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棲み分けの問題 [生きる方法]

いままでも、多くの人とうまく行きませんでした。
とにかく、多くの人が彦坂尚嘉は、
悪くて、嫌な奴だと言うのです。

そういう意味では、
話の通じない人の側には、
よらない事にしています。

近づくと、殴り合いになるからです。
リアルな問題なのですよ。

《第6次元》の《想像界》だけの人格の人には、
私の言っている事が、とにかく、腹が立つらしいのです。

しかし面白いと評価してくれる人も、
いるのです。

私の方から見ると、
人格的に未熟な人とは、
近ずくのが無理なのです。

私の方から見ると、
《想像界》だけの人は、
平気で嘘をつくし、モラルはないし、
逃げるし、臆病だし、
つまらないのです。

だから私は、80%の人は、あきらめているのです。
何をいっても、どのように誠実に接しても、
うまく行かないのです。


10人中2人くらいは、
私の活動を面白いと言ってくれるのです。


ですので、私は、棲み分けます。

うまく行かない人からは、離れます。
永遠に、さようなら。

このブログも、腹の立つ人は,読まないで下さい。
永遠に、さようなら。

斉藤ちさとさんの作品も、
本物を見ると、素晴らしく美しく、芸術的に高いのです。
来年、新国立美術館で展示されますので、
眼の有る人は、見て下さい。
素晴らしいですよ!

眼の無い人は、
見ないで下さい。
永遠に、さようなら。

人類は均一ではないのです。

不均一なのです。

お互い、分離しましょう。

ばらばらに、なって行くのです。

意見の会う人とつながって行く。
それが良いのです。

意見の会わない人とは、離れる。分かれる。
永遠に、さようならをする。

棲み分けこそが、答えです。

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motoki

結局、似たような人間同士が結びつくということですか・・・。
by motoki (2009-10-31 06:44) 

飯田啓子

新国美術館の展示が楽しみですね、

まあいろいろあるようですが
とにかく本物を見て欲しいなと、
玲瑯で研ぎ澄まされた刃物のような
彼女の作品に触れて欲しいなと、
強く、思います。

じっさい彼女の作品は
見る者の目を射るような怖い作品で、
ウェブ上の画像からはそれは読み取れないし、
体現できませんものね。

by 飯田啓子 (2009-10-31 08:06) 

中野輝也

motokiさん、「似たような人間同士が結びつくということですか・・・」という懸念は理解しますし、これからもその危険性はあるでしょうが、今回の件で排除されたのは、基本的に「桑島(桑田・桑名)さん」だけです。こひさんは、やや巻き添えを食らう形で、退場させられたので残念ですが、「こひ」という名前の問題のようですから、名前を変えて再登場してもらいましょう。

「“新しい名前”のこひさん」も、motokiさんも、また普通に、常識的な範囲内で彦坂尚嘉さんを「批判」すればいいのです。「どうせ似たような人間同士でつるんでるのだろう」などといじけずに、気後れせずに、また「批判」すればいいのです。

「“新しい名前”のこひさん」「桑島(桑田・桑名)さん」「オオクラさん」「motokiさん」がこのブログに2度と現れないとしても、この「中野輝也」が彦坂尚嘉さんを「批判をする役目」を引き受けるつもりです。さらに「彦坂尚嘉さん」を「理解する役目」も引き受けるつもりです。読解力のある人間こそが、公共的な責任を引き受けて批判すべきなのだと、今回の件で痛感させられました。

「桑島(桑田・桑名)さん」の一連の「例の批判方法」を観察していて率直に思ったことは、「私のほうが上手に批判できるのではないか?」「議論をいたずらに混乱させる今回の騒動は、私がろくに発言せず、さぼっていた責任ではないか?」ということです。

基本的な読解の段階でミスが目立つ「桑島(桑田・桑名)さん」に「批判する役目」をすべて任せるよりも、ある程度は「彦坂尚嘉さん独自の言語」を理解できる私が、あえて「批判する役目」を、今後は引き受けていこうと思います。

「彦坂尚嘉さんに対して批判者がいない状態」「彦坂尚嘉さんに対して、初歩的な理解が欠落している批判がくりかえされる状態」この2つの状態を回避しなければ、このブログに建設的な議論は起こりえません。
by 中野輝也 (2009-10-31 09:57) 

オオクラ

少しこちらを見ていない間に何かあったようですね。
どうやら発端となってしまったようで、申し訳なかったです。
by オオクラ (2009-10-31 10:33) 

オオクラ

中野さんの
「“新しい名前”のこひさん」「桑島(桑田・桑名)さん」「オオクラさん」「motokiさん」がこのブログに2度と現れないとしても
という発言はそれらが同じ人物ということを意味しているのでしょうか?
どっちにしても言い過ぎだと思いますが、一応、別の人物だといっておきます。削除に関する話題に乗り遅れたので的外れなコメントであれば彦坂さん、お手数ですが削除願います。
失礼します。
by オオクラ (2009-10-31 10:48) 

tsuno

斉藤ちさとさんの気泡作品は、2005年秋には府中美術館の公開制作が行われています。

小山泰介さんの写真は2007年の展示を写真集にまとめたものです。

斉藤さんの作品はストレートな写真ではなくて、炭酸水をいれる特性の薄い水槽を前に設置しての作為ある撮影。

小山さんは基本的には対象に手を加えない撮影です。しかも画像は一点だけ。作品のメインの傾向は違うものです。

普通に考えても両者には関連はないんじゃないでしょうか。「悪意がある」と言われてもしかたのないカキコミだと思います。

空しい人騒がせしないようにお願いします。両方の作家に極めて失礼。

by tsuno (2009-10-31 11:11) 

桑山

>中野さん

>「彦坂尚嘉さんに対して批判者がいない状態」「彦坂尚嘉さんに対して、初歩的な理解が欠落している批判がくりかえされる状態」この2つの状態を回避しなければ、このブログに建設的な議論は起こりえません。

まったく同意します。
今回の「彦坂尚嘉ブログ削除問題」の発端となった顔判断への根拠を示せ、という主張は至極真っ当なものであったと思うのですが、それに対するnice!はあれど、批判・批評・質問はこれまでなかった。

そういった状況に諦めていたのですが、オオクラさんや中野さんの登場によって、マトモな人もこのブログを見ているということを知りましたので、コメントを書いた次第です。
ここで私が言いたいのは、私のような、疑問を持ちながらこのブログを見ている読者もいる、という事実です。
想像界の人間、6流の人間、平気でうそをつく人間、とレッテル張りをしてしまうことは簡単ですが、それによって隠蔽される事実があるということです。

そして今より重要となっているのは、「彦坂尚嘉さんに対しての初歩的な理解」でしょう。

これまでのやり取りを見てきて、中野さんの質問術や読解力に対しては、信頼していますので、この「初歩的な理解」をお教えいただけますか?

それが、このブログで建設的な議論がなされるため、それと今回の騒動がただの「荒らし」と片付けられてしまわないためにも、必要であると思うのです。










by 桑山 (2009-10-31 17:14) 

小比満

ご本人は、

>10人中2人くらいは、
>私の活動を面白いと言ってくれるのです。

>ですので、私は、棲み分けます。

>うまく行かない人からは、離れます。
>永遠に、さようなら。

>このブログも、腹の立つ人は,読まないで下さい。
>永遠に、さようなら。

とおっしゃっているので、結局は、その閉じた世界の中でだけ成立する芸術というものがあると思っていらっしゃるのでしょうから、議論も何もないのではにでしょうか。

とりあえず、私はほかの場所でこの権を問題にしていこうと思います。少しは、現在の日本でのアートシーンがましになればと思っています。まあ、私個人の力では何も変わらないかもしれませんが。

今回の件は非常に残念に思います。どこかに開かれた議論の場というものはないのでしょうかね。コメントを書いたら急に「気に入らなければ見るな」と言われたら、コメント欄を解放しているブログでも怖くて近づけませんしね。
by 小比満 (2009-10-31 18:36) 

桑山

「「桑山」の呪い」という記事で


>ただ、そうしている間にこの場はみるみる自己破産へ向かうでしょう。
何を言っても無駄です。


という、桑山(桑名)が書いたコメントのたった2行が引用され、強調されました。

しかし、こんなたったの一言が、いったい何だというのでしょう?
言いあらわしたかったのは、この「閉じた円環」そのものの状況です。

ただ単に状況を簡潔に(乱暴な言葉ではありました)述べたまでで、もし的外れであれば、他の多くのコメントのように、無視すれば良いだけの話だったはずでしょう。

2ch的な荒らしや誹謗中傷であるのなら、無視することが得策です。
しかしそれは行われなかった。

「何を言っても無駄です」というのは、外部の人間が外側から普通の言葉を投げかけても、無駄だということです。

中野さんのように、いったん内部に入り込んで(=そういう言葉で普段から話して)、内側から問題を投げかけていくことが、この場所における議論には必要である、ということはわかります。

しかし、ここで議論することに、それほどの価値が、あるのでしょうか?
この場がアートシーンの中でも、果たして注目されているのでしょうか?
ここに何か、重要な問題が隠れているのでしょうか?
桑山の答えはすべて、ノーです。

しかしそれはここで普段から行われ、また再開しようとしている「批評」の価値そのものにも、そしてこの「削除問題」の重要性にも、ノーと言っているのです。

私が(既に消されてしまったコメント欄で最初に)「棲み分け」という言葉を使ったのはそういうことです。

「棲み分け」とは淘汰でもあるかもしれませんね。

不快でしたらどうぞ削除してください。

by 桑山 (2009-10-31 19:34) 

桑山

これからは少しコメントは差し控えようと思います。

議論の行方を見守ります。

お騒がせしました。

by 桑山 (2009-10-31 19:37) 

きゅうり

もし、コメントが10件までしか表示されない設定になっていたら、ぜひ始めから読めるよう、再設定していただけたらなあ、と思います。
by きゅうり (2009-10-31 22:05) 

きゅうり

あ、失礼しました。削除だったのですね。
by きゅうり (2009-10-31 22:06) 

北村友嗣

ずっとロムをやっていた北村と申します。削除されたメッセージがどういう物かわからないので 一体なにがどうなっているかわからなくなっています。
あと桑山氏、オオクラ氏、小比満氏は議論を望んでいるならば 直接 質問に行き議論をするべきに思います。
この三人の実態がもはや分からなくなっていて 見ている側も不気味に感じますし 混乱してしまいます。
小比満氏はフルネ―ムと書いてますが フルネ―ムとは 中野輝也氏のように姓と名前を書いた名前を言います。
オオクラ氏、桑山氏、小比満氏は違う人物だとそれぞれがおっしゃっても インターネット上では何の説得力もありません。
また新しく hなる人物の出現で場は混乱しています。
どうしてもインターネット上で解決したいならばフェイスブックを使うなり実名、顔写真付きでどういう人物かblog主の彦坂さんに理解されない限り不可能に感じます。そこまでやらないにしろ、違うメ―ルアドレスを持っていると認識されない限り違う人物だと保証出来ない気がします。仮に自分がblog主だとしたら、そうでもない限り、混乱した状態が整理されないと思います。

私自身は読書会に 一回だけ参加した学生です。記録には残っていますし幽霊ではありませんが ここに書き込みをやっていて 誰がその人物と今 書き込みをやった人物が同じだろうかと不安になっています。
no nameや匿名は禁止するとのblog主からの通達が以前ありました。フルネ―ム実名で書いてらっしゃる方はそれを守っているわけです。
短縮した名前で書いている方は直接面識がある方だと思います。

このblogのルールを守らない限り 質問には答えがでないと思います。
by 北村友嗣 (2009-10-31 22:09) 

ss

まぁ、予想通りというか、混乱は従来通りですね。
組織論/運動体の構え自体に問題があるのでしょう。
blogの次は何か手段が有りますか?
by ss (2009-10-31 23:45) 

中野輝也

オオクラ さん、「言いすぎ」という批判ごもっともです。読み直してみて、「悪意」を感じさせる「仮定」だと客観的に理解できました。その「仮定の部分」は、撤回します。申し訳ありません。

撤回
『“新しい名前”のこひさん」「桑島(桑田・桑名)さん」「オオクラさん」「motokiさん」がこのブログに2度と現れないとしても、』

なお、オオクラさんが独立した個性であることは承知しています。他の方とは文体が違いますから、「複数のハンドルネームを持っている」という疑念は皆無です。また、騒動の発端であるという点では、私にも責任はあります。私には今回の件でオオクラさんを叱責できるような資格はありません。私個人としてはオオクラさんを評価しています。また議論する機会があれば、いっしょに論点を深めていきましょう。

tsuno さん

その件の騒動では、私が「主犯格」です。情報提供に感謝します。


斉藤ちさとさんの作品のほうが、発表が早い。
「2005年秋には府中美術館の公開制作」
「2007年の展示を写真集にまとめた」


手法において相違点がある

 「炭酸水をいれる特性の薄い水槽を前に設置しての作為ある撮影」
「基本的には対象に手を加えない撮影」

③ 
①②を総合すると、「普通に考えても両者には関連はない」と考えられる。


情報を整理してみると、斉藤ちさとさんへの疑惑が晴れて、結果的に私の「悪意」が浮かび上がりました。私が「調査する労力」を回避して、「質問・批判」という低コストな行動を選択したために、「斉藤ちさとさん」「彦坂尚嘉さん」に多大な迷惑をかけてしまいました。申し訳ございません。



小比満さん、私は「水の泡の写真」に関する議論から手を引きます。小比満さんを「みこし」にして巻き込んだうえ、置き去りにする形になりました。申し訳ございません。




桑山さんに対する返事です。おそらく桑山さんの疑問は十分に解消されないので、引き続き「質問・批判」をお待ちしています。


“そして今より重要となっているのは、「彦坂尚嘉さんに対しての初歩的な理解」でしょう。

これまでのやり取りを見てきて、中野さんの質問術や読解力に対しては、信頼していますので、この「初歩的な理解」をお教えいただけますか?

それが、このブログで建設的な議論がなされるため、それと今回の騒動がただの「荒らし」と片付けられてしまわないためにも、必要であると思うのです。”



最初に断っておきますが、「初歩的な理解」というのは、まさに「初歩的」なので、これを理解したとしても、多くの批判は1ミリも解消されません。期待させるような「思わせぶり発言」はしないで、その場で書いてしまえば良かったと、反省しています。

ここで私が言う「初歩的な理解」とは、彦坂尚嘉さんが、とんでもない長文で論理展開する人間だということです。一つの質問に答えるために、記事を書き、
そこでまた質問が投げかけられ、記事を書き、また質問が投げかけられ、記事を書き……、という具合に、とてもとても、話が長くなるのです。何日もかかりますから、間に「コーヒーがおいしかった」などの日常的な記事もはさみつつ、それでも継続して質問者と向き合っているのです。話は長くなりますが、基本的に「質問」からは逃げ出しません。彦坂尚嘉さんは、基本的に「質問」に対しては答える人間なのです。「批判」に対しては、数回のやりとりをして、「棲み分け宣言」がでることも多々あります。「批判の水準が低い」と判断した時は、そうなります。「その水準」がどういう基準になっているのか、私も良く知りませんが、「オオクラさんを受け入れ」「桑山さんを排除した」ので、その中間地点に、「彦坂尚嘉さんの線引き」があるようですね。


長文を書くのは、特殊な言葉を使うのは、「煙に巻く」ためではありません。権威ぶっているとか、そういう表層的な理由ではありません。彦坂尚嘉さんという頭脳そのものが「長文による論理展開・特殊な言語」に特化しているのです。彦坂尚嘉さんの「長文による論理展開・特殊な言語」そのものを批判するのは、「一理ある批判」と思いますが、彦坂尚嘉さんの語り口の「裏の意図」を攻撃するのは、「まとはずれな批判」だと思います。彦坂尚嘉さんの「根っこにある個性」を、「その語り口には、裏の意図があるのだろう」という「表層的な理解によって批判」することは軽率です。


これらが私の言う「初歩的な理解」です。見ての通り、多くの批判は1ミリも解消されません。しかしながら、十分条件ではないのですが、彦坂尚嘉さんに対する「効果的」な批判には「初歩的な理解」が必要条件だと思います。


「初歩的な理解」に基づいて、彦坂尚嘉さんに対する疑問を解消しようと思えば、それは必然的に長丁場の対話となります。短期戦の批判を投げかけたい人は、排除される危険性があります。腹をくくって、じっくりとやりましょう。少なくとも、次の3点は気にかけておいて下さい。



彦坂尚嘉さんに質問しても、一回で満足できる返事はかえってこない。彦坂尚嘉さんの理論は、論点がやたら多くて、一回の記事では書ききれないことが理由。複数回の質問が必要であり、根気強く返事を待つ


何日もかけて長文を書くので、その期間に日常的な記事がはさまれていても急がせない。長い議論に耐えられなくなり、途中で「煙に巻くな」「逃げるな」「居直るな」と批判すれば、「水準の低い批判」として排除される可能性が高い


「調査なくして発言権なし」の姿勢で、かんたんな調査でわかることを「質問・批判」しないようにする


これらはあくまでもテクニック的な助言なので、信念・倫理観にもとづいて、この3点をあえて無視した方法論で批判するとしたら、それも確固とした「その人の道」です。


書き疲れたので、ひとまず、論はここまでとします。十分な論になっていないことは承知なので、引き続き「質問・批判」を待っています。
by 中野輝也 (2009-10-31 23:54) 

中野輝也

北村友嗣 さん、『no nameや匿名は禁止するとのblog主からの通達が以前ありました』という指摘はまさに事実ですが、それは「フルネ―ム実名」の推奨ではなく、コメント欄のなかで区別可能な「ハンドルネーム」の推奨、であったはずです。

私の理解では、彦坂尚嘉さんは「フルネ―ム実名」を強制・推奨していません。

それと思わせぶりなハンドルネームで申し訳ありませんが、「中野輝也」は実名ではありません。誤解していた人も多いはずなので、謝罪します。申し訳ありません。「中野輝也」はフリーライターをしていた頃のペンネームです。「中野輝也」は、知人であれば私の本名を連想できるように、と名づけました。


ペンネームのくせに「責任」などと連呼していましたが、自分の発言に対してコストをはらって調査・返事をしていくという意味での「責任」です。

とは言っても、北村友嗣 さんのように実名を出している方は、私のように「責任」などと連呼しなくとも、自明に「責任」をもって発言しているわけですから、
「北村友嗣 さんの責任意識」は「中野輝也の責任意識」より格上です。

北村友嗣さんの今回の発言に誤解がふくまれていますが、その誤解を誘発したのは、間違いなく私の責任です。私の説明不足により、お騒がせしました。申し訳ございません。
by 中野輝也 (2009-11-01 00:15) 

桑山

>中野輝也さん


わざわざありがとうございます。
上でコメント差し控えを宣言したばかりですが、お返事は書かせてください。


「初歩的な理解」について。
多くの部分で理解できる内容でしたし、解決の入り口に立つことは出来るかもしれません。

いま桑山が行うべきことを考えるうえで中野さんの方法論をある程度理解し当初私がここで投げかけた疑問に戻るならば、それは中野さんが過去のコメントでおっしゃっていた「最初に結論を出して批判している」という状態に集約されるように思います。

今となっては「排除」と「受け入れ」というかたちで「棲み分け」がされてしまいましたが、当初同じ疑問を投げかけたオオクラさんと桑山の違いは、オオクラさんに対して桑山が解決に対して駆け足過ぎたことだったと思います。

それは何故か。たぶんオオクラさんの持っていた疑問は本当に「疑問」であって、桑山の持っていた疑問はある程度の「結論」を得ていたからです。
つまり行ったことは「確認」です。
しかしこのブログが占める生活の中の割合はそう高くはないので、駆け足にならざるをえませんでした。

今回の騒動で、彦坂さんという個人に対する質問術は勉強になりましたが、中野さんがおっしゃるようにそれが当初の問題の解決とはまったく距離があります。

しかし問題解決や「確認」をしたいといっても、こうなってしまっては、桑山の名前でも違うハンドルネームでも、言語判定法の根拠という問題はタブーになってしまうのではないでしょうか。今は問題の解決よりも場が落ち着くことための方向に向かうのではないでしょうか。

私は、この疑問について直接コメントのやり取りという形で追及することを一旦やめます。
しかしブログは引き続き読み続けます。桑山は桑山で、この問題に対しては違う方法をとったほうが良い、というのが今のところの考えです。

中野さんの方法論はある意味ベストかもしれませんが、私が今行うものではないなと思いました。

またもしかしたらコメント欄に登場することがあるかもしれません。
大きくなりすぎてしまいましたが問題はまだ終わっていないので、違う方法をとります。

by 桑山 (2009-11-01 00:37) 

みち

最初から拝見しているので、参加させていただきます。
いくつかの意見を言わせていただきます。彦坂さん、ご迷惑おかけします。

>なお、オオクラさんが独立した個性であることは承知しています。他の方とは文体が違いますから、「複数のハンドルネームを持っている」という疑念は皆無です。

中野さんのこの発言は信憑性に欠けます。正直文体のかき分けはそれほど難しい技術だとは思えません。そのことは僕も考慮しましたが、ここにいる全員、技術的に書き分けられる範囲の違いしかないように思います。もっともそれは僕個人の感覚かもしれません。しかし、それは中野さんの発言にしても同じです。なので、疑念は皆無は、結論を急ぎすぎです。混ぜ返す気ではないですが、中野さんがほかの方と完全に別の人物であるとも僕は結論付けていないです。その辺はあまり簡単に片づけてほしくないです。


次に、もっと根本的なところから考えませんか?
一体なぜ彦坂さんを批判するのか、批判することによって、僕たちにどんな利益をもたらしたいのか、などです。批判の無い閉ざされた空間への懸念はわかりますが、その目的に対する議論はしなくていいのでしょうか?それ自体がそもそも必要なことなのか、という問いは必要ないのでしょうか。批判することがそもそもの目的になりかけているように思います。目的の意識付けをはっきり持ちたいです。


次に、議論の場所はここで正しいのでしょうか?
ここは彦坂さんの場所であって僕たちの場所ではないです。彦坂さんに見てもらうため、という目的を差し引いても、ここで議論するのは少し迷惑なように思います。彦坂さんのブログを純粋に見ている読者に対して、少なからずプロレス的な興味をこのコメント欄にそそいでいるように思います。また、議論の白熱化によって、炎上という結果にもつながりかねません。議論だけが目的ならば場所を移しても差しさわりないはずです。彦坂さんに実際に問いたい部分があるならば、そのつどコメント欄にやってきて質問すればよいはずです。異論はあるでしょうが、少なくとも本当にここでやるべきかの議論はまだしていません。必要な問いだと考えます。

失礼します。

by みち (2009-11-01 01:04) 

みち

すいません、加筆します。

議論の白熱化によって、炎上という結論にもつながりかねません。また、それを目的に議論に参加する人も現れかねません。炎上が議論の目的ではないことを明確にするためにも、別の場所での議論が必要ではないでしょうか?考慮してください。

よろしくお願いします。
by みち (2009-11-01 01:08) 

中野輝也

桑山さん、お返事ありがとうございます。

桑山さん本来の誠実さが出ている文章になっていて、読みながら感激しました。大げさだとか、上から目線だとか、イヤミじゃないのか、と思われるのは承知していますが、「感激した」というのが本心です。

多くの批判は手付かずのままですが、今回の論争参加者にとって無駄な体験ではなかったのだと思いたいのです。すくなくとも「中野輝也」と「桑山さん」には成長がありました。「無駄な論争ではなかった」という点に「感激」しています。

桑山さんの視点が一歩進んだので、これから先の批判は、彦坂尚嘉さんの表層ではなく、「中心部を射抜く批判」になると期待して待っています。また議論する機会がありましたら、いっしょに論点を深めていきましょう。
by 中野輝也 (2009-11-01 01:11) 

中野輝也

“中野さんのこの発言は信憑性に欠けます。正直文体のかき分けはそれほど難しい技術だとは思えません。そのことは僕も考慮しましたが、ここにいる全員、技術的に書き分けられる範囲の違いしかないように思います”

私個人としては、文体を見分ける能力に自信を持っています。しかしながら、みちさんが言うように、早急な結論だったのかもしれません。

ブログの管理人である彦坂尚嘉さんのPCからは、それぞれの個別性がデータとして表示されていると思うので、より客観的な情報を持っている彦坂尚嘉さんが判断すべき問題だと思います。ただし、個別性がデータとして表示されていると言っても、完璧な信頼性はなく、抜け道もありますから、100%別人であるという結論は出てこないでしょう。悩ましい問題です。


“次に、議論の場所はここで正しいのでしょうか?”

それは考えるべき根本的な疑問ですね。
ブログ内に議論専用の掲示板を設けて、通常のコメント欄と隔離しているブロガーさんもいます。批判者に対して、「あなたが議論専用のブログをたちあげてくれるのなら、私は喜んで出向きますよ」という趣旨の発言をしたブロガーさんも知っています。そう言われた批判者は、議論にかける情熱がうすい方だったのか、結局のところ議論専用ブログは立ち上げませんでした。彦坂尚嘉さんが必要だと考えているのであれば、私は喜んで議論専用ブログを立ち上げます。

他の人のアイデアも参考にして、様々な選択肢を考慮に入れて、問題点も考慮に入れて、私が考えていくべき問題の一つだと思います。
by 中野輝也 (2009-11-01 01:38) 

オオクラ

北村友嗣さん、中野輝也へ

>桑山氏、オオクラ氏、小比満氏は議論を望んでいるならば 直接 質問に行き議論をするべきに思います。
この三人の実態がもはや分からなくなっていて 見ている側も不気味に感じますし 混乱してしまいます。
小比満氏はフルネ―ムと書いてますが フルネ―ムとは 中野輝也氏のように姓と名前を書いた名前を言います。
オオクラ氏、桑山氏、小比満氏は違う人物だとそれぞれがおっしゃっても インターネット上では何の説得力もありません。
また新しく hなる人物の出現で場は混乱しています。
どうしてもインターネット上で解決したいならばフェイスブックを使うなり実名、顔写真付きでどういう人物かblog主の彦坂さんに理解されない限り不可能に感じます。そこまでやらないにしろ、違うメ―ルアドレスを持っていると認識されない限り違う人物だと保証出来ない気がします。仮に自分がblog主だとしたら、そうでもない限り、混乱した状態が整理されないと思います。

オオクラは独立した存在であると繰り返したうえで…北村さんは勘違いされているようです。はっきりいえば「三人の実態」などどうでもいいのですよ。たとえ一人の人物が複数のハンドルネームで違う論点から語っていてもそれぞれが主張になっていればそれで一つの議論が出来る訳です。それはよくいう自作自演とは違うのです。フルネームで書けば(他の人が同じ名前で書くなど、そういう嫌がらせのようなものを考慮に入れる必要がまずないのですが)「実態」ができ、説得力が生まれるのですか?ネットの匿名性について考えているようですが私から言わせれば勘違いしていると言わざるを得ません。「発言が実態」であり、内容が議論できるものかが説得力なのです。つまり文章を書いた向こうにいる誰かについて考えること自体が間違っているのです。文章のかき分けが簡単だとか、そういう議論が意味のないのです。名前などその発言者を識別することができるだけでいいのです。本名かペンネームかなど、それで責任がどうこうなど関係ない、何が変わる訳でもないです。本名をだされてもあなたの事などどうせ知りませんから。
彦坂さんが顔を出し名前を書いて発言されているのとは訳が違うのです。つまりこのブログで彦坂さん以外の発言者が名前について言及する事自体が的外れなんですよ。発言を見てください。


by オオクラ (2009-11-01 10:16) 

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