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アートスケープ(校正1) [告知]

アートスケープ.jpg

アートスペープに彦坂尚嘉/木村静の文章が載っています。
思ったよりもたいへんだったのは、
一つはartscapeが、大日本印刷のPR誌であると言う事で、
画像の著作権がやかましい事でした。

歴史的には、いわゆる「クズ写真」と言われた小さな画像は、
非商業目的に美術批評には使えるのですが、
私もアートスケープ側の立場を理解して、
写真は限定しました。
そのために、一つ失敗しています。

以下、直せなかった誤植と失敗です。
木村静さんのメールです。

彦坂尚嘉さま


留守番電話をきき、artscapeのサイトをチェックしたら、また校正点を見つけてしまいました。

あんまり何度もすると編集者さんに嫌われてしまうと思うのですが、一応お知らせとして

メールしました。


校正点は2箇所ありました。


2:2000年代のアートのスペクタクル化

の2段落め。


山本想太郎氏は、1966年生まれの建築家で、早稲田大学理工学研究科(建築専攻)修士課程を修了して坂倉建築研究所を経て、独立して山本想太郎設計アトリエを主宰しています。今村創平、南泰裕らとともに建築家ネットワーク・プロスペクターをつくって活動して、前回の2006年には、このグループの作品として「足湯プロジェ」を松之山湯田温泉「ゆのしま」敷地内にアート作品としてつくっています★1。


「足湯プロジェ」→「足湯プロジェクト」


また、プロスペクターの写真に

撮影・木村静

とありますが、私ではありません。



6:2000年代のアートのスペクタクル化

の中ほど。

つまり里山の小さな世界を、巨大空間にスペクタクル化することが北川フラムの仕事であった可能性が、越後妻有トリエンナーレにはあるのです。実際、越後妻有トリエンナーレの作品は、スペクタクル・アートであるものが多い。

 こうして2000年代の10年間のアートのスペクタクル化の幻影を押し進めた立役者として、北川フラムと村上隆という巨人が出現したのでした。

画像:http://blog.so-net.ne.jp/_pages/user/auth/article/index?blog_name=hikosaka2&id=14458939


このリンク先は、彦坂尚嘉さんのブログのトップページになってしまっています。


この程度ですんだという事で、読んで下さる方に、

一応お知らせとお詫びを申しあげます。





アートスケープ2.jpg

awのメーリングリストにも以下のように流しました。

  [aw-ml] 越後妻有とは何であったのか?


           みなさま
山本育夫様

暑中お見舞い申し上げます。

今年は越後妻有トリエンナーレがあります。

このたび、アートスケープというウエーブマガジンに
報告を書きました。
http://artscape.jp/

『越後妻有トリエンナーレとは、何であったのか?』という大論文です。

長いので、読むのは大変です。
それに越後妻有や、北川フラムが大嫌いな山本育夫さんにはご不快で 
しょう。

最後の5章の後半、
正確には塩田千晴の画像の後に、
北川フロム論の結論があるので、つまみ読んでいただければと思います。
単純な批判をしてはいませんが、
それでも北川フラムを対象化するはじめての大論文のはずです。


それと宣伝をすれば、
2章に私の作品の画像と【YouTube画像】が貼付けてありますの 
で、
せめて静止画像だけを、チラットだけでも、見ていただければと思いま 
す。

面倒くさい事で、申し訳ありませン。
どうぞよろしくお願いいたします。

季節がら、お体を大切になさって下さい。
また、別件で、個人メールをするつもりです。
どうぞよろしくお願いいたします。


彦坂尚嘉
アトリエ:〒252-0813藤沢市亀井野3−23−11
電話:0466-21-8898
携帯090-1040-1445
自宅:〒248-0016神奈川県鎌倉市長谷4-11-2
http://blog.so-net.ne.jp/hikosaka/



山本育夫さんからは黙殺されましたが、
たぶん、越後妻有の記事は読みたく無いのだろうと思います。
最初の時期に、山本育夫さんは、
越後妻有批判をずいぶんとなさった方なのです。

しかし山岡佐紀子さんから、メールの返信をいただきました。
ここにペーストしたいのですが、
awは、外部にペーストして大騒ぎになったことが過去にあるので、
一応は止めておきます。

しかし執筆には引用という手法は、伝統的には成立して来ているのです。
引用権というものがあるかどうかは議論がありますが、
しかし下記の様な事は、認められているのです。


著作権法第32条、48条にあるように、正当な範囲内で、
かつ「出所の明示」をする。

その引用であることを明示し、
そしてその出所をはっきり書き記すこと。

本文中で引用した部分を「」内に入れ、わかるようにする。
自分の記述と区別する。そして、それ以外の参照をした場合も含め、そのつど、原出所を何らかの方法で、どこかに明示する事。

(参照出典:『インターネットにおける引用権と著作権について ネットに公開されたサイトは公共財として自由に引用できるhttp://www.asyura.com/0403/dispute18/msg/840.html) 

以上が基本なのです。
この場合、閉じられたメーリングリストの場合、
同様の引用権があるかどうかは、議論はあると思いますが、
私は基本的には、AW自体が1000人を超す大きな
メーリングリストなので、公的な性格があるので可能であると考えます。

さて、そこで、部分引用をしておきます。

>芸術の鑑賞というのは、その人の人格的成熟と見合っているのであって、人格的に低俗な人は低俗な芸術が好きだし、人格的に凡庸であれば、凡庸なものが好きなのです。凡庸な人はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品は好きではないし、雪舟は嫌いなのです。人格的に成長して成熟し、高度になれば、高級な芸術が好きになるようになるのです。だから芸術鑑賞は、自分の人格的な成長と成熟をかけた闘いなのです。そしてまた、その人の人格性を現すものだから、欧米の社交界では、芸術の話をするのです。自分の人格と教養の高さの表示になるからです。>


しみました。
作品レポートでは、「よし見に行こう!」という気持ちになったり、「やめとこか」という気持ちになったりいたしました(笑)が、興味深かったです。

 (引用出典: 山岡佐紀子 [aw-ml] レポートの提出方法
  Date: 2009820 12:39:08:JST  aw-ml@yahoogroups.jp

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

山岡佐紀子さんが反応してくれた事は、
実は現在の社会情勢の中では、極めて反時代的な事です。

現在までの社会風潮は、人格の幼児的な《退化性》性を評価して、
絶賛するという傾向で動いて来ているからです。

そういう大勢に逆らう彦坂尚嘉の態度は、
ドンキホーテ以外ではないのですが、
私はそれを良く知っていて、やっているのです。
その意味で確信犯なのです。

ただ歴史的に見ると、
1991年から2009年までの20年間というのは、
新しいインタネット時代の若い時期で、
そういう意味で、野蛮で、アナーキーな時代であったと言えます。

それが大きな理由ですが、
もう一つの本質があります。
情報化社会というのは、倒錯文化なのです。

倒錯文化なので、芸術ではないデザイン的エンターテイメントが
もてはやされるという現象は強く出てくるのです。
しかしそれでも残る物と、残らない物があります。
時間の中で淘汰はされます。
その時に明らかになるものは、
単なる倒錯だけでは消えると言う事実です。

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