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2010-04-30

 最後の小さな絵画というのは「本の絵画」です。本の絵画というのは、西洋ですと手書きの大きな聖書聖書を飾った写本画と言われるものです。インドやオスマントルコの細密画(ミニアチュール)も有名です。東洋ですと絵巻物とか、さらに浮世絵などの版画も入ります。

 海外にある本の美術は、15世紀フランス細密画家ジャン・フーケの写本などは、《超一流》の名品ですが、しかしこれらの少数の例外を除いて、多くは《第6次元自然領域》の「普通の絵」です。それに対して日本の絵巻物には《超次元 超越領域》の傑出した「偉大な絵画」がいくつもあります。

 まず『餓鬼草紙』です。餓鬼というのは、仏教において、生前において贅沢で、強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が、死んで餓鬼道に生まれ変わったものを言います。『餓鬼草紙』には、餓鬼たちのおぞましいグロテスクな姿が赤裸々に描出されています。《超1流》の名品ですが、正確には《超1流》が反転して倒錯した《第41次元 戦争領域》の名作です。

 私事で恐縮ですが私の高校は都立駒場高校ですが、ここは普通高校とともに芸術高校が併設されていることもあって、牧野寅雄という大正時代の油彩画家の作品を所蔵した美術館もあるところです。この高校の図書館が所蔵する『日本絵巻物全集』を、高校生の私は食い入るように何回も見に行っていました。その中でも特に餓鬼草紙に強く引きつけられたのです。ここには人間存在の本質が描かれているように思います。同じ《第41次元》の名作に『病草紙』があります。さまざまな病気という卑属な題材を扱いながら、洗練された絵画ですばらしいものです。この他にも『随身庭騎図鑑』『寝覚物語絵巻』が《超1流》です。

 もちろん『鳥獣戯画』『信貴山縁起』『伴大納言絵詞』は、日本の漫画の元祖であって、しかも《超1流》の名画なのです。そして良く知られている『源氏物語絵巻』も《超一流》の名品です。

 『源氏物語絵巻』は遠近画法で描かれています。逆遠近画法も遠近画法ですから、遠近画法が使われてないわけではないのです。『源氏物語絵巻』は俯瞰的に、建築の屋根を取っちゃった俯瞰法で描かれていて非常によく描けています。これは書道もよく書けています。複数の人が書いておりますが、詞書も非常に優れていて、平安の日本の絵処の総力をあげてつくった事が伺えます。こういう詞書の背後に書かれている装飾も美しく、日本のひらがなの性格もありますが、非常に日本的な美しさで、繊細でやさしい、それが『源氏物語絵巻』に代表される美しさ、として現れています。

小さな美術という部分で考えていくと、インドのミニアチュールやヨーロッパの写本と比較して、これほど高度な超一流の絵画はないというふうに、少なくとも私の知識の中ではありません。中国絵画でも、少なくとも絵巻物段階ではないというふうに思います。しかもそれが『源氏物語絵巻』だけでなく『信貴山縁起』というのも超一流です。また『鳥獣戯画』は巻数が多いので、後半の部分は描き手が違いますが、前半は大変に優れておりまして、これも世界史的にすごいものだと思います。面白いのは、辻惟雄の『奇想の系譜』の中で彼はデザインや漫画を語りつつ、平安の四大絵巻を入れてきていない。しかも『鳥獣戯画』ですら取り上げていないのです。『鳥獣戯画』は線が非常に美しい絵画です。しかし取り上げていません。それはなぜか。彼が取り上げる主流は、すべてではありませんが、基本的には六次元のエンターテイメントです。私が選んでいるものは超一流ですから次元が違います。つまり辻惟雄氏は優れたものを落としているのです。『鳥獣戯画』だけではなく、『信貴山縁起』『伴大納言絵詞』も実は漫画的な表現です。もう一つ重要なのは『随身庭騎絵巻』です。これは随分単純ですが私は評価します。そして何よりも評価するのは『餓鬼草紙』です。私は都立駒場高校時代、図書館に日本絵巻全集がありましてそこで見ています。『餓鬼草紙』はこれ四一流であり、非常に高度な表現です。それと『病草紙』も優れています。表現内容も素晴らしいですが、下痢をしている女性、目をつつかせている女性等、内容的にも非常優れておりかつ絵画としても優れています。例外なのは『地獄草紙』です。私の評価ですと六次元だといって低いです。

けれどもこれだけ優れた絵巻物がいくつもあるという驚き!『信貴山縁起』や『伴大納言絵詞』は漫画といえば漫画ですが、非常に高度です。実は漫画という表現が絵画の中に入り込んでいる、イラストレーションもそうですが、漫画つまり物語絵ですが、そういうものが決して劣ったものではなく、現象的な本質性を持った絵画です。そういう事を日本の美術は出しているのです。もちろんヨーロッパの中にも同じようなものはあります。聖書の物語絵もそうです。聖書はキリストの物語ですから、必ずしも笑いや面白さという面ではなくなってしまいますから、そういう部分がなくなってしまうのですが、日本の場合だと、逆に漫画なわけです。非常によく描けていて、漫画という視点の他にも、絵画的にも、人物画としてとてもよく描けています。今言われている漫画とはかなり違います。

今、言われている漫画が何であるのかというのも非常にむずかしい問題ですが、手塚治虫さんは「ひとつの記号だ」という論理をします。漫画は絵画ではない、と。この場合の漫画と、『鳥獣戯画』『信貴山縁起』『伴大納言絵詞』が同じなのかといったときに、こちらははっきりと人物描写をしているし、手塚さんがいう漫画とは違います。手塚さんがいう漫画はもっと量産過程になってくるので、つまりこういうもののコピーをくりかえしていくうちに記号化していく現象です。デザイン化し記号化していく。けれどこの初期の四大絵巻に代表される漫画は記号で描いているわけではなく、きちんと人物像も描いています。こういうものが超一流なのだと私は主張したいのです。

しかもその絵巻の高い水準が平安時代で終わるのではなく、その後大きいのが雪舟の『四季山水図』、鳥瞰図と言われるもので、あれは大変なものであって超一流です。『四季山水図』は国の夏珪の風景の山水があり、雪舟展のときに両方並べられていましたけれども、雪舟のほうがレベルが高いものでした。雪舟という絵描きはレオナルド・ダ・ヴィンチと同じ時代の絵描きです。レオナルドのモナリザが優れているという理由はあの絵の背景です。モナリザの背景に巨大空間が描かれているのです。

私たち人間の最初の原始共同体・原始生産性というのは一二〇人くらいの集団です。そして移動するたびに、わかりやすく言うと、世界柱という柱を立てて区切りを付けていました。自分たちの住んでいる領域、生活している範囲がコスモスであるという印です。それは閉じています。私たちが今使っている言葉でいえば、村であったり、今のインターネットの状況で言えば島と言いますけれども、そういう閉じた空間です。それが時代を経て近世になってくると、近世から近代に移ってくるときに、理論的にはデカルトの延長の概念に結実していくわけですけれども、空間が機械的に延長していって、大宇宙の果てまで空間が繋がっているという認識が出てくるわけです。私達がいるここの部屋が部屋として閉じているのではなく、実は均質に延長しているのだと、ずっと延長して日本、太平洋渡ってアメリカまでも同一の空間の均質性が展開しているのだと、果ては大宇宙にまで延長していくのだという均質と言う概念、そこに無限がでてきます。無限の巨大空間を絵画が描くよういなるというのがレオナルド・ダ・ヴィンチの絵なのです。雪舟にも同じ無限概念が生きています。同じ時代はるかに離れた二つの土地で同じような無限概念を絵画に表わした天才が誕生していたのです。

雪舟の鳥瞰図がひとつのピークだと思われますが、日本の絵画のひとつの大きな伝統として絵巻があり、明治以降ですと横山大観の『生々流転』、小川芋銭も描いていました。今村紫紅の南洋の絵もレベルが高く超一流の絵画です。

小さな美術、大中小わけたときの小さな美術を軽視しなければ、そういう高いクオリティが日本にあるという事、世界の中でもある意味で比類のない高さを持っているという事をきちんと自覚する必要があると思います。

そもそも『源氏物語』という小説は一二世紀くらいに完成したと思われますが、世界史上で燦然と輝いています。まず女性文学としてこれ程の文学が世界、人類の歴史の中で類例がありません。しかもたったひとりの女性が書いています。そして『源氏物語』自体がメタ構造を持っていて、いわゆるそれまでの『竹取物語』とかそういういわゆる物語を越えています。ああいうものの上に載りながらそれを越えていて、内容的に物語論を書いていて、その上に複雑な物語性を持っていて、それがきわめて高度な物語となっています。『源氏物語絵巻』は四大絵巻のうちのひとつという事で非常に高い評価がありますが、その背景にあるのはもちろん『源氏物語』という小説です。

それは世界的にも優れた小説で、しかしヨーロッパから小説が入ってきた後にそれらと比較すると『源氏物語』という小説は不完全なのだというそういう判断の仕方が一時期日本の中にありました。近代小説というと海外では一八世紀以降の、ディケンズでも何でもいいんですけど基本的に新聞小説ですから、そういう近代小説の確立と、一二世紀段階の小説は全く違っていてあたりまえです。むしろ『千夜一夜物語』、アラビアンナイトの事ですが、ああいうようなものの時代に『源氏物語』は書かれたわけですから、それだけでもすごい事なのに、しかもそれが女性の書き手によるもので、しかもメタ構造を持っている小説というのは類例がありませんから、人類史の中でも圧倒的な存在として屹立しているものです。特にフェミニズムで女性が社会進出していくとき、『源氏物語』や『枕草子』の存在といった平安時代における女性文学の確立が非常に高く評価されるようになりました。そうして国内よりむしろ海外から評価が日本に逆流してくるという事が絵巻物の場合にも言えます。

 雪舟の『四季山水図』。これは全巻見ないと良さがわかりません。レオナルドの絵画が大空間が描いていると同じく、『四季山水図』を全部横に伸ばして、この間の雪舟展のときはやっていますけれども、これは大空間でした。ものすごく近世近代的な延長という大空間がこれは描かれているのです。雪舟のすごさというのは、ある意味でレオナルド・ダ・ヴィンチ的というか非常に深い大空間が描けている事です。これは小さな絵ですから、レオナルドのモナリザも小さいですし、ピエロ・デラ・フランチェスカのウフィッツィ美術館にある横顔の二人の絵『ウルビーノ公爵夫妻の二連画』があります。これもすごく大きな空間が描けています。

小さな画面の中に巨大空間を描くというのは、この時期というか、近世から近代にかけての非常に重要なテーマです。人類の経験が延長という概念の中に大きな空間になるという事。昔の原始社会の中で言えば、移動していても動物的盲目的に移動しているので、当然空間の移動自体の認識がないと思います。近世から近代になって商業的な移動も含めて出て来たときに空間の移動について自覚的になりますから、その移り変わりの段階で空間の大きさの表現も変ります。

ですから水墨画にしても中国と比較したときに、超一流といったときに日本には対抗できる絵があると。今、話がずれて水墨にいっていますけれども雪舟雪村という非常にレベルの高い絵画で超一流で、決して中国美術に負けるようなものではありません。日中で日本が優位にあるといって、国粋主義的にあおろうという気はないのですが、今まで私たちは日本の美術の方が低いと習ってきているのだけれども、そういうものと比較しても画格が日本のほうが高いというのがあるわけです。

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彦坂・書については東京画廊の初代社長の山本孝さんからのプレッシャーで、中国の書を見るようになりました。その延長で、東京画廊での比田井南谷の展覧会を企画した事があります。私が作品を選んだのですが、書道関係者の評判は悪かったですね。気体分子化した、過激な作品を選んで、受け入れられなかったのです。そういう企画の関係で明治の書の巨人である比田井天来の孫娘の比田井和子さんに、集中的に教育を受けるました。正直言って書は良く分からなかったのですが、たくさん見せていただいて、何とか善し悪しが判断できるようになって、『アートの格付け』をすることができるようになりました。

坂上・ヨーロッパにも、カリグラフィーの《超一流》の名品やタイポグラフィーの傑作がありますね。

彦坂・書は中国のそれが圧倒的ではありますが、日本にも日本的な書の《超一流》の作品は多くあります。これらを皇居美術館に集めて、一挙に常設展示を実現したいのです。

書 最澄 『羯磨金剛目録』(かつまこんごうもくろく)延暦寺蔵 国宝

書 最澄 『久隔帖』(きゅうかくじょう)

 空海 風信帖(ふうしんじょう)   京都 教王護国寺 国宝

 空海 灌頂歴名(かんじょうれきめい) 神護寺蔵。国宝

 空海 崔子玉座右銘(さいしぎょく ざゆうのめい)  高野山宝亀院

書  小野道風  智証大師諡号勅書(ちしょうだいししごうちょくしょ) 国宝

                                                                              東京国立博物館

書  小野道風   屏風土代(びょうぶどだい) - 三の丸尚蔵館蔵

書  小野道風   玉泉帖(ぎょくせんじょう) - 三の丸尚蔵館蔵

書  小野道風   絹地切  東京国立博物館ほか分蔵

  藤原佐理   詩懐紙    香川県立ミュージアム蔵   国宝

 藤原佐理 離洛帖    国宝  畠山記念館

 藤原佐理 恩命帖   宮内庁三の丸尚蔵館

 藤原行成 白楽天詩巻   東京国立博物館 国宝

 藤原行成  本能寺切 - (国宝)本能寺

 藤原行成   後嵯峨院本白氏詩巻 - (国宝)正木美術館

 藤原行成   敦康親王関係文書 - 三の丸尚蔵館

書  藤原公任  稿本北山抄     国宝 京都国立博物館

書 藤原頼通 御堂関白記 国宝

書  藤原忠道 書状案 国宝

書  三十六人家集 国宝 西本願蔵

書  藤原伊行 戊辰切 遠山記念館

書  藤原伊行 戊辰切 和漢朗詠集巻上断簡 重要美術品 泉屋博古館

書  藤原伊行 葦手下絵和漢朗詠集 国宝 京都国立博物館

書と絵 本阿弥 光悦四季草花下絵古今集和歌巻(光悦書、宗達下絵)(畠山記念館)

書と絵 本阿弥 光悦 鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書、宗達下絵)(京都国立博物館

書 本阿弥 光悦 始聞仏乗義(京都・妙蓮寺

書 本阿弥 光悦 如説修行抄(京都・本法寺

書 本阿弥 光悦 法華題目抄(本法寺)

書 本阿弥 光悦 立正安国論(妙蓮寺)

書 寂蓮 熊野懐紙 国宝

書  一休宗純 一行書 重文

聖徳太子の『法華義疏』

空海筆 金剛般若経開題 奈良国立博物館

書  小野道風 三体白氏詩巻 - 国宝) 正木美術館

 藤原佐理 書状(離洛帖)(国宝)畠山記念館

 坂上・そんなことできるのですか?

彦坂・皇居美術館は空想美術館ですから、空想としてはできるのですね(笑)。まだまだありますが、皇居美術館に収蔵する取りあえずの有名な書の作品です。



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