出演:モモンガ・コンプレックス
日時:2009年9月6日(日)午前11時より日中随時開催
場所:まつだい農舞台前広場
交通案内:http://www.noubutai.com/infomation/access.html
いよいよイベント間近です。
今回は、「みんなのこたつ」の制作プロセスを紹介します。
日時:2009年9月6日(日)午前11時より日中随時開催
場所:まつだい農舞台前広場
交通案内:http://www.noubutai.com/infomation/access.html
いよいよイベント間近です。
今回は、「みんなのこたつ」の制作プロセスを紹介します。
公募段階では特に大きさや形を定めず、このような簡単なスケッチと、集落全員が一度に座れる大きなこたつを集落のみんなで一緒に作るというコンセプト、展開するイベントについて書きました。
公募に選ばれた後、敷地が変更になり、また商店街の再生計画と合わせて計画することを任されました。高齢化が進み、シャッターが閉まる商店街を今後どうしていけばよいのか。長期的なプランとそれを支える仕組み、地域通貨や小口債券の発行等の運営モデルなどを考えるとともに、手始めとしての商店街での今夏のイベント計画をこたつと絡めながら進めていました。
途中予算の関係で地面を掘る事が難しくなったため、"掘りごたつ"から"こたつ"になりました。この時までは、コンクリートで天板・脚を一体化したものを設計していました。
トリエンナーレ開始直前に商店街の計画が残念ながら全て中止になってしまい、敷地と予算の再変更が決まりました。こたつは急遽まつだい農舞台に設置することになり、すぐに動かせることと収納のしやすさが求められました。悩みましたが、こたつを割ることでステージとして自由に配置・移動できるといろいろな使い方ができていいのではないかと考え、4分割して車輪を脚につけることにしました。
このように、地域のこたつからイベントのステージへと機能が大幅に変化しているこたつですが、今度の日曜日、イベントでどのように使って頂けるのか楽しみです。
ことの経過をドキュメントに即して明らかにする姿勢には脱帽です!
一度削除したファイルがキャッシュとして残存,
追跡者の執念によってよみがえりました.
その記録によると当初作者の制作の意図は
地元商店街の活性化に据えられていたこと,
ダンス・パフォーマンスのステージも含む「こたつ」でした.
それが外圧によってものの見事に計画が変質していきます.
とすれば作者は何故このような重要なドキュメントを
深化とは逆の方向で削除してしまったのでしょうか?
コミュニケーションを自らの手で遮断する,
それは”無かったことにする”という隠蔽の手法にすぎません.
「失敗や駄作というのは、避けがたいものです。
このマイナスを引き受けることをして行かないと、
制作は出来ないのです」という果敢な精神こそ
逆説的に言えば失敗や駄作になることを拒否する
制作者の意気ともいえる言葉だと思いました.
by symplexus (2009-09-23 21:58)
symplexus様
コメントありがとうございます。
問題点は、この若い建築家たちの弱さなのですね。この弱さについては、ボードリヤールが、自己免疫性の弱体化として予想して書いていました。現実になると、驚きますが・・・。
by ヒコ (2009-09-24 21:51)
ボクは最初の計画のこたつの方がつまらなく感じます。あくまでもそれはこたつなのです。こたつの脚は決まって一本壊れていて、「あぁっ、その角に肘のせたらだめっ」とか、親戚が集まったとき、こたつやらちゃぶ台やら並べて、その段差で鍋の汁とかこぼしたりそんなところからコミュニケーションが深まったりするもので、「こたつ問題」というコミュニケーションも生まれたわけですから、その辺のみんなが認める建築物よりよほど面白いものになっています。
『「みんなのこたつ」の制作プロセス』ブログを削除したのは、批判されたからでは無いとボクは読み取っています。かえって言い訳のように感じたからではないでしょうか?あるがままで良いという潔ささえ感じます。問題点があるとすれば、「この若い」無しの、『建築家たち』の弱さではないでしょうか?
もちろん、削除しない方が良かったということについては同意見なのですが、、、とにかく、彦坂さんの追求心にはいつも感服しています。
by 上岡誠二 (2009-09-25 05:18)
上岡誠二様
良いコメントをありがとうございます。本来は、最初のアイディアでしかない、つまりシニフィエであるものが、現実の制約や、いろいろな事情の中で具体化して行って、物質性をもったシニフィアンになって行く形で、作品は成立するのです。おっしゃるように、こたつ作品も、4つに割ったもの、つまり普通のこたつのイメージを超えたものになって、それを面白いと評価する視点は、正統であると思います。
2人の若い建築家が、そのように積極的に考えて、図面にあるように、4つのパネルを開けて会場に展示していれば、今回のような批判は起きなかったでしょうね。
また、最初の普通のこたつのイメージに戻すかの様な展示をしてしまったために、あまりにも稚拙な破綻に見えてしまったのです。
by ヒコ (2009-09-25 08:24)
当事者の一人ですが、コメント遅くなって申し訳ありません。
私も美術のフィールドで多少活動してきて、それでも思い出すと冷や汗をかくような経験が数多くあるわけです。しかし作品は作者自身とは別の存在で作者が駄作と思っても称賛されたり、逆に努力を傾けた傑作が非難、批判、嘲笑の対照にすらなる事は美術史ではマネを始めとしてどなたもご存知の通りです。最悪なのは反応・反響がない事であって、批判されることではないと考えています。
今回のこたつが大変なプロセスを経てあの形になった点はおかげさまでよく了解できました。
私自身はインスタレーションの場合特に外的条件に影響を受けやすいのは経験上理解していますので、もともと作品を批判する事が作者を批判している訳ではないという前提でラジオでは思ったことを言わせていただきました。
by 丈 (2009-10-04 00:44)