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マイケル・ジャクソンの音楽 [音楽から考える美術論]


◆◆1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

マイケル・ジャクソンの顔の分析は、
以前にブログで書きました。

その時は、マイケルジャクソンの音楽については、
一切触れなかったのですが、
それは異常なものを、私が感じていて、
安易な形では、書き得なかったからです。

◆◆2◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

レコードで2枚くらいしか聴いていないので、
一つは、書きにくいということがありますが、
音楽としては《第8次元》のもので、
ガラスの砕ける音に驚きがあり、
極めてマイナー音楽で、異様な破壊欲望を感じたのです。

ですから、下記に引用する様な感想とは、
ずいぶんと違うイメージを持っていました。

彼の音楽性そのものは、とても素晴らしいものだと思う。楽曲のクオリティや、楽曲に込めたメッセージは、マイケル・ジャクソン独自のものだった。彼に音楽に対する妥協はずっと無かっただろう。

『スリラー』でスターになったことは確かだけど、ジャクソン・ファイヴ時代から持っていた音楽の天性や、
やはり、楽曲に対するクオリティの追求が、彼を<キング・オブ・ポップ>としたと思う。

さて、私は今回のマイケル・ジャクソン追悼番組を、たまたま見ていて、
歌詞の内容が、父親から受けた虐待に対する反撃のもので、
憎悪に満ちていることを発見して、驚かされました。

BADというビックヒットした曲ですが、
自分自身をバットに居直らせる内容も、虐待された子供が自分を悪と感じる、
そういう一般的な心理傾向のもので、
あまりにマイケル・ジャクソンの私的な体験に根ざした、
極めて個人的な歌である事の異様さに打たれたのです。

この歌の歌詞についてのマイケル・ジャクソンの解説は、

この曲は、ストリートを歌ったものだ。危ないスラム街を抜け出した少年が、私立のお坊ちゃん学校に通うという話なんだ。この子は学校が休みになって家に帰ってくる。すると、近所の悪ガキがちょっかいを出してくる。その時少年は言うのさ"オレはワルだ。お前たちもワルだ。で、悪は誰で、正義はどっちだ?"って。そして"強いヤツも善いヤツも、結局は皆ワルなのさ"と言い放つんだ」 

しかし、私はBADというビックヒットした歌詞の内容は、
マイケルを虐待した父親への反撃のもので、
「お前はまちがったことをしている」ということばも、
父親を非難したものであると、私には聞こえます。
その憎悪に満ちた顔は、本気のものであると思うのです。
自分自身をBADであるとに居直らせる内容も、
虐待された子供が自分を悪と感じる心理傾向のものです。

幼い時にボクサー上がりの父親に虐待を受けたマイケルの
私的な体験に根ざした、極めて個人的な歌である事と思います。

◆◆4◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

この音楽の特徴はもう一つあります。
それはシニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示の音楽であると言う事です。

古い世代の耳は、音楽をシニフィアンとして聴いている人が多いので、その人たちが聴くとデザイン音楽に聞こえるのです。事実私の友人は、マイケル・ジャクソンの追悼番組を見ていて、デザイン音楽に過ぎないと言っていました。ですのでこの音楽をシニフィアンの耳で聴くと、私には次のように聞こえます。


《想像界》の耳で《第8次元》の《デザイン音楽》
《象徴界》の耳で《第8次元》の《デザイン音楽》
《現実界》の耳で《第8次元》の《デザイン音楽》

《想像界》の音楽
気体音楽

《気晴らしアートの音楽》《ローアートの音楽》

シニフィアン(記号表現)の音楽、
【B級音楽】

ところが、シニフィエの耳で聴くと、ちがって聞こえるのです。若い人の多くは、シニフィエの耳で聴いているので、私の世代とは、違う評価をしているだろうと想定されます。そこで私がシニフィエの耳で聴くと、次のようになります。

《想像界》の耳で《第8次元》の《真性の芸術音楽》
《象徴界》の耳で《第8次元》の《デザイン音楽》
《現実界》の耳で《第8次元》の《真性の芸術音楽》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アートの音楽》《ハイアートの音楽》

シニフィエの音楽、
【A級音楽】

つまり、シニフィエ/シニフィアンが2重表示された音楽なので、聴く人によって、音楽の聞こえかたが、違うのです。どうじに2重表示されることで、厚みのある音楽になっています。

◆◆付論◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私が見つけている限りですが、
最初のシニフィエだけの音楽に聴こえるのはラモーンズです。
ラモーンズの結成は1974年で、メジャーデビューは1976年です。




1975年にアメリカがベトナム戦争に敗戦することで、
自由主義陣営の《近代》が終わります。


この《近代》の終焉の直前の1971年にニューヨークドールズが結成されます。メジャーデビューは1973年です。このニューヨークドールズであったボーカルのデビット・ヨハンセンの歌は、シニフィアンです。

ラモーンズのシニフィエの音楽と、ニューヨークドールズのシニフィアンの音楽の両方を真似て生まれるのが、セックスピストルズです。

ちなみにニューヨークドールズのマネージャーがマルコム・マクラーレンであって、彼がセックスピストルズを作り出したのですから、この【シニフィエとシニフィアンの同時表示】という構造は、このマルコム・マクラーレンによって、生み出されたとさせ言えるかもしれません。

そして、この【シニフィエとシニフィアンの同時表示】という構造は、1980年結成のハノイ・ロックス、同年結成のバッド・レリジョンにも引き継がれます。そしてマイケル・ジャクソンの音楽の構造にもなっているのです。

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この【シニフィエとシニフィアンの同時表示】という新しい構造を、1980年代の美術で探してみます。

ジュリアン・シュナーベルの絵画は、シニフィアンの美術です。

アンゼルム・キーファーの絵画も古いシニフィアンの美術です。

それに対して、1985年デビューのジェフ・クーンズになると、【シニフィエとシニフィアンの同時表示】の美術になります。このジェフ・クーンズが、ダミアン・ハーストや村上隆に大きな影響を与えた事からも分かるように、
美術構造としても新しいものであったと言えるのです。
ちなみにダミアン・ハーストも村上隆も、【シニフィエとシニフィアンの同時表示】の美術になっています。

さて、以上のように、マイケル・ジャクソンやジェフ・クーンズ、
そしてダミアン・ハーストや村上隆も、
【シニフィエとシニフィアンの同時表示】の芸術として、
同じ構造をしているのです。

それ故に、古い世代に人々には、
シニフィアンという半分しか認識できず、彼らの表現を軽視するという、
そういう事態を生み出しているのです。

重要な事は、情報化社会においては、表現はシニフィエ(記号内容)に還元されて成立するのであり、さらに古いシニフィアン(記号表現)性と同時表示する構造で、社会的にも成功する表現の強度を獲得しているのです。






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アートフリーク

はじめまして。
独創的な美術評論をロムさせていただいていました。
特に森村泰昌論は共感を感じました。

音楽評論家のマイケル・ジャクソンの音楽の評論は、表層を捉えているものばかりで、「ずれ」を感じていましたが、ヒコさんの評論の着眼点は的を得ていると思います。
音楽関係よりアート関係の方から考察した方が
20世紀から21世紀初頭における表現の共通した深層構造を探れるような気がします。


by アートフリーク (2009-07-18 22:01) 

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