2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(3)2-2 [アート論]
おそらくこうした調和への視点を逆転させる事で、この越後妻有トリエンナーレのかなりの部分は出来ているのです。つまり不調和にする事で成立していると見えるものが多いということです。その不調和が、芸術である故のなのか、それともデザイン的エンターテイメント作品であるゆえなのか?
日本文化には、《文明》対《原始世界》という、重要な対立構造が潜在しているのです。外国から高度の人工的な新文明が日本に入ってきて、それを輸入し喜んで学び、支配者たちはこの《輸入文明》、例えば仏教や、あるいは西洋文化を背景にして民衆を支配するのですが、支配される民衆の中には、文明以前の、狩猟採取文化、つまり野蛮な文化が脈々と流れていて、上級の《輸入文明》に対して、常に反抗的な姿勢があるというのです。しかし問題が複雑なのは、反抗的な姿勢が屈折していることです。反抗自体が《輸入文明》に触発され、反発しつつ、にもかかわらず模倣し、なぞりつつ解体し、伝統的な野蛮文化のボキャブラリーの中に還元し、あざ笑うことに表現を見いだしていくという、複雑な摂取と解体の流れがあり、「ばさら」とか「かぶく」とか言われる美意識となります。
「ばさら」「かぶく」という言葉を、辞書でひいてみると次のようにあります。
「ばさら【婆裟羅】室町時代の流行語。①遠慮なくふるまうこと。乱暴。 ②はでに飾り立てて、いばること。だて。③しどけなく乱れること」
「かぶく【傾く】①頭がかたむく。かしぐ。②はでで異様なふるまい・みなりをする。」(日本語大辞典 講談社 一九八九年)
つまり日本の中には乱暴で、はでに飾り立てて、しどけなく乱れる表現の系譜があるのですが、これが室町時代に「ばさら」とか「かぶく」というような言葉で姿をあらわし、それはしかし不自然なものであり、異様で、派手で、エキセントリックで、《異端の系譜》の源流とも言うべきものになるのです。
これを戦後日本美術の中で分かりやすく言えば、それは敗戦後の岡本太郎によって唱えられた縄文主義であり、対極主義であり、あのどぎつい派手な色合いの絵画であり、岡本太郎の「芸術は爆発だ」と力んでみせる歌舞伎の見栄を切るようなパフォーマンスなのです。
この岡本太郎が反抗していたのは、実は日本の古典や近代化された日本画ではなくて、ピカソに代表されるヨーロッパの前衛美術であり、ピカソと岡本太郎の間にある反発と反抗の関係こそが、「日本の前衛」の構造なのです。
アフリカの黒人彫刻と縄文式土器という、ピカソと岡本太郎が同じように原始美術を肯定し、そこに大きなインスピレーションを受けて絵画を描いていています。しかしピカソの絵画、たとえば「アヴィニヨンの娘たち」は、モダンアートであって、しかも《オプティカル・イルージョン》の絵画であるのです。それに対して岡本太郎の絵画は、《ペンキ絵》であって、モダンアートではなくて、むしろ色つきの劇画というべき原始美術なのです。 ジャック・ラカンの用語を使えば、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」は《象徴界》の芸術ですが、岡本太郎の作品は《現実界》の作品と言えます。
敗戦後の日本の現代美術の中には、こうしたピカソをはじめとする欧米美術に刺激されつつ、これに反発して、より過激に反抗の身振りをする〈日本反文化の伝統〉を引き継ぐ《現実界》の《ペンキ絵》の美術が異常繁殖しています。
『再考・近代日本の絵画』展(二〇〇四年、東京都現代美術館+東京藝術大学美術館)には、特に多く選ばれていたので、出品された作品の中で《現実界》の《ペンキ絵》の美術をピックアップすると、戦前・戦中には《現実界》の美術は一点もなくて、戦後には岡本太郎太郎作品以降次のようになります。
岡本太郎「森の掟」(一九五〇年)
河原温「孕んだ女」(一九五四年)
今井俊満「東方の光」(一九五七年)
堂本尚郎「絵画六〇ム二〇」(一九六〇年)
工藤哲巳「X型基本体に於ける増殖性連鎖反応」(一九六〇年)
荒川修作「Work A」「Work B」(一九六〇年)
草間弥生「パシフィック・オーシャン」(一九六〇年)
元永定正「作品」(一九六二年)
中村正義「男女」(一九六三年)
田中敦子「作品(たが)」(一九六三年)
篠原有志男「思考するマルセル・デュシャン」(一九六三年)
白髪一雄「無題(赤蟻王)」(一九六四年)
草間弥生「トラベリング・ライフ」(一九六四年)
菅井汲「夏のヴァカンス」(一九六五年)
工藤哲巳「あなたの肖像六七」(一九六七年)
大竹伸朗「家系図」(一九八六ム八八)
山本富章「Untiled」(一九八七)
加納光於「繁み・運動・エレメントD」(一九八八年)
森村泰昌「美術史の娘『王女B』」(一九八九年)
岡崎乾二郎「(左)平面ばかり・・・」(二〇〇一年)
中村一美「死を悼みて濡れた紫の水際に立つ者」(二〇〇一ム〇二)
こういうリストアップをすると、〈日本反文化の伝統〉を引き継ぐ《現実界》の《ペンキ絵》の美術が、いかに敗戦後の日本の現代美術を代表しているかが理解できます。繰り返しますと、こういう原始美術は、戦前には描かれていないのです。敗戦によって、日本の文化が原始的で野蛮なものに退化したと、私は考えます。
こうした岡本太郎的な下品な色彩が、草間弥生の毒々しい花にも引き継がれているのです。彦坂尚嘉の私見では、これは芸術ではなくて、「ばさら」なのです。
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