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MUSEのライブ/《形骸》と音楽のあいだ [音楽の頂点]


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MUSE ウェンブリー・スタジアムでのギグ
彦坂尚嘉責任による《言語判定法》による芸術分析

《想像界》の眼で《第8次元 信仰領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第8次元 信仰領域》 のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第8次元 信仰領域》 のデザイン的エンターテイメント

                
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。
                   ただし《サントーム》はない。
           
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現気体だけの表現。

《気晴らしアート》
《ローアート》

シニフィエの表現

【B級演奏】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《原音楽》音楽《反音楽》
《無音楽》《非音楽》《世間体の音楽》のすべてが無い。

ここにあるのは音楽の《形骸》

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

MUSEのライブを、武道館で見て来ました。

東京2010.1/12(火)日本武道館
OPEN 18:00/ START 19:00 TICKET¥7,800(アリーナ:スタンディング|スタンド:指定/税込)
一般プレイガイド発売日:11月15日(日)
主催:テレビ朝日/J-WAVE/MTV 後援:tvk/MUSIC ON! TV
(問)クリエイティブマン 03-3462-6969
協力:ワーナーミュージック・ジャパン 企画・制作・招聘:
クリエイティブマン


撮影した写真が、コンピューターに移せなくて、ブログを書くのが
遅れました。

私自身は、ライブの規模が大きくなる事については、
不可避とは考えますが、
その危険性は、何度も見て来ているのです。

古くはピンク・フロイドの『ザ・ウォール』のコンサート
ブルース・プリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・U.S.A.  』のコンサート。
私の見たものとしてはプリンスの1986年の「 Parade tour 」など、頂点を極める巨大コンサートというのは、同時に崩壊へのターニング・ポイントなのです。

【YouTube画像】として貼付けたMUSEの2007年のリニューアルオープンしたロンドンのウェンブリー・スタジアムでのギグは、同様の頂点性を示しています。このライブDVDを太田丈さんにいただいて、その凄さに驚きました。いただいて感謝しています。同時にそこに私は、何度も見て来た崩壊の臭いを嗅ぎつけていたのです。

特に気になるのはマシュー・ベラミーの派手なパフォーマンスで、音楽演奏の必然性を欠いていて、エンターテイメントに堕落しています。小さなコンサート・ホールでのパフォーマンスにあった真摯さは消えて、《形骸》領域に跳躍しているのです。

すでに述べたようにウェンブリー・スタジアムでのギグは、ハイテクノロジーと組み合わさって、凄いのものではありますが、音楽的には《形骸》以外のなにものでもありません。音楽としても《芸術》としても、何も無くて《形骸》が光り輝いているのです。この輝きこそが、今日の高度消費社会とグローバリゼーションーの魔術なのです。そこにあるのは、《芸術》や文化の《形骸》だけなのです。

私たちは、この《形骸》の不可避性を受け入れなければならないし、この《形骸》性を受け入れつつ、これに巧妙に抵抗する方法や、《形骸》を逆手にとって、《形骸》から《真性の芸術》へと反転する技術を見いださなければならないのです。

次に貼付けるのは、小さなコンサートホールでのギグです。
比べてみて下さい。
ここには《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》のすべてがあるのです


Muse - Megalomania - Live and Acoustic



彦坂尚嘉責任による《言語判定法》による芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元》から《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元》から《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》から《超次元》の《真性の芸術》

                
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。
                   ただし《サントーム》はない。
           
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現気体だけの表現。

《シリアス・アート》
《ハイアート》

シニフィアンとシニフィエの同時表示

【A級演奏】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《原音楽》《音楽》《反音楽》
《無音楽》《非音楽》《世間体の音楽》のすべてがある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

お料理でもそうですが、限られた少量でお料理して美味しいもの
を作る事はできますが、大量に生産しようとすれば、
どうしても味は落ちます。

ですから現在のようなグローバルな過剰消費社会では、
《真性の芸術》は、小さな限られた中でしか生き得なくなって
来ているのです。

《形骸》化に耐えつつ、《真性の芸術》と《形骸》の両方を、
したたかに使い分ける事。
その技術とマネージメントが必要なのです。

今日のアートマネージメントは、
そうした視野が必要なのですが、
それは、かなりむずかしい事なのです。
私自身は、それに挑戦していこうと思います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

武道館でのMUSEのライブは、音楽の《形骸》と、
《真性の音楽》のミックスとして展開されました。

巨大会場でのライトアートの展開は、
特にレザー光線を客席の頭上すれすれに打ち込む過激なところは、
面白く見ました。

見て、良かったと思いました。
今日の先端の表現があるということと、
同時に、そのコントロールのむずかしさです。

MUSEは、商業主義に堕落して、
音楽への真摯でしたたかな展開を失ったように見えます。
だからこそ、ビックヒットして、バンドとして成功したのですが、
同時に崩壊と《形骸》へのカタソトロフィーへの崖崩れに入ったのでした。



タグ:muse
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コメント 4

白濱雅也

Museのlive見られず残念です。
Museは1stから聞いていましたが、3rdでピークを迎え、4thで路線を修正しているように感じ、少々熱狂から醒めていました。4thはしたたかな2重路線ですが、マンネリズムとも見えました。その路線修正とここでのライブの評価と関連があるように思います。
by 白濱雅也 (2010-01-17 01:07) 

ヒコ

白濱雅也様
同感です。
5thアルバム『ザ・レジスタンス』は、もっと疑問ですね。バンドの方向が世界制覇に向っていて、U2の路線ですね。世界制覇を目指す事を否定する気は有りませんが、しかしエンターテイメントだけの路線は、キープする事自体が違う事です。基本は、《シリアス・アート》として音楽を追究していないと、つまりませんね。
by ヒコ (2010-01-17 07:26) 

ヒコ

丈様
 DVDをいただき、そしてライブに誘っていただいて、本当にありがとうございました。
 ウェンブリー・スタジアムでのライブビデオは、撮影技術的にも素晴らしいもので、お金のかかった傑出したもので感心しました。こういうライブの凄さを評価することはやぶさかでは有りません 
 が、そのことと《芸術》としての評価は、微妙にずれるのです。私が《形骸》と言っている領域は、実は広大な領域で、私たちの生活の、たぶん80%を占めているのです。そして《形骸》に感動して引きつけられる感性は、私自身の性なのです。
 この事を対象化しないと、芸術分析は始まらないのです。
by ヒコ (2010-01-17 15:10) 

丈

一緒に観てくださり、非常に参考になりました。途中で飽きたように座ってしまわれたので、「失望されたのだな」と思いましたが、今回の分析でよく理解できました。ウェンブリーのギグも「大衆的スペクタル」といったものだったのかなと思います。。
by (2010-01-17 15:25) 

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