそれは《イメージ判定法》でも同様の主観性はあるのです。《現実判定法》ともいうべき科学判定でも、観測者の主観の問題はあるというのが、現代自然物理学の常識なのです。ですから《現実判定法》だけが私的で主観的というものではありません。




世界の起源.jpg

彦坂尚嘉責任による世界の起源/The Origin of the Worldの芸術分析
 
《想像界》の眼で《第41次元〜50次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜50次元》の《真性の芸術》
 
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。
ただし《サントーム》は無い。

液体/固体/絶対零度の3様態をもつ多層的な表現。
ただし気体/プラズマの2様態は無い。
 
 
《シリアス・アート》であって、《気晴らしアート》性は無い。
《ハイアート》であって、《ローアート》性は無い。
シニフィアン(記号表現)の表現で、シニフィエ(記号内容)表現ではない。
理性脳の表現であって、原始脳的な表現性は無い。

《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》は有るが、
しかし《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》性が無い。

貴族の芸術

作品空間の意識の大きさが《国家》である。

鑑賞構造が《対話》である。

呪術美術や宗教美術ではなくで、科学美術である。
ただし情報美術ではない。

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《言語判定法》での芸術分析をしてみて分かる事は、何よりも液体美術であって、つまり近代絵画です。



そして宗教美術ではなくて、科学美術であるということです。「科学美術」というのも、彦坂尚嘉がつくった概念です。

キリスト教美術というのがありましたし、仏教美術というのがあったのですが、キリスト教は美術ではないし、仏教も美術ではありません。つまり美術そのものは、仏教やキリスト教ではないのですが、それが宗教と接合していたのです。そうした宗教と美術が接合していた時代が終わって、今度は美術が科学という《近代》の上部構造と接合したのが、クールベの絵画であったのです。「科学美術」というものの魅力が、この女性の股間を見つめる眼差しになっているのです。

世界の起源.jpg

注意しなければならないのは、この絵が《科学》であると言っているのではないのです。科学というものと、美術という別のものが接合しているのであって、その折衷の矛盾のなかからこの美術が生まれたのです。

そこには《原芸術》《芸術》《反芸術》性はありますが、
芸術の下部構造である装飾性やデザイン性、
そして《世間体のアート》性がありません。

何よりも驚くのは《想像界》《現実界》には
《第41次元〜50次元》しかない表現である事です。
このことは山本藍子の絵画作品や、大木裕之の映画にも共通して
見られる構造なのです。
つまり《第41次元 戦争領域》の芸術なのです。

閑話休題、葛飾北斎の作品に関して、彦坂尚嘉が基本的な間違いを
『空想皇居美術館』(朝日新聞出版)


この波はボリュウムのあるもので、しかも遠景との関係をふくめて見ると、
西洋遠近画法で描かれています。
西洋の透視画法を用いた「浮絵」の作品なのです。

北斎の出発は、実は西洋遠近画法を吸収した浮世絵版画の制作がデビュー作品
なのです。この作品も、初期の西洋の銅板画を見て、影響を受けた作品と
言われています。

北斎は司馬江漢らによって江戸に広まった洋風画に多大な感心を寄せる所から、
出発しているのです。



柄谷行人は、『』

クールベの波2.jpg


クールベの波5.jpg

クールベの波7.jpg

クールベの波6.jpg

クールベの波5.jpg



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