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2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(2)

     2000年代のアートのスペクタクル化       

 

 2000年代は、こうして北川フラムと村上隆という2人の偉大なカリスマによって、日本美術がローカリゼーションとグローバリゼーションの両方でスペクタル化した時代であったのです。(面白いのは、この二人は交差しなかったことです。北川フラムの中には、キャラクターアートに対する否定の意識があることは、発言の中に垣間みられます。)
 従来の銀座の貸し画廊を歩き回る画廊巡りや、美術館や博物館を一人でコツコツと歩いて、ベンチの隅でお弁当を密やかに食べるといった貧乏臭い美術愛好家を、あざ笑い、時代遅れにする、圧倒的なアート現象の社会的スペクタクル化がはかられたのです。
 しかし、このことは、アートシーンで独自に起きたものではなくて、後期資本主義社会が生み出すスペクタクル化という疎外現象のアート版に過ぎないのです。
 ギ・ドゥボールが『スペクタクルの社会』(1967年)で指摘した事は、多くの人々が受動的な観客の位置に押し込められた世界に、後期資本主義社会がなったということです。映画の観客のようにただ世界を眺めることしか残されていないという状態におかれたことをスペクタクル化と言い、これが資本主義の究極の統治形態だと言うのです。
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同様の警告は、ダニエル・ブアースティンが『幻影の時代』という本で、
1964年に指摘していた事でした。
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 私は、このダニエル・ブアースティンに大きな影響を受けた世代です。
 2000年代の背後には1995年からのアメリカで起きたインタネットバブルと、2002年からのサブプライムローン・バブルという2つの過剰消費があったのであって、このアメリカの過剰消費が作り出すスペクタクル化の波に乗る形で新幹線の乗客までもが増大しただけでなくて、アートシーンも巨大化してスペクタクルになり、観客は傍観者といてながめるだけになったのです。
 いや、それは芸術そのもの質としては長谷川裕子の主張した「アートとデザインの遺伝子を組み替える」事態となって、アートという名の元に、芸術性のひとかけらも無いデザインワークが、アートとしてもてはやされる時代になったのです。ひとかけらも無いと言うのは、言い過ぎの部分がありますが、《近代》の純粋芸術は古くなり、衰弱したのです。
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 しかし、高度消費社会の中で、資本主義そのものに対する根源的な否定意識も広がって来ています。なぜ私たちは、すべての事に対して消費者として受身でなければいけないのか? なるべくお金を使わないようにする事。ニューヨークでは、ホームレスでもない人々が、ゴミとして捨てられる食品をゴミ箱から拾って食べるまでされていると、ネットで読みました。自動車も持つ事を拒否する若者の増加。こうした高度消費社会に対する反撃の動きが次第に社会の底流に広がって行きます。
 アートという自由と信じられていたものが、勝手にデザイン化に転化され、一部の新興成金により誤読され、誤読に誤読が重ねられ、幻影の時代の中で、根拠なき熱狂の嵐が吹き荒れ、美術市場は異様に高騰し、現代アートの裸の王様化が進んでいったのが2000年代でした。村上隆の作品もしかり、現代美術としてもてはやされる作品は精巧なデザインや下品さまでも上手に取り込み、さも高尚であるかのように私たちを取り巻いて、幻影と、誤読の罠をしかけてきているように感じます。
 こうした村上隆的なキャラクター・アートという新・偶像崇拝美術に対する反撃であるかのように振る舞う形で、越後妻有トリエンナーレの北川フラムの里山に対する思いの思想は展開して行ったのですが、同時に農舞台やキョロロ、そしてキナーレという幻影の巨大建築が建設されていきました。
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農舞台です。
アートと里山を同時に楽しめるフィールドミュージアムという掛け声で
建設されたものです。

設計者はMVRDV

MVRDV (エムブイアールディーブイ) はオランダのロッテルダムを拠点とする建築家集団で、1991年に設立されものです。名前の由来は事務所設立時のメンバーの三人の頭文字からとったものであるのです。

  • ヴィニー・マース(Winy Maas、1959年 - )
  • ヤコブ・ファン・ライス(Jacob van Rijs、1964年 - )
  • ナタリー・デ・フリイス(Nathalie dVries、1965年 - )

ヴィニー・マースとヤコブ・ファン・ライスはレム・コールハースの主宰する建築設計事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)の出身です。

 レム・コールハースは、1944年生まれのオランダの建築家。代表的な作品は、シアトル中央図書館(2004年)、カーサ・ダ・ムジカ (ポルトガル、ポルト、2004)などですが、私はこの両方を見に行っています。現在、中国中央電視台本部ビル (中国、北京、2004着工)が建設中です。



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手塚貴晴設計のキョロロです。

里山と自然と文化の魅力と不思議を楽しく展示する科学館という

コンセプトで建てられました。

手塚貴晴(てづか たかはる)は、1964年生まれの建築家東京都市大学准教授。
ふじようちえん(立川市)で2008年の日本建築学会賞を受賞しています。

今回の越後妻有では、
廃屋を改造してイタリアンレストランにする仕事をしています。
北川フラムのアートディレクションで、そのイタリアンレストランに、
彦坂尚嘉のウッドペインティング・シリーズの小品5点が飾られています。
(作品番号229)
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3つめが原 広司設計のキナーレです。
着物の歴史館や和グッズを販売する和装工芸館が設けられているほか、
風呂と休憩室が揃った温泉「明石の湯」があります。

原 広司は1936年生まれの建築家。東京大学名誉教授
2001年京都駅ビルで、ブルネイ賞建築部門激励賞。

越後妻有トリエンナーレの総合ディレクターである北川フラム氏と、
建築家・原広司氏は姻戚関係があります。
北川フラム氏の人脈の大きさと厚さが、この越後妻有トリエンナーレを
巨大なものにしているわけですが、
同時にその次元は、こうした巨大建築を建設すると言う、
《近代》特有の開発主義の性格を持っているのです。

 美術館関係者からは北川フラムが、アートゼネコンと陰口をきかれたのは、単なる豪腕のアートディレクションに対する嫉妬やねたみだけとは言えないものがあります。
 越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》というのは、過疎化と少子化で衰弱化した地方と言っても、田中角栄による列島改造計画の徹底化した地域であり、過剰にまで発達した道路とトンネル建設による驚くほどよく完備した道路網が完成している近代化された地域です。近代化の地域改造が完成した時に、人々の期待した幸せの幻影は消えて、若い人々はこの地を離れて、都会に出て行ってしまったが故に、越後妻有の地は衰退したのです。
 そこで政治スケジュールに入って来たのが平成の大合併でした。つまり越後妻有トリエンナーレの根本には、6市町村の合併と言う《平成の大合併》の政治目的が潜在していたのであります。
 日本の近代史は3回の《大合併》、つまり市町村合併の歴史です。まず明治維新による変革で、1988年の《明治の大合併》です。この市町村合併によって、伝統的な村は世界は解体されます。約7万あった村が、5分の1にされて,約15000にされたのですが、この変動は以後もすすめられて、最終的には7分の1の1万台になります。2度目が、敗戦による変革で、1953年から61年にかけて《昭和の大合併》が実施されて、市町村数は約3500にまで統合されました。江戸時代の末期の20分の1にまでなったのです。そして《平成の大合併》ですが、市町村の数は1760まで減って、つまり江戸時代の40分の1の数にまでなってしまったのです。
 住民の伝統的な生活世界の小さな7万箇の村世界を解体しつくして、アメリカの様に、車が無ければ生活が出来ない広大な《大地》の形成と言う、生活世界のアメリカ化という構造変動があったのです。
 近代化による改造の極限の地域に、現代美術を移植することが、越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》であったのです。『大地の芸術祭』という題名の中の《大地》は、江戸時代までの日本の伝統的な自然とそこでの人々の生活世界を意味しているのではなかったのであって、《大地》は、アメリカナイズされた《大地》なのです。この《大地》には、もはやかつての7万個の《日本の村》は無いのです。だからこそ、小さな山村は淘汰されて、過疎化と少子化は進み、住民の個数は減り、廃村に至るのです。
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 北川フラムの根底には1960年代末のアースワーク熱狂した感性が潜在していて、平成の大合併と言う里山のアメリカ化と、北川フラムの芸術観が共振を起こして、アメリカ型のアアースワークの日本語への翻訳と言うローカリゼーションの形式が、北川フラムのアートディレクションの根底を形成していたように、彦坂尚嘉には見えます。
 つまり里山の小さな世界を、巨大空間にスペクタクル化することが北川フラムの仕事であった可能性が、越後妻有トリエンナーレにはあるのです。実際、越後妻有トリエンナーレの作品は、スペクタクル・アートであるものが多いのです。
こうした2000年代の10年間のアートのスペクタクル化の幻影を押し進めた立役者として、北川フラムと村上隆という巨人が出現したのでした。

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村上隆の顔の《言語判定法》による分析   北川フラムの顔の《言語判定法》による分析

《第13次/喜劇領域》の《社会性の高いデザイン的人格》 《第6次元/自然領域》の《社会性の高いデザイン的人格》

《想像界》の人格                   《想像界》の人格

《シリアス人間》                   《シリアス人間》
《ローアート的人間》                 《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。            シニフィエ(記号内容)的人間。
『真実の人』                     『真実の人』


彦坂尚嘉の《言語判定法》での分析で見るかぎり、二人とも社会性の高いデザイン的エンターテイメント的な人格なのです。そして《シリアス人間》で、しかも「真実の人」であるという共通性があります。アートのスペクタクル化が、実はアートのデザイン化であり、幻影化であり、それがアートの社会性の増大であったことと、この2人のカリスマの人格構造は一致していたのです。

 2000年代というのは、こうして村上隆の時代であるとともに北川フラムの越後妻有トリエンナーレの時代であったのです。この二人の背後には1995年からのアメリカ社会の過剰消費の世界中への波及による『根拠なき熱狂』があり、そしてグローバリゼーションの中の自虐的で不快なセルフ・オリエンタリズムがあり、さらに日本の《大地》のアメリカゼーションがあったのです。

 私自身は美術家として、この越後妻有トリエンナーレ第一回から全ての回に参加して、Floor Eventシリーズを4回展開してきただけに、感慨深くこの北川フラムによる10年間の魔術的な夢を振り返らざるをえません。

 Floor Event/フロアイベントというのは、自らが立つ床そのものを直視すると言うコンセプトの作品だからです。日本の《大地》がアメリカ化したという事実を直視しなければならなかったのです。



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