2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(3)
越後妻有はあくまでも日本の田舎であって、現代美術を、この日本の現実に還元して行くという、そういうローカリゼーションの美術展なのです。それは同時に、現代美術の前提価値そのものを解体して行くと言う脱-構築運動であって、そのデ・コンストラクション性を評価する視点で見て行かないと、北川フラムというアートディレクターに対する正統な理解はできません。
ローカリゼーション (localization) というのは、情報技術においては、コンピュータ・ソフトウェアを、現地語の環境に適合させることを言います。
越後妻有トリエンナーレで、北川フラムがディレクターとしてやっている仕事は、欧米生まれの現代美術を日本語に翻訳し、さらに日本の田舎の現実に適応できるように、アートの質を修正したり、アートの個人性を消して社会性を強調したデザインワークに変質させたり(実例・カバコフの作品) 、アートの高度な質を低くしたり、アートの仕様や様式の変更をしたり、アートの価値観や目的の変更を仕掛けていると言う、アート・ローカリゼーションの実践なのです。
それは従来の芸術至上主義や、純粋芸術という価値観や、個人主義制作を解体して、組み直す作業になります。住民参加の制作による作品の展開は、この近代個人主義的制作の、解体再編運動であったのです。それは《現代美術》というものを、日本の田舎という生活世界に基礎づけて行くという、最終的な和物化/和風化運動であったのです。こうして現代美術の「現地語化」という仕事をしたのが北川フラムであって、その結果としていくつかの傑出したアートディレクション・アートが生まれました。
実例としては2003年の代表作家の一人であった彦坂尚嘉の場合には、本籍地変更を実行し、展示場所の田麦という山村に自らの本籍を移すという事をやっています。次の2006年の代表作家となった菊池歩の「こころの花」の制作が、現地への移住によって、その長期性の中で作られています。したがって、そのような作家の積極的な参加を引き起こすシステムを立ち上げ、作動させ得た北川フラムの豪腕は見事なものと評価するべきで、他の誰もマネの出来ない偉業であったと私は思います。
菊池歩の作品「こころの花-あの頃へ」は大きな評判にはなって、現地の人気は非常に高いものでありました。しかし彦坂尚嘉の芸術分析では低くて、《第8次元 宗教領域》のデザイン的エンターテイメント作品と判断します。しかも絶対零度の美術という、つまり原始美術でありまして、 芸術的には【B級芸術】であったのです。【註3】
こうして越後妻有トリエンナーレ『大地の芸術祭』で作り出された「妻有アート」とも言うべき住民参加型の作品様式は、手の込んだ手芸、あるいは工芸 とも言える作りと、奇妙に類似した構造の作品となって、しだいに固定化していきます。
そういう飽きの空気の中で、今回の、杉浦久子+杉浦友哉+昭和女子大学杉浦ゼミの「雪ノウチ」という作品は、このような住民参加型の美しい手芸性を持った「妻有アート」の中でも際立つ秀作でありました。
たいへんにフェニミンな美しさのあるデザイン作品であって、しかしフロイトがいう《退化性》という私的歴史性をもった芸術作品ではありませんが、《1流》の《ハイアート》性をもつデザイン作品であったのです。合法的表現であって、私的な表現性が見えなくて、社会的公的性だけで成立しているので、エンターテイメントではあります。そして、作品は実体的ですので、ここでもエンターテイメント作品です。【註5】だがしかし、杉浦久子の「雪ノウチ」において、彦坂尚嘉責任の芸術分析で見る限り、「シニフィアン(記号表現)/シニフィエ(記号内容)の同時表示」という今日的な表現の重層性が達成されている事は、非常に高く評価できる事です。この構造は、かつての古典芸術のシーニュ性が解体されてシニフィアン(記号表現)に還元されたモダンアートの限界を超える、情報化社会の芸術の新しいアート・クオリティと言えるものだからです。それは「シニフィアン(記号表現)/シニフィエ(記号内容)の同時表示」という構造が、決してかつてのシーニュの復活ではなくて、離婚した夫婦が、また一緒に同席して並んでいる様な、そうした非統合性において獲得される今日的なアート・クオリティだからです。
ここにおいて、「妻有アート」がマンネリの原始美術性から脱して、次の飛躍を遂げ得る地平が示されていると言えます。
それに対して、ほぼ同じ時期に台頭して来た中国現代絵画の場合は、純粋のデザインワークに彦坂尚嘉には見えるものが多かったのです。それは中国人自身が自分たちの顔を下品でばかな顔に自虐的に描いた漫画で、そのデザイン画に世界が熱狂した悪夢の時代でありました。【註7】
いや中国だけではなくて、アフリカやインドからも同様の自虐性をもった現代アートが台頭して来ます。西欧の人が持っている侮蔑感のイメージに合わせたオリエンタリズムの作品なのですが、そういうものが台頭して来て、グローバリゼーションを体現する流通性として熱狂的に受け入れられたのです。
インドの象をつかった現代アート作品であるバールティ・ケール「その皮膚は己の言語ではない言葉を語る」という作品も、《第41次元 崇高領域》のデザイン的エンターテイメントであって、《真性の芸術》性は、無いと彦坂尚嘉には見えます。しかも固体美術(=封建社会の美術)《気晴らしアート》《ローアート》であって、とても現代アートと言えるものではないのです。【註8】
グローバリゼーションの中で、外国の他者に向かって自らの表現を成立させようとすると、ジャック・ラカンの主張した鏡像理論が成立してしまうのです。他者=欧米人という存在を鏡として設定してしまうと、欧米人の中に先入観としてある侮蔑化された非欧米人のイメージに自虐的に合わせない限り、世界市場に乗らないという現象が起きたのです。他者=欧米人が抱く先入観のイメージにこそ、私自身のセルフイメージがあるということになったのです。このことを主題に論じた大規模なアフリカ現代美術展「アフリカ・リミックス」という展覧会があって、アフリカ人のアイデンティティを巡る試行錯誤の歴史の論述は、重要な視座を私たちに与えてくれました。
日本人で、このセルフ・オリエンタリズムの不快感のある作品を早くにつくった先駆者に大浦信行がいます。昭和天皇をヒロヒトとよび侮蔑的に見る欧米人の眼に映る日本を、自らのアイデンティティ化した作品『遠近を抱えて』は、1982年から1985年にかけて制作された連作版画全14点ですが、これが日本国内でいくつかの社会問題を引き起こしたのです。
大浦信行作品『遠近を抱えて』は、セルフ・オリエンタリズムの表現作品として、村上隆の先駆者であり、中国現代アートやインド現代アートの先駆者であったと、彦坂尚嘉は思います。
この自虐的なセルフ・オリエンタリズムに満ちたグローバリゼーションのスペクタクルな幻影の中で、芸術としての根拠の無いデザイン的エンターテイメント作品が、熱狂的に受け入れられ、21世紀の最初の10年間である2000年代を覆(おお)いつくしたのです。それが2000年代美術の特徴だったのです。
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