SSブログ

狂乱の世界 [生きる方法]

 

川上直哉 (2010-03-13 06:20)さんのコメントの後半への
お返事です。
 
第三の点は、第二の点の展開です。

1950年代以降を今と弾き比べる時代感覚の錯誤が、指摘されました。
これは、重要な指摘だと思います。

私も、1930年代こそ、今と比べるべき時代だというご指摘に、
賛成します。
しかし、それだからこそ、
1950年代に目を向けている、つもりなのです。

日本の1930年代は、いつ、終わったか。
それは、各方面でずれがあると思いますが、
少なくとも日本のキリスト教界(新教に限る)では、
1950年代に、やっと、おわります。

つまり、1930年の問題としておっしゃっているのは、
日本のキリスト教が、戦争協力したという問題だろうと
思うのです。

日本のキリスト教組織は、
少数の例外の人びと殉教者を除いて
大政翼賛会に賛同して戦争協力の道を選んだのです。

それは、そもそもは日本のキリスト教と、
国家神道としての近代天皇制の矛盾に根があったのだろうと、
思います。

日本を神国としてとらえる考え方は、
実は仏教からの圧力と、元寇という外圧の中で生じたと考えられます。

神道そのものをアニミズムと考える考え方が一般的ですが、
しかしもしもアニミズムならばアフリカの黒人彫刻のような
偶像崇拝物が、神道文化としてあって良いと思うのですが、
寡聞にしてそういうものをあまり知りません。

お隣の韓国に行くと、アフリカかと見間違えるような
原始的な彫刻や仮面が多くあります。
しかし私が見て来た限り日本の神社文化の中には、
原始彫刻はありません。

ですので私は神道をアニミズムではないものと考えています。

伊勢神道の外宮の度会神道から、本地垂迹説に対する反撃が起きます。

本地垂迹説というのは、仏教と神道を統合しようとする時に、
仏教を上に置いて統一する考え方です。

これに対して度会 家行(わたらいいえゆき)は、
神が主で仏が従うと考える神本仏迹説を唱えて、
これが度会神道(わたらいしんとう)になります。

この度会 家行が北畠親房(きたばたけちかふさ)に影響を与えて、
『神皇正統記』という歴史書になります。

ここに、日本を神国とする考え方の重要な源泉があるのです。
これをどのように考えるかです。

日本の近代のキリスト教の大半は、
この天皇を神とする神国主義との対決を回避してしまいます。


近代という時代は、もともと国民国家の時代であり、
国家という枠組みが、強烈に強かった時代です。
この国民国家と天皇制が重なった大日本帝国下にあって、
日本のキリスト教は、教義的にも、矛盾を抱えてしまうのです。

もともとローマ帝国の支配の下で抵抗したキリスト教徒は、
たくさんの殉教者という犠牲者を出しながら、
彼らの屍の上に自らの信仰を築き上げて来たのです。

しかし日本のキリスト教が、殉教者の屍の上に立つ事、
つまり自らもまた、死を賭して信仰を確立しようとするものと
しては、近代日本のキリスト教は、充分ではなかったのです。

それは歴史の順番と言うか、ボタンのかける順番が、欧米とは
違っていたのであって、仕方がない事であったと、
私は思います。

1950年代になるまで、
1930年代の思想を引き継いだ1940年代の指導者が、
相変わらず、平然と、日本のキリスト教界に君臨していました。
そのことを総括するのは、1950年代になってからなのです。

私見を申し上げれば、
近代社会というのは、国民国家という形で、
《原-社会》の基盤を確立したのです。

この《原-社会》の確立以前に、宗教の基盤を確立していないと、
宗教教団としては普遍性を持ち得なくなるのです。

つまり近代社会の《原-社会》の確立以後の宗教は、
新興宗教になってしまって、
そこでは世界宗教としての普遍性を確立できない。

大本教や、創価学会、そしてオウム真理教が、
日本国家の権力を奪取しようと試みた事のうちに、
この宗教的普遍性が、近代国家の《原-社会》性と激突する構造を
持っていることが示されています。

創価学会の場合、1969年の「言論出版妨害事件」によって、
1970年には池田大作が正式に謝罪し、
教義から「王仏冥合」、「仏法民主主義」などの仏教用語を削減したことで、
創価学会の宗教性は、実は本質を失い、新興宗教のカルト性に収斂させられたと
私は思います。

つまり私の言いたいのは、
日本のキリスト教は、明治維新以前の殉教者の上に、
自らの基礎を築くべきであったと、私見では考えるという事です。

同様に、戦前の戦争協力の問題も、
協力しないで、殉教していった人びとの屍の上に、戦後の復興を成立
させるべきだったと考えます。
朝鮮では、多くのキリスト教徒が神道に対して抵抗して、
50名が殉教し、2000名が投獄され、200の教会が日本政府によって、
閉鎖されているのです。
1A601A1A1AV(1A1A171A1A1Az1A5B1A1A1Al1AX1Ae1A1A1AL1AO1A1A1A1A).jpg

417px-KOYAMA_Sousuke.JPG.jpeg
獄死した小山 宗祐

日本のキリスト教徒でも、ホーリネス弾圧事件や、美濃ミッション事件で
激しい弾圧を受け、投獄や殉教者を生んでいます。
私は、こうした抵抗と殉教の上に日本のキリスト教は成立するのであって、
そのことを直視しないと、宗教そのものの精神性は成立しないと思います。

キリスト教関連の思想においては、
ニヒリズムが、1950年代の大問題でした。
それは、キリスト教以外の思想圏との連動もあります。
しかし、ニヒリズム克服の運動の中で、
1930年代を総括したことは、事実です。

文学では、椎名麟三が、新教を代表しています。
そして、椎名に連携している神学者たちが、
私の研究対象となっています。

椎名麟三を私は読んでこなかったので、
この辺りは不勉強であります。
しかし私見では、この国家神道をキリスト教の、
教義の対決は、キリスト教の敗北というのが、
基本であったのではないでしょうか。

その神学者たちは、
1940年代の顛末を振り返り、
自分たちに欠けているものを見据えます。
そして、その欠損故に起こってくる待望にこそ、
1930年代を克服する足がかりを見出したのでした。

私は、これから、1930年代の暗黒が迫るのだと思います。
その今、1930年代を克服しようとした1950年代に学ぶこと。
それは、まず第一に過去の失敗に学ぶことを目指すものですが、
同時にまた、「新しい生産」の可能性を模索することにも、
つながるかもしれません。
エールをいただきましたこと、ありがとうございました。

問題は、近代の終焉以後にこそあって、
ひとつは天皇をいかに位置づけるのかという事です。

もうひとつは、情報化社会に於いては、
聖なるものは再び、別の次元で蘇ってくるという事です。

このありようを捉える事は重要ですが、
このことが日本の近代の内部にある日本のキリスト教の
不徹底さとか、国家神道とかとは、
一応、別の次元であって、
そこには、非連続性もあるように思えるという事です。

そして、もうひとつ。
原題は、虚無主義が全体を覆っている、とうのは、事実です。
しかし、私は、教師として考えます。
若者たちは、世界を見渡すことができるようになって、
皆、押し並べて、ショックを受けているようです。
それは、おっしゃる通り、
虚無主義が跋扈している現状を知って、
「こんなはずではなかった」というショックです。
私は、教養の教師ですから、
世界の実相を伝えなければならない。
その時、常に、
新しく虚無主義と向き合わされる若者たちと共に、
虚無主義と、戦わなければならない。
そうした私にとって、
1950年代に、学ぶことが多くあると思っているのです。

私の考えでは、すでにニヒリズムは終わっているのであって、
たいした問題ではないと思うという事です。
現実にはニヒリズムも、近代個人主義も大勢を占めていますが、
それは古い《近代》の風化形態であって、
問題としては、解決できない事です。
それは自然淘汰が結論を生み出して行くのではないでしょうか。

川上直哉さんの立場からは、自然淘汰にゆだねるわけにはいかない
でしょうが、《近代》そのものの風化は、避けがたいのであって、
この風化そのものは、私の立場からは手の打ちようの無い問題なのです。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。