情報漏洩/こたつ問題の往復メール(改題) [建築]
From: ta2@tke.att.ne.jp
Subject: [Fwd: Re: 御無沙汰しております。]
Date: 2009年9月13日 16:13:12:JST
To: core-member@radio., 彦坂尚嘉
金曜日の夕方に、
こういうメールをこたつ問題の二人に
出しています。
最初に東大での彼らの先生だった鵜飼さんから
メールを出してもらい、その後に、
僕からメールを出しているのですが、
今のところ返事はありません。
何か動きがあった段階で、
またご連絡します。
松田
-------- Original Message --------
Subject: Re: 御無沙汰しております。
Date: Fri, 11 Sep 2009 16:18:43 +0900
From: Tatsu Matsuda
To: pop-up-tokyo
CC: Tetsuya UKAI
Tatsu Matsuda さんは書きました:
大杉哲也 様、伊藤友隆 様
cc: 鵜飼哲矢 様
はじめまして。
松田達と申します。
鵜飼さんからお二人の連絡先を教えて頂き、
メールいたします。
もしかしたらご存知かもしれませんが、
東大では、生研の方にいました。
99年に修士を出ているので、
学年はかなり離れているかと思います。
現在、鵜飼さんや五十嵐太郎さんとともに、
建築文化事業委員会の委員をしているのですが、
そちらでカルチベートトークというイベントがあり、
9月28日に、アーティストの彦坂尚嘉さんという人をお招きして、
建築会館にて下記のようなトーク&ディスカッションイベントを
行います。
http://news-sv.aij.or.jp/jnetwork/scripts/view30.asp?sc_id=2372
お二人の作品を様々な媒体や
越後妻有トリエンナーレにて拝見しまして、
おそらく、若い世代の建築家を代表しているところもあると思い、
お話を伺ってみたいと思いました。
お忙しいかと思いますが、特に後半のディスカッションにおいて、
お二人にゲストとして、議論に加わって頂ければと思っていますが、
いかがでしょうか。
彦坂さんは、現代美術でこたつを用いた作品を
最初につくったアーティストとして、
「こたつ」を通した40年について語るという意味でも、
お二人に来てほしいと思っています。
また、五十嵐太郎さんとは、建築系ラジオという
ネットラジオの試みを昨年から行っており、
聞き苦しい点もあるかもしれませんが、お二人の作品を
取り上げさせて頂きました。
おふたりの作品の制作過程の大変だったところなど、
語って頂ければと思います。
http://radio.tatsumatsuda.com/
僕個人としては、こたつの作品に投影された
現代建築の状況そのものを、語るという展開に
できればと思っています。
いろいろと思われることはあるかもしれませんが、
お二人とお話しできることを楽しみにしておりますので、
ご検討頂ければ幸いです。御返事お待ちしています。
松田達・建築文化事業委員会委員
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【続きは下記をクリックして下さい】
Tetsuya UKAI さんは書きました:
大杉くん
伊藤くん
大変御無沙汰しております。
7月まで東大で助教をしていました鵜飼です。
お元気ですか?
私は現在は九州大学に転勤しました。
突然の連絡の理由は、
実は建築学会の文化事業委員をしておりまして、
そのメンバーの中の五十嵐太郎さんと松田達さんが
あなたたちの作品や活動に大変興味を持っていて、
イベントのゲストにお招きしたいとのことのようです。
学校で接していた時のイメージは
お二人ともずいぶんのんびりマイペース型のように見受けられましたが、
ずいぶん御活躍されているようですね。
恥ずかしながら、今回初めて知りびっくりしましたが、
その驚くべき大成長ぶりを嬉しく思います。
なんか、「ゆず」みたいなユニットな感じ?
になるのかな?
ま、二人ともおとなしそうだけど。。。
内容は、松田さんから連絡が行くかと思いますので、
是非、ご検討、ご協力してみてくださいね。
これからも御活躍を期待しています。
どうぞ、よろしくお願いします。
鵜飼哲矢
Subject: 大杉さん、伊東さんからお返事が来ました。
Date: 2009年9月17日 22:29:22:JST
たった今。下記になります。松田
pop-up-tokyoさんは書きました:
松田達様
はじめまして。
普段こちらのメールアドレスは余り利用していないため、
気づくのが遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。
9月28日のイベントについてですが、
お招きして頂き光栄ですが、お断り致します。
申し訳ございません。
建築系ラジオや、彦坂氏をはじめ様々な方のblogやtwitter上での
こたつに関する議論は、拝聴・拝見させて頂きました。
獲得賞金についてなど事実と異なる点も見受けられますが、
作品の質に関しては皆様がおっしゃる通りだと思います。
私達の実力不足にほかなりません。
わざわざ足を運んで頂いたのに、大変申し訳ございませんでした。
作品を出す以上、批判の対象となることは当然です。
批判は甘んじて受け入れたいと思います。
また今回、自分の知らないところで次々と批判されることの怖さも感じました。
ネット上に今後も音声ファイルやyou tubeの動画等が残り続けることを考えると、
頭が痛く、私達がしてしまったことの重大さを痛感します。
最後に、私は今後建築・美術に関っていくことをやめようと思っています。
建築を代表して謝罪するとのことでしたが、
今後私達は御迷惑をお掛けするようなことは致しません。
今回私達の作品を採りあげ、様々な気づき・反省の機会を与えて頂き、
どうもありがとうございました。
それでは失礼致します。
大杉
伊藤
*なお、このメールについてイベントやネット、ラジオ等で公表したり
するようなことはどうか御控え下さい。
どうぞよろしくお願い致します。
冒頭から書いていますように、
これはリークで、彦坂尚嘉の個人的責任で情報漏洩させたものです。
大杉/伊藤さんのご意思に反している事は、
誠に申し訳なく思いますが、
こたつ問題の議論のためには、公表した方が良いと考え、
公共的利益を優先して、
私が決断したものです。
大杉/伊藤さんは、ずいぶんデリケートで、やさしい方だと
思いますが、問題の本質には、この柔らかな《優しさ》にあります。
このお二人だけでなくて、
こたつ問題での建築系ラジオの取り扱いを批判する方々にも、
同様な《優しさ》があります。
弱さと言っても良いのです、
匿名での批判は出来ても、
自己責任を持った署名性の有る発言や、議論討論が、
出来ないようです。
建築系ラジオを批判した人たちに、
明日の28日の建築会館でのシンポジウムへの出席を求めると、
沈黙してしまったり、
ツイッターやブログを削除してしまう方々が多いようです。
こういう《優しさ》や弱さを生きる事は正しいとは思いますが、
その弱さが持つ正しさに止まる事だけでは、
いろいろな問題が起きてしまって、解決がつかないのです。
自己責任から逃げない強さが、現実を生きるためには必要なのです。
お二人に申し上げたいです。非公開を求めていたことを公開された彦坂さんを怨んではいけないですよ。
彦坂さんは、本当におせっかいなほどやさしい方だと思って、ヤレヤレ・・困ったものだと内心私も思いますが、でも強くないとやさしくなれないのです。
逃げたいと思っても逃げられないことってあります。
間違いや失敗は、成長のための糧なのです。
逃げない態度がありさえすれば、人は道を譲ってくれます。
なかったことにしたいことはあります、でもなかったことにはならないです。
ましてや建築や美術に関らないからとは、情けない。
逃げるなと、ひっぱりだした彦坂さん!本当に情味の深い方ですね。
乱暴だけど。。
矜持 持たないとね。
by 梅谷です (2009-09-27 13:06)
彦坂さんの探求によって「こたつ問題」がやっと批評のレベルに達してきて、「こたつ問題」を批評として捉えられるようになって、最初のラジオの問題が見えてきました。ありがとうございます。
このラジオがボクを含めた第三者からみてどうしようもなく品がなくうつるのは、「欠席裁判」とうたってしてしまったことが一番の原因です。作家は「欠席」もしてないし、なによりそれは「えせ裁判」なのです。そこでは批評のワイドショー化、スペクタクル化が行われていたわけです。
作品の稚拙さを批判するために、稚拙な裁判を開いてしまった。真面目にやって下さいと、ふざけて言ってしまったわけです。テレビのワイドショーやお笑い番組ではよくある場面で、それらは少なくともエンターティーメントとして成立しているのでしょうが、、、。
そういった行為にも耐える力を持つこと。その強さがなければ作家として生きることは出来ない状況はあるのですが、、、
「私は、文化産業こそがポストフォーディズム的生産というパラダイム全体をまとめ上げたのではないか、と考えています。私の考えでは、したがって、文化産業における諸々の慣例が、ある時点から、規範となって浸透し始めたということになります」─パオロ・ヴィルノ
毛利嘉孝さんが『ストリートの思想』で考察しているのですが、ポストフォーディズムにおいては、「好むと好まざるとに関係なく、今では多くの人が多様なアイデンティティを保ちながら、アーティストのように生きることを強いられている。」状況があらわになってきています。
いまや、作家とはなにか、批評とはなにかということを解体/再構築する必要があるのかもしれません。
by 上岡誠二 (2009-09-27 17:44)
大杉/伊藤さんが感じたであろう恐怖をいくらか想像できます。おそらく「終わりのない議論」を「想像」して議論意欲を喪失したのでしょう。ひとたびネット上に議論の火種が放り込まれると、半永久的に継続する可能性があります。議論に果実を見出せない人から順番に離脱していきますが、匿名の質問者・批判者が次々と現れるのです。見ず知らずの人から求められるたびに説明するのは大変です。
その大変さを引き受けられる人間には、「他者」を感じるし畏怖します。
by 中野輝也 (2009-09-27 17:58)
上岡誠二様
中野輝也様
コメントありがとうございます。
大杉/伊藤さんが感じた恐怖は、私にも理解できますが、しかし、昔から世間というものがあって、そういう恐怖はあったのです。
『昭和枯れすすき』の歌詞に「貧しさに負けた、いえ、世間に負けた」とあります。
社会に生きて行くという事は、昔から世間の荒波に耐えて、乗り越えて行く事なのです。
今回のこたつ問題は、実は大杉/伊藤さんの2人にとって、チャンスであったのです。逃げずに引き受けて、それまでのプロセスを説明し、いかに、このような地域お越しのアートのまつりの参加が、むずかしくて、その中で、どこで失敗したのかを、討議すれば、かれらの真摯な取り組みは、かえって評価されるものなのです。
by ヒコ (2009-09-27 20:28)
情報漏洩は、彦坂さん自身の責任でやられているので、それについてはよいのですが(とはいえ、想定されているように、彦坂さんの責任をこえて、当事者のほか、松田くん、建築系ラジオのメンバー、鵜飼さんにも迷惑はかかるでしょう。建築家の場合、とくに信用は仕事に関わります)、みなが必ずしも同じ意見ではないことを知ってもらうためにも、書いておきます。
越後妻有トリエンナーレに展示された作品は、公開された以上、どんな批判も称賛も受けることは当然です。一方、公開しないでくださいという必死の思いで書いた私信の暴露は、たとえ真実でも、彦坂さんの意図を越えて、彼らを罰してしまう波及効果をもってしまいます(彼らは返事をしただけでも、まだましな部分があります。勇ましく批判しながら、参加を呼びかけると、沈黙する人さえいるので)。僕からも彼らに、今回の討議は吊るしあげをしたいわけではないことを伝えました。
当日、僕のほうでも、上記の内容は、直接の引用ではなく、なぜ彼らが参加しないかを説明するために、メールのやりとりの経緯と主旨を伝えるつもりはありました。しかし、非公開を望む全文をそのまま公開すると、やっぱり吊るし上げだ、イジメだ、モラルがない、謝れ!といった、パブロフの犬のような批判を誘い込んでしまいます(実際、twitterではそれでお祭り化していた)。当日は、限られた時間なので、なるべく上記のような、つまらない批判への対応で時間をあまりとりたくないと考えています。
もちろん、歴史や裁判に関わる決定的な事実(数字や日時なども含め)に関しては、あえて完全な直接的な引用をすべきケースもあると思います。今回の私信の内容は、個人的には公開したらどうですか本人にいいたかったものですが、彼らとやりとりをして手続きを踏まえて行う時間がとれませんでした。それに関しては、こちらの反省すべき点です。
by 五十嵐太郎 (2009-09-28 00:13)
五十嵐太郎様
情報漏洩で、ご迷惑をかけた事は謝罪致します。影響の波及に関して、正確に知っていて選択したのではありませんので、そのご迷惑は、私の責任です。
五十嵐さんが中国に行かれて、YouTubeや、Twitterが、規制されて見られなかったと言っておられました。情報の規制というのが、中国の権力者には、必要なのです。
同様に、「こたつ問題」で、今回のメールの公開を規制しておく必要があったとすると、まったく事情が違うにしろ、情報の公開とは何なのか? ということを、改めて考える必要が生じます。
情報化社会とは何であるのでしょうか?
なぜに、真実や事実を隠蔽しなければならないのでしょうか?
「こたつ問題」に関わって、実物の作品や情報を読んだ人は、二人の考えや、事実関係について、事実や真実を知る権利があるのではないのでしょうか?
人間は、何故に、真実や事実を隠蔽する必要があるのでしょうか?
中国の共産主義政権が、YouTubeや、Twitterを規制するのと同じ原理が、今回の今回の「こたつ問題」で作動していると、私は思います。
まったく無関係には思えないのです。
私自身は、中国の事情がどういうものであり、中国の社会が混乱したとしても、YouTubeや、Twitterを自由にし、情報は公開されるべきであると考えます。
『超整理法』そして『1940年体制』を書かれた野口悠紀雄氏(早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、一橋大学名誉教授) は、日本の中に戦後も、大政翼賛会の制度性が継続した事を指摘しています。
現在の日本美術批評の脆弱さは、大政翼賛会時代の言論抑圧構造が残っている故だと、私は考えています。
野口悠紀雄氏は、日本の大政翼賛会をつくった革新官僚は、マルクスを読んでいて、日本は、共産主義の國であったと指摘しています。日本の大政翼賛会は、国家社会主義の制度であったのです。この制度は、実は敗戦でも崩れないで、継続した事を野口悠紀雄氏は指摘しています。
つまり現在の中国共産党政権と、日本社会は同根の共産主義の社会であり、に私たちは言論統制社会に生きているのです。
今回の「こたつ問題」によって起きた情報漏洩をめぐる反応の中には、この日本の大政翼賛会がつくった言論統制の伝統とは、まったく無関係であるとは言えないものを感じます。
私は、アーティストですので、事実を事実として直視し、提示して、真実を追究することを大切にしたいと思っているのです。
by 彦坂尚嘉 (2009-09-28 06:10)
by ヒコ (2009-09-28 06:37)
彦坂さま
カルチベートトーク拝見いたしました。
大変貴重な体験でした。
ありがとうございます。
建築系ラジオ、彦坂さまのブログなどで既に話題になっていましたが、やはり生でドンドンと流されていく情報を離れて会場に居ないで見聞できるのは楽しかったです。
建築系ラジオは生では聞けないですから、時間を置いて聞いているということだけで、何か緊張感が無いというか、一時停止しながら聞けるという便利さと共に、精神的な緊張感がないのだなと、今回カルチベートトークを拝見して気がつきました。
例えば、編集や公正がOKな紙面上またはWEBのブログなどとは、明らかな違いを感じました。
紙面上では、時間をかけて情報を収集し、書き加えていきながら完成させていくという方法で、ある意味発言をしていくのが多くの美術評論家だと思うのです。
例えば、突然振られて頭が回転しきれないで、戸惑う美術評論家さんの姿を拝見するというのも、非常に貴重な場面ではないかと思えました。
この場面は悪いとか良いとか言うのではなく、私は多大な親近感を覚えたのです。
スピード感が良かったです。
おつかれさまでした!
by じゃむ (2009-09-28 20:47)
彦坂さま
はじめてコメントさせていただきます。
匿名で書かせてください。というのも、
>弱さと言っても良いのです、
>匿名での批判は出来ても、
>自己責任を持った署名性の有る発言や、議論討論が、
>出来ないようです。
>建築系ラジオを批判した人たちに、
>明日の28日の建築会館でのシンポジウムへの出席を求めると、
>沈黙してしまったり、
>ツイッターやブログを削除してしまう方々が多いようです。
というくだりを読み、彦坂さまが匿名での言論をどのように捉えていらっしゃるのかが気になったからです。誤読でしたら申しわけないのですが、匿名での発言ではなく、責任をともなう署名性をもった発言をするのが「正しい」ことであるとされているように私には読めました。
しかし匿名の発言というのは署名発言よりも常に価値が低いものなのでしょうか。
確かに、前者は後者のように、言葉を発することに対するリスクはほとんど負わないものです。しかし一方で匿名の場合、いかにすばらしい発言をしたとしても、それが発言者本人にはその場以外において何一つリターンがないともいえるわけです。
現実社会において、人は相手の発言を、その言葉の内容そのものだけでなく、それこそ見た目から社会的地位まで、さまざまな条件を総合的に勘案して理解するものです。同じ内容の言葉でも、社会的成功者が言うのと、学生が言うのでは、残念ながら説得力がまるで違って聞こえてしまいます(もちろん、それを抜きに本質を見抜く目をもった人もいるのでしょうが、まれなことでしょう)。
一方で匿名の言論の場では、それぞれの発言者が現実社会でもっている地位などまったく意味をなしません。世間ではどんなに偉い人でも、的外れなことを言えば散々叩かれるし、その逆もしかりでしょう。つまりここでは発言の内容だけが唯一の価値判断の基準になっているわけで、その意味では議論における真の「平等」性が実現しているといえないでしょうか。
そう考えるならば、そうした匿名の「平等」性を信じて発言をしている人たちに対し、シンポジウムという署名性をもった発言の場への参加をうながし、そうしないことを否定的に捉えるというのはいささか乱暴な話ではなかったでしょうか。発言者の主体性よりも内容そのものを重視する世界に対する反論は、やはり内容そのものでなされるべきだと思うのですが。
長々と失礼いたしました。
by 匿名希望 (2009-09-28 22:13)
じゃむ様
見に来て下さって、ありがとうございました。
面白かったですね。
匿名希望様
コメントありがとうございます。おっしゃるご趣旨は良く理解できます。今回のこたつ問題の場合は、すでに実名も、グループ名も、顔写真も実はネット上に有る方々ですので、匿名というわけではありません。
匿名での発言は、ご主張のように意味があると思います。匿名や、ペンネーム、それもたびたびの名前の変更等は、キルケゴールもやっていて、それなりの必要性と生産性があると思います。
by ヒコ (2009-09-29 12:14)
彦坂さま
ご回答ありがとうございました。こちらの言葉が足りなかったようですみません。ここで言おうとしていたのは「こたつ」の作者のことではありません。実名で活動している彼らはやはり実名で自らの活動についてちゃんと発言する責務があると思います。
そうではなく、建築系ラジオに対する批判を匿名ブログでやっている人に対してまで、シンポジウムという実名の場での発言を求めたことはやや筋違いなのではないかと言いたかったまでです。もっともブログの著者も、それに対してコメントやエントリの削除をするのではなく、はっきり匿名での主張にこだわることを述べるべきだったとは思いますが。
コメント欄汚し、失礼しました。
by 匿名希望 (2009-09-29 18:05)
匿名希望様
それは誤解です。建築ラジオを批判したのは、匿名ではなくて実名です。たとえば高橋元貴 takahashi genki。1986年生 埼玉県さいたま市出身東京大学 工学部 建築学科 卒業。東京大学大学院新領域創成科学研究科在。建築意匠を専攻するが、再来年度から建築学専攻歴史系博士課程への進学を検討中。という人です。
来てくれれば良かったと思います。
by ヒコ (2009-09-29 19:16)
彦坂さま
本人が実名を明らかにしていたのですか。名前欄がイニシャルになっていたので匿名だと思っていましたが、プロフィールへのリンクがあったのを見落としておりました。それならシンポジウムに誘うことは全く問題ないでしょうね。こちらの軽率さによってたいへん失礼なことを申し上げました。お詫び申し上げます。
by 匿名希望 (2009-09-29 20:40)