ポルノ画像の女性たち(推敲1) [美人論]
私の世代は、ポルノ解禁と大きく関わっている世代であります。
私がニューヨークのタイムズスクエアで、ポルノグラフィティを
見たのは1981年ですが、曖昧ではありますが、もっと早くに
見ていると思います。
ポルノを見た時の不思議な疑問は、自らの性器を露出させながら、
明るい顔を開いて笑っている女性の笑顔でした。
彼女たちは何を考えて笑っているのだろうか?
私自身がこのブログで、美人論や顔の分析を書いて、
多くの人の顰蹙(ひんしゅく)をかっている根底には、
人間のこのポルノ的な笑いへの疑問があります。
自分を反省して考える事も多くありますが、
私の付き合って来た親友や友人や、同僚や、美術家や、
美術関係者の人々の振る舞いに大くの疑問がありました。
彼らには人格はあるのだろうか?
人間の人格とは何なのだろうか?
人間と言う存在に対する深い疑問は、小さい時から
私のおおい尽くし、苦しめて来ました、
《言語判定法》に対する疑問は私は理解できますが、
私自身が、自分なりの《言語判定法》で、人間を追求してこざるを得な
えなかったのは、ポルノのモデルさんの笑い顔以来の、不思議さと、
その闇なのです。
人間の多くには、人格がありません。
下記に掲載する人物画像は、すべてポルノグラフィティのモデルの
顔ですが、彼女たちには、彦坂尚嘉の《言語判定法》では、
人格は無い事になります。
(ここには、画像が掲載される予定でしたが、現実には画像は掲載できませんでした。それはポルノモデルという、最下層の人生を生きる女性の画像の主体に対して礼儀を欠いているように思えるからです。そこで、日本の元首相の顔を、《言語判定法》のモデルに使わせていただきます。この飛躍は、彦坂的すぎて、読者にはあまりに理不尽であり、説得力に欠けるものです。しかし元最高権力者の人格の有無を疑うことは、批評性であります。最下層のポルノモデルを貶めるよりは、モラル的に許される事だからです。元最高権力者にも、人格が存在しないのなら、日本の多くの人に人格構造が存在しないのは、当然の事と了解が着く可能性があるからです。)
《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメントの人格
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメントの人格
《現実界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメントの人格
《想像界》の人格
気体人間
《気晴らし人間》
《ローアート的人間》
シニフィエ(記号内容)的人間。
『平気でうそをつく人』
《近代国家》の大きさの人格。
《原人格》《人格》《反人格》《非人格》《無人格》《世間体人格》は無い。
《形骸》的人格である。
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【用語解説】
《言語判定法》 《イメージ判定法》は《想像界》的判定法であって、イメージの類縁性で判断するのに対して、言葉を投げかけて、対象からの反射で測定する方法が《言語判定法》です。《象徴界》的な判断と言えます。人間の判断法には、もうひとつ科学的な判定法=現実界的判定法がある。
鳩山由紀夫の顔の画像に向って、言葉を投げかけて、その反射を読み取っています。
人格的には《第8次元 信仰領域》の人であると出ます。
《第8次元 宗教領域》 対象の画像にむかって、1から順番に数字を投げかけて、格付けを探す方法です。こういう彦坂尚嘉の手法に対する批判や疑問はたくさん寄せられますが、しかし現実の物を手に取って、それが《1流》なのか、《2流》品であるのかという判断は実際に普通にされていることです。彦坂が、この《言語判定法》を習得したのは、1975年頃に六本木の印刷屋に勤めていて、そこで毎日印刷物の入札をやらされていた経験からです。物を値踏みするときに、《言語判定法》は有効な方法であって、現実の中で使われているのです。
こういう調子で用語解説を書いていくと、それだけで長くなってしまいます。
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鳩山由紀夫は、宇宙人と評されてきていますが、
多くの言葉を投げかけて浮き彫りになってくるのは、
人格的には、《形骸》という言葉に対応するものです。
つまり人間のすべてには、平等には人格は無いのではないのか?
いや、確かに人格と言うべきものはあるのだが、
それは《形骸的人格》とでも言うべきものではないのか?
これは危険な問いであります。
今日のインタネットの鬼畜系の世界を介して見えてくるものは、
人間は多様であって、人格に関しても、人格が《形骸》化しているとか、
人格が《崩壊》しているとか、人格が《炎上》している人々がいるということです。
生き馬の眼を抜く様な、悲惨な関係が人間社会であるのではないか?
という疑問です。