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《超一流》の美術作品を集める皇居美術館(1) [アート論]

以下収録するのは、坂上しのぶさんとの対談である。

これは朝日新聞出版からでる『皇居美術館』の為に行われたものなの

ですが、朝日新聞出版の担当編集者の同意が得られなくて、不採用に

なったものです。

内容がマズいという事ではなくて、対談記事が多すぎるので、

彦坂尚嘉の単独執筆にして欲しいという希望での変更でした。

坂上しのぶさんへの申し訳なさと、内容の読みやすさで、

このブログで連載で掲載させていただきます。


《超一流》の美術作品を集める皇居美術館

 

彦坂尚嘉+坂上しのぶ

 

1 故宮美術館と皇居美術館

坂上・皇居美術館って、ルーブル美術館や、メトロポリタン美術館に対抗して考えたのですか?

彦坂・いや、そうじゃないのね。中国が、経済的にも政治的軍事的にも、そして文化的芸術的にも台頭してくるじゃない。こういう状況に危機感をもっているのです。

 中国の故宮美術館が、将来に台湾の台北にある国立故宮博物院と、北京の故宮博物院と、さらに瀋陽市にある瀋陽故宮博物院の三つが合体して、世界屈指の巨大美術館として出現して来るのではないか。

 中国が大国として世界を支配して日本を飲み込んでしまうだろうという被害妄想的な危機的未来に向けて、その日本的な対抗措置として考えたのね(笑)。 

坂上・確かに台湾と北京の故宮博物院が合併したら、すごいですね。ルーブル美術館やメトロポリタン美術館には、いろいろな国の美術作品があるけれど、故宮美術館って、中華文化のみの文物を展示した異色な博物館ですよね。

彦坂・そうですよ。だから、中国に対抗する日本の皇居美術館というのも、日本中から《超一流》の名品を、天皇の名において、超法規的に収集して、日本文化のみの名品を展示した巨大美術館なのですよ(笑)。

坂上・へえ、故宮美術館 VS 皇居美術館ですか!。巨大美術館で、日中戦争をやるのですね。面白いですね!

彦坂・もちろん空想に過ぎなくて、現実的には無理ですね。現行の所有権を超えて、日本中に有る名品を皇居に集めるのは、法的にも無理だし、現在の権力構造的にも無理です。

 故宮博物院の場合には、もともとの収集が清朝という征服王朝の所蔵品なのですね。満州族後金国が立てた王朝で、一六四四年から一九一二年という二六八年間支配した王朝ですから、日本で言えば徳川幕府のようなもので、長期政権です。この王朝権力の美術品収集の結果は一九二五年段階で一一七万件を超えていたというのですからすごいです。ルーブル美術館の収蔵数が三〇万件ですから、故宮博物院の収蔵品数はルーブル美術館の約四倍もあるのです。日本の東京国立博物館は、約九万件の所蔵品しかありませんから、東京国立博物館VS 故宮博物院=1 : 13 なのです。

 しかし,アメリカ合衆国のメトロポリタン美術館になると、収蔵品数は三〇〇万件となります。したがって、東京国立博物館と比較すると、メトロポリンタン美術館の三十三分の一が、東京国立博物館なのです。

日本には世界規模の巨大美術館が無い事がわかります。だからこそ皇居美術館を巨大美術館として作る必要があるのです。

2  中国美術コンプレックスを超えて 

彦坂・私は、小学校一年生から日展の画家について。日本の画家として教育されてきたのよね。そうすると、どうしても中国美術が素晴らしく、日本美術はその影響から出てきた《二流》なのだというコンプレックスが植え付けられてきたのね。たとえば明治時代の巨匠である富岡鉄斎の絵を、中国人は墨の豚だと罵倒していたのです。「墨豚」ですって!、ひどいですよね。自分の尊敬する画家に対して、こういう悪口を言われると中国人に対して憎しみを覚えますね。

坂上・墨豚ですか。でも富岡鉄斎の絵って、けっこう墨が塗りたくられて黒いですよね。うまい事いいますね(笑)

 彦坂・ところがこの頃は、中国人が日本のインスタントラーメンを喜んで食べているというようなテレビ報道が流れるようになります。ねえ、ラーメンというもの自体が中国料理の劣化したものなのに、、中国人がラーメン食べる、しかもインスタント・ラーメンを喜んで食べるという、私の世代に人間には信じられない状況が現実になった。

坂上・一九八〇年代後半から、中国人が日本に来るようになり、日本の美術大学に留学までしてくるのですよね。

彦坂・中国人が日本で美術を勉強するというのも、信じられない!(笑)。

坂上・さらに最近ですと、中国人が日本美術を香港のササビーズなどのオークションで買って高値になるなどという、一昔前には考えられないような事態が出現して来ているんです。

彦坂・白髪一雄や平賀敬が高いそうですね。驚きますね。そういう状況の変化の中で、日本美術や世界美術を学んできた者としては、中国美術はすぐれていて、日本美術は劣っていると言うそういう先入観は、どうも違うのではないか? と思うようになったのですよ。

坂上・つまり、日本美術の《超一流》の名品を集めた皇居美術館をつくって、中国の故宮美術館よりも、日本美術は《超一流》ですごいよって、世界の観光客にアピールしようというのですか?

彦坂・美術や建築を《超一流》という基準で見ると、日本美術・建築は、中国美術を超えたものをたくさん作り出しているのです。こうした日本建築を、巨大な皇居美術館の中に収蔵しようと言うのです。地球環境は悪化していきますから、これら《超一流》の建築を、酸性雨や嵐から保護して残して行こうという提案です。

坂上・建築を美術館の中に収蔵するというのは、迫力があって良いとは思いますが、しかし室生寺の五重塔は日本最小の五重塔すから良いですけれども、興福寺五重塔って、大きいですよね? 入るんですか?

彦坂・室生寺の五重塔は、日本最小と言っても高さ十六メートルです。興福寺五重塔になると、日本で二番目の高い五重塔で高さ五〇、八メートルですから、それだけの大きさの吹き抜け空間必要です。私も心配で、一応興福寺まで言って、「入るかな?」と、何度も眺めては来ています(笑)。ただ私の構想している皇居美術館は、高さ一千メートルンの建築ですから、高さ六〇メートルのくらいの吹き抜け空間は作れます。

坂上・建築と美術って、皇居美術館の中に一緒にあるってどうなんでしょう?

彦坂・建築と美術というのは、もともと一緒のもので、たとえばゴッシック美術とか、ロココ美術という時に、ゴシック建築やロココ建築をイメージしない限り、この時代の美術史というのは把握できないのですね。建築は、大芸術であって、美術の中心に位置するものなのです。だから、皇居美術館の構想の中心を建築の収蔵が占めるのです。

坂上・でも、例えば東本願寺なんて、大きくて、いくら皇居美術館が大きくても収容できないですよね。

彦坂・東本願寺の建築って、きれいで感銘を受けますが、あれば《一流》ですから、皇居美術館には収蔵しないのです。《一流》の建築は大きすぎるものが多いのです。

  それに対して《超一流 超次元》という基準で建築を見ると、《超一流》の巨大建築というのはどこにもなくて、ほとんど全てが小さな建築です。《超一流》にするということが、手間的にも金銭的にも、そして芸術思想的にも大変である事と、《第一次元 社会的理性領域》というものを超えたところですから、社会的な権力的な威嚇的な大きさとか、威容性の外部に出ているので、例外はありますが小さな建築が多いのです。 つまり《超一流》という基準で見ると、小さな美術や建築でよくて、その《超次元》で選ぶと、日本美術/建築は世界的にも大変にすぐれているのであるという考えに私はかわって来たのですね。

《第一次元 社会的理性領域》という基準で見ると、巨大建築で《一流》のものが世界にはたくさんあるのですが、日本の建築は世界基準からすると格段に小さいのですね。建築評論家の五十嵐太郎さんによると、世界の建築を同じ縮尺の模型にした建築公園のようなものがあって、そこで日本の建築を見ると、小さいので驚いたそうです。島国であると言う地理的な要因もあって、アメリカや中国などの大陸国家の建築に比較すると、大きさで先ず日本建築は負けるのです。だから、基準を《一流》から《超一流》に取り換えてみる必要があるのです。超一流を重視すると、小さくてもよいですから、日本建築は惨然と、世界のトップクラスに立つのです(笑)。

坂上・自国美術を最高だと思うような考え方は、偏狭な軽蔑すべき「井の中の蛙」に過ぎないとは思いますけど・・・。

彦坂・オリンピックで、日本選手が金メダルを取ったりすると、ゲームのルールを変えられてしまって、次からは金メダルが取れなくなるっていうのがあるではないですか。美術や建築の評価というのも、アートゲームであって、評価する基準の取り方で違って見えるのですね。

 『新建築』という建築雑誌がありますが、その特集号に『日本の建築空間』(新建築200511月臨時増刊)というのがあって、監修者には、青木淳(建築家)、後藤治(建築家)、田中禎彦(建築史家)、西和夫(建築史家)、

西沢大良(建築家)という日本の建築家と建築史家の六人が関わっているのですが、選ばれている建築は《第一次元 社会的理性領域》が多くて、《超一流》建築はほとんど選ばれていないのです。つまり日本建築と言う過去のものを見る目も、見る基準によって違ってくるのです。芸術や建築の評価というのが、基準を巡るゲームであって、私の提案する《超一流》という視点も、そういう建築史を書き直す鑑賞評価ゲーム作品なのです。

 日本社会という小さな社会の内側での評価なら《一流》であることでも足りるのですが、国際競争力という意味では《一流》というのは、凡庸であるに過ぎません。今日の国際的なあらゆる面での競争に勝とうとすれば、《超一流》のものを開発して行かないと、勝ち残れないのです。むかし、ソニーがいくらウオークマンで世界を風靡しても、今日ではiPodで追い抜かれてしまったように、熾烈な国際競争社会で生き残るためには、日本社会の中でも社会的常識を超えた《超一流 超次元》の建築や美術を再評価して鑑賞して、こういう《超一流》の技術開発をする精神力を養わなければ、国民の元気が出てこないのです。

坂上・それで、《超一流》の日本建築をいくつも収蔵した皇居美術館と、故宮美術館で、日中美術館戦争やるのですか(笑)!

彦坂・そうですね、隣国関係は重要ですね。まず、中国との国際競争に勝たないと、どうしようもなりませんね。しかし本当の日中軍事衝突にならないように、皇居美術館をつくって、中国人に、しっかりと見せて、威嚇して、尊敬させておかないと駄目だと思うのです。

坂上・なるほど。皇居美術館で、国土防衛ですか(笑)

彦坂・第一回目の日中戦争は日本が侵略したのだから、現在の中国軍の増強ぶりからすれば、お話的には第二回目は、中国が日本を侵略してくるという可能性はあるのですよ(笑)。旧左翼的な人びとから見れば、日本が中国に合併されて吸収されるというのも良いかもしれませんが(笑)、しかし合併されれば中国人は日本人を差別するでしょうね。中国人の少数民族に対する差別政策/搾取政策は熾烈を極めていますから、日本人が支配されるようになると、庶民の生活も悲惨なことになる。日本を軍事的に支配下に入れた時は、中国共産党政権が天皇を処刑して天皇制を廃棄するかもしれない(笑)。何が何でも天皇制を廃棄したいと思う旧左翼易な人びとにとっては、中国の共産党政権というのが、現在での天皇制を倒す唯一の政治的軍事的な力ですから、この中国軍の軍備増強は、歓迎すべき事なのでしょう。そういう、日本の右翼が怒りそうなサイエンス・フィクション的な空想も踏まえて、先手を打って、天皇制そのものを芸術化しておこうという深慮遠望があって、私は皇居美術館と芸術憲法を提案しているのです。

坂上・ほんとうに、そういう馬鹿な事を考えているのですか?

彦坂・これは芸術作品であって、空想ですからね(笑)。疑心暗鬼になるのは危険ですが、二十一世紀のアジアの国際情勢について、軍事的面もあらゆる可能性を考えて踏まえておかないと、庶民の平和な生活を守るためにもマズいですよね。誰も考えてくれないから、私の方は、アートだから考えられるので、対中国政策として、皇居美術館と芸術憲法を、故宮博物院との対比の中で空想してみたのです。平和憲法から芸術憲法に移行して、中国とは軍事対決するのではなくて、あくまでも芸術立国と言う、アートという技術を磨いて、《超一流》の技術開発をする形で、日本の未来を豊かにして行く必要があるのです。そのための皇居美術館であり、そうした「空想の自由」を追求しているだけです。そうする事で、中国美術へのコンプレックスを克服し、世界の美術の中で、日本美術の《超一流》的突出性をアピールしたいのですね。(つづく) 


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