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2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(5)

   6.目玉作品について                
 
 越後妻有トリエンナーレの目玉作品と言うと、今回のカタログの表紙は草間弥生であり、扉はアブラモヴィッチの夢の家であり、次はボルタンスキーであります。
 これらの問題点を論じる事は、いろいろな角度から可能ではありますが、ボルタンスキーの作品を例にして考えておきたいと思います。
 
 越後妻有という里山での芸術祭において、重要視したいのが「いかに調和しているか」という観点です。里山には自然があり、そこに移り住んだ人がいて、その人たちの生活空間があります。
 つまり、この場所には元々ストーリーがあり、そこでの表現活動においては、そのストーリーを前提として考えなければいけない、自室や借り切ったギャラリーなど、一種の私的空間での表現よりも、はるかに難易度が高いと思います。
 その点で、室内を私的な空間に変えてしまうだけではいけなくて、越後妻有の代表的作品と言われているクリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンによる「最後の教室」には、異論を唱えずにいられません。
 廃校になり、子供たちがいなくなった小学校にはもの悲しいものもありますし、廃校を再利用するプロジェクト自体は素晴らしいと思います。ガイドブックには美しい写真が掲載され、評価も高いようですが、実際は蒸し暑く、干草の匂いがする真っ暗な体育館から、真っ暗な廊下を歩き、壁にかけられた額縁の中も黒い、廊下のくぼみには古着と思われる服がただ山のように積み重ねられている、2回には棺と思わせる直方体に白い布がかけてある、とにかく空恐ろしい場所でありました。
 ちょうど、校舎を出たところで20代位の女性が二人、立ち話をしていました。「自分の学校がこんなふうにされちゃったら、嫌だな」これにはまったく同感しました。かつて子供たちが走り回っていた体育館、廊下、教室、この場所にはストーリーがあります。確かに、過疎化は外側から見ると悲劇のように思われるかもしれません。しかし、忘れてならないのはこの場所に存在した息吹が、建物に、土地に残っているということです。そういう意味で調和する、という視点は大切にしてもらいたいのです。

 

 おそらくこうしたオーソドックスな調和への視点を逆転させる事で、この越後妻有トリエンナーレのかなりの部分は出来ているのです。つまり調和を避けて、不調和にする事で、芸術という名前は成立していると見えるものが多いということです。不調和にする一つの方法が、ボルタンスキーに見られる廃墟性や、崩壊性です。廃墟や崩壊が、人を引きつけるのは、確かなのですが、しかし崩壊が芸術であるとは言えないのです。もう一つは「ばさら」です。

 まず、廃墟性や崩壊性についてみてみましょう。

 今回の目玉作家の塩田千晴作品です。

 

  不調和性というのは、芸術であることを、根拠づけるものなのか? 

  越後妻有トリエンナーレの目玉の作品のとんど全部はデザイン的エンターテイメント作品であって、私には《真性の芸術》として評価することができません。長谷川裕子が言うように『アートとデザイン遺伝子を組み替える』ことが実際に行われていて、これらの目玉作品の社会的デザイン性が高い事は充分に認めますが、《真性の芸術》性は欠けているのです。

 つまり越後妻有に調和していても、不調和であっても、その問題の多くはデザイン的エンターテイメントの問題であり、そして不調和の多くの原因が「芸術の名において」(ティエリー ド・デューヴ つくられるデザイン的エンターテイメント作品の特徴なのではないでしょうか。
草間弥生jpeg.jpeg
作品番号 : 150 草間弥生 「花咲ける妻有」2003年

草間弥生 「花咲ける妻有」に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析
《想像界》の眼で《第21次元・愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第21次元・愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第21次元・愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品、液体美術。

《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始立体》【B級美術】

 草間弥生の毒々しい花に象徴される事ですが、下品でけばけばしく不調和である事が、まるで芸術である特徴であるかのようになっているのです。
 それは芸術論的には、日本の中にある「婆娑羅」の系譜を、芸術であると錯誤する事から起きています。
 これについて詳しく論じたのは上林澄雄の「日本反文化の伝統」(エナジー叢書、1973年)です。この本は、日本社会に歴史的に存在する流行性集団舞踏狂の流を指摘し分析したものでした。上林澄雄は、大きな権力移動が起きる前に、民衆の中に狂舞が繰り返し発生してきたことを発見し、そのの分析をとおして、日本の文明構造の二元的な亀裂を明らかにしています。

 日本文化には、《文明》対《原始世界》という、重要な対立構造が潜在しているのです。外国から高度の人工的な新文明が日本に入ってきて、それを輸入し喜んで学び、支配者たちはこの《輸入文明》、例えば仏教や、あるいは西洋文化を背景にして民衆を支配するのですが、支配される民衆の中には、文明以前の、狩猟採取文化、つまり野蛮な文化が脈々と流れていて、上級の《輸入文明》に対して、常に反抗的な姿勢があるというのです。しかし問題が複雑なのは、反抗的な姿勢が屈折していることです。反抗自体が《輸入文明》に触発され、反発しつつ、にもかかわらず模倣し、なぞりつつ解体し、伝統的な野蛮文化のボキャブラリーの中に還元し、あざ笑うことに表現を見いだしていくという、複雑な摂取と解体の流れがあり、「ばさら」とか「かぶく」とか言われる美意識となります。

 「ばさら」「かぶく」という言葉を、辞書でひいてみると次のようにあります。

 「ばさら【婆裟羅】室町時代の流行語。①遠慮なくふるまうこと。乱暴。 ②はでに飾り立てて、いばること。だて。③しどけなく乱れること」

  「かぶく【傾く】①頭がかたむく。かしぐ。②はでで異様なふるまい・みなりをする。」(日本語大辞典 講談社 1989年)

  つまり日本の中には乱暴で、はでに飾り立てて、しどけなく乱れる表現の系譜があるのですが、これが室町時代に「ばさら」とか「かぶく」というような言葉で姿をあらわし、それはしかし不自然なものであり、異様で、派手で、エキセントリックで、《異端の系譜》の源流とも言うべきものになるのです。

 これを戦後日本美術に当てはめて、分かりやすく言えば、それは敗戦後の岡本太郎によって唱えられた縄文主義であり、対極主義であり、あのどぎつい派手な色合いの絵画であり、岡本太郎の「芸術は爆発だ」と力んでみせる歌舞伎の見栄を切るようなパフォーマンスなのです。

 この岡本太郎が反抗していたのは、実は日本の古典や近代化された日本画ではなくて、ピカソに代表されるヨーロッパの前衛美術であり、ピカソと岡本太郎の間にある反発と反抗の関係こそが、「日本の前衛」の構造なのです。

 アフリカの黒人彫刻と縄文式土器という、ピカソと岡本太郎が同じように原始美術を肯定し、そこに大きなインスピレーションを受けて絵画を描いていています。しかしピカソの絵画、たとえば「アヴィニヨンの娘たち」は、モダンアートであって、しかも《オプティカル・イルージョン》の絵画であるのです。それに対して岡本太郎の絵画は、《ペンキ絵》であって、モダンアートではなくて、むしろ色つきの劇画というべき原始美術なのです。   ジャック・ラカンの用語を使えば、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」は《象徴界》の芸術ですが、岡本太郎の作品は《現実界》の作品と言えます。

 敗戦後の日本の現代美術の中には、こうしたピカソをはじめとする欧米美術に刺激されつつ、これに反発して、より過激に反抗の身振りをする〈日本反文化の伝統〉を引き継ぐ《現実界》の《ペンキ絵》の美術が異常繁殖しています。こうした岡本太郎的な下品な色彩が、草間弥生の毒々しい花にも引き継がれているのです。彦坂尚嘉の私見では、これは芸術ではなくて、「ばさら」なのです。

 


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