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ローカリゼーション [アート論]

A様

On 2009/08/14, at 9:21, A:
妻有のツアー、短いながらもご一緒できまして、大変楽しく充実した時間を過ごさせ
ていただきました。

短い方が楽だったと思います。

どうしても広大な地域なので3泊4日にしましたが、
みなさんお疲れであったろうと思います。

そもそも美術作品の9割りは凡庸な作品なので、
ルーブル美術館でも大半はゴミです。
それは越後妻有でも同じです。

10点見て良い名品1点があれば、幸福になるものです。
しかし、美術鑑賞経験の無い方々には、もっと欲があって、ご不満も多かっただろうと思います。

あるいは、巨大作品が多くて、消化不良になったかもしれません。
自分に引き寄せれば、制作の不可能性を感じて、落ち込むかもしれません。

私が名品という作品も、
美術史的な教養が無いと、理解できないものなのが多かったと思います。

なによりも多くの人は名作は嫌いなものであります。
下品で、低俗なものが好きなのです。
芸術鑑賞というのは、その人の人格的な成熟度がでるのです。
多くの人は人格が未熟な自分に合わせて、芸術を見ているのです。

作品が鑑賞者を選ぶのであって、
名品は、教養の無い人や、人格的に成熟していない人には理解できないものなのです。
したがって、ご不満のある方は多かっただろうと推察します。

参加者にはいろいろな方々がいるので、
感想は各自の自由であって、
彦坂尚嘉と田嶋奈保子さんは、あくまでもツアーというアーキテクチャーを構築して、
私たち企画者の個人性を出しつつ、一般性も配慮し、
個別のご希望もなるべく受け入れて、
なによりも時間通りに、
事故無く稼働させるのが、重要な仕事でした。


現代アートの市場としては、79%をアメリカとイギリスが占めています。
第2位がフランスで7%です。
日本というのは現代アートの市場としては、
トップテンに入るどころか、トップ100にも入っていないのではない無いかと言われるほど、ひどいバショで、市場としては計測不可能と言われています。

ですから、日本に来る作品も外国作家も、あくまでもドサ回りの水準の低い作品と作家がほとんどです。《超1流》の作品も作家も、来ないのです。日本では真性のキュビズム展もポロックの回顧展も来ていません。ジェフクーンズもダミアン・ハーストも、ゴーバーも、さらにはアメリカの若手の作家も来ていないように私には見えます。その理由の中には北川フラム氏の芸術観も大きくあります。たぶん北川氏はジェフクーンズは嫌いなのだろうとは思います。

もちろん例外的なすぐれた外国作家も、越後妻有にはいます。リチャード・ウイルソンやノイシュタット、オギュイベ、ジェニー・フォルツアー、アングラハムなど、良い作家であったと思います。しかしそれらはいわゆる有名人ではありません。ボルタンスキーとか、ゴームリー、アブラモヴィッチとかいう元有名人は、今は盛りをすぎてしまって落ち目で、昔の名前で出ている作家であって、作品的にはもはやレベルもかなり落ちているのです。

何よりも独創性を失って、盗作や模倣、常套句のつぎはぎになっています。

 しかし現代美術の教養がないと、これらの作家を仰ぎ見て、評価する視点で向き合って
しまいます。それは日本という民度の低い観客には仕方がない事ですが、何事も勉強していないと、理解は出来なくて、アート詐欺の被害者になるのです。

 越後妻有はあくまでも日本の田舎であって、現代アートを日本の田舎の現実に還元して行くと言う、そう言うローカリゼーションの美術展なのです。そのことを評価する視点で見て行かないと、北川フラムという天才アートディレクターに対する正統な評価はできません。


 ローカリゼーション (localization) というのは、情報技術においては、コンピュータソフトウェアを現地語環境に適合させることを言います。外国のソフトウェアを日本で使用できるように、日本語に翻訳する必要がありますが、それだけではなくて、プログラムを修正したり、プログラムのコードの修正やソフトウェアの仕様変更までも必要となります。したがっていわゆる「翻訳」というだけでは最終的に日本の現実に適応できるものにならないのです。こうした広義の翻訳変更の行為をまとめて、ソフトウェアの「現地語化」、すなわち「ローカリゼーション」 Localization と呼びます。

 越後妻有トリエンアーレで、北川フラムのやっている一つの仕事は、現代アートを日本語に翻訳し、さらに日本の越後妻有という田舎の現実に適応できるようにアートの質を修正したり、アートの仕様や様式の変更、アートの価値観や目的の変更を仕掛けていると言う、アート・ローカリゼーションの実践を成し遂げているのです。現代アートの「現地語化」という仕事をなさっているのであって、その結果としていくつかの傑出したアートマネージメントを成し遂げています。その豪腕は見事なものであります。



黎の館も是非、拝見したかったのですが、私の都合がつかずに残念でありました。

客観的には手塚貴晴さんの建築は《第6次元》の自然領域です。
墨で家を塗るという手法も伝統的にもあるそうですし、私の知識では1970年初頭の伊丹潤さんを下敷きにしたものです。
しかし限られた時間で、建築を大規模に土台からリノベーションした豪腕は
すばらしいもので、驚かされました。

料理は《第1次元 社会的理性領域》の味でしたが、
2500円は、貧乏旅行者には高かったです。
内容も懐石化していて、創作料理になっていて、凝り過ぎでした。
パスタが無いのは残念でした。
伝統的なイタリア料理の大勢でわいわいと食べる率直さがありませんでした。
イタリアレストランと言うアーキテクチャーを、この越後妻有の顧客へとローカリゼーションしていく、そうした構築がまだ不十分という印象でした。
再考をする必要があるでしょう。
何事も新しく始めるには、試行錯誤の苦労が必要なのです。


このイタリア料理店オープンしてすぐなので、下見が出来ませんでした。
知っていれば高額であるだけに昼食から外したのですが、申し訳なくは思います。
しかし何しろ私の作品が、10号の小品とは言え、5点も入っているので、
見せたかったのです。
しかし何事もリスクはあるので、
他の昼食は、下見して評価のある所を選んでいます。
もともと十日町は美味しいものはほとんどありませんので、その中ではベターチョイスであったと思います。

最後のかたくりの宿も、食事が今一で、残念でした。
建物が《1流》になっていただけに、食事も《1流》の水準が欲しかった。
《第6次元 自然領域》であったのは、残念でした。
これも開店したばかりで、食事は初めて食べたので、外れてしまったのです。
アートフロントの古幹部のBさんの経営であることと、
プールにあった作品が2003年の時点では傑作の一つだったので、
選びました。
今見ると、このプールの作品も、凡庸化してきています。
時間に耐えるという事は、むずかしい事なのです。
この作家の本間純さんは、代表的な妻有アーティストです。
今回予定に入れておきながら見損ないましたが、2000年の鉛筆の作品が、
最高で、本間さんは、次第に作品が落ちて来ていて、つまらなくなって来ています。前回の2006年も凡庸なもの派系作品でしたが、今回はさらに凡庸化が進んでいて、まことに残念でした。


彦坂さんには、その私の勝手な都合を考慮してくださるという、ご面倒をおかけしましたすいませんでした。

今のコンピューターと携帯を使うと、かなり柔軟なツアーを組める事が分かりましたが、
しかし、私も田嶋奈保子さんも初めてということもあったので、
かなりの労働量とプレッシャーで、大変であったのは事実です。
20人を動かすのは、一仕事でしたが、勉強にはたいへんになりました。

こうしたコンピューターをつかった精密化する作業を、
今日では広義にアーキテクチャーと呼びますが、そう言う意味が良く理解できました。
この学習の成果を、美術制作や気体分子ギャラリーの活動にフィードバックしたいと思います。

Aさんという作家についても、
アーキテクチャーとしてのAを構想し設計をする必要があるのです。
しかしそれはアーキテクチャーであるだけに、建築物のように、変更の自由は限度があって、フィックスされる量がかなりあると言う事です。
このことを受け入れないと、作家そのものとしては現実の中に溶解してしまい、
エントロピーが高くなって凡庸な作家になってしまいます。
Aさんはへそ曲がりだから、こうした普遍的構造を受け入れられないのではないでしょうか。

本当に良かったので、次回からも何とかして、こういったツアーに参加させていただきたく思っております。

ありがとうございます。
美術系ツアーを組織するのはほとんど不可能なので、
建築系ツアーが有る時に、またお誘い致します。



彦坂尚嘉
アトリエ:〒252-0813藤沢市亀井野3−23−11
電話:0466-21-8898
携帯090-1040-1445
自宅:〒248-0016神奈川県鎌倉市長谷4-11-2

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