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音楽/反音楽/非音楽/無音楽(加筆【YouTube画像】追加1) [音楽の頂点]

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柏原孝昭さんから、下記のようなコメントをいただいた。
柏原さんは、私の現代音楽の先生です。
私と柏原さんでは、聞いている量が圧倒的に違うので、
彦坂尚嘉が、現代音楽の動きに、とやかく言うのは限界があるのですが、
現代美術/現代アートと、現代音楽を重ね合わせて考えていると言う
範囲で、私の考えを書いておきます。

こんにちは。柏原です。
PHONEXのCD聴かせていただきました。まず耳に入って来るのは
ノイズですね。ドラム類の布団をたたけばモクモクとたち現れる
ホコリノイズ。フルート、クラリネットもノイズを多用した奏法で尺八風。
(ライヒのドラミングにはノイズがないですね。ノイズを伴えば
ミニマルな音の構築性に靄がかかる。)

最近聴いた音楽で
面白いなと感じたコンサート2題(HNK-FM)は芥川作曲賞
選考演奏会2009ー小出雅子と、作曲家の個展2009-中川俊郎です。
小出はオーケストラに楽器でない音をふんだんに持ちこみメルヘンチックに
覚醒した音世界を創った。まあ、ライブエレクトロニクもこれにあたるが、
小出は生な素材を扱っているのかな。

中川は楽譜の中に記譜と白紙の部分があって
白紙の部分はオーケストラの即興・インプロヴィゼーション、作品タイトルが
合奏協奏曲だからカデンツアでもあり奏者全員がソロでカデンツアを演奏
している。(作曲部分と即興部分の聞き分けはつかない)
3者に共通しているのは、外部の招聘で、楽音以外(ノイズ)、楽器以外、作曲以外によって、音楽の地平を広げようとしている。

最近はアンビエント音楽、環境音楽ーブライアン イーノ風音楽が流行りの
様だけど、退屈音楽。退化音楽の様にも聞える。どうでしょ。これは全面外部だから、退屈なんだ。 
by 柏原孝昭 (2009-11-18 02:45)  


柏原さん、コメントありがとうございます。

概論的に書く事をお許しください。

音楽というものが、ひとつなのだろうか?
という疑問があります。

これを芸術という単語に置き換えても良いのです。
つまり芸術はひとつなのか?

同様に文学を考えても良いのです。
文学はひとつなのか?

彦坂尚嘉が考えるのは、4つです。
つまり音楽で言えば、音楽は4種類あると、
考えます。



1、《反音楽》


まず、反音楽です。
音楽が何であれ、それを否定する表現です。

反音楽の代表は、ジョン・ケージでしょう。


しかし、ジョンケージの音楽は、理性脳による反音楽です。

原始脳による反音楽というのも、あります。

《反》というのは、否定表現ですから、
否定であれば、実は何でも良いのです。

そのひとつが、スレイヤーです。
スラッシュメタルの中でも、《反音楽》としては傑出していて、
グラミー賞には3回ノミネートし、2007年、2008年と続けて
最優秀メタル・パフォーマンスに選ばれています。
4枚のゴールドディスクを獲得しています。



つまりジョンケージも、スレイヤーも、ともに反音楽であります。

言い換えると反音楽には、
理性脳の反音楽と、原始脳による反音楽の2種類があります。


2、《非音楽》

次は、非音楽ですが、これが何であるかは、むずかしいとは言えます。
しかし、正確な定義ではありませんが、デザイン的な第3人称的
表現です。

ひとつはジェルジ・リゲティのメトロノームの音楽です。
良くできていて、傑作だと思います。


リゲティの《非音楽》が理性脳の表現であったとすれば、
原始脳の表現の《非音楽》として、クラフトワークを上げておきます。
いわゆるテクノポップの元祖と言うか、代表的なバンドです。




3、《無音楽》

さて、柏原さんが書いておられたブライアンイーノの環境音楽ですが、
これは《無音楽》です。
《無音楽》というのは、装飾性とか、官能性とかを肯定的に考える
音楽です。
まずは、その代表のイーノの空港のための音楽を聴いて下さい。

彦坂尚嘉の私見によれば、この《無音楽》と、先に述べた《非音楽》の
突出こそが、情報化社会の表現の大きな特徴だと考えます。




イーノの《無音楽》は理性脳で作られていますが、
さて、この《無音楽》の原始脳による表現は、
何と言ってもマドンナのエロチカの出現でした。

まえにもこのブログで掲載した【YouTube画像】で、
重複で恐縮ですが、傑作だと思うので再録します。






4、《音楽》

さて、では音楽とは何か?

音楽そのものは、たくさんあって、私たちは日常的に、
いろいろな音楽を聴いています。

まず、《近代》の純粋音楽の代表として、
シュトックハウゼンの電子音楽を聴いて下さい。
これが《純粋音楽》です。

この前衛音楽は、しかし《音楽》なのです。
このことが重要です。
シュットクハウゼンの全貌を私は、まだ聴いていませんが、
しかしこの曲で聴く限り、
《反音楽》《非音楽》《無音楽》は、ここには無いのです。
これは《純粋音楽》なのです。






さて、シュトックハウゼンが、《近代》という産業社会の純粋音楽である
のに対して、
アンサンブル・フェニックス・バーゼルの音楽は、

《音楽》《反音楽》《非音楽》《無音楽》のすべてが、
同時表示されているのです。
その意味で、《不純音楽》なのです。




私は、アンサンブル・フェニックス・バーゼル
の統合性の高いこの《不純音楽》に、
現在の情報化社会の頂点の表現を見るのであります。
しかし、アンサンブル・フェニックス・バーゼルの《不純音楽》は、
しかし理性脳によるものです。

では、今日の原始脳による《不純音楽》の代表は、何でしょうか?
いろいろあるとは思いますが、MUSEは、その代表でしょう。

来年1月には来日します。
私も太田丈夫さんに誘われて、見に行きます。

MUSEの過剰さというのは、
《音楽》《反音楽》《非音楽》《無音楽》のすべてが、
同時表示されていることによるのです。




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コメント 3

丈

反音楽、非音楽、無音楽、音楽は芸術に4つの分類に対応しているようですね。理解困難ながらも非常に参考になります。

MUSEのチケットは東京では売り切れですが、大阪公演の方は11月22日
の10時から「ぴあ」での一般受付があるようです。

by (2009-11-20 19:02) 

佐藤大輔

原始脳の純粋音楽は見つかっているんですか?

また、以前の講義でピストルズは原始脳でラモーンズは理性脳とおっしゃっていましたがそれはどういう違いによるんでしょうか?
by 佐藤大輔 (2009-11-20 23:39) 

ヒコ

丈様
MUSEのチケット、取っていただいて感謝です。

佐藤大輔様
ラモンズも、ニューヨークドールも、やっているフリであって、本当にタガが外れていないのです。セックスピストルズのジョニーロットンと、シドビシャスは、本物の気違いになっているのです。
by ヒコ (2009-11-20 23:55) 

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