マーティン・クリード(改稿2) [アート論]
いつも興味深く拝見しております。
最近目にした2人の作家について彦坂様のご意見を是非おうかがい致したく、不躾ながらメール致しました。
作家名ですが、マーティン・クリード(Martin Creed)氏と泉太郎(いずみたろう)氏です。
このお二方について彦坂様からどのようなお言葉を頂けるのか楽しみにしております。
どうぞ宜しくお願いいたします。
そこにあるのは、デザインと模倣盗作、
そして馬鹿馬鹿しさです。
それらを面白さとして見ないと、古いということになります。
Group Exhibitions 1989 The Black Bull, London, GB (curated by Tess Jaray) |
Work No. 3
Yellow painting
1986
Acrylic on canvas
12" x 12"
Yellow painting
1986
Acrylic on canvas
12" x 12"
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の作品、気体美術。
《気晴らしアート》《ハイアート》
シニフィエ(記号内容)の美術。
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
Work No. 12: Double object
1989
Solid brass and chrome plate
2.75" x 2" diam
1989
Solid brass and chrome plate
2.75" x 2" diam
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の作品、気体美術。
《気晴らしアート》《ハイアート》
シニフィエ(記号内容)の美術。
《原始立体》デザイン物【B級美術】
Work No. 54
Four paintings
2000
Brass, chrome, primer, size and metal polish on canvas
4 parts; each part 6" x 6
Four paintings
2000
Brass, chrome, primer, size and metal polish on canvas
4 parts; each part 6" x 6
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の作品、気体美術。
《気晴らしアート》《ハイアート》
シニフィエ(記号内容)の美術。
《原始立体》手芸物【B級美術】
Work No. 78: as many 2.5cm squares as are necessary cut from 2.5cm Elastoplast tape and piled up
adhesive sides down, to form a 2.5cm cubic stack
1993
Elastoplast tape
2.5 x 2.5 x 2.5 cm
adhesive sides down, to form a 2.5cm cubic stack
1993
Elastoplast tape
2.5 x 2.5 x 2.5 cm
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の作品、気体美術。
《気晴らしアート》《ハイアート》
シニフィエ(記号内容)の美術。
《原始立体》手芸物【B級美術】
Work No. 83: a protrusion from a wall
1993
Plaster
Height of wall x 9" x 4.5"
Installation at Lisson Gallery, London
1993
Plaster
Height of wall x 9" x 4.5"
Installation at Lisson Gallery, London
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の作品、気体美術。
《気晴らしアート》《ハイアート》
シニフィエ(記号内容)の美術。
《原始立体》工作物【B級美術】
Work No. 88: A sheet of A4 paper crumpled into a ball 1995 - 2008 Paper Approx. 5 cm diam Unlimited edition 白いA4用紙がくしゃくしゃに丸められている作品。 《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント 《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント 《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント 《想像界》の作品、気体美術。 《気晴らしアート》《ハイアート》 シニフィエ(記号内容)の美術。 《原始立体》ゴミ【B級美術】 |
さらに、かなりの量を書いたのですが、
ミスで消してしまいました。
何を書いたか忘れたので、
新たに書きますが、
こうしたクリードのようなデザインの倒錯としてのアートというのは、
今日のアートの主流になりつつあります。
とは言っても、
クリードのターナー賞受賞は、2001年ですから、
実はこの時期はインタネットバブルの範囲です。
つまり現在の世界金融危機以降の状態になると、
時代の価値観は否応もなく変わってくるので、
クリードのような作品に対する評価も、
微妙には薄らぐのかもしれません。
私自身は、こうした《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント作品が、《真性の芸術》とはまったく思いませんが、こうした倒錯アートが登場してくることは、ある意味で面白いと思います。
,
マーティン・クリードの顔に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン人格
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン人格
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン人格
《想像界》の人格
気体人間
《気晴らし人間》
《ハイアート》的人間
シニフィエ(記号内容)的人間。
『平気でうそをつく人』
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クリードが、《ハイアート》的人間であることが、
この手のデザインワークを芸術と錯誤することにおいて、
重要なのです。
クリード本人は、シリアスに《ハイアート》をやっている
つもりなのでしょう。
こうした作品に、深い意味を見るという人々は、
同時に現在の清潔で、軽い都会生活を楽しんでいる
人々なのです。
この手のデザインワークは、日本でも多く反映していたので
あって、現代アートというのは、
この程度のものに退化してしまったのです。
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美術と言っても、現代には様々なものが存在するのです。
それはレストランの多様性の様なものであって、
クリードの作品は、レストランで言えば、
マクドナルドのようなものと言いたいですが、
しかしマックは《第21次元 技術の倒錯領域》ですので、
《第6次元 自然領域》で、しかもデザイン的エンターテイメントの味は、
吉野家の牛丼です。
マーティン・クリードは、吉野家の牛丼である。
こういう結論で見ると、
クリードの軽さと《第6次元 》の安定性は、
面白いのです。
その中で、ひとつ例外の作品があります。
ゲロを吐く作品で、これは《第41次元》です。
いくつか作っているのですが、
一番早いのは、たぶんですが、2006年です。
この作品は、チンポムと良く似ています。
2006年であると、チンポムのピンクのゲロは2005年ですから、
クリードがチンポムを模倣しているのです。
Work No. 503
2006
35mm fiilm transferred to DVD
View video clip
2006
35mm fiilm transferred to DVD
View video clip
このゲロ作品に見られる模倣性こそが、
クリードの本質を示しています。
ここでは《第6次元》を維持できなくて、
《第41次元》になってしまっていると言うのも、
笑えます。
チンポムのピンクのゲロは、《ローアート》です。
しかし、クリードのゲロ作品は、《ハイアート》です。
《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメントで、
しかも模倣性が強いという意味では、
大竹伸朗と良く似ているアーティストであると言えます。
大竹伸朗もまた《第6次元 自然領域》で、
デザイン的エンターテイメントのアーティストであったからです。
しかし大竹伸朗は《ローアート》です。
クリードの作品は、《ハイアート》です。
いや、実は、このような《第6次元 自然領域》で、
デザイン的エンターテイメントの作家はたくさんいて、
小山登美夫ギャラリーの作家の多くはそうですが、
かれらもまた、《ローアート》です。
マーティン・クリードこそは、
この金融危機以前の現代アートを代表するタイプの作家であったと、
言えるかもしれません。
そこにあるものは模倣性とデザイン的エンターテイメント性と、
そして《第6次元 自然領域》の倒錯アートであると言う事です。
しかし返しますが、クリードは《ハイアート》であるのです。
ここが味噌です。
普通は模倣すれば《ローアート》になるのですが、
それが《ハイアート》で成立させられるのです。
ここにクリードの才能の秘密の重要な点があります。
私自身は《ローアート》を差別しないと言いながら、
しかし正直な感覚は《ハイアート》の方が好きだという気持ちです。
クリードの作品を支えている芸術性と言うのは、
この《ハイアート》であるというところにあります。
つまり《ハイアート》であれば、何でも良いと、
アートを定義しているのです。
だとすると、このクリードの定義からは、
大竹伸朗やチンプムは、アートではないことになります。
タグ:マーティン・クリード
指摘、面白い!と思いおもわずコメントしちゃいます!
でもちょっぴりひっかかった所があります。それは、彦坂さんがマーティン・クリードについておっしゃる事、今のほとんどのアートにいえてしまうのではないでしょうか、という事です。マーティン・クリードに限らず今の表現のほとんどが模倣と呼べちゃうものだったりしませんか?また、イギリスの作家って結構デザイン的な仕事をするアーティストが多くて、お国柄?かもしれません。私は逆に、模倣のような事をしながら、そこからちょっぴりでも新しいものを引き出そうとしている、そういう緊張感のような感じをマーティン・クリードから受け取ります。彦坂さんにとってはやっぱりほとんどの現代作品はがらくたのように感じられますか?
by 高菜 (2009-09-25 02:38)
高梨様
ご指摘ありがとうございます。
同感です。
ご指摘を読む前に改稿をしていて、
《ハイアート》性を強調していますので、再読をお願いできればと思います。彼の人格そのものの中に、《ハイアート》性があるのですね。それに対して、チンポムや、大竹伸朗の人格には、内在的に《ローアート》性があるのかもしれません。日本人のアーティストには、《ローアート》しか分からない人が多いのです。教養がないのですね。
by ヒコ (2009-09-25 03:41)
まいど分析ご苦労さまです。
何度か彦坂さんの芸術分析を拝見していて、決定的に彦坂さん自身の異文化体験の乏しさを感じます。異なる文化圏での議論や日常体験の乏しさを感じます。これはあなたの世代一般に言えることですが。
ハイアートなりローアートなり論ずるのはお好きにされればよいのですが、あなたが教養というときの論拠がどのあたりにあるのか疑わしい。大竹に
関してほとんど感情的と言える批判は嫉妬に近いものがありますがいかがでしょう。
なによりも精緻な分析で己の芸術がなぜに世間の評価を得ないのか、そのことを分析されて自らの幼稚な作品の完成度に寄与されるがよろしい。なぜ貴方の世代の作家がそろいも揃って不甲斐ない戯言しか残せないのかを考えるといい。
by アンチ彦坂 (2009-09-25 20:35)
アンチ彦坂さん、初めまして。
いつもブログを拝見しています。文体でわかりました。
ここでは「アンチ彦坂」と名乗られているので、呼称を統一します。
アンチ彦坂さんは継続的に世代論を考察・観察してきた方ですから、彦坂尚嘉さんのなかに世代共通の問題を見ているわけですね。
アルファブロガーのfinalventさんは、「説明不十分だとよく批判されるけれど、過去ログを読んでもらえば説明がある」(記憶に基づく不正確な要約)と言っています。私はそれを真に受けて、『極東ブログ』『finalventの日記』のそれぞれ過去4・5年分の記事を読みました。その結果、finalventさんに対する疑問・批判の半分は解消されました。もう半分はまだ解消されていません。
アンチ彦坂さんの疑問・批判も、彦坂尚嘉さんの過去の記事をすべて読めば、半分は解消される性質のものだと私は思います。
by 中野輝也 (2009-09-26 04:12)
彦坂さん、文脈から外れますが、ゲロ作品 Otmar Bauerのビデオが残されているもののなかで一番古いかもしれません。1969年の作品です。
http://ubu.artmob.ca/video/Otmar-Bauer_Vomit-Action.mov
インターネット後の芸術史は、それ以前の芸術史とは違ったものになっていくと思います。
by 上岡誠二 (2009-09-26 09:34)
アンチ彦坂様
コメントとご批判、ありがとうございます。私のことを調べて批判して下されば、お答えします。経歴については、何回かオープンにしています。最近でも2つあります。調べないで、妄想で批判するのは、2ちゃんねると同じです。いくらでも、批判なさいませ。屁とも思いません。私は人非人ですし、恥じ知らずで、鈍い人なのです。鈍さも才能のうちです。自慢ではありませんが、1969年の昔から、私を批判する人はたくさんいました。その頃の代表は、写真家の矢田卓です。彼は×◎を付ける手帖を持っていて、彦坂尚嘉に×を付けているのです。矢田卓氏は、立派な写真家で、パフォーマで、良い人ですよ。そういう良い人は、彦坂尚嘉は大嫌いなのです。アンチ彦坂は、膨大にいますよ。8000万人、あなたは、その中の一人にすぎません。
上岡誠二様
Otmar Bauerのゲロ作品、すばらしいですね。1969年は早いし、重要ですね。教えていただいた事に感謝します。
by ヒコ (2009-09-27 16:14)