俗悪主義と《超1流》ということ
最後まで候補で、没になった表紙です。
最後まで候補で、没になった表紙です。
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『空想 皇居美術館』は、《超1流》という事の価値や評価を
前に押し出したものです。
こういう私のセンスは、《超1流》なのかというと、
実は正反対の凡庸俗悪趣味の系譜の裏返しなのです。
つまり私自身は俗悪主義は体験しています。
凡庸主義もくぐっています。
私自身は、俗悪主義を主張する先生や先輩たちの中で、
育って来ていて、そういうものに対する疑問の中で、
《超1流》の面白さを押し出そうとしているのです。
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谷川晃一氏と故・宮迫千鶴氏
谷川晃一というアーティストがいて、
村上隆の先駆者とも言うべき仕事を1970年代後半から1980年代に
しています。
その谷川晃一の代表に『視線はいつもB級センス―脱意味の美術 1979-1981 (1981年) (踏分道としての戦後)』(現代企画室)という本があります。
「B級センス」というものを前面に主張した本です。
B級グルメというのがありますが、
美術でB級センスを押し出していく重要な本です。
現在の状況を先取りした先駆的な人物です。
谷川晃一氏とは個人的にも、お付き合いしています。
展覧会も見て来ているし、伊豆高原のアトリエにも伺っています。
奥様だった故・宮迫千鶴さんともおつきあいしていて、
たぶん最後であった本郷の古本屋での個展もオープニングに
伺っています。
お二人で、私の家に来て下さっていて、食事もなさっています。
結果として面白かったのかと言えば、
この「B級センス」の探究は面白く無かった。
造形的にも、芸術思想的には、浅いのです。
すぐに飽きてしまう。
退屈なのです。
だから私は、《超1流》へと展開してきたのです。
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さて、こういう「B級センス」路線は、
谷川晃一が初めてではありません。
その前には現代美術評論家の石子順三がいます。
『俗悪の思想 日本的庶民の美意識 』(太平出版社, 1971)
『キッチュの聖と俗 続・日本的庶民の美意識 』(太平出版社, 1974)
などがあります。
故・石子順造氏ともおつきあいがありました。
氏がキッチュ論を書く出す頃におつきあいを頻繁にしていました。
私の1972年の自宅での個展で
あったフロアーイベントも見に来て下さっています。
石子氏は、1977年49歳の若さで亡くなられています。
さて石子氏の前にあったの俗悪路線というのが、
辻惟雄の『奇想の系譜』でありました。
これは美術手帖での連載段階で読んでいました。
では、こうした俗悪路線の嚆矢は、辻惟雄が最初かと言えば、
私見を申し上げればそうではなくて、
グスタフ・ルネ・ホッケ
の『迷宮としての世界』(美術出版社1966年)があったのです。
私はこれを買って読んだ最初の世代でありました。
内容的にはマニエリズムの復権の本ですが、
そのそこには抽象美術やコンセプチャルな美術に流れ込むモダンアート
への
『空想 皇居美術館』のパーティでくばる100部限定の
先行本につけるものです。
あ楽しんで制作しています。