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明日/大竹伸朗 [日記]

明日は、4時起床で、
2トンのトラックで出発。

越後妻有に搬出で行きます。

家も、壊した所を直します。

間伐材と竹を、積んで、
帰って来ます。

武田さんが付き合って下さいます。

明後日の15日に帰って来ます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

別の話です。
昨日、あるところで、大竹伸朗の大きな本を見るチャンスがありました。
全ページを見ました。
目次がありません(笑)。
最初の文章も、執筆者の名前が無い(笑)。

まあ大竹伸朗なのでしょうが、
本作りの基本の知識も精神も無い
無知の代物で、笑える大作本でした。

全編《第6次元》自然領域の作品の、万華鏡です。
本を閉じると、何も覚えていない(笑)。
《想像界》のカレッドスコープなのです。

その笑える大作本が,何と7000円代であった様です。
安い!
普通なら3万5千円はする本です。
大赤字ですね(笑)。

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コメント 3

大竹ファンです

大竹さんの本はよくできています。本というよりも作品ですね。
直島の銭湯は代表作です。

彦坂さんの妻有の作品が撤去とは残念です・収蔵品にはならにのでしょうか。ベネッセにあってもおかしくありませんよ。
by 大竹ファンです (2009-09-15 01:22) 

ヒコ

大竹ファン様
大竹の本を良くできているという気持ちは理解できますが、本というもののフォーマルな基本を欠いています。本という形式や、歴史といったもの、そして本の美術というものの、基本を認識していないのです。
 建築で言えば、構造を欠いたバラックなのです。台風がくれば壊れてしまいます。同じ事がこの本には言えます。大竹が死んで、20年が過ぎれば、この本はおぞましいものになります。ともあれ、迷妄の固まりです。嘲笑するしかありません。
 大竹は、この本を超えた大きな本を作り得ないでしょう。そういう意味で、この馬鹿本は、大竹新郎の墓場なのです。
 芸術というものを、こうした大竹に見られる模倣の連鎖のカレッドスコープ=想像界で良いと思うのは、理解はできますが、私にはやはり迷妄にしか思えません。その迷妄は、人間の迷妄ですから、普遍性はありますが、しかし、低いものです。
低くてよいという主張はあるし、それも理解できますが、私には感動がありません。

 私のフロアイベントは、最初の1970年から情報アートとして構想されて作動しています。この仕事は、ある意味では大竹よりも、迷妄であると思います。しかし透徹性はあるのです。今回も撤去を前提に制作しています。あくまでも情報に乗せるという事だけが目指されているのです。この作品は情報アートなのです。それもささやかなものですから、たいした事は無いし、多くの人には分からないでしょう。そのことも知っています。
 私の系譜は、1969年末の「無聴衆のための芸術」といった考え方に対する批判的継承から始まっているのです。詳しくは拙著
『反覆/新興芸術の位相』に収録されている「李批判」を読んで欲しいのですが、まあ、読めないでしょうし、読まなくて、良いです。
 日本という僻地で、芸術をやる事の分からなさ、という事を、自らの立つ床を凝視する事で、つまり環境を凝視する事で、芸術を理解する認識を同時に展開してきたのです。他人にはつまらない事でしょうが、自分自身には、この格闘は必死であったのと同時に面白かったのです。未だ大きな課題が有るにしても、達成感と、馬鹿のような喜びが有ります。愚劣だとは思いますが。
 上岡誠二さんのフリーアートに共感するのは、私自身の系譜が、フルクサス系の無聴衆アートの系譜から始まっているからです。それは芸術至上主義の極限であり、その末路なのですが、その批判から私が出発しているからです。
 そういう認識の探求というものと、社会的な成功性に芸術の根拠や動機を見るものとは、微妙に位相が違うのです。社会的な成功性に芸術の目的を見る、たとえばティッツアーのような成功した画家を尊敬するといった態度が、あるのは当然とは思いますが、私にはつまらないものに見えるのです。画家としてはレオナルド・ダ・ヴィンチや、ヴァン・アイクのほうが、私には尊敬できて、ティツアーの絵画は6次元の低いものに見えるのです。
 結局、その人間の動機の問題でしょう。大竹のような低い迷妄の固まりで満足したければ、それはそれで良いと思います。その大竹のファンが多いのも理解はできます。ササンオールスターズの8次元の音楽と、この低さで満足できる多くの日本の聴衆に良く似ていると思います。しかし、私にはサザンの音楽は、汚く聞こえるのです。大竹の本の美術も汚くしか見えません。低くて汚いのです。ゴキブリのような音楽や美術だと思います。
 しかしゴキブリは強いし、増殖し続けるのです。未来の日本は、ゴキブリだけの世界に成るのかもしれません。無数のゴキブリが、うごめいている世界です。
 ベネッセは、6次元の大竹の世界です。ベネッセの低さで満足する日本は、芸術の僻地なのですよ。私が安らかに眠る墓地ではないのです。
 私自身の戦いと活動は、あくまでもゴキブリをおぞましく、低いと感じる感性に依拠しているものです。つまり自然的な態度の認識や先入観を疑うソクラテス的な思考に基盤をおいているのです。
 最終的には、毒杯を飲んで終わるしか無い道なのです。
 


by ヒコ (2009-09-15 06:00)
by ヒコ (2009-09-15 06:08) 

ヒコ

no nameというというのは、削除させていただくことになっているので,ご理解ください。何かハンドルネームを名乗って下さい。
杉本博司氏については、すでの書いています。探していただければと思います。
by ヒコ (2009-09-18 05:50) 

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